俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

1月16日(火)

2024-01-16 11:03:51 | 日記
晴れ

残りたるラム酒紅茶に凍つる夜    正子
コーヒー豆挽けば寒夜の椅子軋む   正子
闇の夜の空からこぼれ来る寒さ    正子

●さすが、寒中。正午近くなっても冷えこんでいる。

●「俳句」2月号の「俳句」と「日常」ーー小川軽舟の俳風の意義
堀切実(早稲田大名誉教授・国文学者1934年生まれ。)を読む。

堀切実先生は、生年から計算すれば、現在89歳でご健在な様子。小川軽舟氏は、加藤楸邨の弟子藤田湘子の跡を継ぐ「鷹」の主宰。

「俳句」と「日常」と言えば、小川軽舟の作品が思い浮かぶ、ことから論が始まる。軽舟の俳句は「日常性の美学に貫かれている」と堀切。「俳句はそのようにして忘れさっていく日常のなんでもない日の記憶を甦らせてくれるものである。」と規定する軽舟。以下は堀切の論。

 鶏頭や洗濯物の袖雫 軽舟
ここに軽舟俳句の神髄が示されている。その大半が自分の見た周辺を自分の心で素直に表したものであり、対象を客観的に詠じたものだけではない。作者という主体がつねに周辺の状況や景色を支配している。そして、この周辺を私が支配する世界は近代日本の伝統文学として「私小説」につながっている。けれどもそれは私小説の主流の「境涯」を述べたものではない。

もう一つ軽舟の自負する「日常」は、自宅の生活や職場での毎日だけでなく、「散歩」という日常が大きな地位を占めている。「日常」とこの「散歩」を自らの作句姿勢として合わせて認識し、そうした”日常性”に富んだ”風雅の世界”を、芭蕉の”風雅の世界”と対比して位置づけようしてもいるのである。

堀切は、軽舟のこうした俳句観を俳諧史研究者の立場で検証。以下の論点から始まる。

この「日常性」の獲得は、はやく蕉風の連句の世界から始まっていたのである。
 「蕉風連句の時空意識ーー俳諧における日常と非日常」(岩波現代文庫)
にその見解を示すとある。
 蕉風俳諧が究極的にめざしていた、いわゆる「かるみ」の風は、題材における日常性とそれに伴う表現における平明性ーーすわなち「俗談平話」を基調としたものであったといえる。それでは、ここにいう日常性とはなにか、あるいはそうした日常性への着目は蕉風連句にどのような言語空間をもたらすことになったのか、 ーーまず、この問題から筆を起こしたい。

堀切のこの問題意識から軽舟俳句の存在に気付いている。

蕉風の連句における芭蕉、その門下の連衆の手法はなによりも生きた人間を中心に据え、その意識と行為に鋭いまなざしを送りながら、他方ではまた日々の生活を営む人間の織りなす身辺の世界にも光を当ててゆく点に大きな特長がある。しかし、現代俳句でもこれと通じるような「日常生活」への深い観察を、自らの行動の中でなしとげている小川軽舟の存在があることに気づく。

蕉風俳諧が誕生する史的背景には”詩語”についての貞門・談林以来の日常語に近い「俳言」拡張の主張があったし、さらには当時の蕉風以外の元禄俳諧一般における題材そのものの著しい日常化現象があったことを忘れたはならない。そして、その日常的題材重視を強力に促進したのは、芭蕉の時代から急速に流行しはじめた「前句付」を中心とした「雑俳」と呼ばれる文芸の存在であった。

ここで堀切は、軽舟が芭蕉認識において、「夏草や兵どもが夢の跡」を引いて芭蕉は、「歴史と自然と人間を詠いあげる」俳人と理解しているが、「芭蕉の得意とした連句の世界に光を当てていないようにみえる。芭蕉が晩年にめざした、発句、連句を含めた「かるみ」の俳風を、もう少し吟味している必要があるのではないか。」と言っている。

次に堀切が軽舟の「旅」ついての芭蕉理解に疑問を呈している。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
の句について、
芭蕉は奥の細道の冒頭で宣言するように、「日々旅にして旅を栖とす」る生涯の漂白者であり、自分は「近所の鳩」のように、近くを歩き回っているだけだと対比しているが、軽舟の「旅」の理解は、日本人の古くからの旅の系譜からみれば、違っているといっている。
つまり、一般には「日々旅にして旅を栖とす」とは、”永遠の旅人”ともいうべき」芭蕉独自の新しい漂泊観だと理解されているけれども、このような「旅は非日常」ではなく、「旅は日常なり」という世界観ーーすなわち”永遠の旅人”でありたいという芭蕉の願望は、日本人の古来からの旅の系譜の中で、いつの時代にも求められてきたものであり、決して芭蕉独自のものではなかったのである。

