世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

詩のことば

2024-10-30 02:16:30 | 月夜の考古学・第3館

私の額のあたりには
小さな一脚の椅子がありまして
いつもは私がどっかりと
真ん中に座っているのですが
時々 後ろのドアがとんとんと鳴って
神さまがいらっしゃることがあるのです

そのとき私は椅子を立って
神さま どうぞお座りくださいと
申し上げます
すると神さまは
しばし私の椅子にお座りになって
私の手や眼や口をお使いになり
ご自分を表現なさいます

詩のことばは
そんな風にやってくるのです



(2004年)





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一日に一度は

2024-09-29 01:21:39 | 月夜の考古学・第3館

朝 風や光を入れるために
家の窓を開けるように
一日に一度は
目を 深く閉じて
神さまの顔を見よう
そして
霧の向こうに つないだ船を
たぐり寄せるように
本当の自分を 確かめよう

日々のあくたにまみれたまま
心を見捨ててしまわないために
一日に一度は
風に耳を浸し
花に耳を寄せて
神さまの歌を聞こう
岩の上で日を浴びる
トカゲのように
額をあげて
暖かく大きな光の中に
飛び込もう

一日に一度は
一日に一度は
神さまの前に立とう
鳥が翼をひらくように
大きく
心のカギを ひらいて



(2002年)




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海・6

2024-08-26 03:01:42 | 月夜の考古学・第3館

 それからどうなったのか、ふと目を覚ますと、床に、青いかけらが散らばっていました。それは魚の残骸でした。だけど店の中は、変わった様子はありませんでした。品物達もきちんといつもの棚の上に並んでいました。昨夜見た海は、あれは、夢だったのでしょうか?

「おい、き、君、死んだのかい?」

 おそるおそるぼくは言いました。と、絞りとるような微かな声が聞こえました。

「死んだのではない。脱ぎ捨てたのだ」

 それは旗魚の声でした。

「…わしは、やつのように、真摯に夢を信じることができなかった…。たとえかなわぬ夢でも、深い心の奥で信じて生きてさえいれば、それだけで、よかったのに…」

 そのとき、彼の青い透きとおった体の中に、細い光が走るのをぼくは見ました。それは、まるで生き物のような。微かな暖かい振動でした。



 ぼくの話はこれで終わりです。長い間聞いてくれてありがとう。

 そうそう、言い忘れてましたが、あのあとすぐ、旗魚は元客船の船長だという老紳士に買われていきました。
「こいつには、どこか、海がしみついている」
 紳士はそう言っていました。

 え? サビーネのことですか? 彼女は、あれから、もう何も話さなくなってしまいました。動かないし、しゃべりもしない、本当の品物になってしまったんです。ぼくは、彼女の気持ちがわかるような気がします。何もかもを忘れてしまわなければ、生きていけなかったのです。

 ねえ、あの青い魚は、いったい、どこに行ってしまったんでしょうね? ぼくは、彼が死んだなんて、とうてい思えないんです。遠いはるかな大海原のどこかで、木漏れ日のような水の中の光にまといつきながら、ひらひらと楽しげに泳いでいるような気がして、しょうがないんです。

(おわり)





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海・5

2024-08-25 03:06:08 | 月夜の考古学・第3館

「そら、見たことか」
 サビーネが吐き出すように言いました。ぼくはこのときほど、彼女を憎んだことはありませんでした。できることなら、駆け出していって、魚を抱き上げてやりたいと思いました。

「しょせん、品物なんて、何もできはしないのよ。人間のご都合次第で、どうにでもなるのよ」
 サビーネが、少し寂しそうな声で言いました。ぼくはふと、以前近くの棚にいた木彫りの仮面の話を思い出しました。それによると、サビーネは、まるで実の子供のように自分をかわいがってくれた金持ちの女主人が死んだあと、財産分けに集まってきた親類達の手で、二束三文でこの店に売られてきたらしいのです。ぼくは、じんと胸がうずくのを感じました。サビーネはサビーネで、ぬぐうことのできない悲しい思い出を持っているのでした。

