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世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

生まれる前の話

2025-04-02 01:50:51 | 月夜の考古学・第3館

 そこは、見渡すかぎり、花の野原でした。
 のばらや、ツユクサ、クリンソウ、ヒオウギ、タンポポ、ヒメスミレ……。じゅうたんのように、一面に、一面に、咲いています。ところどころ、木々が、緑のこずえをさやさやとなびかせ、細腰を優雅に曲げて立っています。ちょろちょろ流れる小川のほとりでは、かわいらしい野苺の実も、まるで小人のともしびのように、ぽちぽち赤く光っています。

 こどもたちも、たくさん、遊んでいました。花をつんで首かざりを作ったり、小川でカニをつかまえたり、チョウチョウとおいかけっこをしている子もいます。れつを作って、木にしつらえたブランコの順番を待っているこどもや、つめに花の汁をすりつけて、お化粧ごっこをしている子、高い木の上にのぼって、ただ遠くを見ている子、ねころんで、アリの行列を一心に見つめている子……。たくさん、たくさん、います。それに、先生のような大人の人も、何人か見えます。

 さて、ここはどこでしょうか? ここは、幼稚園なのです。でも、普通の幼稚園とは、ちょっとちがいます。この幼稚園のこどもたちは、みんな、生まれる前の、こどもたちなのです。そう。おぎゃあと、赤ちゃんになって、おかあさんから生まれてくる前、こどもたちはみんな、ここにいたのです。いつか生まれてゆく日の、準備をするために、こどもたちはここで、いっしょに遊んだり、勉強をしたりします。花をつんだり、小川で水遊びをしたりしながら、いよいよ生まれてゆくときは、どんな感じだろうとか、生まれたら、どんなことをして遊ぼうかなあって、どきどき、わくわく、しながら、考えているのです。

 え? そんなところ、見たことも聞いたこともないって? それはしかたありません。この世に生まれてきたら、ほとんどの人は、この幼稚園のことを、すっかり忘れてしまうのですから。

 空は、青いというより、あわい虹色に見えました。それは、霧のようなふわふわ雲が、子供たちの歌う不思議な歌にそめられて、ぽわぽわと色で歌っているからです。小鳥も、たくさん飛んでいます。耳をすますと、ヒバリの声が、ちりちりちりちり、まるで心の中に、じんじん溶けてくるようです。あの雲の向こうから、時々ちらりと見えるやさしいお顔は、お月さま? それとも、お日さまかな? こんなにあたりは明るくて、あたたかいから、お日さまにちがいない。でも、あんまりやさしくて、静かな光だから、なんだか、まちがえてしまいそう……。

 空を見あげて、きょとんと首をかたむけたのは、フゥちゃんです。フゥちゃんは、ついさっきまで、夢中で花をつんでいました。フゥちゃんの好きな、のばらの花のかんむりを、三つも作ったのです。一つは自分でかぶって、さて、あとの二つは、誰にあげましょう?

 そのとき、野原に風がそよそよ吹いて、先生の声をはこんできました。
「みなさん、あつまりなさい。もう遊びの時間は、おわりましたよ」
 ふりむくと、ゆるやかな丘のてっぺんで、先生が手をふっています。フゥちゃんは、かんむりの一つは、先生にあげようと思いました。そして、一生けんめい、走って、丘をのぼりました。みんなも、遊んでいたのをやめて、いっせいにのぼってきます。

 フゥちゃんは、一番最初にせんせいのそばに走っていきました。先生は、白いドレスのような服を着た、ほっそりとした女の人です。にこにこわらっていて、きれいな苺の耳かざりと、白い花の胸かざりをつけています。フゥちゃんは、先生に、のばらのかんむりをあげました。先生は、ありがとう、とにっこりわらって、かんむりをかぶってくれました。

 みんなが、先生の前に集まりました。
「みなさん、あつまりましたね。さあ、ここにいるのは、来年の一月生まれの、こどもたちです。みんな同じ、一月に生まれるのですよ。そして今日は、十二月三十一日。神さまがみなさんに、いのちをくれる日です」
 みんなは、わあっと声をあげました。うれしくって、とびあがる子もいます。ちょっと不安そうに、もじもじする子もいます。

