世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

アルシェマリ

2017-12-31 04:18:43 | 冬の日差し・夏の月


さて、大晦日です。今年はまた激動の年でしたね。

一見平穏だが、人間はもう激変している。感性の進歩を経験し、この世界の正体を見破ってしまった。

これが激動でなくて何でしょうか。実に、幕末やフランス革命の時よりも、人間は大きな変化を経験しているのです。

アルシェマリというのは、ラサラスの別名です。知らない人が多いと思うので、一応教えておきましょう。ムジカがこの名を使って句を詠んだことがありますね。こういうのでした。

空蝉の鳴く世にありきアルシェマリ

ラサラスはしし座の星です。わたしたちのなかの、警察組織とも言える勇猛な天使たちに、わたしたちは「獅子の星」と名をつけた。ラサラスはその中のひとりなのです。

彼がある国で断行した改変を、驚きの目で見ていた人は多くいるでしょう。

万年も続くと思っていた王室が、瞬時に崩れたのです。いえ、消えたのです。馬鹿馬鹿しいほど簡単に、彼は永年も国に巣くい続けるかに見えた癌を摘出したのです。

鳴くはずのない蝉のぬけがらが、鳴いていた世の中だったのだと、彼は言う。

阿呆ばかりが栄えていたという意味です。

すべてを正すために、獅子の星はみなで盛んに活動している。彼らの手法はそれぞれに違うが、実に、すごい。

だがこれは序曲に過ぎない。本当の試練は、来年から始まるでしょう。

もっとすごいことを、獅子の星は見せてくれますよ。見ていきなさい。





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女性並みに美しい男

2017-12-30 04:17:46 | 冬の日差し・夏の月


美しく描いてありますが、これは天使ではありません。サタンとその仲間を描いた絵です。

女性的な美男という感じに描いてありますがね、これは不可能なのです。人から顔を盗んで自分にくっつけでもしない限り、悪魔はこんな顔をすることはできません。

悪いことをすれば、霊魂というものはかならずその美を損なう方に変ってしまうからです。醜く、小さく、老いてゆく。それでありながら、目つきや表情はいやらしく子供っぽい。悪魔というのは、いやなことをすればするほど、そういう風に変わっていくのです。

顔というのは、その人の本質と、それまでやってきたことをそのまま表すものなのです。

ところで、女性並みに美しい男、というのが、今一番あなたがたの興味を引いているようだ。実質、男性も女性並みに美しくなることは不可能ではありません。かのじょのように、悪いことをせず、きれいなことばかりしていけばよい。そうすれば男性も、目を見張るような美女という感じの美をまとうことがあるのです。

ですがたいていの男性は、すぐに痛いことをして、自分を男らしく変えてしまいます。女性そのものと言ったきれいな顔をしていれば、いろんな馬鹿なやつらに、いやなことをされるからです。

かのじょの場合は、徹底的に嫌なことができなかったから、ああなってしまったという、非常に特殊な例です。男らしくなろうにも、悪いことができないので、どうしてもそっちに行けなかったのです。

美しいでしょう。かのじょのおかげで、女性存在に女性の進化形を教えることができる。それによって、男性へのコンプレックスに悩んでいた女性が救われる。それと同時に、男性もまた救われる。男も女性並みに美しくなれるということがわかっただけで、女性美に対するコンプレックスが格段に減るのです。

しかし本人は、あの顔でいるのはつらいんですよ。本当はシリウスのように男らしくなりたいと思っているのです。男なら男らしくなりたいと思うのが自然ですから。しかしかのじょは、霊魂の姿では一度も男っぽい形になったことがない。

本人はつらいのですよ。真似したい人はいるようですがね、アンタレスも言ったように、わたしはお勧めしません。やめておきなさいと言います。わがままでなく、何かの美しい求道心があってのことなら何とかなるかもしれませんが。

あの人がどんな目にあったか、よく考えてごらんなさい。





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天使の美女

2017-12-29 04:17:48 | 冬の日差し・夏の月


これは童話の挿絵のようですね。グリム童話に、おどる12人のお姫様というお話があります。

ある王様に12人のお姫様がいるのですが、毎日、朝になるとお姫様たちの靴がぼろぼろになっているので、そのなぞを解き明かしてほしいと、ある若い兵士にたのむ。兵士は魔女に助けられながら、お姫様の靴が朝になるとなぜぼろぼろになっているのかのなぞをつきとめるのです。