 翌朝、魚は、店の掃除に出てきた店員の手で、もとの壁に止められました。夜になって、ぼくは、おそるおそる魚に話しかけました。
「君、だいじょうぶかい?」
 魚は答えませんでした。まるで死んだように、鎖につりさがったまま身動き一つしませんでした。あの輝いていた目も、今では人間の手で不器用に描かれた模様にすぎませんでした。品物たちの間で、ひそひそとサビーネを非難する声が起こりましたが、サビーネも、何も言いませんでした。彼女はかたくなに目をつむって、じっとうつむいていました。旗魚は、溜め息ばかりついていました。

 それから、何か月かが過ぎました。その間に、いくつかの品物が買われていき、いくつか新しい品物も入ってきました。でも、サビーネと旗魚と魚とぼくは、売れずにまだ残っていました。相変わらず、魚は何も言いませんでした。ただ、ときおり、ふと夢から覚めたように、まぶたのない目を虚空に向けて、何かをぶつぶつとつぶやくことがありました。

 どうにかして、もとのきらきらした魚に戻ってくれないものだろうか。ぼくはそう思って、何度か彼に海の話をしてみました。でも魚は、それから一度も、ぼくの話を聞いてはくれなかったのです。

 そして、あれは、そう、あれは、雨の降っている夜でした。ぼくが、憂うつな気分でぼんやり店のシャッターを打つ雨の音を聞いていたとき、いきなり、雷鳴がひらめくように、魚がとんきょうな叫び声をあげました。

「海だ! 海だ!」

 まわりの品物達が、いっせいに魚を見つめました。見ると、魚は、狂ったように壁の上で鎖を振り回して暴れ回っていました。とうとう気が違った、とぼくは思いました。それほど、彼の様子はただならぬものでした。

「わかった! とうとうわかったぞお!」

 そう、彼が叫んだ次の瞬間でした。雨の音がいきなり強く響いたかと思うと、瞬時のうちに、店のシャッターが破裂し、その向こうから信じられないくらいの黒い大きな水が、もの凄い勢いで落ちてきたのです。

 あたりに強い潮の匂いが満ちました。サビーネの甲高い悲鳴が、波の向こうから微かに聞こえました。水はまるで飢えた狼の群れのように店の中をばりばりと食い荒らし、棚やテーブルを瞬く間になめとり、天井の明りをひきちぎりました。

「あああ、うううう海いいっ!」

 旗魚の叫びが響きました。その瞬間、魚の体が、鎖を離れて、空中高く飛び上がったかと思うと、まるで花火のように、ばちっと音をたてて砕けました。青い鱗も細いひれも鎖をくわえた顔も、何もかも粉々でした。そしてそのとき、ぼくは見たのです。ええ、もしかしたら幻だったのかも知れません。だけどあのとき確かに、粉々に砕けた彼の体の中から、一匹の小さな飛び魚が跳ね上がったのです。飛び魚は、ひらひらと空中を飛んだかと思うと、瞬く間に、波の中に消えて行きました。

(つづく)





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海・4

2024-08-24 03:20:56 | 月夜の考古学・第3館

「あんたなんて、そこらの職人がひまつぶしに作ったガラクタじゃないの。使い道がないからしかたなくペンダントにしてもらったんだわ。馬鹿馬鹿しい。ガラクタはガラクタで、おとなしくぶらさがってればいいのよ!」

 それまでざわついていたまわりの品物達が、一瞬、凍りついたように沈黙しました。ぼくは、魚の胸びれが、ぶるぶると小刻みに震えているのに気づきました。

「鎖がなければ、あんたには品物として何の価値もないわ。夢なんて、見るだけむだよ。世間はそんなに甘くないのよ」
 愛らしい目をぎらりと見開き、微かに笑った口をねじまげて、サビーネはわめきました。ぼくは、そんな恐ろしいサビーネの形相をみたことはありませんでした。まるで、彼女は、青い魚を心底から憎んでいるようでした。

「ぼくはガラクタじゃない。魚だ」

 震える声で魚が言いました。すると、サビーネは狂ったようにけたたましく笑いました。
「あっはははは! 魚ですって! たかが七宝焼きの作り物のくせに!」
「やめろ、サビーネ。いくらなんでも言い過ぎだ」
 ぼくは、思わず彼女に向って言いました。すると、彼女はぼくのほうをぎろりとにらみました。気弱なぼくは、それだけで肝が縮んでしまいました。

