太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

旬2題

2018-03-12 09:03:28 | 社会観察

今旬の2題。

昨日は3.11東日本大震災から7年、各地で追悼式が行われた。午後2時46分には何の助けにもならないが、パソコンの手を休めて黙祷した。復興がどんなに進んでも決して忘れてはならない日である。3.11の追悼式は日本人全体が今一度何故あのような大災害に至ったかを反省する機会であり続けなければならない。自然災害だと諦めるのではなく、こうすれば、ああしとけばもっと被害は少なかったと分析できる可能性は科学技術の進歩とともに日々増して行く筈である。一方、全てが自然災害と諦めることができない大きな出来ごとは原発事故である。何がしかの瑕疵が絶対に有るはずである。放射能を帯びた隕石が落下し、美しい村が住めなくなったのとはわけが違う。あれだけの事故があったにも関わらず、原発の電気は安いとか、世界一厳しい安全基準にパスしたものは稼働とか、ベース電源として重要だから稼働すべきと言う人や団体は万が一の時、何と言うのか。想定外という言葉はもう使えない。方々の火山が噴火し、巨大地震のリスクも高まっている日本で何をもって安全だと言えるのか。それでも推進を主張する人達は万が一福島のような事後が起こり、被災したら全ての賠償責任を負うという誓約書を書く覚悟があるのだろうか。今まで安い電気をの恩恵を受けて今更何をと言われても選択の余地が与えられていたかと答える。核のごみ処理も事故の賠償責任も全て事業者が負うとなったら何処の民間事業者が原発を持つのだろう。ただ、単純に原発ゼロを言うわけでは無い。事故リスクの大きさから民間にはてが負えないだろうということ、技術の継承のため最小限(2~3基)の基数は稼働しても仕方が無いと思っている。その為にはやはり国有にすべきである。もし、何事もなく稼働するなら安い電力を市場に供給すれば良い。逆ザヤになる分は国(税負担)が面倒みるべきである。

今日は財務省が森友関連文書を公表の予定である。今は未だ公表されていないが、既に胡散臭い政治家秘書の名前がとり立たされている。誰も政府が直接関与して起こった問題とは思っていない。そこには金銭が絡む利権があったようには思えない。原因は二つ、森友学園という特殊な学校に対する思想的シンパシー、今一つは官の政に対する行き過ぎた忖度である。政府に責任があるとしたら問題が露見してからの対応の仕方である。今日の夜のニュースは多分この問題でハチの巣を突いたような騒ぎになっているだろう。思想は自由だが違法性があってはならない。過度の忖度を防ぐ手立てはあると思う。やはり根本原因は人事権であろう。あり方を考え直す絶好の機会である。