評論家であり作家でもある古田足日さんと、評論家の西山利佳さん、同じく評論家の奥山恵さんが、評論集をご出版されました。
『現代児童文学を問い続けて』(古田足日・くろしお出版)
『<共感>の現場検証』(西山利佳・くろしお出版)
『<物語>のゆらぎ』(奥山恵・くろしお出版)
この3冊です。
3人の方々の、それぞれの思いのこもったお手紙が添えられ、どんと届きました。
3冊、全部読んでからのご紹介では、いつになるかわかりませんので、たくさんの方々にお読みいただきたいという思いから、取り急ぎラインナップだけご紹介させていただきます。
『現代児童文学を問い続けて』(古田足日)
現代児童文学の50年の歩みと「書く」とは何かを振り返り、過去に書かれた評論をまとめられたものと、書き下ろし「新しい戦争児童文学を求める」が収録されています。
まだ冒頭の「童話の世界と子どもの世界」しか読んでおりませんが、そこにあることばの力に惹きつけられました。
「おとなである作者がなぜ子どもにもわかる、あるいは子どもにこそもっともわかる表現の形をえらんだのか。・・・最初に子どもがあったのではなく、それより先にぼくたちが心ひかれる表現があり、ぼくたちは表現のとりこになって児童文学に目覚めたのではないでしょうか。その表現をより深めていくとき、作品のむこうにしだいに子どものすがたが浮かび上がってくるようになる。ひとりの児童文学者の成長はおそらくそういうもので、そこにことばの公共性がはたらくことになります・・・。」(本文より抜粋)
目次
一 児童文学を書くとはどういうことだろう
二 現代の日本児童文学はどのようにあるんできたか
三 人・その仕事・その課題
四 社会へー読書運動・教科書問題・子どもの権利・戦争と平和
『『<共感>の現場検証』(西山利佳)
「心地よさ」に抵抗し、「感動」の正体を探るとし、
雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論や、書き下ろしの評論で編まれた評論集です。
「江國香織にふれ、・・・「何が書かれているか」より、「どれだけ豊かなことばがつぎこまれているか」という立場を選ぶ彼女の作品を読んでいると、言葉そのものを追求して不純物をそぎ落とし、とてもシンプルな言葉に行き着いたという印象を受ける。それは子どもにも読める簡単な言葉だ。しかし彼女の作品は読み手を選ぶ。・・・ひとつひとつの言葉は簡単かもしれないが、機能が難しいのだ・・・」(本文より抜粋)
目次
一 90年代からゼロ年代へ
二 意識的に読む
三 「世界」と児童文学の間で考える
『<物語>のゆらぎ』(奥山恵)
子ども時代からその先へ、人の「ゆらぎ」を描く作品に迫るとし、やはり雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論に加え、書き下ろしの評論が収録されています。
「梨木香歩の『西の魔女が死んだ』と、岩瀬成子の『ステゴザウルス』を比較しながら・・・・
これらふたつの作品を読んで、私はとてもわくわくした気持ちになった、理由はひとつ。これらふたつの作品に登場する女の子は、どちらも、なんとも妙なものに「なる」ことを企てていたからだ。・・・これらの作品以前、日本の児童文学は,子どもが何に「なる」のかということにどれほど豊かなイメージを持ち得てきただろう・・・」(本文より抜粋)
目次
一 <自分>のゆらぎ、<物語>のゆらぎ
二 世界のゆらぎと児童文学
三 見切れない時代のエンターテインメント
いずれも骨太の、読み応え満点の評論集です。
「児童文学」を学ぶためのヒントが詰まっています。
必読です。
皆さま、ぜひお読みになってください。
『現代児童文学を問い続けて』(古田足日・くろしお出版)
『<共感>の現場検証』(西山利佳・くろしお出版)
『<物語>のゆらぎ』(奥山恵・くろしお出版)
この3冊です。
3人の方々の、それぞれの思いのこもったお手紙が添えられ、どんと届きました。
