20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

今夜は読書会

2022年07月20日 | Weblog
            

今夜は、隔月の水曜日の夜、行われている、仲間内の読書会です。
テキストは「君たちは今が世界」(朝比奈あすか)です。

作者の朝比奈さんは「群像新人賞」を受賞して、作家デビューされた方です。
いわば、児童文学プロパーではありません。

それなのに、それなのに・・・。
それぞれの子どもたちの見事な造詣。
そしてそれを受ける教師たちの姿。

この作品は、同じクラスで、6年生を過ごす、6人の子どもの、それぞれの視点で語られた物語です。

滅多に付箋を貼って読みませんが、今回は付箋だらけ。
それはそこに描かれている、言葉の思い。未来を語る重み。強さを感じる部分です。

「君たちは今が世界(すべて)」でも・・・「こんなものは、全部、通り過ぎる」
大人になるための、通過儀礼に過ぎない。

それを読みながら、先日の、統一教会がらみの、山上容疑者の顔が浮かびました。
「こんなものは、全部、通り過ぎる」という希望を持ちながら、通り過ぎなかった。状況はますます絶望的になっていった・・・。
これから、日本という国は、ますますそうした「対宗教」の問題だけではなく、大変な国になっていくような気がします。

読みながら、涙がこぼれました。
子どもたちは、子どもたちの世界を必死に生きている。
それを支えきれないネグレクトの親。気持ちだけはあっても、モンスターペアレンツになっている親。夫が中国に単身赴任で、ゴミ屋敷の中で、お酒ばかり飲んでいる母親。

作中に出てくる、6年生の子より背も低い、茫洋とした雰囲気の、友人のお母さん。いつも一緒に登校しているこのお母さんです。
その子が熱が出て、今日は一緒に行けないと、マンションの下で待っていて・・・。
彼女が一人で大丈夫かと、道の角まで、見送ってくれる、そんな一番、凡庸で、誠実な母親の姿に胸を打たれました。
見送られた、本人は「キモイ」と思うだけですが・・・。
見事に「今」の、大人と子どもの関係を現しています。

作者の観察眼に脱帽です。
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セミのなく公園

2022年07月19日 | Weblog
            

昨日は、朝起きてサロンにきたら、すごいセミの声。
「わ、今年初めてのセミ!」
嬉しくなって、ベランダに出ると、下の公園から、セミの声が上がってきます。

「涼しいうちに、今日は公園歩きをしましょうよ」
9時まえに、夫とお隣の公園を歩き出しました。
写真のあたりから、賑やかなセミの声が・・・。

久しぶりの公園です。


このお花、なんでしょう。

亀ものそのそ池から、這い上がっています。


山椒の木には、クロアゲハ。

往復1時間半の、公園歩き。
帰り道は、熱中症になりそうなくらい、突然、暑くなってきました。
Os-1を飲みながら、歩きました。

帰宅してお昼ご飯を食べ、ヨギボーに寝転んで、録画しておいた朝のワイドショーを見ていたら、お昼寝。
ヨギボーはとても気持ちいいのですが、大きいのでサロンに一つしか置けません。
ですから、私専用に(笑)。
でも、この時間が気持ちいいのです。

さて、今日は必死に、明日の読書会のテキスト本を読まなくては。
忙しくて、読書会、2度、サボっています。

リモート句会も、二回ほどサボっています。
少しづつ、思いついたら、書き溜めていくという方法で、今回は8月6日締め切りの句会に参加したいです。
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朝日川柳

2022年07月18日 | Weblog
            

↑、作家の森枝さんから、お借りしました。

彼の衝撃的な方法での、突然の死には、私もショックを受けました。

現場のそばのクリニックの院長が慌てて駆けつけたら、もう顔面蒼白。意識不明。
車で30分の大きな病院にドクターヘリで運ばれましたが、その時は、心臓に大きな穴が開いていて、輸血をどんどん入れたらしいですが、意識を取り戻すこともなく、奥さんの到着を待って、死亡を確認してもらったということのようです。

