久しぶりに山の辺の道を歩きました。といっても、長岳寺から約3キロほどの距離を歩いただけです。
最近は大神神社から巻向あたりまでを歩くことが多かったので、この区間を歩くのは久しぶりのことです。
長岳寺は「花の寺」としても知られますが、この時期は花はないのでパスしました。山門の前には勧請縄が張られていました。
山門から少し下がった所に不思議な木がありました。
私は土塀好きで、必ずカメラを向けてしまいます。壊れかけた土塀は味がありました。
今回は長岳寺をスタートして北に向かって歩いています。田んぼの中をゆく山の辺の道です。聚落から聚落を結ぶように進みます。
昔ながらの立派なお家も多く見られます。
見事なセンダンの木が目に飛び込んできました。白い梅も咲いていました。
道沿いには沢山の梅の木がありました。梅の咲く頃のハイキングも楽しいと思います。山の辺の道には道標も、しっかりと設置されているので迷うことはありません。
センダンの実と竜王山です。
おばあさんが店先にみかんを並べていました。この辺りでは、柑橘類の栽培も盛んです。
山の辺の道周辺には、こんな長閑な景色がたくさん残されています。若い頃に歩いた時と比べても、そんなに大きく景色は変化していません。
山の辺の道には万葉歌碑が多くあり、中でも柿本人麻呂の歌碑がたくさんあります。
「衾道(ふすまじ)を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」(引手の山に妻の屍を葬っておいて、山路を帰ってくると悲しくて生きた心地もしない。)
後ろに見える竜王山が引き手の山と考えられています。柿本人麻呂もこの辺りを生活の場としていたのかもしれません。
<つづきます>
※訪問日 2019.2.6
最近は大神神社から巻向あたりまでを歩くことが多かったので、この区間を歩くのは久しぶりのことです。
長岳寺は「花の寺」としても知られますが、この時期は花はないのでパスしました。山門の前には勧請縄が張られていました。
山門から少し下がった所に不思議な木がありました。
私は土塀好きで、必ずカメラを向けてしまいます。壊れかけた土塀は味がありました。
今回は長岳寺をスタートして北に向かって歩いています。田んぼの中をゆく山の辺の道です。聚落から聚落を結ぶように進みます。
昔ながらの立派なお家も多く見られます。
見事なセンダンの木が目に飛び込んできました。白い梅も咲いていました。
道沿いには沢山の梅の木がありました。梅の咲く頃のハイキングも楽しいと思います。山の辺の道には道標も、しっかりと設置されているので迷うことはありません。
センダンの実と竜王山です。
おばあさんが店先にみかんを並べていました。この辺りでは、柑橘類の栽培も盛んです。
山の辺の道周辺には、こんな長閑な景色がたくさん残されています。若い頃に歩いた時と比べても、そんなに大きく景色は変化していません。
山の辺の道には万葉歌碑が多くあり、中でも柿本人麻呂の歌碑がたくさんあります。
「衾道(ふすまじ)を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」(引手の山に妻の屍を葬っておいて、山路を帰ってくると悲しくて生きた心地もしない。)
後ろに見える竜王山が引き手の山と考えられています。柿本人麻呂もこの辺りを生活の場としていたのかもしれません。
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※訪問日 2019.2.6