歩くには絶好のお天気。
奥戸の宝蔵院に彼岸花が咲いているか確かめたくなって9時半、家を出る。
奥戸までは立石通りに出て奥戸街道をたどれば直線で行けるのだが、汗もかかず快適なので、少し裏道探索をしようと今迄通ったことのない細道に足を踏み入れる。
昨年免許取得の際通ったH橋教習所の横を通り昔の町名で「川端」。まっすぐ歩くと静かな家内工場地帯。
路地のあちこちから曲がりくねった中川が見え隠れしている。
昔は小川か掘割だったらしい小さい道の端にこのような案内板。
ふ~ん、川端の水神社。たどっていくと時々自転車で通る中川沿いの公園に続いていた。
またそこから降りて下の道を行く。と、また案内板。
そして本奥戸橋を渡り、渡ったところで川沿いに左に曲がる。
土手の雑草群の中にはオシロイバナが満開。オシロイバナ、ってなんとなく幼い頃を思い出す。この黒い種の中には白い粉のようなものが入っていてそれを鼻筋につけて遊んだ記憶かな?
↑ 本奥戸橋付近
↑ 近頃は斑入りもあるのね~。
まもなく左に葛飾総合スポーツセンターが広がり、公園の奥、右側に奥戸の「水神社」
葛飾はほんとに川の街だなあ、とこういう神社に出くわすたびしみじみ思う。
また、東海道歩いていても感じたけれど、日本ってちょいと歩けば寺社仏閣にすぐさまぶつかるというまことに珍しいおおらかな国だと思う。
水神様を下りて左手にこのような案内板があり、このあたりでは有名な天租神社の境内が
見える。
ここには6つの神社も祀られている。ここでお参りすると、6つ分のご利益があるかしら??
天租神社を出ると参道は本来は奥戸街道を経て新小岩方向に向かう。
現在、奥戸街道に出る交差点の角には、なんと今迄あったスーパーがマックに変身していた。わずか半年くらいの間に!
↑ とってもきれいでビッグなMドナルド!奥が方が天租神社。
↑ この銭湯は昔からあったけれど、今は高齢者のデイサービスセンターのようになっていた!
さてデニーズの駐車場に面した環七を渡り、妙法寺を過ぎるとすぐに緑色のレンタルトランクルームがある。
それを左に曲がり細い道を行くと宝蔵院。
以前、としちゃんやもとくんを連れてよく来たものだ。
いつも彼岸花を見に来るのに時期が早すぎてまだ開花していないことが多かった。
今年もまだ4分咲きくらい。
彼岸花も見事だけれど、このお寺には賽の河原を模した苔むした小道の奥にたたずむたくさんの水子地蔵がいる。
薄暗い叢の中に彼岸花の赤のようにひっそりと、けれども鮮やかに、地蔵さんたちは赤い着物に身を包み矢車と一緒に立っている。
誰もいない境内は、静かな静かなあの世とこの世の境の岸辺のようだ。しばらく現実に戻るのが難しい。
鐘楼はまだ夏の緑の中に、煩悩の払われたあとのように清々しい空に聳えている。
寺の前には棘に囲まれたカラタチの実、
ひときわ明るいツユクサの紫。
宝蔵院をあとに土手道に出て太陽を浴びたら、また娑婆(シャバ)に戻れたようなほっとした気分。
八釼神社に寄り、再び奥戸街道を立石に向かって歩く。
本奥戸橋を渡りきってすぐ右に曲がり、立石通りの一本裏の道を歩く。
橋のたもとの郵便局の脇にある馬頭観音。
↑ 永井荷風もここを詠んでいるとは知らなかった。
本奥戸橋から立石の駅までは何年か住んだことがあるし、娘の通った幼稚園がある道だからなんとなく懐かしい。幼稚園の行き帰りに手をつなぎながら歌ったり踊ったりしながら歩いたものだ。
線路脇の諏訪神社。向こうに見える青い車体は京成電車。
まだ今は、このあたりの京成の線路は平地である。
何年か先には高架になる予定なので、こういう写真貴重品になるかも^^。
駅のそばで買い物をして一駅電車に乗って帰宅。
今度はどこへ行こうかな?
