世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

大晦日

2014-12-31 07:08:34 | 冬の日差し・夏の月

今日は大晦日。今年ももう終わりですね。
みなさんにはどのような年でしたか。思い返すと、色々なことがあったでしょう。

楽しいことも、苦しいことも、明るいことも、暗いことも。

人生での経験は、それぞれが珠玉のようなものです。甘い玉も、苦い玉も、噛んでよく味わっていくと、感情の深いところが、暖かくなってくる。

この一年で経験したことは、あなたをどう変えていったのでしょうか。

わたしたちは、もういなくなったかのじょへの思いを、強くしました。もう二度とは帰らないあの女性が、どんなにかわいらしかったか、わたしたちも、いなくなってから深く心に入ったのです。

今も、さみしさが水のように胸をふさいでいる。そして愛がひとりあるきをするように、わたしは言葉をかきたてられる。

愛していると言わずにいられない。もう一度戻ってきてくれなどと、言えるはずもないのに、そんな言葉がわたしの中で、閉じ込められた小さな蝶のように暴れるのです。

会えるものなら、もう一度会いたい。でもそれが、決して叶わぬことだということは、わかっているのです。すべては、わたしたちが、みんなで決めたことだからです。

明日から、新しい年が始まります。きっとまた、流れていく時の神が、下さる新しい珠玉を、心に味わいながら、生きていくのでしょう。

来年もまた、おもしろい年でありますように。




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双子の星

2014-12-30 07:19:00 | 冬の日差し・夏の月

彼、試練の天使も、かのじょのまねはかなり上手ですが、わたしはもっと上手です。
感性が、かのじょと似ているからです。

花や星や、赤子や子猫、空の虹や夕焼けなど、心に染みるものを見る時に、匂い立ってくる情感が、かのじょとわたしはよく似ているのです。
だからこうして、かのじょの甘いやさしさに似せて、ことばを紡ぐこともできるのです。

双子という存在は、魂の世界にはありません。みな、ひとりひとり、ちがいます。
地球生命には、ときに双子という存在が生まれますが、顔はそっくりでも、中に入っている魂は全く別の人間です。どんなに似ていても、別の個性をもった別の人間です。

だからわたしとかのじょも、似ていても、全然ちがいます。わたしはかのじょのように、愛しさの前に簡単に自分を折ってしまうような、女性のような優しさは持っていません。かのじょよりは、ずっと、男です。だから痛いことをするお馬鹿さんには、きついお目玉をあげることもあります。

人間はこういうわたしが、苦手なのですよ。ずいぶんとかのじょと似ているのに、きついことをするからです。

このように、かのじょとわたしは似ていても全然違う。けれども、愛と言うものは、人にいろいろなことをさせてしまいます。自分の自分らしさを少し眠らせて、かのじょに心を一歩近づけて、かのじょのかのじょらしい愛を表現してみたくなる。

あの美しくも甘い飴を作ってみたくなってしまうのです。
それは、もういなくなってしまった美しいあの人が、あまりにも惜しいからです。




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夜明けの星

2014-12-28 07:01:52 | 冬の日差し・夏の月

「すばらしい自分自身」という言葉が刻まれた日記をかのじょが書いたのは、四十代に入ってすぐの頃でした。あらゆるものが、あれひとつだけで助かる、そういうものを、かのじょは表現し、世界に投げ込んだのです。

ひとりももらすことなく、すべての人を救いたいというその思いは、彼女のやさしさというよりも弱さからきていました。どんな人にも、感じる心の火が灯っているのだと思うと、誰も切り捨てることができなかったのです。