「ほら、後ろをごらんなさい。小川のほとりに、どなたかいますよ?」
 先生が指さすほうをふりむくと、そこには、茶色の、すその長いコートを着た、白いひげのおじいさんが、小川のほとりで、ゆったりとすわって、手をふっていました。
「あれ、神さま?」
 こどもたちのだれかが言いました。先生は笑ってうなずきました。こどもたちは、さざ波のように、うきあしだちました。神さま? あれが神さまだって! ウワァ……。

「みなさん、静かに、さあ、行儀よくならびましょう。急がなくても、神さまはちゃんと待っていてくださいます」
 先生にしたがって、こどもたちは一列に並びました。そして、神さまのところまで、そわそわ、そわそわ、歩きました。それぞれに、つんだ花や、木の実や、チョウチョウなどを、いっぱいもっています。それらはみんなこどもたちが、この世にもっていく、おみやげになるのです。ほら、生きていると、つらいこともあるけれど、一生に何度か、とてもうれしい、きらきらしたできごとがあるでしょう? それはこのときに幼稚園でもらった、神さまのおみやげなのです。

 こどもたちの行列が、神さまの前にたどりつきました。近くで見ると、神さまは、まるで小山のように大きくて、みんなちょっとびくびくしました。高いところにある、神さまのお顔は、なんだかよく見えないけれど、笑っているような気がします。
「みんな、楽しかったかい?」
 神さまの声は、深い山の上から降りてくるこだまのようなとてもやさしい声でした。いたずらなこどもがひとり、「神さま、どこにいるの? お顔が見えないよ!」と叫びました。すると神さまは、「おやおや、そうかい」と言って、わさわさと音をたてながら、野原の樫の木くらいに、小さくなってくれました。こどもたちは、よろこんで、ぴょんぴょんはねました。

 神さまは、右の肩に白いうさぎを、左の肩に灰色の子犬をのせています。ほほ笑んでいるお顔から、音のない水のように、白いヒゲが流れています。目も遠いお山の青い峰のように、清らかです。手は大きくて、強そうで、白いつえをにぎっています。よく見ると、茶色のコートは、地面にさわるところで、溶けるように消えていて、神さまはまるで、ほんとうに、お花の野原から生えてきている、木のようでした。

「さあ、みなさん。これから神さまが、命をくださいます。順番に、神さまの前に出たら、右手か左手の、どちらかの手で頭をなでてくださいと、いうのですよ。ほらごらんなさい。神さまの右の肩にはうさぎが、左には子犬がいますね。うさぎの名は『幸福』といい、子犬の名は『試練』といいます。幸福とはしあわせのこと、試練とは苦しみのことです。もし、神さまが、右手で頭をなでてくれたら、きっと幸せの多い人生を授かるでしょう。けれどももし、左手で頭をなでてくれたら、苦しみの多い人生となるでしょう」
 先生が、言いました。みんなはざわざわとざわめきました。

 れつの真ん中あたりで、フゥちゃんはどきどきしていました。神さまは、のばらのかんむりを、かぶってくれるでしょうか? フゥちゃんのささやかなおくりものを、よろこんでくれるでしょうか?

 こどもたちは、つぎつぎと、頭をなでてもらいました。みんな、右手でばかり、なでてもらっています。それはそうです。しあわせになりたいと思うのは当然のこと。頭をなでてもらった子は、一瞬、白い光にふわりとつつまれ、たんぽぽのたねのように体が浮いて、つぎつぎに小川のむこうに飛んで行きます。小川の向こうは、いつしか綿のような白い霧におおわれていて、目をこらしても、みんなどこにいってしまったのか、わかりません。でもきっと、どの子も、やさしいおかあさんやおとうさんのところに、生まれているでしょう。そして、宝物のようにだいじにされて、しあわせに笑っているのでしょう。ああ、はやく、順番がこないかなあ。こどもたちは、ためいきばかりついて、じりじり待っています。

 けれど、フゥちゃんは、ふと、気づきました。順番が近づくにつれ、神さまのお顔が、何だか少し、さみしそうに見えるのです。
「神さま、右手でなでてね」
「ぼくも、右手で。いいことがいっぱいあるように!」
「わたしも右手! くるしいのは、いやだもん!」
 こどもたちは、つぎつぎに言います。そのたびに、神さまは、
「ああ、いいとも、みんな楽しくやっておいで」
 と言って、やさしく、右手で、頭をなでてあげるのでした。左手は、ずっと、つえをにぎったままです。白いうさぎは、せわしなく口をもぐもぐさせたり、目をぱちぱちさせたりしていますが、子犬はずっと眠っています。