山上が作った、手作りの散弾銃は、かなりの性能の高さだったようです。
何しろ彼は、それを作るためにだけ数十年、生きていたのですから。
生きる目的は、それだけだったのですから。
銃の専門家が検証していました。
だからと言って、山上の殺人を認めるわけにはいきません。

でも、どんなに亡くなり方が衝撃的であっても、忘れてはいけない感性。
見事な「朝日川柳」入選作です。

増上寺の葬儀にできた大行列。死を弔う気持ちはわかります。
でも、あれほどの大行列。
日本人の、すぐにまわりに同調し、叙情性に流されやすい体質を見た思いがしました。
本当に自分の頭で考えて並んだ人が、あの行列に、一体どれくらいいたのでしょう。

私たちは「森友・加計問題・桜を見る会」
そして映画「新聞記者」にも出たきた、自殺した赤木さんと、その奥さま。
もう、そうしたことは、忘れてしまったのですね。
秘密保護法、集団的自衛権、貧困格差。
官僚たちはすべて、時の政府に忖度するよう時の総理が、すべての権力を取集に収め、経済では新自由主義で国民の経済格差を広げ、6人に1人の子どもの貧困を生み出しました。

「民主主義の敗北」と言ったら、その時が、その瞬間だったのではないでしょうか。

ある宗教家(自称経済アナリスト)は、「あの殺され方は、おかしい。出血もしていないし、洋服もきれい。この死の真相には、隠されたものがある。ケネディーのような関係者による暗殺も考えられる」と。
この人は、すぐにこうした荒唐無稽なことを言い出します。

9・11もあれは真実ではない。3・11も人工地震だとか。ディープステートのやったこと、と。おまけに、いつもいる「アクター」がそこにいた?

そうやって問題の本質をすり替えます。

もちろん、今回の死の大きなきっかけとなった、統一協会のことには、一切触れません。

自分が某宗教の広告塔なので、宗教を出したくないのでしょう。

でももし、本物の宗教家であれば、山上という犯人が、統一教会によって一家破産され、家族がバラバラになっていった。
それへの恨みや心の闇の深さ。彼の生き抜くことへの辛さ、殺人にまで向かっていってしまった彼の内面に寄り添いながら、「なぜ、こうなってしまったのか」を丁寧に読みこんで行くことこそが使命のような気がします。

それなのに、ただ「時代の恐怖性」ばかりを、信者たちに擦り込み、「これを買えば、心が穏やかになる」などと、霊感商法で、商品を売りつけたり・・・。

こうして、真実は歪められ、一部の人たちが、その捏造に絡めとられて行きます。

YouTubeなどを見ていると、こうした「朝日川柳」のような、真っ当な思いとは別なところで、利権が絡んでいるのか、わかりませんが、物事をあたかも、本質かのように語り、ミスリードしていく人たちもいることを、私たちは意識しなくてはいけないと、いつも自分に言い聞かせています。
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香炉灰

2022年07月17日 | Weblog
            

昨日の土曜日は、お盆の送り火をしました。
香炉は、年中、お掃除をしないと、お線香の燃えかすが溜まってしまいます。

灰を捨てて、新しい「銀」の粒、「金」の粒を買って、ストックしておいています。
ところが、今回は、それも切れ、香炉の灰がなんとなく少なくなっています。

そこで雨の土曜日。
深川不動尊の門前にある、仏具屋さんに行きました。(写真は、成田山 東京別院・深川不動尊。家康が、成田まで行くのが大変と、深川に建立したのがこのお寺)

このお店は、旦那さんは日本人。奥さんが、なんと、きれいな白人の美人さん。
「こういう伝統的な仏具屋さんに、外人って、あこがれるのかもしれないわね」
なんて、夫と話していたら、いつの間にか、その旦那さんも、奥さんもお店の奥へ消え、お店を背負っているのは、ハーフのイケメンの息子さん。

それで「銀を2つかいましょうか」と、店頭で話していたら
「あ、香炉に入れる灰ですか?」と聞かれたので、
「はい」と答えたら、
「銀の粒や、金の粒は、それだけで使うので、日常なら、これがいいですよ」と、
初めて見た「特選純もみ御香炉灰」という袋を持ってきてくれました。

