よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

学校の未来-山口県萩市:萩・明倫学舎

2024年09月24日 | 山口
Meirin School Buildings, Hagi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、萩市にある「萩・明倫校舎」を訪れたワタクシ達は、昔懐かしい校舎に郷愁を感じつつ、
藩校や昔の学校教育の展示品を興味深く見学していました


江戸時代の後半、各藩に設立された藩校なのですが、武士の子弟に対して武士としての倫理確立や人格形成を施すことが目的でした。
その後、漢学だけでなく、国学、蘭学、医学、算術、天文学、兵学などを導入する学校が急増していきます。
これは藩校に知識や技術の授与といった新たな目標が加わったことを示しているんですね


さらに幕末になると、武士以外の領民に入学を許可する藩校が増加していきます。
これは、庶民を藩の農兵などに育成していくために、基礎的な学問を身につけさせる必要が生じたからだといわれています


藩校が急増した寛政期と天保期は寛政の改革、天保の改革と幕政改革がおこなわれたことでも有名ですが、
じつはこの時期、各藩でも藩政改革が盛んに実施されたんです。
言うなれば、改革を推進できる逸材を育てるために、藩校が創設されたという一面があるんですね。
どれだけ有能な人材を育成できるかに藩の将来がかかっていることを、当時の武士たちも明確に認識していたということです


何が言いたいのかと言いますと、有能な人材を育成することが今の時代だと国の未来、将来にかかっていると思うのです。
しかし、今の日本の学校教育の実態を知れば知るほど、ワタクシは暗澹たる思いに駆られてしまうのです


有能な人材を育成するためには優秀な教員、魅力ある先生の存在は欠かせません。
しかし、年々教員を志望する学生の数が激減しています。また、教員になったにもかかわらず、すぐに離職する教員も増えているとか。
その結果、多くの学校で教員が不足しているという信じ難い状況が起こっているのです。
これで教育が成り立つのか、将来の日本を担っていく人材を育成できるのかとワタクシは悲嘆にくれてしまうのです


普段はアホなことばかり書いているこのブログですが、今日はちょっと固いお話になってしまいました。
ただ、ワタクシが願うことは学校という場所が、子ども達にも先生達にとっても楽しく魅力的な場所であってほしい。
そして、学校が活気あふれる場所であってほしいと願うのですが、どうなのでしょうね


校舎の中に飲食コーナーがありました。「夏みかんスカッシュ」というのがあったので、いただくことにしました。
火照った身体に、冷たい炭酸飲料は心地いいですな


初めて訪れた「萩・明倫校舎」でしたが、なかなか見応えのある施設でした。わざわざ訪れるだけの価値はあると思います

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


最近は日本各地どこに行っても、外国人観光客と遭遇します。しかし、萩ではほとんど遭うことがありませんでした。
たまたまそうだったのか。それとも萩はまだ外国人にあまり紹介されていないのか。
あるいは外国人にはさほど魅力を感じない場所なのか。もしくはあまりの猛暑に外を歩くのを控えていたのか。
それは私にはわかりません。ただ、そのおかげですごく落ち着いた雰囲気で町を散策することが出来ました。



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素晴らしき木造校舎-山口県萩市:萩・明倫学舎

2024年09月23日 | 山口
Meirin School Buildings, Hagi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、萩市を訪れたワタクシ達は東光寺の参拝を終えて、萩市内の中心部へと向かうことにしました。
松陰神社や東光寺は萩市の東の端にあるので、中心部まではかなりの距離があります。
ワタクシ達は100円で乗ることが出来る市内循環バスに乗り、市内中心部へとやって来ました


ワタクシ達がやって来たのは「萩明倫校舎」という建物です。この建物はどういうものなのか、簡単に説明してみますね。
江戸時代、諸藩は藩士の子弟を教育するために学校を設立しました。このような学校を藩校と言うんです


