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SaltyDog

               by kaji

ペットボトル

2009-06-15 | にんまり(笑)
地下鉄東西線、いつものように私は座席に腰掛け、本を読んでいた。
大手町あたり、向かいの席の一番左に座っていた男性の足下に
飲み終わったペットボトルが転がっていた。 おそらくそれは、
ずっとその場所にあったものではなく、車内を転げ回って、私が
気が付いたときに、ちょうどその男性の足下にたまたまあったもの
だろう。男性もその存在に気づき、つま先でチョンとはねのけた。
しかしペットボトルもしつこく、再び男性の足下に。

男性は、巧みに右足でペットボトルを引き寄せ、今度は自分の座席
の下に潜り込ませ、キック。 ペットボトルは勢いよく座席の下を
突き進み、概ね反対側の端まで転がっていった。 こうなるともう
読書どころではない。 ペットボトルの行く末が気になる。

電車がブレーキをかけたそのとたん、ペットボトルは別の男性の
足に当たり、その向きを変え、こともあろうか私の方をめがけて
突き進んできた。 もしかすると、周囲の視線をあびているかも
しれない。 この次に私の取る行動を周囲が注視している気がする。

踏みつけるか? それとも蹴飛ばすか? 知らん顔するという手も
ある。 冷静に拾い上げ、涼しい顔でゴミ箱へ捨てるべく席を立つ
か? そこまで善人になる必要があるのか。 わずか数秒のうちに
私の頭の中は、まるで将棋の名人のようにいくつもの手を考えた。

蹴飛ばすという行為は、己に降りかかった問題を他人になすりつけ、
自らは何も無かったかのように振る舞う行為に等しい。踏みつける
という行為は、ある意味ターミネーターであり、他の人へ問題が
及ばないように、自らの手(足)で、終止符を打つ行為。ただ、
残骸の処理については、第三者の手にゆだねることになる。

知らん顔ってのは、どうも無気力・無感動・無関心などの三無主義
(なつかしい)を連想させ、東京で暮らすうちに病んでしまった
すさんだ心を路程しているかのようだ。
そうかといって、拾い上げ、降りたくもない駅で下車し、ゴミ箱へ
捨てるほど善人ではないし、偽善者的な視線を向けられかねない。

さて、そろそろ結論を出さなくてはならない距離にまで物体が接近
してきたそのとき、右側から歩いてきた男性の足が、まるで
パトリオットミサイル(迎撃ミサイル)のごとく当たり、その物体
は遙か遠くまでとばされ、その運命を別の人物にゆだねる結果と
なったのであった。