がんばって、みなでがんばって、すべてを救っていきましょう。わたしたちにはそれができるのです。

真っ正直で曲がることのできない、かのじょらしい言葉です。
愛を感じずにいられない。

しかし現実には、とても難しい問題がある。かのじょの理想を実現するには、たくさんの時間と、あらゆる存在の努力がいることでしょう。だが。

あの日記ひとつがあるだけで、誰の心にも太陽が灯る。

必ず助かる道はあるのだと、確信することができる。

どんな暗黒の道に迷い込んでいても、あの一冊の日記がこの世に存在していると思うだけで、世界が明るくなる。

一本の薔薇が咲いた小さな星がひとつ、この空のどこかにあるだけで、星空を見上げる心が、幸せに満ちるように。




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冬の日差し・夏の月

2014-12-26 07:02:34 | 冬の日差し・夏の月

冬の日差し・夏の月、とは、自然界の人間へのやさしさのことです。

冬には暖かい日差しがありがたい。夏には涼しい夜を照らす月がありがたい。

これは昔、かのじょが若かった頃に考えた言葉です。
サンシャイン・ウィンター、ムーンライト・サマー。

あの人は、やさしかったでしょう。今思い返せば、あなたがたにもわかるでしょう。
風に触れても破れてしまいそうな、薄絹のような柔らかすぎる感性を、あの人は持っていた。
どんな人の痛みも、自分の痛みとして感じてしまう。

まるで女性のような天使だったのです。

あなたがたはこれから、これまでと同じようには、やさしい自然の顔を見ることができなくなるでしょう。
それは、あまりにもやさしい愛を、壊してしまったからです。

しかし、かのじょの思いのこもった言葉は、残しておきたい。

冬の日差し・夏の月。そのように。

どんな人にも、神さまのやさしいまなざしが届いていると、かのじょは言った。

もう思い出の中にしかいない人の、甘い優しさを、わたしは時々、まねしてみましょう。




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天使のクリスマス

2014-12-24 07:15:42 | 冬の日差し・夏の月

メリー・クリスマス

本当のサンタにお祈りするときは
プレゼントが欲しいというんじゃなくて
みんなが幸せになりますようにと
祈りましょう

こんなに物ばかりがたくさんある世界では
一体自分は何が欲しいのかさえ
わからないということもあるでしょう
どんなすてきなものをもらっても
あまりうれしくないような気がする

ほんとうにほしいものは
こんなものじゃないような気がする

そんなときは
自分はいらないから
ほかの人を幸せにしてくださいと
祈りましょう

そうしたら 本当のサンタが
小さな幸せをくれますよ




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冬至

2014-12-22 07:14:02 | 冬の日差し・夏の月

今日は冬至。一年で一番昼が短い日です。
それと同時に、かのじょの実母の命日でもあります。

子供のころにかのじょと妹と弟の三人の子供を捨てて出ていった人は、結局すべての愛に見捨てられ、一人ぼっちのアパートで孤独に死んでしまいました。

かのじょたち3人の兄弟は、警察の遺体安置室のようなところで、硬い台の上に横たわる実母の遺体と会ったのです。

母の死の知らせを聞いたとき、妹は、「そんな人もいたんだ」などと、興味もなさそうなことばを、少し悲しそうな顔で言っていましたが、実母の遺体を見たとたんに激しく泣き出しました。弟は何も言わず黙っていた。

かのじょは、母親の顔に向かって、ただ、落ち着いて言った。
産んでくれてありがとう。もうそれだけで充分だよと。

恨み言の一つも言えばよかったのかもしれない。でも、もう死んだ人に何を言ってもしょうがない。つらいことはあふれるほどあったが、そんなことはもうどうでもいい。やさしいことを言ってくれる人は、だれもいないだろう。子供としてできるだけのことはしてあげよう。

かのじょは、実母が死んでも何も感情が起こらない白い気持ちの中に、自分でそういう心を書きこんでいったのです。

たぶん誰も覚えていない母の命日を、かのじょだけは覚えていた。1に、2が3つの日。じゅうにがつにじゅうににち。

墓参りをするにも、墓もない。母の遺骨を受け入れてくれるお寺を探してみたが、どこも受け入れてもらえなかった。お金がなければ、死んでもゆくところがない。結局母の遺骨は、弟が見つけたある遠いお寺に、無縁仏として引き取られるしかなかったのです。

さみしい思い出は、魂の中の愛の火を燃やして、ほほえみを起こして温めていきましょう。
許すという心は、愛の心の中で涙を燃やしてできてくる。

もういいんだよ。苦しいことは、終わったらもう苦しくはない。






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真実

2014-12-01 07:07:33 | こものの部屋・第3館
真実





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