「日々旅にして旅を栖とす」という宣言は「旅」を「非日常」と認識する今日われわれの常識とは正反対に、その「非日常」であるはずの「旅」を毎日の日常生活にしてしまおうという、日本人の旅の系譜のなかではある意味で普遍的な真理を示す命題を、強く再確認しているにすぎないともみられるのである。
要するに「日常」と「旅」は、かならずしも全くべつなものではないということであり、軽舟の提言する「日常身辺」の俳句とは、芭蕉も通ってきた「俳句」の「正道」であることを確認したいのである。

以上はあらましであるが、読んで思うことは、私の「旅」の感覚と堀切先生のいう日本古来の旅の感覚がほとんど似ていたということ。方丈記とか、徒然草とか、風姿花伝とか、主に中世の思想が今俳壇をリードしている人たちにどのように引き継がれ、理解されているのか、疑問に思うところだ。軽舟氏は東大出のエリートであるし、教養もおありだ。本人の自覚として、旅を非日常としているが、日常は旅なのだと、あなたは、そうなのだと言っておられる。
私は軽舟作品は誰にでもは作れないし、いいと思う。もう少し世界が広ければ、ゾッコンになるだろう。
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1月15日(月)

2024-01-15 20:01:23 | 日記
晴れのち曇り

●1月月例句会入賞発表。正午過ぎ。

発表が済むまでは気が重かったが、終われって、気分がすっきりした。午後は銀行や郵便局の用事で日吉商店街まで電車。花屋で仏壇の花を買う。金盞花が入っていていかにも仏花らしいが、丁寧に「お仏花」と名札がつけられていた。

●ついでに丸善に寄る。俳壇2月号に花冠の西村友宏さんの句が掲載。俳壇は購読していて、おととい届いたのに、気づかなかった。丸善で「角川俳句」1月号を買う。俳句の「日常性」の特集があるため。今年は角川の広告は年鑑だけにしているので、雑誌は送られてこない。必要なときに買う。

●ネット短信No.408の原稿書き。
①1月月例ネット句会入賞発表の知らせ。
⓶西村友宏さんの俳壇2月号掲載句の紹介と、コメント、感想の依頼。
昨年10月号は祝恵子さん、12月号は川名ますみさん、今年2月号が西村友宏さんと続いた。



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1月14日(日)

2024-01-14 11:58:00 | 日記
晴れ

●1月月例ネット句会

●正子投句
オオバンの群れて黒々冬萌に 正子
鴨流る映れる影も流れけり  正子
鴨の声水にひびきてほのかなり 正子

●暮れからこの正月明けにかけて、鶴見川に3度出かけた。はじめは矢上川に鴨を見に行くだけのつもりが、ついに矢上川と鶴見川の出合まで川沿いに歩いて面白かったので、3度来ることとなった。多分、こんどは河口のほうへ行くと思うが。

合同句集を送って、そのお礼状にいろいろな励ましの言葉をいただいた。これに応えなくてはと思い、鶴見川が面白いし、「鶴見川雑記」を書こうと言う気になった。しかし、夜になり冷え込んで、この意気込みは失せた。

最近、何を読むにも、読み込みに集中力を欠いているのは確か。ついつい読み流す。お礼状も一度はさっと読んでしまうが、文面が目に残っているので、二日後ぐらいに、はっと言葉の本意は違うところだったと気づく。申し訳なくもお礼を書く方向を間違えたという自己嫌悪に陥る。


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1月13日(土)

