朝から霙が雪に変わった。初雪は12月の季語であるのに。今日はこの初雪を題にした多くの文章が書かれているだろう。多分新聞のコラムや歳時記には古人の洒落た俳句や短歌を引用して世相や人生訓が紹介されているだろう。よくまあこんな句まで知っているものだと昔は感心していたが、何千何万とある句を覚えているはずがない。余程有名な句以外は。ネタ帳があって初雪を検索してその中から上手く使えそうなやつを選んで少し自分なりに修飾しているのだろう。いや、覚えていると言うなら「剪定の梅木に積もる初雪か」を知っているか。冬の準備に枝を切り落とした貧相な梅の木にまで初雪は白い化粧を施して行く。花を咲かせ葉を茂らせた若い頃はついこの前のようだが確実に老いが忍び寄って来る。せめてささやかでも良いから今一度人が振り返るような衣装で身を包むことはないだろうかという願いを込めた句である。
知るわけが無い。たった今できた拙作である。雪が楽しかったのは何歳くらいまでだったろうか。小さい頃は瀬戸内の穏やか気候で育ったから雪は大変珍しかった。偶に雪が降ると子供らは空に向かって口を空けて食べようとした記憶がある。真っ白い雪は如何にも清潔で砂糖のイメージでもあり、今口にしておかないと次は何時か分からない。その次の雪の記憶はろくなものが無い。高校入試は大雪で開始が昼からとなったことや、出張先の北海道でアスファルトで滑り足が目の高さになるくらい見事に転んだ事や、電車が遅れて通勤に遅刻したり、雪道で車がスリップして対向車のトラックが目の前に迫りもう駄目だと思った瞬間もあった。極めつきは北陸の家内の実家を訪ねる時である。道は何時もぬかるみ、空はどんよりとして昼間でも暗い。家の中の団欒に融け込むほど慣れていない頃はなおさら気が滅入ったものだ。
大人になって雪が美しいと感じたのはモンゴルだ。ウランバートルから何百キロも離れた田舎に行った時、7月の終わりだと言うのに朝起きると雪が積もっていた。草原に続く小高い丘まで柔らかい滑らかな白いビロードで覆われたようである。見渡す限り足跡や轍といった人工の形跡は一切無い。それでいて明け方の空は真っ青に晴れ渡っている。