「香炉のお掃除はしていますよね?」
「はい」
「だったら、たまにこれを洗って、干してください。そしたら、また使えますから」

ええ!お父さんより、親切。それに詳しい。

びっくりしながら、その袋を二つ買って帰ってきました。

お盆中に、どうにか、香炉の灰も、ちゃんとできました。

この仏具屋さんで、牛込の母は、東西線に乗って、父のお位牌を作ってもらいにやってきて・・・。
14年前には、私たちが、母のお位牌を作っていただきました。
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送り火

2022年07月16日 | Weblog
             

お盆提灯です。

夜になると、美しいです。
クルクルと影灯篭のように、妖しい明かりを散りばめながら廻ります。

今夜は送り火を焚きます。

伺ったところによると、送り火は、おガラがもえたら、その上を、三回、行ったり来たりすると、病にならないそうです。
今夜は、やってみます。
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コキア

2022年07月15日 | Weblog
            

この暑さの中、こんな爽やかなグリーンを見ると、清々しい気持ちになります。
でもこれは、園芸センターのです。

ちょっと連日、バタバタしています。

今日は午後から、神保町の出版クラブで、会議。

雨が続き、少しだけ涼しいのが、疲れをちょっとだけ癒してくれます。


            

昨日の、日比谷・東京会館での「那須正幹さんを偲ぶ会」の写真です。
いい笑顔です。

『ズッコケ三人組』シリーズ、2700万部突破だそうです。

秋には『那須正幹の大研究』(ポプラ社)が、出版されるそうです。
東京会館のおいしいクッキーと共に、その「大研究」のパイロット版をいただいてきました。
私も、その中に「那須さんへの手紙」を書かせていただいております。

昨日はメディアの取材が、18社も、来ていました。
さすが、那須さんです。
美佐子さんたち、ご家族ともお目にかかれ、うれしかったです。

でも、お久しぶり、お久しぶりの人たちと、たくさんお会いし、那須さんのおかげで、たくさん、お喋りできました。
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那須正幹さんをしのぶ会

2022年07月14日 | Weblog
            

今日は、東京会館で、昨年、惜しまれながら亡くなった、那須正幹さんをしのぶ会です。
ご存知、大人気『ズッコケ三人組』シリーズの作家です。

那須さんは、日本児童文学者協会の会長(一般社団法人になって、会長から、理事長に変更)でした。
その前から、ポプラ社つながりで、ずっと仲良くさせていただき、大好きな先輩でした。
広島弁で、いろんなお話をしてくださいました。

いろんな内緒のお話を、たくさん、聞かせていただきました(笑)。
いつも「カトージュンコ」といっては、隣にいらして、いろんなお喋りをしました。

那須さんがお亡くなりになったという報に接した時は、悲しくて悲しくて・・・。
お香典、供花、辞退と、書いてありましたが、奥さまの美佐子さんのお顔が浮かび、いてもたっても、いられなくなり、日比谷花壇から、お花を送らせていただきました。

美佐子さんとも、東京にいらした時は、いろいろお話させていただきました。

今日はポプラ社が、東京会館を準備してくださり、中心になってまとめてくださり、児文協もそこに、加わらせていただくという形になりました。

美佐子さんをはじめ、お子さん達、お孫さん達も、山口からいらっしゃいます。

那須さん、後ほど、会いにいきますからね。
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お盆の迎え火

2022年07月13日 | Weblog
             

今年も、ムクドリの大群が、お隣の日経新聞の屋上あたりにやってきています。
ズームで、写真を撮りました。

でも真ん中あたりに、「スズメの学校」のように並んで、ジージーないていたのが、端っこに固まっています。

どうやら、日経新聞は、何か手を打ったようです。
セミの声はまだ鳴きませんが、夕暮れ時は、ムクドリの、セミのような、ジージーなく音が聞こえてきます。


今日は午後から、日本児童文学者協会の理事会です。
オミクロン の感染者数が増えてきたので、リモートになりました。

また、今夜は、お盆の迎え火を焚いて、ご先祖様にお越しいただく日です。
夕暮れ、夫が会社から帰ってきたら、迎え火を炊きます。
お盆飾りも、朝のうちに、すませます。

送り火は、土曜日だそうです。
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三個目のキャリーカート

2022年07月12日 | Weblog
             

安物で、転がすのがすごく軽くて楽なカートです。
お買い物で、重いお野菜などを、ここに全部入れて転がしてきます。

骨折以来、このカートを買って、お買い物にいきはじめました。
今回、買い替え、もう三個目です。
折りたためるので、行きは、畳んで、ただ転がすだけ。
帰りは、荷物をたっぷり入れて、この広げた状態で、転がしてきます。