2024-01-14 10:55:25 | 日記
晴れ

●12時45分の、この前と同じバスで鶴見川へ出かける。バス停を降りて歩く道も、綱島北ポンプ場の手前を右に折れて鶴見川の土手に上るのも同じ。送水管のある人道橋があるところから、右手の土手を芭蕉の句碑がある方へ歩く。川にはオオバンもヒドリ鴨もいない。矢上川のほうに行っているのかとも思ったが、今日は芭蕉の句碑まで歩くのが目的なので、そのまま1キロほどあるくと陸にオオバンの群れが餌を啄んでいる。そばを通り過ぎるときよく見ると、ヒドリ鴨が混じって餌を食べている。川の浅瀬らしいところに、その姿が鵜に見える黒い鳥が四羽。四羽そろって川向こうに首を向けている。ハクセキレイも、カモメも飛んでくる。さらに歩くとこの地点は河口から8kmだという鉄の立杭がある。新幹線の鉄橋は土手を横切り、そこより先に行くには土手を下らないといけない。

ここまで来て、空が曇ってきた。天気予報を思い出したが、午後は雨か、雪かと。リュックから傘を取り出す。傘に雨が当たる音がぱらぱらとするが、アスファルトを舗装した土手下の道はそれほども濡れない。

新横浜駅からの新幹線が鉄橋をひっきりなしに通る。新幹線が通るたび見送るが、郷愁のようなさびしさが湧く。遠くへ連れて行ったもらいたいような気持になる。向こうの鉄橋を東横線や相鉄線がことこと渡るのはただそのままの眺めであるのに、新幹線の起こす風の音はなんだというのか。

 新幹線の過ぎし音さえ冬深む  正子
 鴨の声水にびびきてこちらまで 正子
 鷭の群黒ぞろぞろと冬萌に   正子

2キロほど川上へのぼったところに変電所がある。変電所をすぎると、新綱島駅に近い感じだったので、土手を下り、芭蕉句碑を探す。旧家の近くにあると地図で見たが、句碑のありそうなあたりは、道路や調整池の工事中で旧家の近くへはいけない。工事柵から旧家の方を見ると、旧家の門から入ってすぐのところに句碑らしい石碑があり、板の看板がある。遠くからスマホに写真をとって後で拡大して句を読むつもりであったが、読めなかった。これが地図の芭蕉句碑なのだろうと思う。このお屋敷のすぐ近くが新綱島ビルだった。このビルに上がり、下を見ると東急バスが止まっている。すぐ下りて行って乗ったが、発車間際だった。行く先はほとんどが、日吉駅東口。このバスもそうだった。バスは、はじめての通りを通って東口まで。歩数計で歩いた距離をみると3.4キロ。

帰宅してオオバン、ヒドリガモ、鵜についてネットで検索。オオバンは水鶏の仲間で、季語「鷭」は夏。だたし、冬は群れをつくる、とある。この冬見たオオバンは、いつも群れをつくっていた。ならば、群れのオオバンは季感としては冬か。ヒドリガモはシベリアからの冬鳥。他の鳥に混じるらしい。この情報も目で確認している。鵜は河鵜らしく、鵜飼に使われるのは海鵜で、河鵜は数が少ないらしい。

思い出して、この前矢上川沿いの民家の雑木に来たジョウビタキについても調べた。一瞬山雀かと思った鳥だが、羽に白い班があるので、紋付鳥とも呼ばれるジョウビタキに違いない。このところのひとり歩きに、いろんな鳥が舞い込んで楽しみが増えた。
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1月12日(金)

2024-01-12 12:16:06 | 日記
晴れ
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1月11日(木)

2024-01-11 21:40:49 | 日記
曇り
●家にいてばかりでは、いけないと思い、曇り空で寒そうではあるが、矢上川の放水門あたりの水はゆたかなプランクトンでなみなみとして、鴨やかもめも元気かもしれない、と出かけた。

昼前、寒空を見上げつつ鶴見川と矢上川の合流するあたりの鴨はどうなっているか見に行った。綱島街道の箕輪舟下のバス停までは家から3駅。ここまでバスで行き、そこから矢上川に向かって歩く。歩いているうち、この前来た街にきた。バス停前のたばこ屋に見覚えがある。となると、鶴見川はすぐそこになる。矢上川でなく、鶴見川にでる。川の土手に上る小さい階段にすぐ行きつくと川が見えた。オオバンが30羽以上いる。ヒドリ鴨も同じぐらいが混在して泳いで、陸にも上がって餌を食べている。土手を降りると鴨たちの黒い糞だらけ。よく見ると黒ではなく緑がかった黒。踏まないように気を付けて歩く。

アオサギ、ハクセキレイがいる。だれも来ないので、川風は寒いが座って、鴨やオオバンの様子を眺めた。オオバンが時々鳴く。鴨たちはこちらに気づいているようでもあるが、陸で餌を無心に漁っている。

