太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

年末も近い

2021-12-13 09:29:05 | 日記
 ポストに来年のカレンダーが入るようになってきた。年の瀬を感じる頃である。4,50年前も年の瀬になると営業はお客さんのところに挨拶がてら翌年のカレンダーを届ける習慣があった。今では減ったかも知れないが風物詩のようなものだった。君らはカレンダーを配るだけで忙しい年末を過ごしているのか。郵送で済むではないかなどと軽く嫌味を言っていたが結構カレンダーにはお世話になった。特に年末に海外出張などあると土産代わりに持っていくと喜ばれたものだ。特にアジアでは美しい(印刷も)日本のカレンダーは喜ばれた。日本の美しい風景が多かったが本当は水着写真が欲しかったと言われたこともある。国によっては没収される可能性があるので無難なところを海外土産専門の店まで買いに行った。
 海外出張土産と言えば忘れられない思い出が幾つもある。ライバル会社と組んである国に無償援助プロジェクトを仕掛ける目的で出掛けた。貧乏出張だったので相部屋になることがあった。ある日TVの上に濡れた新聞紙に包んだものが置いてある。これは何ですかと聞くとゴボウだよと言う。大使館へのお土産とのこと。当時は政変後国内が混乱しており大使館の人達は必要なものはバンコクまで買い出しに出て行くとのこと。海苔とか煎餅は土産に沢山貰うし、日本に帰って来た時にも手に入るから余っている。俺ぐらい通になると違うよ。ゴボウは結構人気があるんだ。こうして乾かないよう持っていくと随分喜ばれるんだ、と。確かに海外経験豊富な人だったが日本からずっと毎晩濡れた新聞紙に包んで持ってきた根性には執念のような頑固さを感じた。
 夜部屋で雑談をしていたとき、無償援助だからと言って相手国は強欲と思えるほどあれやこれやと要望が多過ぎますね。我々の税金の一部なんですけどね。何を言っているの。日本もこれだけ豊かになっているのだから援助は当然ですよ。難しいことを言わずにどんどんプレゼントすればいいんだよ、と。年上でもありそれ以上の話はなかったがその人はそれからも長く海外担当をしていたから執念も信念もありそれなりに社内では評価されていたのかも知れない。そういう私も頼まれて日本から米を土産に運んだことがある。先方はお金は払いますからとしきりに言ったが固辞したら夕食に招待され日本米のカレーが出て来た。今思えば何ともささやかな土産話である。