 フゥちゃんは、神さまの顔ばかり、見ていました。自分の前の人数が、すくなくなっていくにつれ、神さまがフゥちゃんに近づいてきます。最初は、気のせいかなぁとも思ったけれど、だんだん、順番が近くなるにつれ、胸に水がしみこんでくるように、フゥちゃんにはわかってきました。神さまは、さみしいのです。なんだかわからないけれど、さみしいようなのです。
(どうしてかなあ。神さまは、しあわせじゃないのかなあ。かんむりをあげたら、よろこんでくれるかな)

 そうこうしているうちに、フゥちゃんの番がやってきました。先生に言われて、はっとしたフゥちゃんは、あわててのばらのかんむりをさがしました。でもかんむりは、どこにもありません。ぼんやりしているうちに、落としてしまったのでしょうか?

「さあ、どちらの手で、なでようかね?」
 神さまが、やさしく、いいました。フゥちゃんは、神さまを見上げました。右肩の、うさぎも、ちらりと見ました。次に、左の子犬も見ました。最後にもう一度、神さまの顔をみました。神さまは、やさしくわらっています。でも、やっぱり、まるで氷のつぶのような、さみしいきもちが、神さまのひとみの奥から、フゥちゃんの胸に、ぽつぽつと落ちてくるのです。フゥちゃんは、なんだかたまらなくなって、思い切ってたずねました。

「神さま、どうしてさみしそうなの?」
「おや、おまえには、さみしそうに見えるのかね」
「うん」
 フゥちゃんがいうと、神さまは、とてもあたたかい笑顔で、フゥちゃんを見下ろしました。でも、フゥちゃんの問いには、答えてくれず、ただだまって笑っています。
「……のばらのかんむりを、あげようと思ったの。でお、落としちゃったみたいで、どこにもないの。あっそうだ、まだひとつあった。ほら、これ!」
 フゥちゃんは、自分のかぶっているかんむりを外して、神さまにさしだしました。でも、神さまはゆっくりと首を横に振りました。
「それはおまえのものだから、おまえがもっていなさい」

 フゥちゃんは、こまった顔をしました。もう、あげるものがありません。どうしたら、神さまの、うれしい顔を、みることができるでしょう。フゥちゃんは考えこみました。
「さあ、どちらの手でなでようかね?」
 神さまが、もういちど、いいました。フゥちゃんは、ふたたび、神さまを見上げました。もしかしたら、神さまは、右手でばかりなでるのが、いやなのかな? そしてフゥちゃんは、神さまの手をみて、はっとしました。どうしたのでしょうか? 神さまの右手はふっくらとした左手にくらべると、とてもやせこけて、まるでイバラでひっかいたように傷だらけになっていたのです。

 その痛みが、ひりひり心にしみてくるようで、フゥちゃんは、泣きたくなりました。そしてまた、考えこみました。
(どうしよう。しあわせのほうがいいなあ。でも、神さま、痛そう。ずっとがまんしてたんだね……)
 考えに考えたすえ、フゥちゃんはとうとう、いいました。
「……神さまが、きめて」
 すると神さまは、はっとしたように、目をみひらきました。
「わたしがきめていいのかね?」
「うん、いい」
 フゥちゃんは、神さまをまっすぐにみあげて、きっぱりといいました。すると、急に、フゥちゃんのまわりは、深く、深く、海のように、ゆたかな、神さまの吐息に、満たされました。神さまは、かなしげな、それでいて、うれしげな、とてもふしぎな、ひとみで、フゥちゃんをみつめかえしました。涙が、ひとつぶ、ふたつぶ、ふってきたような気がします。フゥちゃんは、ぼんやりと、みとれました。なんときれいな、なんとやさしい、目なのでしょう。

「かわいい子よ」
 それは、海の底からひびいてくるような、深い声でした。そして、神さまは、ぐらりと、山のように体ぜんたいをゆらしました。
「……おまえの、とおい、とおい、真実の、しあわせのために」

 声は、まるでやわらかい風の布のように、フゥちゃんのたましいを、やさしくつかまえました。なんだか気持ちがよくって、頭の中がぼんやりします。かすかに、子犬が、動いたような気がしましたが、フゥちゃんはもう、目を閉じてしまったので、神さまがほんとうはどちらの手でなでてくれたのか、わかりませんでした。ただ、神さまの手はとても大きくて、暖かくて、まるでフゥちゃんのすべてを、つつみこんでくれるかのようでした。