しばらく座っていると向こうからリハビリで歩いているのか、老人がこちらに来た。近所の人らしいので、川の様子を聞きたいので「こんにちは。リハビリですか。」と挨拶をすると、返事を返してくれた。自分は板橋を自転車で渡っていて、橋がバウンドして自転車ごと転び、自転車にしがみついたばかりに、サドルに座ったままだったので、お尻の骨を骨折して3か月寝たきりだったと言う。「歩けるようになってよかったですね。この川、オオバンや鴨がいていいですね。」と言うと、「よく知ってるなあ。」と。「俳句を作っているので、少しは知ってますので。」「そうか。わしの家の近所に野鳥の会の会長がいるんで、オオバンだのコバンだの教えてくれる。いつも首にカメラを提げているがなあ。」もしや、その人は鶴見川近くで、チョウゲンボウや、オオタカ、ノスリがいると案内していた人ではと思った。

矢上川と鶴見川の合流地点まで老人と歩くと大きな裸木がある。「いい形の木ですが、なんの木ですか。」と聞くと「胡桃」だと言う。「じゃあ、秋になったら実がなるので来ますよ。」と言うと、いや「夏においでなさい。いい木陰ができるから。」と。行きどまりなので、土手から上がるところがないか見ていると、「あなたに、詩吟を一つ歌ってあげよう。」「ベンセイ シュクシュク ヨル カワヲ ワタル しか知りませんけど。」と言うと、しばらく川を見ていたが、「意味がわからんとなあ。」と言って「山川草木」をうたってくれると言う。寒風の中で歌う声に「山川草木」と「風なまぐさし」が耳に残った。年期を積んだ歌い方のように思えた。台湾で戦が終わって休むときにその隊に詩人がいて作った歌だという。

帰宅してネットでしらべたら、乃木希典の漢詩で、詩吟では知られているようだ。台湾の戦の話ではなく、大連の南山の日露激戦の地での話。
詩吟を行きずりに歌ってくれるとは、あまりにも不思議な体験。

金州城 乃木希典作
山川草木 転荒涼
十里風腥し 新戦場
征馬前まず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ

きんしゅうじょう のぎまれすけ・さく
さんせんそうもく うたたこうりょう
じゅうりかぜなまくざし しんせんじょう
せいばすすまず ひとかたらず
きんしゅうじょうがい しゃようにたつ

詩の意味
 山も川も草も木も砲弾の跡が生々しく、見渡すかぎり荒れ果てた光景になっている。戦いがすんだ今もなお血生臭い風が吹いている。
 私が乗る軍馬は進もうとせず、兵士もまた黙して語らない。夕陽が傾く金州城外にしばらく茫然とたたずんでいた。
鑑賞
金州城外の無惨な戦場の跡
 本題は「金州城下の作」といいます。金州の南山は日露両軍が死闘をくりかえした激戦地で、山野は血で染まったのです。乃木将軍の長男勝典(かつすけ)もここで戦死する。将軍は南山に登り、山上より戦死兵の墓標が林立する地を望み、夕日をあびて万感の思いで茫然と立っていた。日本軍はここから南下して旅順を攻撃したのです。

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1月10日(水)

2024-01-11 21:20:53 | 日記
晴れ

●「前書きのある俳句」について俳壇より原稿依頼。2月14日締め切り。
「前書き」について『俳句 現代俳句辞典』(角川書店/昭和52年9月16日発行・編集人鈴木豊一)で調べる。「前書き」の項は草間時彦が担当。必要なところ、ほとんどだが、ノートに抜き書きした。これを踏まえて俳句を作る。

この辞典はよくできていて、俳句の疑問によく答えてくれる。鈴木豊一氏が編集人。名編集長と言われた方なので、それだけの値打ちのあっていつもずいぶん助けられている。『俳句編集ノート』(鈴木豊一著/柘榴社刊2011年)はいつかどこかで読んで、非常にいい本だと驚いたことがある。これが欲しくてネットで探すが、品切れで見つからない。もう、手に入れるのは無理かもしれない。西垣脩のところを読んだのだと記憶しているが、実際生身の人物と会っているので、人物に肉薄していて、著書や資料だけでは、とても敵わないという思いがした。
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1月9日(火)

