SaltyDog

               by kaji

ヨーロッパ旅行写真解説(その3 最終回)

2006-07-12 | ヨーロッパ旅行記
ヨーロッパ旅行記もこの写真解説で完結。 まあ見てやってください。

● リバプール①:リバプールと言えば、ビートルズ。これは比較的できたばかりの頃の記念館。

● リバプール②:これも同じ記念館

● ストーンヘンジ:ただそこに石があるだけなんだけど、不思議な存在感があった。

● ブライトン①:昔、パンクロックの映画「さらば青春の光」だっけ?その映画の舞台となった場所だそうな。

● ブライトン②:海岸は砂ではなくて玉砂利。夜がとってもロマンチックなところだった。我々はどうせ野郎2人でさぁ。

● ブライトン③:実はこれはもしかするとブライトンではないかも。 サングラス似合うじゃ~ん(自分で言うな!)

※イギリスはここまで。

● ベニス①:いずれは海に沈んでしまう街。

● ベニス②:雰囲気出てるでしょ。 このゴンドラにはお金がなくて乗れなかった。

● ベニス③:これまたゴンドラ。

● ベニス④:この場所なんていうんでしたっけ? 少し前だけど水浸しになってましたよね。今はどうなんだろう。

● ベニス⑤:ちょっとピンボケかな?上と同じ場所

● ギリシャ①:ご存じパルテノン神殿。 後ろに見える人影は国旗を下ろしに向かう(と思う)軍人

● ギリシャ②:パルテノン神殿の高台から見下ろすギリシャの町並み。 それにしてもなんじゃこの頭は。島田紳助みたいやな。

● ギリシャ③:旅行記本文中(19話)にも出てくる、ニックというおじいさんとお孫さん。

おしまい。

ヨーロッパ旅行写真解説(その2)

2006-07-06 | ヨーロッパ旅行記
今回はファームキャンプを離れ、レンタカーを借り、イギリスをほぼ一週した時の写真です。

● ホーリーアイランド①:とっても感動的な島。島へ渡るためには干潮を待たなくてはならない。干潮になると道が海面より上に出てくる。再び潮が戻ってくる前に抜け出さなくては12時間足止めを食らうことに。

● ホーリーアイランド②:島にはお城がある。早朝であったため、中には入れなかった。 やたらとヒツジが居た記憶があるけど、写真には全く写っていないなぁ。

● ホーリーアイランド③:なんとも言えない風景。 だけど、こういったポーズで写っている写真が多くない?

● :これはなんて言う城だったかな? コーダー城だっけな?違ったらごめんなさい。 確か昔、ネスカフェコーヒーのコマーシャルに使われたところだったような気が・・・・。しかもどの辺だったかさえ覚えていない。

● ネス湖①:ご存じネス湖。まずは看板

● ネス湖②:立ち入り禁止と書いてあったけど、立ち入った。ネス湖との接触。顔も洗った。

● ネス湖③:よくメディアに登場する廃城をバックに。

● ネス湖④:ネッシーになったつもりで。

● ネス湖⑤:またまたお決まりのポーズ。ネス湖がよく見渡せる。

● スコットランド①:人間大砲玉のつもり。

● スコットランド②:撮影意図がよくわからない写真

● スコットランド③:門兵さんとのツーショット。ピクリとも動かない。この人。

● スコットランド④:う~ん、実はエジンバラだったかも?

● スコットランド⑤:スコッチウイスキー工場のすぐそばにあったスキー場だったと思う。夏もリフトだけは動いていて、山頂まで行き撮影。めっちゃ寒かった。

● わかんない:これ、何処だったっけなぁ~。忘れちゃった。とりあえずこの辺に入れとこう。

● 北の方①最北端に近い場所だったと思う。 もういいから、このポーズ。

● 北の方②:こんな風景、まだ残っているのだろうか。素晴らしい。

● 北の方③:これもどの辺だったかわかんないけど・・・・。

● 最北端①:LAST HOUSE ってくらいだから、スコットランドの最北端の家(店)だね。 なかなかいい写真だなぁ~。

● 最北端②最北端に行くとよく立っている標識。

● 最北端③:最北端からさらに北を目指す。(あの~、上に行ってるだけで北に向かってませんから~)