 これは、フゥちゃんの、生まれる前の話です。わたしは、フゥちゃんが十才のときに、この話を、フゥちゃんから、聞きました。おぼえていないはずなのに、なぜかおぼえてるのって、フゥちゃんは笑っていました。神さまも、ときには手ちがいをするのかもしれませんね。

 フゥちゃんの左手は、生まれつき、動きません。目も、あまり、見えません。今、フゥちゃんは二十才。昼は会社で働いて、夜は学校で勉強しています。

 わたしは、天気のいい日には、よくフゥちゃんといっしょに、青空の下でおべんとうを食べます。こどものときから、とてもいいともだちなのです。
「きっとわたしは、右手でなでてっていった口だね」
 わたしはいつも、いいます。フゥちゃんは、だまって笑っています。
「フゥちゃんは、どっちの手で、なでてもらったと思う?」
 そうわたしがきくと、フゥちゃんは、少し首をかしげて、いいます。
「さあ、わからない。たしかに、つらいことやくるしいこと、たくさんあったけど……。でもわたし、今は、ほんとうに、あれでよかったと思ってるの」
「神さまが、よろこんでくれたから?」
「ううん。……神さまのきもちが、わかったから」
 そういうと、フゥちゃんは、青空を見上げて、きらきらと、笑ったのです。わたしは、あのときほど、にんげんの、ほんとうに、しあわせそうな笑い顔を、見たことはありませんでした。




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まだやっている

2025-03-20 02:20:31 | 月夜の考古学・第3館

こんなことやっても
馬鹿になるだけなのに
まだやっている
まだやっている

鋼鉄の巨岩のように
太い真実の柱を
ひっくり返そうと
まだもがいている
まだもがいている

ああどうしても
いやなのだ
自分が
馬鹿になるのは

あんな馬鹿なことをしたのが
自分であるなんて
そんなことを認めるのは
いやなのだ

真実の柱は
光のように
世界を貫いて
微動だにしない
どんなにがんばっても
ひっくり返らない
こんなことをしているのは
馬鹿なのだ
馬鹿なのだ

だのに
まだやっている





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だれかがつくってくれた

2025-02-28 03:57:30 | 月夜の考古学・第3館

朝おきて わたしは
だれかがつくってくれた ねまきを脱ぎ
だれかがつくってくれた 服に着替えます
だれかがつくってくれた パンを食べ
だれかがつくってくれた 靴を履き
だれかがつくってくれた 家を出て
だれかがつくってくれた 町に出ます

だれかがつくってくれた バスに乗り
だれかがつくってくれた 小さな店にゆきます
だれかがつくってくれた エプロンをつけ
だれかがつくってくれた キッチンに立ち
だれかがつくってくれた 白いコーヒーカップに
だれかがつくってくれた コーヒー豆で
いっぱいのコーヒーをつくります

わたしの仕事は お客様のために
いっぱいのおいしいコーヒーをつくること

仕事が終わると お店を出て
バス停までの道を 少し遠回りします
だれかがつくってくれた 川沿いの土手の上で
だれかがつくってくれた 美しい夕日をみます
そして
だれかがつくってくれた わたしの心を
だれかのおかげで 今日を無事に過ごせた
明るい幸せに 浸すのです




(2013年)




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神様

2025-02-26 03:39:05 | 月夜の考古学・第3館

神様が君に 頬ずりをしに来る
たったひとりの 君のために

神様の心のために 風がざわめく
花が咲く 花が咲く 花が咲く
木々が揺れる
こいぬが転ぶ
猫が見つめる
小鳥が窓辺にやってくる

神様が君の所へ来るための
道をつくるために
世界中のすべてのものが動く
光が君を抱く 青空は澄み渡る
君はまだそれに 気付くことはできない
でも

世界中が 君を愛している
たったひとりの君に 愛を送るために
歌を歌い続けている




(2013年)





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田園

2025-02-13 03:15:49 | 月夜の考古学・第3館

貝を背負った 白いねずみが
天と地のちょうつがいに
油をさしにゆく
世界のきしむ音が
耳について眠れないから

田園を掃く風を車にして
かけていくかけていく
燃えるチョウチョウの翅を透く
光から油はしぼりとった
星々の積む沈黙の夢から
器はきりだした

主のない家が黒々と
田園をくいつぶしてゆく
あふれてくる虚無のためいきに
空気がさびついてゆく

いまこそわたしがゆかねば
いまこそわたしがゆかねば

真空の仮面をかむった
愚かな道化が
世界をたたんでしまう前に
すべての絶望をうちこわして
天地の隙間に両手をつっこみ
それまでいなかった
金の嬰児をこの世にかき出だす

