今年も桜を追いかけて、あちらこちらと旅をしました。私も含めて日本人は、どうしてこうも桜が好きなんでしょう。
ところで、桜を愛した歌人といえば、西行さんが思い浮かびます。西行さんは辞世の歌で「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」と詠っているくらいですから、よほど桜を愛していたのでしょう。その西行さんは、32歳の頃(1149年)、吉野山・高野山の庵で3年ばかり過ごしていました。時代は、保元の乱・平治の乱を経て平清盛が政権を握る少し前のことです。
今回は、その西行庵を訪ねました。吉野の桜狂想曲も落ち着いてきた4月24日のことです。しかし、奥千本はなんとか踏ん張っていてくれました。
如意輪寺から歩きはじめました。少し登ると下の方に金峰山寺蔵王堂が見えます。もう少し早ければ、眼下には、桜の海が広がっていたことでしょう。
歩きはじめて50分ほどで、吉野水分神社に到着です。朝早かったせいか、桜もおわったせいなのか、静かな山歩きを楽しむことが出来ました。
この神社は、「よしのみくまりじんじゃ」と読みます。りっぱな社殿です。
吉野水分神社から車道を歩くこと30分で、金峰神社の修行門に到着です。林からはウグイスの囀りが聞こえます。ところが、静かだったのはここまででした。中千本からここまでは、マイクロバスが運行されており、ちょうどバスが着いたところで、20人ほどの人が降りてきました。
ここから、今回の目的地の西行庵までは、山道を20分ほどの道のりです。実は、370年ほど前に、ここを歩いて西行庵を訪ねた旅人がいるのです。そう、我が芭蕉さんです。芭蕉さんは、今で言うところの(西行さんの)追っかけみたいな人です。芭蕉さんは2度吉野を訪れているのですが、はじめてこの地を訪れたのは、『野ざらし紀行』での、秋のことでした。
その時のことを、「ひとり吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く、白雲峰に重なり、煙雨谷を埋めて、山賊の家処々にちいさく…西上人の草の庵の跡は、奥の院より二町程わけ入りて、柴ひとの通ふ道のみわずかに有りて、さがしき谷をへだてたる…。」と書いています。私もその道をたどって行きます。
たしかに嶮しい山道を越えると、やっと西行庵に着きました。もちろん800年以上も前の庵が残っているはずもありませんが、こうであったと思われる庵が再建されていました。いずれにせよ、西行さんが暮らし、芭蕉さんが訪れた場所に、私も立つことができました。
西行庵あたりの桜です。桜好きの西行さんも、この桜を見て心も落ち着かなかったことでしょう。「吉野山こずえの花を見し日より心は身にも添はずなりにき」という歌に、気持ちがよくあらわれています。
さて、芭蕉さんの2度目の吉野は、前回から4年後の桜の咲く頃でした。『笈の小文』には、「よしのの花に三日とどまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて…われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。…」と記しています。結局吉野では、桜の句をつくらなかったようです。
私も桜を愛でながら、おにぎりをいただきました。気分は、まさに芭蕉です。あとは、ゆっくりと下山するだけです。先ほどは通り過ぎた金峰神社にお詣りをしました。ここにもりっぱな桜がありました。
如意輪寺のあたりまで下りてきました。ここも少し前は、賑やかな山肌だったことでしょう。
今回は、吉野の桜を楽しむ山歩きでしたが、西行さんや芭蕉さんの足跡を辿る山歩きでもありました。
最後に、芭蕉さんと桜といえば思い出す句があります。
「さまざまなことおもひだす桜かな」
この句は、2度目の吉野行きの途中、故郷の伊賀上野で詠まれた句です。22年ぶりに花見に招かれた芭蕉さんですが、さまざまなことが、胸の内に去来したことでしょう。誰にでもつくれそうな気がしますが、やはり芭蕉さんにしかつくれない名句だと思います。
※訪問日 4月24日
ところで、桜を愛した歌人といえば、西行さんが思い浮かびます。西行さんは辞世の歌で「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」と詠っているくらいですから、よほど桜を愛していたのでしょう。その西行さんは、32歳の頃(1149年)、吉野山・高野山の庵で3年ばかり過ごしていました。時代は、保元の乱・平治の乱を経て平清盛が政権を握る少し前のことです。
今回は、その西行庵を訪ねました。吉野の桜狂想曲も落ち着いてきた4月24日のことです。しかし、奥千本はなんとか踏ん張っていてくれました。
如意輪寺から歩きはじめました。少し登ると下の方に金峰山寺蔵王堂が見えます。もう少し早ければ、眼下には、桜の海が広がっていたことでしょう。
歩きはじめて50分ほどで、吉野水分神社に到着です。朝早かったせいか、桜もおわったせいなのか、静かな山歩きを楽しむことが出来ました。
この神社は、「よしのみくまりじんじゃ」と読みます。りっぱな社殿です。
吉野水分神社から車道を歩くこと30分で、金峰神社の修行門に到着です。林からはウグイスの囀りが聞こえます。ところが、静かだったのはここまででした。中千本からここまでは、マイクロバスが運行されており、ちょうどバスが着いたところで、20人ほどの人が降りてきました。
