フローラかとも思いましたが、クピドがいるから、ヴィーナスでしょう。西洋絵画の主題はたいてい聖書かギリシア神話からとられていますが、だいたいは、美しい女性を描くための言い訳のように使われていますね。
単に美しい女性の裸体を描きたいだけなのだろうが、それそのものとして描いてしまうといやらしいので、ヴィーナスやスザンナやバテシバに託して、自分好みの女性の裸体を描いている。そういうのが大方のようだ。
これも実にかわいいヴィーナスだ。画家の好みでしょう。
近現代の女性美は、どこか男性的な肢体をしていましたね。おなかが平らで、手足が長く、男性のように堂々としている。それはそれで美しいものもあるが、どこか痛い。女性的な何かを剋しているからです。
ああいう男性的なスタイルが流行っていたときは、女性はほとんどあんなスタイルをしていました。手足が長く、めりはりの利いたボディをしていた。男性もそれを愛でていたが、不思議にああいう女性はあまりもてなかった。
やはり男性的だからです。スタイルの良すぎる女性は、一緒に並ぶと、ともすれば男の方が小さく見える。それは少々痛い。
やはり男は、自分より小さくてかわいい女性がいいのです。
本来の女性は、そういう姿をしているものなのです。この絵のように、乳房もまるくかわいらしく、お腹もまろやかに出て、腰は大きく、ふともももやわらかく太い。手足は男性ほどに長くない。
こんな姿をしていれば、心がやさしくなるより仕方がありません。かわいいことをしたくなる。好きな人につくしてあげたくなる。手足が短いと男のようなことはできませんから、男を大事にしたくなる。
少し前までは、モデル並みという、男性的な足長美人がもてはやされていましたがね、もうそんなのは嫌でしょう。男性も気づいた。あれは馬鹿が作っている馬鹿な偽物だと。
本当にかわいい子はこんな感じなのだと。
美の女神ヴィーナスは奔放な美人なんかではない。ほんとはすごくかわいい美人なのだと。
気付くのが遅すぎた感はありますがね。勉強は大事です。
これからはもっとよく、美について勉強しましょう。姿かたちにも意味があるということを。