2024-01-09 14:06:49 | 日記
晴れ

●朝、ラジオを聞いていると目白の田中邸が火事になったと言うニュースが入った。あの目白御殿が、と思ったが、真紀子氏が線香をあげて、そのあとガラスが割れる音に火事と気づいたと言っておられた。仏壇からの火事かもしれない。

毎日仏壇に火を灯しているが、気をつけなければいけない。蝋燭は線香をつけたらすぐ消してLEDの蝋燭にしているが、「線香をあげて」というのが、「仏壇にお参りをして」の意味なのかもしれないが、文字通り線香となると、線香もよほど気をつけないといけない。線香もLEDのがあるがそこまでしてとも思う。

●昭和の象徴でもあった、田中邸の焼失は、貴重なものもいろいろあったのだろうと思うが、時代の瓦解を目の当たりにしたような気持になった。

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1月8日(月)成人の日

2024-01-08 10:58:52 | 日記
晴れ

●動く成人の日。以前は1月15日が成人の日だった。それからいろいろ変わったが、今年は今日が成人の日。

●夕方句美子が来る。友達から東大寺二月堂名物行法味噌をもらったと、持ってきた。東大寺に古くから伝わるおかず味噌とのこと。ごぼうや大豆などが入った赤みそ風の甘いもの。毎朝ご飯に載せて食べると一日の活力になるらしい。
友達と都庁に行ったので、地方のパンフレットをもらってきたと、『久万高原アソビ』と『とべ陶街道をゆく』を持ってきてくれた。どこも日常的によく行った場所なので、今、松山か砥部にいるような感覚になった。

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1月7日(日)七草

2024-01-07 11:11:15 | 日記
曇り

●七草。七草粥はこれまで七草が揃わなくても芹だけの粥でも炊いてきたが、今年はパス。胃腸の調子がよくなくて、なにをする元気もない。薬を飲んで治った気がするが、なんとなく不調。

●2024年はAIによって世の中どう変わるか、と言う話を聞いた。AIが作ったものとそうでないかを判断するのもAIがするだろうという結論で終わった。

俳句の評価と添削をネット上で毎日毎日しているが、これこそ生成AIにやってもらいたい。ちなみに人間の先生が俳句を添削すると、一般には3句千円と言う相場が出ている。毎日3句なら、一日千円。一月3万円。一年36万円。AIに頼めば、おそらくこのくらいの額を要求されるであろうが、これに文句は言わないだろう。なぜなら、AIは人間ではないから、平等で、客観的で、多くの「場合」を持っているから。人間なら、東京大学を出て(京都大学には悪いが)、著名な賞を受け、ある程度の見目の良さを持ち合わせていなければ、なかなか人はお金は払わない。そういうステータスを求める人たちには、生成AIで十分だと思う。こうなれば、俳句もちょっと面白い。
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1月6日(土)寒の入り

2024-01-06 08:46:26 | 日記
晴れ
文鳥の淡きくれない冬ぬくし  正子
梅咲いて光のなかの花となる  正子

●昨日、5丁目の丘を登ったおかげが、ほぼ腰痛がなおる。今日は、二丁目の丘の尾根を歩く。尾根のURのサンヴァリエに辿り着いた。尾根の町は見晴らしがよくて、別の町の雰囲気。実際日吉本町から下田町になっているが。ずいぶん歩いた気がしたが、実際は、いつもより、千歩多い程度。帰る途中、小鳥小屋があって鳴き声が聞こえる。文鳥だけが一羽別の籠に入っている。ここは2,3度通った記憶がある。梅が咲いている家があって、道筋もよくわからず歩いて帰宅。

●1月に長谷寺へ行こうと思ったが、今年の水仙はきれいだと思うので、水仙を見に行こうか、と調べる。宝戒寺はと思うが、鎌倉の賑わいに近すぎる。もう少し奥へ。二階堂の瑞泉寺がよさそう。ほぼ、ここに決める。

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1月5日(金)

2024-01-05 12:32:50 | 日記
晴れ
初富士の空を烏の滑空す  正子 

●体が冷えたか、体調悪し。炬燵で昨日から漢字の手習い。出る順パス単2回目。一日50語。気づいたが、例文を先に読みその後単語を見るほうが効率がよい。その後フラ語塾のYou Tube。レース編み。花冠の編集は来週から。

●腰痛がなおらない。暮れから新年、歩いていない。ただ歩くために丘を登る。しかし、腰がつっぱって登れるかと思ったほど。山の小さい小学校ほどの鯛ヶ崎公園の広場には小学生が50人超えて7,80人くらいは居そうで、賑わっていた。

