こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

教育は感化なり

2010年12月11日 | 教育のこと
熊本県内六高校の校長を歴任し、次々と教育現場の改革を図ってきた、現在九州ルーテル学院大学客員教授、大畑誠也氏の談話

―――――
私が考える教育の究極の目的は「親に感謝、親を大事にする」です。高校生の多くは今まで自分ひとりの力で生きてきたように思っている。親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

・・・・・このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。式のあと、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、私が最後の授業をするんです。

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒をその横に正座させる。そして全員に目を瞑(つぶ)らせてからこう話を切り出します。

「いままで、お父さん、お母さんにいろんなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。それを思い出してみろ。交通事故に遭って入院したものもいれば、親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言ったものもおる・・・」
そういう話をしているうちに涙を流すものが出てきます。

「お前たちを高校へ行かせるために、ご両親は一所懸命働いて、その金ばたくさん使いなさったぞ。そういうことを考えたことがあったか。学校の先生にお世話になりましたという前に、まず親に感謝しろ。」

「心の底から親に迷惑をかけた、苦労をかけたと思うものは、いま、お父さんお母さんが隣におられるから、その手ば握ってみろ」

と言うわけです。
すると一人、二人と繋いでいって、最後には全員が手を繋ぐ。私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ!十八年間おまえたちを育ててきた手だ。分かるか。」

「親の手をね、これまで握ったことがあったか?おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、おまえたちを育てるために大変な苦労をしてこられたからたい。それを忘れるな」

「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、心から感謝すると思うものは、いま一度強く手を握れ」

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。私は、

「よし、目を開けろ。分かったや?私が教えたかったのはここたい。親に感謝、親を大切にする授業、終わり」

と言って部屋を出て行く。振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。

人間として生まれて一番身近な、一番大切な存在って親じゃないですか。親は選べません。親も子は選べません。ならばそれをきちっと固めるしかないじゃないですか。

後漢の書に「孝は百行(ひゃっこう)の本(もと)。衆善の始めなり」とあります。

親孝行はもろもろの行いのもとであり、もろもろの善きことの始めである。

結局、教育とは何なのかと突き詰めて考えてみると、それは自分自身の生き方であり、在り方ですよ。

その生き方、在り方が生徒に反映していく。

「大人の生き方、在り方=大人の教育力」ですね。

子育ても同じでしょう。
「親の生き方、在り方=親の子育て力」。

人生とは何なのか、人間はどういう生き方をすべきかという価値観をきちんと持っている、そういう人はきちんとした子育てをする。だから自分がどういう生き方をしているか。それを大人は常に自問しなければならないと思います。

       月刊 致知 2011年1月号より

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ケンケン)
2010-12-21 16:00:54
あちらの九州にはおおい身代字ですねー

ちょいと ビックリ
良い大人が少なくなっている事実も含めて
親としての躾も 必須なのかもしれませんね
なんていうか 
上郡高校の前の用水路とか 普段は見ないと思いますが・・・・
ふと見ると パンの袋がどんぶらこっこーどんぶらこっこと・・・・
個人のモラルの問題も大きいけれど 
大きくなるにしたがって 色々問題孕んでいるのも事実ですねぇ・・・・・
少しでも目の届かない所からモラルが直ります様に(>_<)/
返信する
ふとしたことが分かれ道 (It’smo元気)
2010-12-22 09:42:08
もともと世の中悪くしてやろうって人、いないと思うんですがねえ。

気がつかない、ちょっとした人間関係のすれ違い、コミュニケーション不足・・・

そんなところから分かれ道ができるんだと思います。

現代は、その分かれ道からなかなか戻れないのが、しんどいところですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。