俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

1月11日(木)

2024-01-11 21:40:49 | 日記
曇り
●家にいてばかりでは、いけないと思い、曇り空で寒そうではあるが、矢上川の放水門あたりの水はゆたかなプランクトンでなみなみとして、鴨やかもめも元気かもしれない、と出かけた。

昼前、寒空を見上げつつ鶴見川と矢上川の合流するあたりの鴨はどうなっているか見に行った。綱島街道の箕輪舟下のバス停までは家から3駅。ここまでバスで行き、そこから矢上川に向かって歩く。歩いているうち、この前来た街にきた。バス停前のたばこ屋に見覚えがある。となると、鶴見川はすぐそこになる。矢上川でなく、鶴見川にでる。川の土手に上る小さい階段にすぐ行きつくと川が見えた。オオバンが30羽以上いる。ヒドリ鴨も同じぐらいが混在して泳いで、陸にも上がって餌を食べている。土手を降りると鴨たちの黒い糞だらけ。よく見ると黒ではなく緑がかった黒。踏まないように気を付けて歩く。

アオサギ、ハクセキレイがいる。だれも来ないので、川風は寒いが座って、鴨やオオバンの様子を眺めた。オオバンが時々鳴く。鴨たちはこちらに気づいているようでもあるが、陸で餌を無心に漁っている。

しばらく座っていると向こうからリハビリで歩いているのか、老人がこちらに来た。近所の人らしいので、川の様子を聞きたいので「こんにちは。リハビリですか。」と挨拶をすると、返事を返してくれた。自分は板橋を自転車で渡っていて、橋がバウンドして自転車ごと転び、自転車にしがみついたばかりに、サドルに座ったままだったので、お尻の骨を骨折して3か月寝たきりだったと言う。「歩けるようになってよかったですね。この川、オオバンや鴨がいていいですね。」と言うと、「よく知ってるなあ。」と。「俳句を作っているので、少しは知ってますので。」「そうか。わしの家の近所に野鳥の会の会長がいるんで、オオバンだのコバンだの教えてくれる。いつも首にカメラを提げているがなあ。」もしや、その人は鶴見川近くで、チョウゲンボウや、オオタカ、ノスリがいると案内していた人ではと思った。

矢上川と鶴見川の合流地点まで老人と歩くと大きな裸木がある。「いい形の木ですが、なんの木ですか。」と聞くと「胡桃」だと言う。「じゃあ、秋になったら実がなるので来ますよ。」と言うと、いや「夏においでなさい。いい木陰ができるから。」と。行きどまりなので、土手から上がるところがないか見ていると、「あなたに、詩吟を一つ歌ってあげよう。」「ベンセイ シュクシュク ヨル カワヲ ワタル しか知りませんけど。」と言うと、しばらく川を見ていたが、「意味がわからんとなあ。」と言って「山川草木」をうたってくれると言う。寒風の中で歌う声に「山川草木」と「風なまぐさし」が耳に残った。年期を積んだ歌い方のように思えた。台湾で戦が終わって休むときにその隊に詩人がいて作った歌だという。

帰宅してネットでしらべたら、乃木希典の漢詩で、詩吟では知られているようだ。台湾の戦の話ではなく、大連の南山の日露激戦の地での話。
詩吟を行きずりに歌ってくれるとは、あまりにも不思議な体験。

金州城 乃木希典作
山川草木 転荒涼
十里風腥し 新戦場
征馬前まず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ

きんしゅうじょう のぎまれすけ・さく
さんせんそうもく うたたこうりょう
じゅうりかぜなまくざし しんせんじょう
せいばすすまず ひとかたらず
きんしゅうじょうがい しゃようにたつ

詩の意味
 山も川も草も木も砲弾の跡が生々しく、見渡すかぎり荒れ果てた光景になっている。戦いがすんだ今もなお血生臭い風が吹いている。
 私が乗る軍馬は進もうとせず、兵士もまた黙して語らない。夕陽が傾く金州城外にしばらく茫然とたたずんでいた。
鑑賞
金州城外の無惨な戦場の跡
 本題は「金州城下の作」といいます。金州の南山は日露両軍が死闘をくりかえした激戦地で、山野は血で染まったのです。乃木将軍の長男勝典(かつすけ)もここで戦死する。将軍は南山に登り、山上より戦死兵の墓標が林立する地を望み、夕日をあびて万感の思いで茫然と立っていた。日本軍はここから南下して旅順を攻撃したのです。

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1月10日(水)

2024-01-11 21:20:53 | 日記
晴れ

●「前書きのある俳句」について俳壇より原稿依頼。2月14日締め切り。
「前書き」について『俳句 現代俳句辞典』(角川書店/昭和52年9月16日発行・編集人鈴木豊一)で調べる。「前書き」の項は草間時彦が担当。必要なところ、ほとんどだが、ノートに抜き書きした。これを踏まえて俳句を作る。

この辞典はよくできていて、俳句の疑問によく答えてくれる。鈴木豊一氏が編集人。名編集長と言われた方なので、それだけの値打ちのあっていつもずいぶん助けられている。『俳句編集ノート』(鈴木豊一著/柘榴社刊2011年)はいつかどこかで読んで、非常にいい本だと驚いたことがある。これが欲しくてネットで探すが、品切れで見つからない。もう、手に入れるのは無理かもしれない。西垣脩のところを読んだのだと記憶しているが、実際生身の人物と会っているので、人物に肉薄していて、著書や資料だけでは、とても敵わないという思いがした。
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