●快晴で雲ひとつないのに、富士山は霞んで山頂が青く見え、山の後ろに白い光が見える。雪が吹きあがっているのかと想像する。

●夜、ますみさんから俳壇年鑑への投句についてのメール。
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1月4日(木)

2024-01-04 08:46:58 | 日記
晴れ
四日の空のどこを見むとて山の昼  正子
夫のなき一月燈明はやばやと    正子
去年居て今年夫なき冬ぬくし    正子

●金蔵寺へ。裏山に登る。初詣の人たちが三々五々。松に結わえられた笹竹が目に付く。

●『かたつぶり』の礼状を暮に出したが、そのお礼の葉書がまた届く。上皇陛下や上皇后や皇室の方々を診ておられる医師と俳句からわかるが、私のことを高名な先生と書いておられる。世に立派なかたはこういう言い方をされるのかと、本当に恐れ入った。
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1月3日(水)

2024-01-03 11:37:33 | 日記
曇り
活けてある水仙花の日々増ゆる     正子
水仙と小さき黄菊のあい馴染み     正子
水仙の花のゆるるは地震なりや     正子

●誕生日。まず、朝風呂。仏壇に燈明と線香とお水、ご飯をあげる。
●自由な投句箱の選とコメント。秀句2句とコメント。
●夕方コーヒー豆を挽いてコーヒーを沸かすが、3口ほど飲んだところで、病気になりそうな気分。すぐ戸締りをし、早々と5時に就寝。布団で静かにしていた。10時ごろ少しよくなったので、起き出して緑茶と、もらったお菓子の飛あゆを食べて、メールとブログをチェック。
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1月2日(月)

2024-01-03 10:44:16 | 日記
晴れ、昼ごろ雨。

●子供たちがお参りに来る。お節をつくらないので、すき焼きにした。「わあ」と喜んで、牛肉いくら買ったか、とか聞いて食べる気満々だったが、結局お肉が結構残ってしまい、来年はお魚にしようと、と言うことになった。押しずしも用意したが、なだ万の高いほうのが残って、安いあっさりしたのが好評だった。なーんだ、なのだ。元希は鮨に目がないようで、何個食べたと自慢する。

そして「おばあちゃんは芭蕉の俳句を知っているか」と聞いてくる。「知ってるよ」と言うと、大晦日から元旦にかけて母親の里の岐阜にいっていたようで、向こうの祖父母や叔母たちと「芭蕉かるた」と言うのをしたと言う。奥の細道結びの地の大垣があるだけに、芭蕉はよく浸透している。

●孫の成長ぶり。半年前の信之先生の葬式のときは、それほど背が高いとは思わなかったが、会ってみると私の背丈を越している。靴は24.5センチ。大人とかわらない靴が玄関に並んで、だれがだれの靴がわからない。句美子が言うには、よく話すようになっている、と。

仏壇に出雲の「若草」を供えていたら、「これ、何?」と持ってきた。食べるてみるというので、外側を少し落として甘くないようにして渡すと、「甘いのがすきだから」と、そのままの方を食べた。大丈夫かなと見ていると、おいしいと言う。抹茶なら甘めをと言う。上用饅頭も平気で食べる。小さい子にしては珍しく和菓子がいける。

●夕食は、句美子と友宏さんの三人で。夕食の席に座ったとたん、スマホを見ていた友宏さんが、羽田でJALの飛行機が燃えて、事故があったと教えてくれる。コメントに正月なのに、と言うのがたくさんあると。
千歳空港からの旅客機と新潟へ地震の支援物資を運ぼうとしていた海上保安庁の飛行機が滑走路で衝突したとのこと。旅客機の方は死傷者なし、海保機は機長が脱出して助かり、あと5人は死亡とのこと。ありえないことが起こる。

●安倍さんが撃たれる前から、安倍さんははいかんなあと思っていたら、年末になって裏金作りに精出す政治家のていたらくが明るみになった。芸能界のスキャンダル以上の暴力。出世と金に目がくらんだ人たちが大勢いる。ふざけすぎる。まともな人も多いが、悪事は千里を走る。権力に阿ったきたテレビも新聞もこれで終わりになるだろう、という気がしてきた。もとにはもどせないよ。時は前へ進む。
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