一個目は転がしていたら、タイヤがコロコロ外れて、公園の中を転がっていきました。
おじいさん達が、公園のベンチに座って、日向ぼっこしていたのですが、飛び出してきて、すぐにはめてくれました。

そのおじいさんとは、それ以来、お顔なじみ。
公園を、通りかかると、毎回、おじいさんが「やっ!」と、私に手を上げ、
私は「おはようございます」と、それだけの交流ですが、もうかれこれ2年。
「ああ、今朝も、お元気だ」と、おじいさんを見ては、心の中で思います。

でも、このキャリーカート、もう寿命かなと思い、2回目を買いました。

そして今回は、タイヤが、中の方にくっついています。
帰宅して、夫に、「タイヤが外れそうだから、瞬間接着剤で、くっつけて」とお願いしました。
「そんなことしたら、タイヤが動かなくなるよ」
「でも、またタイヤが、転がり落ちちゃうかもしれないし」
「また買っておいたら? もう時間の問題だよ」
「でも、つけて」

夫の予言通り、瞬間接着剤をつけたタイヤは、お買い物に行こうと思ったら、動きません。
折りたたんで引っ張るのも、重くて重くて・・・。

途中まで行って、「もう、無理」と、引き返してきて、慌ててアマゾンで買いました。

で、三個目のカート。
お買い物には、もう必需品です。
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モンブラン万年筆

2022年07月11日 | Weblog
            

何十歳かのお誕生日に、夫に、日本橋丸善で、モンブランの万年筆をプレゼントしてもらいました。

三十何歳かで、作家デビューして、5年ほどたった頃だったでしょうか?
太めのブルーブラックインクの。

そんな万年筆で、お手紙や、サインなどを書きました。
その少し前に、夫はシンガポール単身赴任から帰国して、金属の営業で、世界中を飛び回り、社長室勤務になりました。
それで、会社に出入りしていた、有名なはんこ屋さんに、私の名前を、アレンジして落款を作ってくれと、依頼してくれたようです。

             

赤い紐のついた、薄くて柔らかな牛革の袋に入った、「純子」の字の、落款です。
いまだに大事に使っていますが・・・。

でも万年筆。
もう、全く使っていません。
いつの頃からか、「筆ペン」に変えました。

本当は、周りの友人達を見廻し、こんな、見かけ倒しの、上っ面なこだわりをしているより、いい作品を書くこと。
それへの焦りが、いつも心の奥を陣取っていました。

それなのに、呼吸を一つすると、心が軽くなります。
そして、本を読むことに明け暮れて・・・。
「これも書くことの一つ」
そんな、言い訳を、自分にしながら。

今、思い返すと、確かにその時は、「言い訳」と思っていましたが、そうやって、自分を磨く時間も必要な時間だったと、冷静に思えます。
当時は、いつも気持ちの中の半分以上に、書くことが詰まっていて、焦っていましたから。

いつも私は、「出版社から依頼されないと書かない」なんて、偉そうに、お殿様仕事をしていたので・・。
お殿様仕事は、「いつ依頼が来ても困らない」ような、勉強だけはどんな日もやり続けていました。

当時も、今も、皆さん、貪欲に、出版社に持ち込んでいましたが、私はそういうタイプではなかったようです。
でも、今になると思います。
若かった、あの頃、もっと貪欲に書いておけばよかった、と(笑)。

若かりし頃と、今では、やはり文章の勢い、人間を描くパワーが違いますから。
この年になって、そんなことに気づくなんて・・・(笑)。
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