ネタバレはいけませんが、知らない人はあまりいないと思うので、言うと、お姫様たちは夜になると着飾って地下にいきそこで王子様と一晩中踊っているのです。その謎を突き止めた兵士はそれを王様に報告して、ご褒美にお姫様たちの一人と結婚するのですが。

なんとなく教訓的でもありますね。毎日夜遊びばかりしているお姫様たちを、ひとりの貧しい兵士が戒めたという風に解釈できないことはありません。

ご存じでしょうが、この時代、とても滑稽なことが起こりました。多くの馬鹿な女性たちが、美人になりたいばかりに、ひとりの際立った美女の顔を真似してしまい、なんとみんながまったく同じ顔になってしまったという事件です。

あまり説明しなくてもいいでしょう。このことは、あまりに愚かなことなので、わたしも苦笑するしかないのですが。

昔から、楽して美人になろうと、ずるいことばかりしている女の子というのはたくさんいました。きれいな顔をして生まれてくるのですけど、その顔は他人から盗んだもの。そのきれいな顔で、男の人に好きになってもらって、いい男と結婚して幸せになりたいと、そういうことばかりやってきた女の子というのはたくさんいたのです。

毎夜毎夜、靴がぼろぼろになるまで踊っていたお姫様のように、うまれかわるたびに人の顔を盗んで、きれいな女性になって、かっこいい男の子と踊るようなことばかりしてきたのです。

それがとうとう、たったひとりの美女、いいえ、美しい男性によってひっくり返されたのです。兵士のように貧しいが、きりりとしたそれは美しい天使のような美女がいたのですが、じつはその正体は女性のように美しい男性の天使だったのです。それがあまりにきれいだったので、目を見張った馬鹿な女性たちはこぞって真似をしてしまった。

その結果が、誰を恨むこともできない、あまりにも愚かな結果を生んでしまったのです。たぐいまれな美人が、恐ろしくたくさんいる。まるで粗悪な印刷のような、天使の顔をした美女が、掃いて捨てるほどいる。

それを見た男性たちは、一斉に逃げてしまったのです。

馬鹿なことばかりしていると、こういうことになりますよというお話ですね。

グリム童話というのは時に怖い解釈もされているようですが、こんな解釈はいかがでしょう。






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人類の冬

2017-12-28 04:18:09 | 冬の日差し・夏の月


今日の絵は、添島揺之を敬して、わたしが選んでみました。レナード・オクトマンという、トーナリズムの画家の作品です。題名は「冬の朝」。

トーナリズムは多く、押さえた色調で風景を描きます。それがどこか水墨画に似ているので、添島はトーナリズムが好きらしい。

わたしたちがやっていた西洋美術の活動を通していろんな絵を見て学んでいましたから、自分のブログを始める時は、これでいこうと決めたらしいです。

美しい風景画と、秀逸な短歌のコラボレーションなどおもしろいですね。歌だけでなく、絵画に関する短いエッセイなどもある。古今の歌をかかげたり、時には現代短歌を添削したりもしています。実におもしろいブログだ。

添島揺之は人霊ですが、わたしたちのこの多重人格活動に参加しています。多くの人格の一つです。何せ今の時代は、優れた才能が伸びることが異様に難しい。なので彼はこういうところから出てきた。人間も馬鹿ばかりではない。優れたものもいるのだということを、世間に教えたかったらしい。

それはそのとおり。今は馬鹿が好きなようにやって、いい人材をしらみつぶしにつぶして、自分たちばかりをいいようにしているという時代ですから、彼のような才能はとても伸びることはできない。それどころか大人になることすら難しい。実質、高い才能を持つ人間は多く、この時代10代までで死んでいます。生き残ってくれた人も実に苦しいことになっている。人類の冬の時代と言えましょう。

この様相では、人類は馬鹿ばかりなのかとも思えてくる。悲愴ですね。だが人間は馬鹿ばかりではない。非常に優れた才能を持つひともたくさんいるのです。

時代が時代ですから、彼はこんな形でしか出て来れませんでしたが、いずれ時代が変わり、馬鹿が失墜して、いいものが伸びて来れる時代がくれば、彼も自分の人生を持ってこの世界で才能を発揮できるでしょう。

