先日の夜、ニュースを見ようとテレビをつけたら、ニュースをやっていない。
何気なくBSNHKにしたら、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが本の話をしていました。
それが面白くて、つい30分。みてしまいました。
鈴木さんって、あんな読書家だったの?
だって、マンション内に、8つもの書庫部屋を持っていらっしゃるのです。
それが、まずは一番の驚き。
思考の原点は、加藤周一の評論。
何度も何度も読破して、自分の思考にしたいと思うくらい読んだと。
また「大菩薩峠」(中里介山)これは長編時代小説で、ある意味エンタメです。
人殺しの悪が大好きだったと。
私は、坂口安吾の「満開の桜の木の下で」を読んだ時の不気味さ。恐ろしさに震えながらも、なぜか安吾の、その退廃的な美学に惹かれました。そんなことを、「大菩薩峠」の話を聞きながら思い出しました。
民俗学者の網野善彦、宮本常一の地方への眼差しにも共感したと。
私も民俗学の本に、とても惹かれました。
でも読んでいる本の冊数や、ジャンルの幅広さのレベルが違う。
漫画、児童文学、映画評論、詩、現代文学などなど・・・。
中には、つげ義春の「ねじ式」なども。
私は学生時代10代から20代にかけて、月刊漫画雑誌『ガロ』の熱狂的な購読者でした。
白土三平の「カムイ伝」に夢中になり、そこから唯物史観を学びました。
つげ義春はその叙情性から「赤い花」が好きでした。
つげ義春の話を聞きながら、「ああ、鈴木さんとは、同年代だ」と思った瞬間です。
私は、30代の初めに作家デビューしましたが、そこから自分の思考を深めるために、かなりいろいろな本を読んで勉強をし続けました。
根っこに闇のないノー天気でミーハーな私は、書くものがどこか表面的で、描いている子ども達を書き手として、引き受ける覚悟がない。
そのことは、書きながら、自分自身で気づき始めていました。
それで、評論的な本や、思想の本、民俗学の本。あらゆるその周辺の本を読み漁りました。
ところがそのがむしゃらさに、体の中の血が、フツーの人の半分になってしまいました。
「キャパシティオーバーからの鉄欠乏性貧血」だと言われ、幼稚園のバス停で倒れ、救急車で病院へ。
もう一度は、玄関で朝、夫を見送っている時、倒れ、夫の車でそのまま玉川病院に入院。
かなり痩せている頃でした。
そんなふうに、無茶をしながら「人間、人生に一度は死ぬ気で頑張る時間が必要」と自らを叱咤激励していた頃です。
健康オタクの今からは、考えられない無謀さです。
そして、合間に子育て(笑)。ママ友とのおつきあい。児文協の仕事のあれこれ。日々、楽しいけれど走り回るような忙しさでした。
でも、鈴木敏夫の話を聞いていて、やはり、すごい人は、さらにさらに高みを目指し、読書を続けているものなのだと思いました。
同業者の児童書を読むのは、当たり前のこと。
それだけではなく、もっと自分自身の思考を鍛えるために、さまざまなジャンルの本を、たくさん読んで勉強する必要があることに、気付いたのが、その30代、40代の頃です。
その習慣は、今でもペースはゆっくりになりましたが、続いています。
ちょっと太って、貧血で倒れるようなことはなくなり、すっかり健康オタクに変身して。
でも鈴木敏夫さんのような人を見ると、「自分は、まだまだ、まだまだ、勉強が足りない」と思わされます。
そして、鈴木敏夫は、こうした膨大な読書の中から「風の谷のナウシカ」をうみ、「トトロ」をうみ「千と千尋」をうみ、「君たちはどう生きるか」を生み出していきました。
さまざまな本を読みながら、自身の物語を作る背骨をしっかりと、確かなものにしていく。その上で、ああした優れたアニメーションを作って行かれたのだろうなと思いました。
志しの方向性は同じでしたが、私は、鈴木さんのような膨大な本読みはしきれていませんでした。
あの本のびっしりと詰まった、8つの書庫の部屋を見て思いました。
でも大した才能もないのに、40年以上、作家として生き残ってこられたのは、そうした時代性を捉える、絵画やいろんなジャンルの本について、いつも意識的に鋭く嗅覚を尖らせ、吸収しようという努力だけはし続けてきた、おかげかもしれません。
勉強ならやり続けられます。
人間、一生勉強。
その番組を見て、一年後には、楽になると、自分に言い聞かせている自分自身の甘さに気付かされました。
役職は降りてもスローテンポではあっても、勉強は続ける。
覚悟が決まりました。
それが私が書き手という人生を選び、これまで生きてきた、レゾンデートル・存在理由ですから。