手話講座の帰りに小菅に出てまだ繋がらない小菅の古堰と綾瀬駅のUターン川筋を探索する。
薄曇りであまり日射しが強くないのでチャリで走るにはもってこいのお天気。
堀切から平和橋を北上、綾瀬川下の「小菅中の橋北」の交差点に出て「中の橋」を渡る。
これは新水戸橋と堀切橋の間にある橋。荒川と綾瀬川が枝分かれした直後の橋。
↓ 橋を渡り終わり新水戸橋を望む。
東京拘置所のある小菅1丁目は北に古隅田川(常磐線がその少し北を通っている。)と東の綾瀬川、西の荒川、に囲まれた逆二等辺三角形▽のような形をした地形。ここは明治初めまでは小菅御殿というたいそうな屋敷きがあったところ。
中の橋を渡るとすぐに小菅西公園や下水道事務局を含む小菅再水生センターがある。これは綾瀬川をはさんで東側の再水生センターと相対している。
右は切り立ったコンクリート岸壁。
左に、県立小菅学校があった正覚寺の静かな境内が続く。(昔はこのあたりは小菅県であった)
さらに小菅八幡神社のあとを通る。最も新しい新水戸橋を架ける工事で移築されたらしいが、探してもどこにも見当たらない。もしかして、この灯籠と真新しいお堂と鳥居の柱跡が名残りをとどめるだけなのか。
前回きた銭座橋跡を通り、西の荒川側に出るとちょっとした広場と川の流れ。万葉公園である。古隅田川の古堰でとても気持ちのよい緑道が拘置所をぐるりと囲むようにできていて再び綾瀬川の伊藤谷橋に続く。
前回はここまで来ずに南側の水路をたどってしまったわけだ。万葉公園入り口にある説明板。
拘置所の新古川橋の前に、西綾瀬方面に北上する五反野親水緑道も作られていた。緑が濃くて散歩道としてはなかなか良い。
↓ 五反野親水緑道。
古綾瀬緑道沿いにはいまだにこのような店もある。
我が家の近くも昔はそうだったが、川沿いには染物屋が多い。川がきれいだった頃、盛んに水の中で染物を洗っていたのだろう。
ここで一時堰きとめられ綾瀬川に落ちる(?)
不思議なのは、古隅田川がここで綾瀬川に突きあたって再び親水公園になる大六天排水場まで川の中をずずーと南下していること。とても不自然な感じ。
伊藤谷橋を渡って、常磐線と千代田線の高架に沿って綾瀬駅に向かう。
さて、本日のもうひとつの目的は、大六天排水場から来た古綾瀬川が白鷺橋で綾瀬駅に一直線に北上し、そこですぐさまUターンして法務局出張所のそばに戻ってくる川筋を知る事である。(誰が命令したわけでもないけれど、もう自分に課せられたミッションみたいな気がしてくる)
↓ この図の水色の点々の道が川筋だが、昔は綾瀬駅のところで大きくUターンする川筋が
あったが、ここにはUターンの西側は書かれていない。
ずっと常磐線に沿って走ると漢方薬店のあたりからガード真下の商店街に入る道がある。
ここは昼間っから酔っ払いが千鳥足で歩いても可笑しくないような飲み屋街が続く綾瀬のビッグポイントなのではないだろうか!いろんな匂いがする。戦後直後の上野あたりの風景のようだ。ここから先はさらに飲み屋ばかりになっている。
上は常磐線と千代田線の高架。
綾瀬駅の改札を過ぎ、注意しながらゆっくりチャリを転がして歩く。
ゆっくりでないと見逃がしてしまいそうな川筋がガード下をくぐっているはずなのだ。
古地図と現在の地図を比べながらにらんで歩く。
↑ 非常に読みづらいが、この図の綾瀬駅東から南下している「第6工区」がUターンの帰り道の川筋。
しかしまあ、綾瀬駅界隈の賑わいはすごい!
メトロの改札を過ぎ、ヨーカ堂も過ぎ川筋がわからなくてお手上げ状態になる頃、安売り八百屋の手前に薄暗くガードをくぐる曲がり道が見えた!!
↓
曲がり道からこっちを見やると、おおお~~~~~!!!
ありましたありました!このような橋柱!ここから先はなんと自転車駐輪場!!
延々と続く綾瀬駅前の自転車駐輪場が古隅田川の川筋だった!