3冊、全部読んでからのご紹介では、いつになるかわかりませんので、たくさんの方々にお読みいただきたいという思いから、取り急ぎラインナップだけご紹介させていただきます。
『現代児童文学を問い続けて』(古田足日)
現代児童文学の50年の歩みと「書く」とは何かを振り返り、過去に書かれた評論をまとめられたものと、書き下ろし「新しい戦争児童文学を求める」が収録されています。
まだ冒頭の「童話の世界と子どもの世界」しか読んでおりませんが、そこにあることばの力に惹きつけられました。
「おとなである作者がなぜ子どもにもわかる、あるいは子どもにこそもっともわかる表現の形をえらんだのか。・・・最初に子どもがあったのではなく、それより先にぼくたちが心ひかれる表現があり、ぼくたちは表現のとりこになって児童文学に目覚めたのではないでしょうか。その表現をより深めていくとき、作品のむこうにしだいに子どものすがたが浮かび上がってくるようになる。ひとりの児童文学者の成長はおそらくそういうもので、そこにことばの公共性がはたらくことになります・・・。」(本文より抜粋)
目次
一 児童文学を書くとはどういうことだろう
二 現代の日本児童文学はどのようにあるんできたか
三 人・その仕事・その課題
四 社会へー読書運動・教科書問題・子どもの権利・戦争と平和
『『<共感>の現場検証』(西山利佳)
「心地よさ」に抵抗し、「感動」の正体を探るとし、
雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論や、書き下ろしの評論で編まれた評論集です。
「江國香織にふれ、・・・「何が書かれているか」より、「どれだけ豊かなことばがつぎこまれているか」という立場を選ぶ彼女の作品を読んでいると、言葉そのものを追求して不純物をそぎ落とし、とてもシンプルな言葉に行き着いたという印象を受ける。それは子どもにも読める簡単な言葉だ。しかし彼女の作品は読み手を選ぶ。・・・ひとつひとつの言葉は簡単かもしれないが、機能が難しいのだ・・・」(本文より抜粋)
目次
一 90年代からゼロ年代へ
二 意識的に読む
三 「世界」と児童文学の間で考える
『<物語>のゆらぎ』(奥山恵)
子ども時代からその先へ、人の「ゆらぎ」を描く作品に迫るとし、やはり雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論に加え、書き下ろしの評論が収録されています。
「梨木香歩の『西の魔女が死んだ』と、岩瀬成子の『ステゴザウルス』を比較しながら・・・・
これらふたつの作品を読んで、私はとてもわくわくした気持ちになった、理由はひとつ。これらふたつの作品に登場する女の子は、どちらも、なんとも妙なものに「なる」ことを企てていたからだ。・・・これらの作品以前、日本の児童文学は,子どもが何に「なる」のかということにどれほど豊かなイメージを持ち得てきただろう・・・」(本文より抜粋)
目次
一 <自分>のゆらぎ、<物語>のゆらぎ
二 世界のゆらぎと児童文学
三 見切れない時代のエンターテインメント
いずれも骨太の、読み応え満点の評論集です。
「児童文学」を学ぶためのヒントが詰まっています。
必読です。
皆さま、ぜひお読みになってください。
届くのが待ち遠しい。
ありがとうございます!
執筆者の方々、ご覧下さっていますね。
よかったですね!
生まれて初めてです。不慣れでお恥ずかしい限り。
で、開けてびっくり(*^_^*)
りょうさま、
ありがとうございます!
楽しんでいただけましたら光栄です。
はじめてのコメントですね。ありがとうございました。
りょうさんがお買い求めくださったそうです。
きっと他にも、ここをご覧くださって、
勉強したいと思われた方はたくさんいらっしゃると思いますよ。
評判になるといいですね。
ありがとうございます。
読みたくなったり、書きたくなったり、
誰かと何か語り合いたくなったりしていただけたら、本当に幸せです。
拝読中。
おもしろいです。
勉強になります!