太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

頭脳の偏り

2018-03-16 08:22:34 | 社会観察

連日の森友問題で財務省の公文書書き換えがクローズアップされているが、官僚OBや評論家などが財務省を、省の中の省とか官僚一の頭脳集団、エリート官僚の最たるものと呼んでいる。果たしてそうであろうか。毎年膨大な予算編成を行い、日本の財政を切り盛りするのだから偉いと思われている節がある。毎年の予算は夏頃、各省が細部に亘る概算要求を財務省に提出し、年末にかけて財務省がこれらを査定し、原案として国会に提出するというスケジュールである。各省の予算を分析し、国全体の方向性を決めると言えば格好良いが、たった数カ月の間に科学的に分析し、国の財政をあるべき方向に導くなどは如何に頭脳集団でも出来る筈が無い。各予算項目については各省の方が余程必要性を論じられるであろう。

国の予算は、まず各省への割り当ては毎年大体決まっている。各省の概算もこの枠を視野に入れて組む。言わば雛型があり、これをマイナーチェンジするだけである。最も苦労するのは新規の予算項目を立てる時であるが、これは全体予算の組み換えを必要とする程の規模にはならない。纏めてしまえば予算編成は車で言うモデルチェンジではなく、シャーシもエンジンも同じで少しアクセサリーを変えるようなものである。全くの白紙、ゼロから組むなどということはあり得ない。

では何故財務省が偉いのか。一に各省の概算要求を「査定」する権限が与えられているからである。省の中でもトップと目されるのは頭が良いからとかではなくこの査定の権限があるからである。過去勉強ができましたという証であっても現在の仕事ぶりの優秀さを物語るものではない。各省への予算割り当てさえあればプロである各省でも予算編成は可能である。それらを纏めて原案としても差し支えないだろう。財務省に残される仕事があるとすれば、中長期的にこの国の財政をどのように持って行くかを考えることである。多分そのような部署もあるのだろうが見え難い。マイナーチェンジの為だけに財務省に頭脳を集めることは頭脳の偏りでありもったいないことである。

査定ができる、自分達は偉いと勘違いする役人も居るだろう。森友の問題はそういう勘違いが根本にあって頭脳を偏って使ってしまった結果である。忖度だって頭が良くないとできるものではない。辻褄合わせに膨大な資料を関連づけて書き変えるなどといった芸当は並みの人ではできない。これからはマスコミも省の中の省と持ち上げるのは止めた方が良い。勘違いの元である。

何だか文科省も前川前次官の講演に対しとんでもないことを言ったようだ。役人は一体何処を向いて何のために仕事をしている。青森の東通原発の計画がブログで書いたように共同運行になりそうだ。スターアライアンスに代わるネーミングが必要だ。