 今回はこの辺で。 さて次回(最終回)は、イギリスを南下し、リバプール、ストーンヘンジ、ブライトンと巡り、いよいよ、イギリスを離れ他国へと。そのあたりをまた。

ヨーロッパ旅行写真解説(その1)

2006-06-28 | ヨーロッパ旅行記
ヨーロッパ旅行の際撮った写真をご紹介。まずはキャンプ編。

● Witham:ウィザム駅。キャンプの入り口にあたる駅です。この駅からキャンプまではバスで。

● 表札:キャンプの入り口にあった表札。

● キャンプ建物:キャンプのメイン建物といって良いでしょう。この建物内で、食事をしたり、くつろいだりします。

● 仕事帰り:まだ果物ができていなくて、草取りが仕事であった頃の写真かと思う。このトレーラーに乗って畑とキャンプを往復。 丁度帰ってきたところの写真かと。

● 食事:カウンターに料理が並べられ、みんな一列に並んで料理を受け取る。真ん中の女性はいわゆる女将さん。料理をとりわけながら、「Eny more?」と聞いてくる。

● キャンパー1:ノルウエーチーム。向かって左の日本人は仲のよかったH。黒い服を着ているのが私。

● キャンパー2:この男性は、名前忘れたけど、トルコの男性だったように思う。女性はオランダの女性。かわいい顔しているけど、声はものすごく低く、仕事はバリバリというか、がむしゃらに働いていた。 でもみんな表情からすると結構酔っぱらっている写真かと。

● キャンパー3:この男性はモロッコの人だったと思う。あれ?この女性、いつもHのそばに居るなぁ~。

● キャンパー4:イタリアチーム。 僕はあまり印象ないなぁ~。
Hとは親しかったかも。

● キャンパー5:オマル。たしかトルコ人。 あ~んまり印象に残ってないけど、名前はなぜか覚えている。

● キャンパー6:ヤシン。彼も確かトルコ人。

● 仕事風景1:バケツが手渡され、フルーツを摘んでその中にためていく。

● 仕事風景2:バケツがいっぱいになると換金。1杯で1ポンド程度だったような気がする。左の腰掛けている女性はソニアというイタリアの女性。なかなかの美形だった。

● コルチェスター:キャンプのあるティプトリーから、恐らく最寄りの大きな街。お城をバックに撮影。週末になるとキャンプからコルチェスター息のバスが出ていたような気がする。

● カーニバル1:ティプトリーの小さな街でお祭りが開催。写真がないのが残念だけど、ジェットコースターなどもやってくる。要するにサーカス一座みたいに移動式の遊園地ができあがる。

● カーニバル2:写真の右奥に移動式遊園地のアトラクションが一部見える。

● 乗馬:キャンプから比較的近い所に乗馬教室みたいなのがあって、2~3度通ったように記憶している。馬になめられっぱなし。

● 仮装パーティー1:ある日、突然キャンプにて仮装パーティーが開催されることになった。

● 仮装パーティー2:フランス人男性。なかなか良く仮装できている。しかも似合う。

● 仮装パーティー3:だ~~れだ?

● 売店:キャンプ内に設置される売店。ビールしか買ったことない。中の女性はアメリカ人

● パブ:キャンプ近くのパブ。駐車場がついている。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。

パート1はこのへんで終了。次回はキャンプを離れてからの様子を紹介。

ヨーロッパ旅行記(20:完)

2006-06-06 | ヨーロッパ旅行記
ギリシャからの飛行機では、日本人旅行者のMさん&Mさんの友人と知り合いになり、同じ席になった。丁度非常口のすぐそばで、普通の席よりも若干広々としていた。 ギリシャを飛び立ってから、カラチに一旦到着。カラチでの乗り換えにはかなりの時間待たされたように思う。オーバーブッキングされていることは常識なので、できるだけ早く列にならんで、搭乗手続きを済ませた。 その次に向かった先は中国だったように思う。もちろん飛行機の給油のために降り立っただけなので、空港の建物の中から出てはいない。 中国へ向かう途中の機内で異変があった。丁度チベット高原?の上空にさしかかった頃、非常口の付近から風が入り込んできた。おいおい、大丈夫かよって感じで少々不安になり、はずしていたシートベルトをしっかり締め直した。さすがはパキスタン航空。 中国の空港の売店で、ハイネケンの缶ビールとおみやげのマカデミアンナッツを購入。と言ってもお金がなかったのでMさんにお金を借りた。ヨーロッパに行った帰りのおみやげがなんでマカデミアンナッツなのか、という気も大いにしたが、そこは深く考えないように願いたい。