ここから、今回の目的地の西行庵までは、山道を20分ほどの道のりです。実は、370年ほど前に、ここを歩いて西行庵を訪ねた旅人がいるのです。そう、我が芭蕉さんです。芭蕉さんは、今で言うところの(西行さんの)追っかけみたいな人です。芭蕉さんは2度吉野を訪れているのですが、はじめてこの地を訪れたのは、『野ざらし紀行』での、秋のことでした。
その時のことを、「ひとり吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く、白雲峰に重なり、煙雨谷を埋めて、山賊の家処々にちいさく…西上人の草の庵の跡は、奥の院より二町程わけ入りて、柴ひとの通ふ道のみわずかに有りて、さがしき谷をへだてたる…。」と書いています。私もその道をたどって行きます。
たしかに嶮しい山道を越えると、やっと西行庵に着きました。もちろん800年以上も前の庵が残っているはずもありませんが、こうであったと思われる庵が再建されていました。いずれにせよ、西行さんが暮らし、芭蕉さんが訪れた場所に、私も立つことができました。
西行庵あたりの桜です。桜好きの西行さんも、この桜を見て心も落ち着かなかったことでしょう。「吉野山こずえの花を見し日より心は身にも添はずなりにき」という歌に、気持ちがよくあらわれています。
さて、芭蕉さんの2度目の吉野は、前回から4年後の桜の咲く頃でした。『笈の小文』には、「よしのの花に三日とどまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて…われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。…」と記しています。結局吉野では、桜の句をつくらなかったようです。
私も桜を愛でながら、おにぎりをいただきました。気分は、まさに芭蕉です。あとは、ゆっくりと下山するだけです。先ほどは通り過ぎた金峰神社にお詣りをしました。ここにもりっぱな桜がありました。
如意輪寺のあたりまで下りてきました。ここも少し前は、賑やかな山肌だったことでしょう。
今回は、吉野の桜を楽しむ山歩きでしたが、西行さんや芭蕉さんの足跡を辿る山歩きでもありました。
最後に、芭蕉さんと桜といえば思い出す句があります。
「さまざまなことおもひだす桜かな」
この句は、2度目の吉野行きの途中、故郷の伊賀上野で詠まれた句です。22年ぶりに花見に招かれた芭蕉さんですが、さまざまなことが、胸の内に去来したことでしょう。誰にでもつくれそうな気がしますが、やはり芭蕉さんにしかつくれない名句だと思います。
※訪問日 4月24日
世界遺産に登録されてから
外国人観光客も増えたとき来ます。
そうそう、阿部野橋から吉野まで
「青の協奏曲」という
豪華列車が走るようになりましたね。
応援ぽち
吉野は近くて遠い山でした。
桜の頃は渋滞がひどいので近寄れません。
今回、桜も一段落した頃を見計らい、
よっちんさんを見習って、早朝に行きました。
「青のシンフォニー」は、なかなかの人気で、
予約が取れないそうですよ。
今日は、藤井寺の見頃になった藤を
見てきました。
吉野へ行かれたのですね。
錫杖さんと行った14日は、中千本あたりが見頃でしたが、
人と車で大混雑でした。
乗せていって貰わなければ、takayanでは到底車ではいけなかったです。
吉野駅からのロープウエイとバスも、乗車待ちの長い列が続いてました。
流石に奥千本では開花が遅いのですね。
2枚目の風景、14日ならまさに桜の海だったでしょうね。
私たちは、上千本周辺をぐるっと一周りしただけでした。
また行くことが出来れば、奥千本辺りも歩いてみたいです。
紅葉の季節も良いと聞いてますが、一度秋にも行ってみたいと思っています。
おはようございます。
14日頃は見事な桜が見られたことでしょうね。
人もすごかったと思いますが。
2枚目の構図で桜が満開の景色を撮るのが
前からの夢ですが、果たせていません。
西行庵のあたりは秋もきれいという話です。
秋は人が少ない?から、いいかもしれませんね。
もう奥千本も見納め
4/27は吉野町に渡る橋まで行きましたが、ガソリンスタンドのおじさんに桜情報聞いたらもう終わったとの事で、熊野に向いながら山桜を愛でました。 大峰の山には雪がたくさん残ってましたよ
西行庵は、奥駈修行にチャレンジする時にかならず立ち寄りましょう。
放浪歌人 西行さん
放浪というキーワードに親しみを感じますね
私は今日
藤井寺に行ってきました。
家から近いんですよ(^^)
応援ぽち
まさに「山笑う」でした。
4月27日は、すでに終わっていたんですか。
私はぎりぎり間に合ったようですね。
西行庵のすぐ近くから山上ヶ岳への道がありました。
大峰奥駈道の出発点ですね。
今日行かれましたか。
一日ちがいでしたね。
藤は、今が見頃でしたね。
帰りに、昔からよく行っている阿倍野の
グリルマルヨシでオムライスをいただきました。
私も大好きな洋食屋さんです。
昔は狭い路地裏にあったのですが
今はいい場所に移転しましたね。
でも、前の狭い路地裏も
風情がありました(*^_^*)
応援ぽち
少年の頃、おやじが連れて行ってくれました。
あの洋食の味は忘れられません。
昔の路地の奥の店は風情がありましたね。
よっちんさんもご存知でしたか。