もう祝杯を挙げたいくらいの感激である。
橋柱はずっと駐輪場に沿ってちゃんと残されている。
↓ 千鳥橋
↓ 北野橋
まだまだ続く駐輪場。
↓ 袋橋
↓ 富士見橋。むかしは富士山が見えたのかしら・今はスカイツリ―の先端が見える。
川の歴史は本当に時代をしっかり繁栄している。
わたしの世代は、昔はきれいな川の流れだった、という感傷よりも、昭和30年後半からの高度成長期に伴う水質の悪化、大気汚染の時代を生きて、東京の川がドブ川として悪臭を放っていたのが記憶に強く残っている。
綾瀬川しかり、中川しかり、どこの川沿いもたくさんの工場が進出して汚れきっていた。
この川筋も駐輪場になる前は同じようにドブ川化していたはず。
いくつもの橋を過ぎて、駐輪場が尽きる辺りは道がきれいに舗装され(つい最近なのではないか?)。
ついに長いUターンを終えて白鷺橋からのショートカットの水路に突き当たって親水公園となるのであった。
いくら地図を見ても釈然としなかったものが、走って、歩いて実踏してようやく全貌がわかり川がパズルを解くように繋がった。
Uターンの北上する西側の川筋が綾瀬駅で弧を描く道は、今や探すのは不可能。商店街に取り込まれているか、前回やってきた東綾瀬公園の周囲ぐるりが川筋だったかもしれないが判明しにくい。
ちょっとした感動を覚えながら土手沿いに戻り来た時と同じように平和橋通りを走って帰宅。
道がすべて川に見えてきた感あり^^。
前回の探索ではまだ不明な点が多かったため、もう一度トライ!
亀有駅北の曳舟川と交差する古墨田川の川筋を確認。
狭い道も入れるようにチャリで走る。
大水車の前に来た古隅田川は標識にある通りに行けば環7に突きあたる。
ゆっくりチャリを転がして歩いていると、左側に大きな門の邸宅。お寺かと思って門の前で
掃除をしているおじさんに「この道は古隅田川ですよね?」と聞いてみた。
「う~ん、よくわからないけど川はこっから戻ると流れてるよ。八ヶ村落としと並んで」
おお!出た、八ヶ村落とし!!(どうやらおじさんは古隅田川でなく曳舟川のことを言ってるらしいが)
注:曳舟川は亀有近辺で葛西用水と名前を変える。
これは以前から気になっていた掘り。、八ヶ村とは、六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)の八つの村を指し、水路がこの地域を経由していたことから、「八ヶ村落堀」と呼ばれていた。地元の人々の重要な用水路であった。
やはり綾瀬から来ている。<script type="text/javascript"></script><script></script>
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いったん曳舟川(葛西用水)に引き返し八ヶ村落としの水路にでる。
なかなか美しい水路になっていて鯉まで泳いでいる。
どうも葛飾区より足立の親水公園、緑道の方が気持ちよく作られているようだ。
葛飾側の曳舟川親水公園はこどもの水遊び場のための公園という感が強い。
さて八ヶ村落としからまた古綾瀬川跡にもどり、環七を渡る、も前回車で来た時に間違って渡ってしまったので細心の注意をして、地図とにらめっこしながら始めは中川4丁目の交差点まで行って渡るがどうやらここではなさそう。
なぜなら道の両方が足立区だから・・。
また引き返してまたしても地図をにらみつけて亀有5丁目らしき横断歩道を渡る。
渡ってまっすぐな走ってゆくと右に「さくら公園」という小さな公園がある。川筋はたしかにこの公園からまもない角を曲がっている。
しかししかし、道の両側の住居表示をみると両側とも葛飾区なのだ。
まさにキツネにつままれた思い、
もういちど、穴のあくほど地図を見てみると、なんか変~。
川筋は足立区と足立区と葛飾区のあり得ない道を指している。
環状七までまた戻り、通り沿いの住居表示を見て歩く。
すると、曳舟川(葛西用水)側から来た道が環7を渡る場所には中華料理店が2軒並んでいて、そこの間(道はない)に川筋があったとしか考えられない様相になってきた。
↑足立区側の中華料理屋
↓葛飾区側の中華料理屋
で、辿ったのは亀有5丁目(この亀有5丁目の表示は地図ではわかりにくい。さくら公園のある道ではない方が正しいと思われる)からひとつ常磐線寄りの曲がった道。たぶんこちらが川筋だと信じる事にする。
↓ 環7を再度渡った角から曳舟川方向の道を振り返る。
こちらを走ると突きあたりに「善應寺」という古いお寺がある。
このお寺を是非とも地図に入れて欲しいものだ。
たぶんこの寺の前を川が流れ、ほぼ直角に曲がって前述の「さくら公園」からの道と合流していたのだろう。
一気に頭の上の雲が吹き飛ばされたような気分がして、るんるんと常磐線ガードをくぐる。
ガードの先にはアリオが見える。
が、敵(川筋)はまるで城下町の曲手道のように来るものを迷わせる。
いい気になってガード下をくぐったものの今度は「なかよし公園」にぶちあたらない。
古隅田川は絶対に「なかよし公園」を横断しているはずなのだ。
で、またガード下からやり直しである。
なんでもやってみるものである。注意してみるとガードをくぐって超すぐに右に折れる道あり。
よし、ここだ!そこを曲がるるとすぐ左にこのようなきれいな道ができている。
左折する。
自転車が行き違うのがやっとの細い道が20メートルくらい続き、道を出たところに説明板あり!!
