日本庭園こぼれ話

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Random Talks about Japanese Gardens

京都・紅葉の中の名園(2)=対龍山荘庭園(改編)

2021-10-24 | 日本庭園

前記の無鄰菴(むりんあん)庭園の後、小川治兵衛は、風光明媚な南禅寺周辺に、琵琶湖疏水の水を引き込んだ別荘庭園を次々に造営しましたが、この「對龍(たいりゅう)山荘」は、中でも名園として知られているものです。しかし残念ながら、基本的に非公開です。

たまに特別公開があり、ここにご紹介するのは、その際に訪れた時のものです。

對龍山荘は、右京区の南禅寺の門前にあります。元は薩摩出身の伊集院兼常が開いた屋敷で、その後、呉服商として財を成した市田弥一郎の所有となり、明治35~39年(1902~1906)に、小川治兵衛により庭園の改修が行われました。

母屋の東に広がる約5000平方メートルの庭園は、敷地の高低差を巧みに利用し、池を中心とする北側部分と、流れを中心とする南側部分とで構成されています。

(上: 東山連峰を借景に、奥深い景が創り出されている園池)

最初に目に入るのが、北側の大部分を占める園池。複雑な汀線を持ち、切石と沢飛石によって導かれる中島、かなり落差のある大滝、水に浮かぶ小舟、奥に垣間見える水車小屋と、変化の多い景色で、どこを切り取っても絵になりそう。

次は、池と建物の間の細い園路と沢飛石を伝って南に上がって行きます。途中、書院の角には、その段差を利用して、2メートルほどの高さの縁先手水鉢が据えられ、見どころの一つになっています。

 

南側は、茶室に面した流れ蹲踞から始まる流れの庭です。苔と芝生に覆われた、緩やかな起伏を走る流れと小砂利の園路。そこには無鄰菴に通じる、いかにも軽快な小川治兵衛らしい庭の景がありました。

(下: 緩やかな起伏の敷地に、小径と流れが交差する南側部分)

(上: 小川の中に配した「流れ蹲踞」)

(下:「水のマジシャン」と言われた小川治兵衛の流れの構成は必見)

 

 

 

 

 

 

 

(下: 建物と庭の調和)

 

その後、木の間越しに数寄屋建築を見て、先に進むと、園遊会のための芝生広場があり・・・

(上: 木立の中を抜けると眼前に広がる明るい芝生の庭) 

さらに池を半周して元の位置に戻れば、満足感でいっぱいの、変化に富んだ池泉回遊式庭園です。

 

ちなみに近くには、同じく小川治兵衛の代表作として知られる「野村碧雲荘」がありますが、こちらも通常非公開です。どちらも明治時代の代表的な別荘庭園なので、時々は、是非一般公開してほしいものです。

 

※ 小川治兵衛は、琵琶湖疏水の水を庭に導入して、数々の名園を残しましたが、その先駆けと言われる庭園が、「並河靖之七宝記念館庭園」(京都)です。これについては、本ブログ『並河靖之七宝記念館=記念館の庭(2)(2021-2-11)に書きましたので、よかったらご参照ください。