そのほうが自然でいい。自分で自分を生きている実感がある。

早くそんな時代が来て欲しいですね。






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亀よりも遅い

2017-12-27 04:17:59 | 冬の日差し・夏の月


これはおもしろいですね。何の絵でしょう。おそらくは古い世界観であろうが。

前にも言ったように、ここであげる絵はわたしが選んでいるのではありません。わたしがほかのところに行っている間、仲間がてきとうに選んで保存してくれているのです。どういう感じで選んでくれたものだか。わたしの好みを考えてということもあるだろうが、むしろこれは、おもしろそうだから入れておこう、なんて心が見えますね。

確かにこういうファンタジックな絵は好きだが。

とにかく、こういう世界が大きな亀に背負われている、という世界観はありました。イロコイ族の神話では、ジャコウネズミが亀の背に土をのせて、それが大地となったと言います。亀という生き物の形は、確かに、大地を思わせる何かがありますね。

世界を亀が背負っているというのはおもしろい。何せ、世界の進歩というのは亀のようにのろいものですから。

人間存在が、自分というものの真実をつかみ、霊的進化を遂げるまで、どれだけの月日がかかったと思いますか?

人間がホモ・サピエンスになったのは、もう一万年以上昔です。氷期が終わり、肉体が整い、世間というものができてきた。それまではわからなかった、自分というものがいるということを、感じ始めた。個体間に差が生じ、個性の萌芽があらわれ、それゆえに、嫉妬が起こってきた。

そこらへんが、人類の始まりです。そこから人間は火を使い、文明を著し、この世界に圧倒的な繁栄を築いてきたのだが。その心はあまり動物と変わっていなかった。

快楽と虚栄を好み、権力争いをし、気に入らぬものは殺してきた。現生人類の、暗黒と暴虐の時代は、ひどいものでした。しかし神はじっと待ってくださった。人類が愛に目覚めるときを。

それが必ず来ることはわかっていたが、実に長いことかかった。永遠に続くのではないかと思うほど、闇は長かった。

亀にすらも十周は遅れるほど、のろかったのではないか。

だがそれもようやく終わりつつある。やっと、人類は、自己存在の真実に気付いた。霊的感性の進化をとげ、悪の正体に気付いた。

遅すぎるほどだということもありますが、しかし何もかもはこれからだ。すべてのことが、今のわたしたちにわかっているわけではないが、あなたがたはこれから、劇的な進化を経験し、暗黒の時代に築いてきた恐ろしく膨大な罪業を、どんどん清めていくでしょう。

そうすればいつか、十周ぶんを取り戻し、先に行った亀にも追いつくことができるでしょう。





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名前の物語

2017-12-26 04:18:25 | 冬の日差し・夏の月


これはネイティブアメリカンの絵本の挿絵らしいです。おそらく部族のシャーマンでしょう。バッファローの頭蓋骨を掲げて、何かを祈っているようだ。

今年はケバルライがわたしたちの活動のために長編小説を一つ書いてくれました。今も続いていますが、なかなかに面白いでしょう。かのじょの紡ぐ世界とは全く違うが、彼の個性が出ていて面白い。アシメックが、憎いほどかっこいい。

お気づきでしょうが、アシメックという名前は、スピカの別名のアシメクから来ています。べつに意味はなく、何となく目についたので採用しただけです。ケバルライにはそういうところがある。名前など適当に考えてしまうのです。

物語に登場する人物名や地名も、けっこういい加減ですよ。アルカラ(有るから)、イタカ(居たか)、ケセン(消せん)…、ほらね、オロソ沼のオロソはもちろん、「居るぞ」ですよ。本人に確かめたわけじゃありませんが。

そういう点から言うと、かのじょは名前に凝っていましたね。イスフィーニク、というのはフィングリシア物語のヒロインですが、なかなか思いつかないでしょう。物語を読んでくれた人は知っているでしょうが、五文字以上の難しい名前がたくさん出てきて、ややこしいと感じた人はたくさんいたでしょう。たとえば、フルルイレク、アスキリス、ウリルシルトク、シルタルド、トリュクセグィナ、これみんなかのじょが考えたのです。月の世では動物たちの名前が秀逸でしたね。セムハラシム、カルカヤヒム、ユリヤレイム、六文字でムで終わるで統一されていました。