 いよいよ、久しぶりの日本に到着。夜だった。成田から箱崎まで出るのが精一杯だった。 Mさんたちと一緒に箱崎のカプセルホテルに泊まることにした。タクシー代、宿泊代、みんなMさんに借りた。Mさんどうもありがとう。 翌朝、電車で上石神井の3畳間に帰宅。 長かったような短かったような、3ヶ月。 ここに僕のヨーロッパの旅は終結した。( 完 )

<後書き>
ところどころで写真を挟み込みたかったのだけど、当時は当然デジカメなんてものはなく、写真はアルバムに収まっている。 アルバムの保護シートをはがして、写真をスキャニングしようと試みたが、台紙にべったり張り付いてしまっており、なかなか困難な状況。 いずれ、少しずつ写真を差し込んで行きたいと思っているので、たまにチェックしてみていただきたい。

 さて、お読みいただいた方がどれだけ居るか甚だ疑問ではありますが、もしお読みいただいた方がいらっしゃれば、この上ない幸せ。 どうもありがとうございました。

ヨーロッパ旅行記(19)

2006-05-09 | ヨーロッパ旅行記
 僕の放浪の旅もそろそろ大詰めを迎える。ギリシャへ入った時に出会ったおじいさん、ニックを再び訪れると、ニックはちゃんと覚えていてくれた。カメラを差し出したらあの時提示された金額よりもかなり低い金額を提示してきた。僕はためらったが、もう旅も終わりだし、まあそれでいいかなって気もしていたが、丁度のどが渇いていたので、「それじゃ、その金額にプラス、ビール1本でどうか」と言うとニックは笑いながら応じてくれた。ニックとビールで乾杯をし、名残惜しかったが別れた。

 本当はまだまだ旅を続けたかったのだけれど、お金も底をつき、やむを得ず帰国を決意する。ギリシャで偶然に知り合った日本人のバッグパッカーにあと2~3日で帰国する話をしたら、パキスタン航空の帰国便は週に1便しかなく、しかもそれは明日ではないかとの情報を得る。パキスタン航空に問い合わせるとその通りであった。事態は急変し、明日ギリシャを離れることとなった。
 実家の両親にまず電話をしようと思った。公衆電話をさがし、「もう、お金がないから明日の飛行機で帰るつもりだ」と伝えようとしたが、公衆電話の使い方がいまいちよくわからず、すぐに切れてしまう。 帰国した後にわかったことだが、日本ではまず受話器を上げ、10円玉を入れて番号をダイヤルし、相手につながり、10円が切れる前に次の10円を入れるが、ギリシャの場合は、まず、受話器を上げ、番号をダイヤルし、相手が出たら10円(もちろん円ではないが)を入れるしくみだったようだ。 僕が伝えようとしたメッセージのうち、「もう金がない」ってところでどうやら電話が切れたらしく、両親にはかなり心配をかけてしまったようだ。

ヨーロッパ旅行記(18)

2006-03-22 | ヨーロッパ旅行記
 ホテルに戻ると彼は仕入れてきた食材で早速料理を作り、自分一人で食べていた。ま、いいか。 夕方になった頃、カナダ人のローズが、今晩下のカフェで、ワインパーティーをやるから来ないかと誘ってくれた。パーティーには15人ほどが集まっていた。僕が参加するとみんなで歓迎してくれて、席を一つ与えてくれ、するとどこからともなくワインが回ってきた。 ギリシャのワインは松ヤニ入りの独特の癖がある。 翌日のことなど全く考えず、勧められるままに飲んだ。それからのことは全く記憶になく、夜があけた。

 目をさましてみると、極度の頭痛。体が重い。 どうにか起きあがるとローズはベッドの上で何か書き物をしていた。 頭のおかしいイギリス人の姿が見えないので、ローズに、「彼はどこへ行ったの?」と聞いてみた。すると、「おまえは昨晩の騒ぎを覚えてないのか?」と言う。「やつは、昨晩飲み過ぎて暴れ出し、ホテルのオーナーから追い出された」と言う。 なかなかおもしろい経験をさせてもらったイギリス人だし、少々なごりおしい気もしたが、思考能力ゼロ状態でもあったし、なんだそうだったのか と返事をし再び布団に潜り込んだ。

