俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

1月30日(火)

2024-01-29 23:25:28 | 日記
晴れ

●花冠のメンバーにメールが届いていないのか、それともメールを読んでいないのかわからないので、確認のためにネット短信No.410を出す。本日中に返信がきたのは、8名。

●町内会の当番で去年4月から広報など配布している。今日の広報に区民文化センターの開館記念式典があると載っていた。文化センターがどこにできたのかと思ったら、この前、芭蕉句碑を探して行きついた新綱島の高いビルの5.6階が文化センターとのこと。3月29日にN響のコンサートマスターだったマロさんの演奏がある。ベートーベンの「春」など、とあったので、聞きに行こうと思う。ホールは見た目コンサートホールのように設計されている。2月1日からチケットぴあで販売されるとのこと。
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1月29日(月)

2024-01-29 12:12:16 | 日記
晴れ

●ネット短信No.409に有花さんから返信。愛媛新聞の紹介記事を喜んでくれた。晃さんへ転送。

●俳壇からの「前書きのある句」の原稿依頼。なんとか、書き上げた。問題は俳句。2月14日が締め切りなので、もう少し、手元に置く。

●先日新綱島の鶴見川沿いの芭蕉の句碑があるというので、見に行った。工事中で柵がしてあり、近くに行けなかったので、民家の敷地内に句碑らしきものを見つけ、遠くから写真だけ撮って帰った。ネットで調べて、実際それが芭蕉句碑とわかった。名主で俳人の池谷与四郎(桐林斎鳳山)の四男政之丞(東場義旺)が鶴見川改修工事の落成を記念して建立したものだった。芭蕉が立ち寄ったと言う話ではなく、名主が俳句をたしなんでいて、落成記念(慶應3年1867年)にということのようだ。この年は漱石が生まれている。ちなみに、生家の分家のおばあさんが、長寿で慶應3年生まれだった。私が小学生の頃の話で杖を突いて歩いている姿を目にしている。小学生だったので、江戸時代生まれをめずらしく思っていた。
句碑に彫られていたのは
あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉
             (元禄2年1689年)奥の細道
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1月28日(日)

2024-01-29 11:57:05 | 日記
晴れ
枝くぐる風にほつほつ枝垂れ梅  正子
境内の紅梅白梅はや満開     正子
風に凍てミニ薔薇なおも健気なり 正子

●ネット短信No.409を送信。合同句集『泉』が愛媛新聞で紹介されたことなど。今日は返信無し。

●夕方、句美子が来る。途中、小杉のモンベルによって、フリースを買ってきてくれた。「着てよね。」と念を押された。
仏壇にお参りしていたが、「お父さんは仏様かどうかよくわからないね。」というのが、聞こえた。私もそんな感じがしていたので、台所仕事をしながら、黙って聞いていた。句美子と家で最期を看取ったので、同じように感じているのかもしれない。まだ、家にいるような空気感がある。信之先生が仏様になるのは、も少し後だろう。


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