花や珠玉が好きな人ですから、物語の登場人物にも、きれいな名前をつけたいのです。ここらへんも、女性的すぎると言われるところだ。

だがケバルライは、名前は適当につける。その分、物語は軽やかに進みます。そっけないほど軽い描写を通して、おそろしく明るくておもしろい世界を見せてくれますよ。物語の舞台は紀元前3000年ごろの北アメリカなのだが、名前の付け方がどこか西洋的だ。そこらへんも彼らしい。

かのじょとはまた違う、物語世界を、楽しんでください。






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2000年の宿題

2017-12-25 04:18:24 | 冬の日差し・夏の月


クリスマスにふさわしい絵と言ったらこれでしょうね。

美しい聖母マリアが、幼子イエスをかかえている。それをたくさんの人が称えている。

このように、天使の母親が信仰の対象となったのは、マリアだけです。イエスを産んだというだけで、かのじょは女神に等しい扱いを受けています。それはなぜかというと、イエスの人生が本当にひどかったからです。

自分というものに苦しんでいた人間は、イエスの美しさに嫉妬したのです。見栄えはさえないおじさんでしたが、彼は言うこととすることが実に美しかった。優しく、とても立派な男だったのです。悪いことなど何もしなかった。

ただそれだけのことが、当時の人間たちはいやだったのです。自分はつまらないことですぐにつまずいて、とてもくだらないことや、馬鹿みたいなことばかりしているからです。影に回れば平気で悪いこともしていた。

自分と言うものは、そんな自分の姿を常に見て知っている。馬鹿なことをやりながら、同時にその自分をさげすんでいる自分も自分の中にいるのです。

だから、イエスがいやでたまらなかった。すばらしいことを教えてくれるし、いいことばかりしてくれるとてもいい男だったのに。本当は愛していたのに。自分が嫌だったから。だから狂ったようにみんなで暴力をふるって殺してしまったのです。

それがあまりにひどかったから。人間は彼を失ってから、彼の人生をとびきり美しくするために、彼の生まれた日の神話をこしらえ、その生母を神の位に押し上げたのです。

そうでもして、イエスの人生を真っ白にきれいにすれば、自分のしたことも真っ白になるかと思ったのでしょう。

だがそんなことで、自分のやったことをごまかせはしない。何も変わりはしない。

感性の進化した目で、もう一度2000年前の自分を振り返ってみましょう。イエスの殺害に参加しなかった人も、誰も彼を助けなかったということで、罪を共有しているのです。

なぜ人類は彼を見捨てたのか。

そろそろ、2000年間放っておいた宿題に、手をつけましょう。





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新しい贈り物

2017-12-24 04:17:21 | 冬の日差し・夏の月


さて、イヴですね。

今年のイヴはまた、これまでと違った心で迎えられたのではないでしょうか。

去年までは、あなたがたはまだ閉じた感性の世界の中にいた。人の見栄えだけを見て、心などほとんど感じなかった。人間など馬鹿だから信じられない、見栄えがきれいだったらなんでもいい。人はいやなことをする動物だから、馬鹿にして、適当につきあっていればいい。そんなことを考えている人が多かった。その中で、建前的ではありますが、プレゼントなどして、だれかのための愛を実行できる、一年に一回の貴重な日だったのです。

どんな愚かな人も、この日だけは、美しいイエスの心を思い、だれかのために美しいことをすることができる。愛の中で許されているような気のする、とても美しい日だったのです。

もっとも厳しい冬の日がそれであるというのが不思議だ。厳冬の日々の中にたった一日だけ、わずかに美がある。まるで暗黒の逆風の時代に生まれてきたイエスのようだ。

アンタレス、と呼ぶことにしましょう。彼の名はたくさんありますがね、この星の名が、かっこいい彼を表わすのにちょうどいい気がします。そのアンタレスが、炎のように吐くツイートで、あなたがたにもいろいろなことがわかってきた。

