お江戸日本橋からの一番目の宿である板橋仲宿あたりを歩いてみた。
東海道中は海の沿いに五十三次、中山道は山の中を六十九次。
石神井川に架かる板橋・・(板橋区の名の由来で、古くは源頼朝が一時逃げ延びた千葉から鎌倉へ、この板橋を渡って馬を走らせたという所縁の橋でもある)・・を渡って武蔵の国から上野(群馬)、信濃(長野)、美濃(岐阜)を越えて京都三条大橋までいたる宿場の数々の入りっぱなである。
明治初頭に作られたという板橋の駅が踏み切りの向こうに見える。
駅に程近いところには新撰組斬首刑にされた近藤勇の墓もある。
ここから現在の白山通りを突っ切って、本陣、脇本陣のあった仲宿通りへ入る。ちょうどお昼時と重なって大変な賑わいである。観光センターで話を聞くと、ボランティアの方が懇切丁寧に宿場についての説明をしてくれる。この日も日本橋から来て板橋の次の宿場である蕨まで歩いていくという若者がいたらしい。
途中のわき道に入ると、加賀前田家の下屋敷からと通用門(赤門)がある観明寺、馬を休ませる馬頭観音をみることが出来る。馬頭観音の碑には馬の功をねぎらってか人参が供えられているのもなにかおもしろい。
本陣跡は、今ではスーパー、パチンコ屋、マツキヨ、たくさんのアパートやマンションの立ち並ぶ通りの間にひっそりと、つい通り過ぎてしまうほど、目立たずに碑が残るだけ。
かの板橋ももちろん立派な木肌を模したコンクリートの橋である。下に流れる石神井川はこれまたコンクリートで固められ水に遊ぶ鴨たちは浅い川底に困惑しているかのように泳ぎにくそうだ。
ここから王子新道を歩いて加賀下屋敷跡地に行っても、冬枯れの元築山は冷たい風のなかで寂れた表情を見せていた。
江戸の往来に人馬の過ぎ行くさま、宿場の賑わいに思いをはせても、所詮は歴史のなかのひとこま。時代は変わる、幾星霜!栄枯は遷る世の姿!!
それでも、こうして昔、人の歩いた後を同じように歩き心の隅に残しておくことは、まんざら無駄ではないかもしれない、などと考えながらお昼も食べず、歩いていたら美味しそうな甘い匂いが~。横道のマンション下にある「塩入あんこ鯛焼き」のお店を発見!
分厚いぱりぱり&しっとりの皮と、くどくないあんこが絶妙の組み合わせ。
わたしはあんこものは好きだが、鯛焼きと太鼓焼きと人形焼は皮が充実していなければいけないと思う!どんなに美味しいあんこでも皮がうすっぺらでは心もとない。
これは理想の鯛焼きであった。昔のお殿様でもこんな美味しいものは食べなかったにちがいないと思われる。
鯛焼きのあとは喫茶店でコーヒー飲んで一服。
まだ歩き足りないわね、とここから赤羽の岩淵水門に向かう。
ここは以前、四ツ木から自転車でえっちらおっちら走ったときに大感激した場所。
秩父からの荒川が隅田川と開削された荒川方水路に分かれるところ。新河岸川もここで合流し、まさに川の大団円となる。
道も川も同じく別れ、出会い、また分岐しめぐり合いひとつところを目指す。その瞬間の場所を見るときにいつもときめきさえ感じてしまう。
お正月連休できれいになった空の下、遠くに秩父の山々がくっきり見える。
たちどころに景色も物も時間の中に吸い込まれてゆく「今」。大切にしなければと思っても一陣の風のように過ぎ去ってしまう「今」である。
私もひと時街道を歩いている気分。
何気ない建物に目をやり、小さな生き物の命を感じ取りながら・・・
ひた歩く。
そんな散歩はやっぱり心を「豊か」にしてくれるから、大好きです~!
お江戸のなかも、いろいろ歩くと思いがけなく昔の標識や建造物が保存されていてタイムスリップするような気がします。
家を一歩出て知らない町を歩くともう旅してる気分よ♪