長州藩の藩校であった明倫館は水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称されました。
明治時代になり明倫館の敷地だった場所に明倫小学校が建設されたんです。
この建物は本館で昭和10年に建設されたものなのですが、この本館をはじめとして四棟の木造校舎が造られ、
2014年まで明倫小学校の校舎として利用されていたんです


その後、明倫小学校は隣接地に移転し、2017年に敷地一帯が明治維新150年記念事業として整備され、
旧校舎は萩市の観光拠点施設「萩・明倫学舎」として生まれ変わったんです


ワタクシは木造校舎で学んだ経験がありません。小学校、中学校、高校、大学と全てが鉄筋コンクリートの校舎でした。
でも、木造校舎はワタクシにとっても、どこか郷愁を感じさせてくれるんですよ


復元された教室に入りました。前に掲げてあるのは吉田松陰の言葉です。
館内の展示のを見てちょっと驚いたのは、明倫小学校では毎日、すべての教室で吉田松陰が残した言葉を朗読しているんです。
もし、会津の方から萩に引っ越してきた児童がいたら、吉田松陰の言葉を朗読できるんですかねぇ。
ま、今の時代の子どもには旧会津藩や旧長州藩なんていう意識はないでしょうから、そんな心配は無用でしょうか


会津藩から見れば吉田松陰は「国家転覆を目論むテロリストを養成した人物」になるわけです。
相棒さんはしきりに「小学生にテロリストの言葉を朗読させるのは教育としてどうなんやろ」と言っておりました


ワタクシはそういうことよりも、立派な木造校舎の姿に感心していました。
こういう昔からの古い校舎を訪れるといつも思うのは、大阪にはこういう校舎が全く残っていないんです。
大阪の学校建築って、どこも無味乾燥で特徴のない校舎ばかりなんです。
どうも大阪というのは昔から今に至るまで、学校教育に対してお金をかけない気がするんですよ


ではでは、この素晴らしい校舎群をもう少し見ていくとしましょうか

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


古い学校の屋舎を訪ねるのが好きで、日本各地でいろいろな校舎を見てきました。
今、少子化のために日本中で小中学校の統廃合が進み、廃校になる学校が数多くあります。
歴史のある校舎、地域の方に愛されてきた校舎は、この明倫学舎のように「学校」という機能を失ったとしても、
観光施設や商業施設、記念館など何らかの形で残してほしいと思うんですよ。



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記憶の中にあるお寺-山口県萩市:東光寺

2024年09月22日 | 山口
Toukouji Temple, Hagi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、萩市にやって来たワタクシ達は松陰神社を後にして、次の目的地に向かいました。
松陰神社から歩いて10分ほどの場所に静かに佇む東光寺が次の目的地です


東光寺は元禄4年(1691年)に萩藩3代藩主毛利吉就が建立しました。吉就は若くして黄檗宗に帰依して、
黄檗宗の本山である京都の萬福寺に範を求めて広壮な堂を建立し、萩出身の高僧・慧極道明禅師を開山に迎えたそうです。
この建物は総門ですが、ベンガラが塗られた赤っぽい色が印象的です


ワタクシは40年少し前に萩を訪れたのですが、東光寺に足を踏み入れた瞬間に「ここのお寺は来たことあるわ」と記憶が蘇りました


ワタクシが訪れたのは4月初めでした。この三門の向こうに見事な桜が咲いていたことをはっきりと覚えていました


ここ東光寺は黄檗宗の寺院ですが、黄檗宗は日本の三禅宗のうち、江戸時代開府はじめの明朝復興の願いに始まった一宗派です。
江戸時代初期に来日した隠元隆琦を開祖とするのですが、曹洞宗と臨済宗が長い年月の中で日本化していったのに対して、
江戸時代に伝わった新しい宗派であるために中国風の雰囲気を色濃く残しているんですよ


この建物は本堂である大雄宝殿です。ワタクシはこの建物を見た瞬間、「やっぱり萬福寺に似ているなぁ」と思いました
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/80ac19c812300049e167e845fa828f8b


