九州の球磨川が氾濫し熊本県で大勢の犠牲者が出た。山崩れに巻き込まれた人もいたが痛ましいのは特養老人ホームで亡くなった方々である。介助を受けながら車椅子で2階に避難している途中だったとのこと。苦しい溺死だろうが山間でまさかこんなことで命を落とすなど誰も想像していなかっただろう。最近よく耳にする線状降水帯に沿って集中豪雨が発生したとのこと。洪水による犠牲者は毎年のように出る。殆どは洪水マップで想定されているところだが、肝心の、何処でどの程度雨が降れば何処が堤防決壊や越流が起こるというシミュレーションがなされ行政の避難指示と連動しているかと言うことである。
江戸時代ではあるまいし今豪雨はかなりの時間差を持って予測可能になっている。被災地をピンポイントで予測することは困難と言われるかも知れない。しかし通勤道路の凹凸まで覚えるように狭い日本で調べられないことがあるだろうか。気象庁と国交省、総務省と自治体が連携すればかなり緻密な危険度シミュレーションができるのではないだろうか。勿論住民が行政の指示に従うということは大前提であるが。山間で溺れて死ぬようなことが今後何十年も続くとしたらそれはもう人災である。
コロナ感染昨日は東京131人、全国で262人だった。順調にと言う表現は変だが確実に増加し続けている。接待を伴う夜の街が感染拡大の元凶だとされているがここを抑え込んだら新たな発生源が現れるのだろう。行政は頑なに第2波であるとは断言しないが第2波とは誰もが思っているだろう。後は波の高さである。まだ頭打ちはしていないがもし第1波より高くなれば法的拘束力を持って3密回避をやらざるを得ないだろう。予想が外れることを望むが最悪シナリオも何処かで検討しておく必要がある。疑わしい所を集中的に検査しているから感染者数は増えるというおかしな話がある。感染者ゼロ県の岩手でだけ検査をしてゼロだったの逆バージョンだがもし夜の街を集中的に検査しなくても実体の感染者はそこに居る筈である。勿論対策では行政の指示や勧告を忠実に守るという国民の意識が最重要である。法的拘束力が無いとか補償がないとか自由の侵害などと言っている場合ではない。法以前に守るべきモラルが有る筈だ。上級国民には中々なれないが上品国民にはなれる。それはセレブと言う意味ではない。下品なセレブは幾らも居る。意味は上品格国民だ。国も軍事や経済でNo1になる必要はない。No2でも3でも構わない。それでも世界から尊敬される国になる。最小単位は上品格国民である。天災と人災の合間に思う。