 元気を取り戻し町を歩いた。するとある家の玄関に腰掛けていた真っ白なひげのおじいさんが僕に話しかけてきた。「あんたは日本人だろ」「日本語を話すことができるぞ。 トラトラトラ どうだ」「日本人は普通、カメラとか時計とか持っているが、あんたは持っているか」 僕は「ああ、持っている」「それじゃちょっと見せてくれ」っていうから見せてやると、「いくらなら売るか」と聞いてきた。丁度お金も少なくなってきたし、買ってくれるなら売りたいのは山々であったが、まだギリシャを撮っていないし、帰る頃にまた売りに来ると言った。おじいさんは、うん、それならそれでもいいが、その時の値段は今日の値段よりも安くなるよと言う。 時計はどうだとも聞く。この時計は記念にもらった時計だから売ることはできないが、電卓ならあると言って彼に見せた。関数がたくさん使える電卓だった。結局いくらで売ったかは覚えていないが、電卓は買ってもらったと思う。そのおじいさん、名前はニックと言った。

パルテノン神殿には何度も行った。当初抱いていたイメージとは違ったが、やはり古代ギリシャの厳粛なムードはどこかに漂っている。神殿の高台から見るエーゲ海の色は、何ともいえない色をしていた。あんな色の海を見たのは初めてだった。パルテノン神殿の下にころがっていた小石を3~4ヶひろって持ち帰った(本当はいけないらしい)。誰かにあげてしまったようで、今は手元に残っていない。 お土産もそろそろ買おうかと思い、神殿の周辺にあるお店を見てまわった。手持ちのお金が少なくなったのでどれもみんな高く感じた。結局のところお皿と焼き物のコースター、首飾りなどを購入。

ヨーロッパ旅行記(17)

2006-02-08 | ヨーロッパ旅行記
 彼はまずお金がないのでこれからお金をおろしに行くと言うので一緒について行くと、そこは英国大使館だった。イギリスのシステムがどのようになっているのかよくわからないが、いくらかの金を受け取っていたことは確かだ。 それから町へ買い物に行こうと誘われ、彼がまず入ったのは豆とか米(たぶん米だったと思う)などを売っている店。彼はイギリス人なのに、英語は全く話せませんといった顔つきで、店員と身振り手振りで会話をしていた。店員からおもむろに紙袋を受け取り、豆とか米とかをごちゃ混ぜに袋に放り込んだ。おそらく、豆100gいくらとかいうふうになっていたはずなのに、彼がごちゃ混ぜに袋に入れたものだから、店員も値段のつけようがない。さらに面倒くさい外国人だしって顔をして、彼が手にしていた物をそっくり無料でくれた。 そのあたりからちょっと彼は変だぞと気づきはじめていたが、まあおもしろいので僕も頭がおかしいふりをして、その後も彼に同行した。

 彼が次に訪れた場所は市場だった。築地の河岸を思わせるような、魚だとかなんだとかいっぱいあった。彼はまず、ウーゾというお酒を買い求めた。空き瓶を持参しての量り売りだ。ウーゾを買った後、市場の中を歩いていると突然八百屋の前で野菜の上にその酒瓶を落としてみせた。次の瞬間、彼は酒瓶を拾うのと同時に瓶の下にあった野菜ごと拾い上げてしまった。要するに「万引き」である。 それから、パルテノン神殿の下にあるちょっとした広場で、グリック音楽に合わせて踊り出したものだから、僕も一緒になって踊った。頭のおかしい二人の行動に周りの人の視線は決して優しくはなかったけど、二人は、いや少なくとも僕はとても楽しんだ。

ヨーロッパ旅行記(16)

2006-01-20 | ヨーロッパ旅行記
ギリシャへ着いた。まずは宿である。おなかもすいた。 地球の歩き方に書いてあったドミトリー形式の宿を探した。場所はすぐにみつかった。部屋に入ると広めの部屋にベッドが5台置いてあった。まだ同室の宿泊者は居ないようだ。シャワーを浴びることにした。シャワールームは狭く、お湯がとてもぬるかった。それから海水に近い感じでわりとしょっぱかった。後からはいる人はどうやらお湯ではなくなり、水になるらしい。