そして、ワタクシにはもう一つの記憶がありました。40年少し前にこの場所に来た時なのですが、
それまで萩市内の数カ所で同じ女性と何度か出会い、ここでもまた出会うことになったんです。
彼女と目があったので「さっきもお会いしましたね」と言うと、「これで四度目ですよね」と笑顔で返事が返って来ました。
話をしてみるとワタクシと同い年の女子大生で、静岡から一人旅をしているとのことでした。
なんとその日の宿泊場所も同じユースホステルであることもわかり、その後は一緒に萩市内を散策したんです


夜もユースホステルでいろんな話をしました。明るくて笑顔が似合う可愛い女性でした。
翌日は一緒に下関まで行き下関を散策した後に彼女は岩国へ、ワタクシはアルバイトがあるので大阪に帰らねばなりませんでした。
互いに住所を交換して、旅が終わった後は何度も手紙でやりとりをしたんです。
大学を卒業して就職してからは手紙のやり取りも終わってしまいましたが、彼女は今どうしているのかな、そんなことを思いました。
幸せに暮らしていてほしい、今も屈託のない笑顔を浮かべて元気でいてほしい、ワタクシはそう願いました


山口県萩市…ワタクシにとっては、ちょっとセンチメンタルな思い出が残る町なんです

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


学生時代、よくユースホステルに泊まりました。当時は一泊二食つきで2500円くらいだったと記憶しています。
見知らぬ人達と相部屋になり、ユースホステルで友人になった人も何人もいました。
今の時代、ユースホステルってどうなってるんでしょうね。



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幕末の指導者-山口県萩市:松陰神社

2024年09月21日 | 山口
Shouin Shrine, Hagi City, Yamaguchi Pref.

さてさて、「青春18きっぷの旅」の2日目ですが、前日はけっこうな量のお酒を飲みましたが、朝は4時30分に起床。
始発列車に乗ろうと下関駅に向かいます


この写真、なんだか靄っているように見えますが、エアコンの効いたホテルから外に出てくると、外は猛烈な湿度の高さでした。
そのせいでレンズが曇ってしまったんです。この日も蒸し暑い一日になりそうな気配でした。
ワタクシ達は5:35下関発の列車に乗り、山陽本線の厚狭駅に向かいます


厚狭駅からは本来ですとJR美祢線に乗って長門市駅に向かうのですが、美祢線が昨年6月末の豪雨でいまだに全線不通なんです。
ですので、代行バスに乗って長門市駅を目指します。一年以上も不通というのも悲しいですね


長門市駅に7:44にバスが到着。7:51発の列車に乗るためにホームに向かいます。
普通は閑散とした駅なのですが、この時間は3本の列車が駅に停まっていました


8:29に東萩駅に着きました。この日の目的地は山口県萩市でして、萩には萩駅という駅もあるのですが、
メインになる駅は東萩駅なんです。駅からこの日に泊まるホテルに行き、荷物を預かってもらいます。
そして、萩市の散策にワタクシ達は向かいました


ホテルから20分ほど歩いた場所にある松陰神社を訪れました。松陰神社は幕末の指導者である吉田松陰を祀った神社です。
1907年、松下村塾出身の伊藤博文たちが中心となって神社創建を請願し創建した神社なんですよ


境内に入ると松下村塾(しょうかそんじゅく)があります。松下村塾は、幕末期に吉田松陰が主宰した私塾ですね。
塾生には、高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋などそうそうたるメンバーがいました。
2015年に世界遺産に選定された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の一つです


吉田松陰は1830年に生まれ、1859年に「安政の大獄」で処刑されていますので、わずか30年の短い生涯だったんです。
松陰は尊皇攘夷を唱え、松陰の教えを受けた者の多くが後に明治政府の要人となりました。
ですので、松陰は「幕末の偉人」と称えられたわけですな


ただ、倒幕派から見れば「幕末の偉人」ですが、佐幕派から見ると「幕府に逆らう反逆者」「国家転覆を目論むテロリスト」と、
視点を変えると評価は全く逆になるでしょう。とはいえ、歴史は「勝てば官軍、負ければ賊軍」です。
吉田松陰はこうして神社に祀られ、今では「学問の神様」として多くの人が参拝するそうです