考えてみれば川は下るのが当然なのだから、中川に近い方に説明板はあったわけだ。
道を抜ける(つまり川が曲がる場所)とアリオはこのように見える。
道(川筋)は正しく香取神社の脇を通り「なかよし公園」を横切り、
前回通り抜けた巨大マンションの通路になり中川にでくわすのであった。
なお、古綾瀬川は長門排水場から取水していたが、現在では長門排水場はなく、今回(前回も同様)行きついた川縁がその跡であろう。
・・・・・・・・・・・・・
残る疑問:
綾瀬駅からのUターン水路と小菅東京拘置所の水路。これはまた後日。
・・・・・・・・・・・・・
おまけ:
古隅田川近辺の道路に続くコンクリートの柱や ↓
陸前橋の橋柱に描かれた丸いマーク。
足立区のシンボルマークとも違うし、、家紋かと調べたら「蛇の目」と出た。しかしこの古綾瀬川にどういう関係があるのか、知りたくて足立区役所に電話して聞いてみました。とても丁寧な対応。古隅田川に関しては葛飾区と工事区域を分担しており(行政区分とは関係なく)あのマークは葛飾区が作ったものなので葛飾区からまた連絡させます、との事。
葛飾区役所から夕方電話あり。
あのマークは建設にあたってデザイナーが、川のイメージから「水しぶき」または「水玉」を連想してデザインしたものであることが判明。
返事してくれた担当者さんはわざわざ「陸前橋」まで足を運んで確かめたそうである。
ありがとうございました☆
そういえば今日、帰り道通った曳舟川沿いの葛飾プラネタリウム(ドームかつしか)の玄関前のオブジェも同じ「水玉」であった。これは意図して作られたのかどうか?
川ひとつでいろいろ想いが膨らむものである。
昨日は、前回たどって見失った「古隅田川」の川筋を再チャレンジ。
おまけに綾瀬川の遡行トライも兼ねたので、車で走る。
古隅田川は今の隅田川の河畔(上は首都高)に建つ水神様(隅田川神社)の近くに流れ込んでいたらしい。
実母の女学校時代の友人が水神様の先代の奥さんということで、ここには少なからず思い入れがある。
母が亡くなる前にこの水神様や近くの木母寺を訪ねて歩いたので、とても懐かしい気分。
↓ 水神様の守護神は亀。
墨田区側には、もう殆ど川筋は残っていないので堀切橋を渡って小菅に至ろうとすると、「ここに流れていたらしい」とろくさんが足立区柳原と曙町の間あたりに車を止めた。
左は京成のガード、右は東武線のガード下。京成は関屋~堀切、東武は牛田~堀切のガード下。
なんともこのあたり地霊のさまよう匂いがぷんぷんする。おかしなとてもおかしな土地の交差具合で空気がひんやりしている。
ふたつのガードのちょうど間あたりに十一面観音様の御堂があったりする。
京成ガード下の案内板には確かに水路跡の道があると読める。ところがこの道は東武線の
下で行きどまる。
で、ぐるっと迂回して元の道の続きに戻る、と堀切橋につながる道。
堀切橋をおりると小菅の東京拘置所。拘置所への新しい道(南側)の手前の小さな道を入る。
拘置所を外から見る。立派でびっくり!最近工事が終わったのか真新しい道路が走っている。向かいには「差し入れ」のお店。
古隅田川には古堰があり、これは拘置所の北側を流れていてこの流れが綾瀬川にぶつかり下流にUターンして大六天排水場に行きつくのかもしれない。。
そして南側にも川筋と思しき道あり。これこの通り、ちゃんと橋桁の標柱跡が対面で残っていた。これは嬉しい発見!