いまこそわたしがやらねば




(2007年)




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ヒノキ

2025-01-12 02:45:41 | 月夜の考古学・第3館

やさしさだけでは
なまぐさくなる
きびしさだけでは
むごくなる

光と影を左右のポケットに入れ
空に向かって敢然と額をあげ
行く手を見据えなさい
あなたにはしなければいけないことがある

一度や二度のつまずきに
とらわれていてはいけない
そこで学ぶべきことを学んだら
次にすすみなさい
あなたにはしなければいけないことがある

泥沼のような哀愁に
とらわれていてはいけない
愛は腐りやすいものだから
傷み始める前に解き放たなければならない
そしてあなたには
しなければいけないことがある

学び 悩み 考えなければならない
なぜ人は苦しむのか
なぜ人は過つのか
暗い苦悩の霧の向こうに
光る何かがあるはずだ
それをつかまなければならない

そのためにあなたは生きるのだ




(1997年ごろか)




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アオスジアゲハ

2025-01-09 02:47:15 | 月夜の考古学・第3館

 ガラスの家の中で
 秘めごとの罪を編んでいる君よ
 わたしは君の
 言い訳のくちびるが汚す
 風のよどみを清めに来た

 死に滅びた愛の姿を
 みいらのように乾かして粉砕し
 それを嫌みの火で炒り
 それを燃やした煙の快楽に眠り
 長々と夢に浸りながら
 老いてゆく君の魂に
 神の悲しみを伝えに来た




(2008年)





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光の中で

2025-01-07 02:57:13 | 月夜の考古学・第3館

ときおり
光の中で
木のように
立ち尽くしていると
叫びだすような喜びに
全身を貫かれてしまう
ことがある

沈黙の形に
閉じ込めてはいるけれど
魂はもう空を飛んでいる
微笑が 光の珠のように
瞳からこぼれ出て
声にならぬ愛の言葉が
私の全てを埋めて
あふれかえってしまう
何もかもを
だきしめてしまいたくなる

ああ
木々が
全てのことに耐えて
立ち尽くし
続けているのは
このせい だったのか と

ただ 立ち尽くしているだけで
風にそよぐ木々は
ふりそそぐ光を
私たちのための声に
変えているのだ と






(1997年ごろか)




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センダン

2025-01-04 03:00:39 | 月夜の考古学・第3館

なぜ幸せになれないんだろうと
思ってばかりいるのは
自分の幸せのことしか
考えていないからですよ

人は自分だけでは
幸せになれないのだから
まずは目を周りに広げて
もっとたくさんの幸せと
自分の幸せを
響き合わせてみるんです

鳥や虫や森や 世界や
振り向くとそばにいる誰かさん
もっともっとたくさんの人たち
そして神さまの幸せと
共にありたいと願うんですよ

最初は難しくても
少しずつやっていきなさい
我慢強くしていれば
そのうち何かが変わってゆく
体中から花咲くように喜びがあふれ出し
喉が割れそうなほど 熱い歌が響きだす
心の底が すっぽり抜けて
青空の中に落ちたと思ったら
目の前で神さまが笑っている

幸せはいつも
自分の中にあったのだと
そのとき初めてわかるんですよ



(1997年ごろか)




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レモン

2024-12-29 03:17:36 | 月夜の考古学・第3館

心を静かに整えて
欲を少なくしていましょう

美しい人よ
すえた我臭の泥沼に
身を浸してまで
その底で揺れる
琥珀の檸檬に
手を出してはいけません

あれは琥珀などではなく
沼にうつる金の木漏れ日

哀しみに全てを失ってしまう前に
瞳をあげ
あの空一面の
花の野をごらんなさい
沈黙の奥に折りたたんだ
あなたの水晶の心臓を
今 布のようにいっぱいに広げ
風の中に溶け込む
美しいこの星の香りに
さらしましょう

魂に風がとおり
心が澄みわたる
閉じ込められていた小鳥が
あなたの中で金の歌を歌いだす

あなたが求めていたものの
全てがそこにある



(1997年ごろか)




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