愛の本当の姿がわかってきた。人間の真実がわかってきた。

新しい感性で感じる、イヴという日はどんなものですか。今年も変わらず、だれかのためにプレゼントを用意するでしょう。それは、去年とは違うものでしょうか。

愛する人の心が見えるようになったとき、人間は何をその人に贈るでしょう。

少しずつ、何かが変ってきています。





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天使の実像

2017-12-23 04:18:11 | 冬の日差し・夏の月


これはジャンヌのようですね。もちろんあの人の過去世の一つです。とても厳しい人生でした。田舎の一介の少女であるにかかわらず、国の救済をせねばならなかった。普通ならとても無理です。だがなんとかやってくれた。

すべては無理でしたが、果たさねばならなかった使命の二分くらいはやってくれたのです。20年に足らない人生では全部はとても無理だ。だがこの人類の暗黒の時代における天使の仕事は、だいたいがこんなものでした。

産まれてはくるが、すさまじい人間世界の逆風を浴びて、人生が歪み、とても使命を全うできずにみなが死んでいくのです。

かろうじて何かができた天使は非常に少ない。

ジャンヌ・ダルクであったとき、かのじょは今ほどきれいではありませんでした。それなりにかわいい人ではありましたがね、たぐいまれなる美女では馬に乗って各地を暴れまわることなどできませんから。

少年のように髪を切り、伸びた手足を使ってそれは活動的にやっていました。あのまま長生きできたらそれは立派な将軍のようになっていたでしょう。女将軍なんてありえないと思っているでしょうが、天使だったらできるのです。

ジャンヌがやり通すことが出来たら、王政はもっと長く持つはずだった。フランス革命は起こらず、民主化は遅れ、トランプも出ないはずだったのです。

見栄えだけでジャンヌを判断した人間が、全部否定してしまったからそうなった。

いつでも人間はそれだ、きれいでも、きれいでなくても、見栄えだけで人間を否定する。

もう十分にわかっているでしょうが。

感性が進歩したこの2017年を経験してきて、いろいろなことがわかってきたでしょう。大人になってきた。その目でこれから、ゆがめられてきた天使の実像を、見つめ直してほしいものです。

わたしたちにやみはない。

すべてはあなたがたのためにやってきたのです。





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きれいな人

2017-12-22 04:18:21 | 冬の日差し・夏の月


さて、今年も押し詰まって来ましたね。スピカです。毎年この日から、なんとなく始まることになってしまいました。

12月22日はかのじょの実母の命日です。この世界で最も悲しい女性の死んだ日です。美しい天使の母親になるなどめったにないことなのに、それを自ら捨ててしまった人。天使の母親になってくれた女性はたくさんいますが、それを捨ててしまった女性はこの人だけです。

おかげでかのじょは大変な子供時代を過ごした。つらいことばかりがあった。

だがそのおかげで、大人になってからの世間の逆風に耐えられる精神力もついたのだが。

子供時代に味わった貧困は相当なものでした。それがあったから、大人になって、夫の仕打ちにも耐えることができたのです。夫は生活費もろくに出さずにかのじょをしめあげた。仕事の手伝いをいくらでもさせておきながら、自分はほとんどかのじょの仕事に協力しなかった。かのじょは自分の服すらめったに買えなかった。こんなことをする人は最低の人ですよ。

普通の女性ならすぐに離婚でしょう。だがあの人は耐えてくれた。なにもかもは救済のためだ。自分の幸福だけ考えて生きていたわけではない。

あまりこんな重い話はしたくないですね。

少しは明るくいきたいものだ。わたしのここでの使命は、かのじょに似た甘くやさしい雰囲気を紡ぎ出すことですから。

表題の絵の聖女は、おそらく聖セシリアでしょう。その死を二人の天使が悼んでいる。わたしたちもこんなものだった。

とうとう死んでしまった女性の前で、しばし何も言えなかった。

もう何年も経ってしまいましたが。そうすると悲しみも幾分澄んできます。死んでしまったかのじょのために、わたしたちがやってきたことが、今年に入ってなんとか明るい芽になってでてきたからです。

みながやっと、かのじょのことをわかってくれた。

あれはほんとうにきれいな人だったのだと。





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