 シャワーをあびて、さっぱりしたところで、ギリシャの町へ散歩に出かけた。 おなかがすいたので何か食べようかと思っていると小さな店を見つけた。スブラキという食べ物で、確か羊の肉のミンチだっただろうか、ウインナーソーセージ状に焼いたものをパン生地にくるんで食べる。歩きながら食べられるいわばファーストフード。これがすごくおいしかった。しかもギリシャは物価が安い。当時で日本のおよそ4分の1程度だったと思う。パルテノンの神殿にも行ってみた。5~6人の兵隊が縦にならんで歩き、国旗を降ろす場面に出会った。 パルテノン神殿までの通路にはおみやげ物売りがずらりと並んでいた。壷だとか焼き物のコースター、シルバーだとか、たくさん売っていたのを覚えている。
   
 ホテルに戻ると、カナダ人が一人とイギリス人が一人、それからあと1~2名同じ部屋に訪れていた。カナダ人の名はローズ。イギリス人の名前は忘れてしまった。 一晩明けた朝、そのイギリス人と行動を共にすることになるのだが、彼がどこの国の人なのか、わかったのは実はその後でのことなのだ。さらに彼が重度の精神異常者であることに、その後気づくことになる。

ヨーロッパ旅行記(15)

2005-11-26 | ヨーロッパ旅行記
 ギリシャまでの道のりでは旧ユーゴスラビアを経由する。列車の中にもたくさんのユーゴスラビア人が乗っていた。そんな中、僕は一人のユーゴスラビアのおっさんと仲良くなった。コンパートメントの外の通路で二人並んで窓の外の風景を見ながらユーゴスラビアの言葉であれは何々というが、日本ではなんて言う? 日本ではウシと言う。なんて会話を延々と繰り返していた。会話と言ってもお互い何語も通用しない。身振り手振りと単語のみでの会話。 そのうち、おっさんがビールをおごってくれた。ユーゴスラビアと日本の親善のためと言って握手をし乾杯。2本くらいおごってもらったかな。そのあとコインの交換をした。 余談だが、ヨーロッパでは穴あきコインは珍しく、皆から喜ばれる。ある時5円玉と1ポンド硬貨を交換したこともあった。

 コンパートメントに戻りくつろいでいると、どこかの駅で列車が止まり、各車両に突然軍隊がライフル銃を持ち乗り込んできた。コンパートメントの外に居た連中はみんな窓に手を挙げた状態でボディーチェックを受けていた。僕らのコンパートメントにも一人の軍人が入り込んできて、「パスポート!!」と怖い顔で言い放つ。みんなそれぞれパスポートを見せていた。僕もパスポートを見せようと思い、取り出した瞬間、「OK」と言われた。日本の赤いパスポートは当時信頼度抜群だった。

 もうすぐギリシャへ着くという頃になると、ホテルの営業が各部屋をノックしてまわる。 ギリシャでの宿はもうお決まりですか?ってな具合に。僕はまだ決めていなかったので金額交渉をしていたが、当初描いていた予算の3倍近い金額だったためみんな断った。 3倍と言っても決して高くはないのだけれど、あのときはドミトリー形式の一人一泊500円って宿を予定していた。

ヨーロッパ旅行記(14)

2005-11-21 | ヨーロッパ旅行記
 ベニスには、1週間ほども滞在しただろうか、そろそろ次なる目的地ギリシャへ移動することにした。

 列車の時刻まではすこしあったのだろう、多少時間を潰した記憶がある。うろうろしていると、プラムがきれいに山積みされておいしそうに並んでいた。列車の中で食べようと思い、プラムを一袋購入した。 列車の中はコンパートメント(6~8人部屋)に分かれており、全く見知らぬ国籍不明の人たちと相乗りとなる。出発してからしばらくすると、同じ部屋の人から食べ物(バナナだったように思うが)が自然と回ってきてありがたくいただいた。お返しに僕も先ほど買ったプラムをみんなに分けようと思って紙袋をひろげると、中は腐ったプラムばかり。さっき買ったばかりなのにどういうことだ? そう、お客の方からは綺麗なものばかり見えるようになっており、お店の人の手前には腐った物を置いていたんだ。そしてもうおそらく2度と来ることのない観光客に対してはそういった物を売りつけていたのだろう。単純に日本人の世間知らずが騙されたってことだろう。