↓ 拘置所前の道路から曲がって入り組む小さな道(写真右)が古隅田川の川筋とかんがえたくもなる。
↓ 西小菅小学校の裏手にあった橋の欄干跡。銭座橋、と読める。
そして昔日の川筋は見事に綾瀬川に尽きあたるのだった。ここが綾瀬川との合流点と思われる。
ここから迂回して水戸橋を渡る。(注:渡ったのは新しい水戸橋。旧水戸橋今は通行止め。
新水戸橋は、架けられた順は2番目。このへん川の名前と同じでたいへん紛らわしい)
すると前回やってきた「大六天排水場」にでくわし、親水公園として古隅田川が姿を再び現す。
そこからは前回のブログにある通り。またまた薬師寺に参って車を止め、白鷺橋まで歩き、本来はここからぐぐっと綾瀬駅にまっすぐに北上する川筋を確かめる。
↓ 白鷺橋から北上する綾瀬駅方面へ流れた古隅田川の跡を望む。
現在、親水公園はこの白鷺橋から上に行かずもう一度綾瀬駅からぐぐっと南下してくる川筋にショートカットしている。つまりUターンの真ん中で水路を新しく作ったのだろう。
↓ 手前に設けられた柵の方向をまっすぐに行くと綾瀬駅(旧来の川筋)
現在は写真左に水路が作られショートカットされている。
車に戻り綾瀬駅に向かい東綾瀬公園をひと回りして白鷺橋に戻る。前回はこの道の激しい南北の蛇行の道がわからず行かれなかった川筋である。ただし、南下する道は今日では難しくたぶん間違った道を走ったかもしれない。(が、本当は現在親水公園として工事が着手されている!、と後で知った^^;)
たぶん、川がUターンしたあたりと思われる東綾瀬公園。
ここからは暗渠が多くなるが西亀有で再び路上に出て常磐線の高架をくぐり線路の北側に出る(ここも前回間違えた道)北三谷の落ち着いた街に入ると大きな道のカーブが続き、はっきり昔の川筋とわかる。橋の標柱が10メートルくらいおきに昔の位置とほぼ同じく建て替えられて立っているのを見た時は、鳥肌が立つくらいゾクゾクと嬉しかった。
ここは相当に大きな曲がりで舟が曲がり切れず宝物とともに沈没した、と説明板は伝えている。
この大曲を過ぎるとみえてきたのがおなじみの葛西用水(曳舟川)の大谷田の大水車のある四つ角!!
地理的にいえば交差するのは当然だけど、やはり実際に昔の川と水路が交差する地点に立つと、頭の中のCG画像がぐるぐる回って倒れそうなくらい感激する。
ここから細い川筋をたどり還状七号を渡り常磐線の高架をくぐって亀有の駅近く。
あららら、たどって走ると時々買物に来るショッピングセンターの亀有アリオが近づいてくる!
え~?古隅田川は中川から分かれているとはわかってたが、こんなに近いの?
アリオのそばに香取神社がある。この神社は平成14年ごろ中川橋の架け替え工事によって内陸側に移転。まだアリオが日本板紙工場であった頃の話である。
そして、なんと、この香取神社の脇を古隅田川が流れ、今のアリオの駐車場入り口の前を通り、向かいの大きな公団アパート(マンション?)の真ん中を貫いていた!
↓ 公団の真ん中の道。この曲がりは間違いなく川だ!
間違いなくここが川筋だと、それを示す公園の名前を見た時も胸躍る思い・・。よくこの「古隅田川」の名前を残してくれたものだと。
古隅田川は下流からずっと葛飾区と足立区の境を流れていた。だからこのアリオの向かいの公団アパートも二棟に分かれ右が葛飾区、左が足立区になっている。
もう「は~、へ~、ほ~???!!!」が100回くらい連発である。
公団のど真ん中を通って裏側に出ると少し勾配があって、見事に中川にぶちあたるのだ。
勾配は流れの落としであろう。
土手に上がれば見慣れた中川
ここにも古隅田川が葛飾区と足立区を分けた証拠のこんな立て札が金網に貼ってある。
↑
ふたつの説明板はちょうど川幅と同じくらい(5~6メートル)の幅を隔てて表示してある。
↓
何度も古隅田川と中川土手の間を行ったり来たりして川の分かれ道の様子を想像する。
楽しい。
さて、今日の続き「綾瀬川をたどる編」はまた後日書くことにするが、亀有から今度は東西まっすぐに綾瀬川につながる道を走っていたら、西亀有3丁目交差点付近の分かれ道にこのような案内板が!
なるほどここが旧水戸佐倉街道、古隅田川に近寄って続く道でいうまでもなく綾瀬川を渡る水戸橋に続いている。
しかし、直線距離で中川⇔綾瀬川間は車でわずか10分ほど。それが古い川筋をたどって走ったり歩いたりして4時間ほどかかった。なんたるモノ好き^0^!
なお、今回の川筋探索に際して、古地図の紹介など多大な協力をしてくださった断腸さんに心より感謝申し上げます。