「学びの道」には吉田松陰が残した数々の言葉が句碑として並んでいました。
ワタクシは松陰の言葉では「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。」という言葉が印象に残っています

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


私は下関と同じく、萩の町も大学生の時に訪れているので、40数年ぶりの訪問となります。
断片的に微かな記憶があるのですが、ここ松陰神社は訪れているのですが、あまりこれという記憶がありません。
ただ、私の近くにいた若い女性が松下村塾のことを「まつしたむらじゅくって何なんやろ」と言っていたのを覚えています。



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フグが残念-山口県下関市:「和や」

2024年09月20日 | 山口
“Nagoya”, Shimonoseki City, Yamaguchi Pref.

さてさて、「青春18きっぷの旅」の初日は下関に泊まるのですが、この日の宿はビジネスホテルです。
ですので、外に食べに行かねばなりません。ワタクシ達は「せっかく下関に来たのだから、魚が美味い居酒屋に行こう」と思い、
ネットなどで調べた結果、ホテルからも程近い場所に良さそうな居酒屋があるのでそちらに向かいました


訪れたのは「和や」(なごや)というお店です。ワタクシ達は6時にお店に行ったのですが、平日なのにかなりのお客さんでした。
人気のお店なのだろうと思うと期待が高まります


まずは生ビールで乾杯です。この日はよく歩き、よく汗をかきました。冷えたビールが五臓六腑に染み渡ります


どーですか。下関に来たからにはフグを食べたいです。まずは「本ふく唐揚げ」をいただきました。
しかし、これにはちょっとガッカリ。いや、相当残念でした。というのは身が少なく骨ばかりなんですよ。
二種類あるふぐの唐揚げのうち、値段の高い方をオーダーしたのにこれにはガッカリです


どーですか。次は「生サバのお刺身」です。サバは新鮮でなければお刺身にできません。これはおいしいサバでした


どーですか。「生明太子」もいただきました。下関は目の前が福岡県なので、福岡と同じようなメニューもいくつかありました


どーですか。これは山口県名物の「瓦そば」なんです。瓦そばとは熱々の瓦の上に茶そばや錦糸卵、牛肉などをのせた料理で、
麺つゆでいただくんです。これは美味い。また食べたくなる一品でした


どーですか。「ゲソ唐揚げ」もビールに合うんですよ。これもいい味付けで美味しくいただきました


どーですか。やっぱり「だし巻」は外せませんな。どれも美味しかっただけに、「本ふく唐揚げ」だけが残念でした

「和や」…山口県下関市竹崎町1-15-27

ワタクシ達は「なんか物足りんから、もうちょっと飲もうか」ということになり、下関駅近くの繁華街をウロウロしました


するといい感じの町中華のお店がありました。「生野飯店」というお店なのですが、お店の中はお客さんがいっぱいでした。
地元の方に愛されているお店という感じです。ご家族で切り盛りされているようで、すごく接客も心地いいものでした


どーですか。ビールには「焼き餃子」ですな。この餃子が実に美味かったんです。
餃子を食べただけで、「このお店は何を食べても美味いに違いない」という気がしました


どーですか。もう一品「焼売」もいただきましたが、こちらも申し分ない味でした。
偶然ですが、いいお店で旅行初日の最後を締めくくることができました。

この後はホテルに帰って缶ビールを2本飲み、テレビでニュースを見て眠りについたのでした。
スマホを見ると、この日は26960歩歩いていたのでした

「生野飯店」…山口県下関市竹崎町2-11-12

使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2


最近、町中華のお店っていいなぁと思うんですよ。駅前の商店街などにある昔ながらの中華料理屋さんですね。
決してオシャレじゃないし、小綺麗なお店でもありませんが、長い間地域の方に愛されてきたお店です。
これからはそういうお店も訪ね歩いてみたいなって思っています。



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