「さあ、お魚さん、泳げるものなら泳いでみなさいよ」
 魚は、青い体を一層青くさせて、体じゅうの鱗をこわばらせていました。
「ちきしょう、見てろ」
 言うがはやいか、魚はぴしゃりと壁をけりました。魚の体が、ふわりと宙に浮きました。だがそれも一瞬のことで、すぐに鎖が彼を壁に引き戻しました。サビーネは意地悪くクスクスと笑っていました。

 魚は、何度も何度も、壁をけりつづけました。十回目にけったとき、鱗をつないでいる細い鎖が、妙な悲鳴をあげました。
「ああ、やめろ、こわれてしまうぞ!」
 だれかが叫びました。でも魚はやめませんでした。まわりの品物達がかたずを飲んで見守る中、魚は壁をけりつづけました。

 そして、もう三十回はけったかというときでした。なんの拍子か、鎖をつないでいたピンが、不意に外れました。あっと言う間に、魚は鎖ごと床に投げ出されました。

「や、やった!」
 床に落ちた魚は、喜んでそう叫ぶと、今度はひれをめいっぱい動かして、空中に泳ぎだそうとしました。だが、どうしたことか、体が鉛のように重く、どうしても、今までのように泳ぐことができません。
「ち、ちきしょう、どうしたってんだ、こんなはずじゃ…」
 彼は、何度も、挑戦しましたが、無駄でした。

「もうやめろ」
 やがて、おもむろに、旗魚が言いました。
「おまえには、空中を泳ぐなんて芸当はできん」
「そんなはずない! だって、今まではちゃんとできてたんだ!」
 魚は泣きそうになりながら言いました。旗魚は、ふっと溜め息をついて言いました。

「できると思い込んでただけだ。はじめから、そんなことは不可能だったんだ」
「うそだ!」
「うそじゃない。曲がりなりにも泳ぎのまねができたのは、その鎖が、おまえを壁につなぎとめていたからなのだ。壁と鎖が支えてくれなかったら、おまえは地をはうことさえ、できなかったろう」

 声にならない魚の悲痛な叫びが、ぼくに聞こえました。サビーネの冷たいふくみ笑いが、地虫のように、床をはいました。魚は空を見つめたまま、一瞬、ぶるるっと身をけいれんさせたかと思うと、ぱたりと、力なく床に倒れました。

(つづく)





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海・3

2024-08-23 03:09:46 | 月夜の考古学・第3館

「ど、どどうだ、す、すごい、だろ、はあ、はあ」
 しばらくぶらぶらと鎖にゆられながら、彼はうれしそうに言ったものでした。

「ぼくは、きっと、いつか、この鎖と、壁から、逃げてみせる。そして、広い、本物の、海に行くんだ」
「まさか、ぼくらみたいな品物が、生き物みたいに自由に動けるものか」
 ぼくがそう言うと、魚はいらだたしげにひれをふるわせました。
「ちぇっ、つまんないやつだな、君は。そんなの、やってみなきゃわからないじゃないか」
「いいや、ピエロの言うとおりだ」

 ふと、どこからか別の、妙にしんと冷たい声がしました。それは、レジの近くのテーブルの上に置かれた、ガラス製の旗魚の置物でした。
「おまえはまだできて間もない品物だからわからないだろうが、品物と生き物の間には、越えようにも越えられない深い溝があるのだ。品物が生き物のまねをするなど、とんでもないことだ。いつか手ひどいばちがあたるぞ」
「そうよそうよ」
 と、今度はぼくのすぐ隣のブタの貯金箱が言いました。
「馬鹿なことは考えないで、人間のことを話しましょうよ。ねえねえ、今日来たお客がね、三人もあたしにさわったのよ…」

 突然、青い魚は、ぴょんと飛び上がりました。そして、たたきつけるように、大声で反論しました。
「旗魚の、あんたは、海を知らないのか?」

 一瞬、旗魚が、口の奥で、ううっとうなりました。たとえガラス製の置物とはいえ、彼は自分の姿に誇りを持っていました。弓のように曲がった胴体、水しぶきを跳ね上げる鋭い尾、突き出た口、そのどれも、自分だけの最高の宝物なのです。そして、海は…、ああ、魚の形で生まれてきてからというもの、それを夢見なかった日があるでしょうか。胸にしみとおる潮の匂い、体をおおう無尽蔵の水、銀色の木の葉のような魚群、その向こうに見える木漏れ日のような淡い金色の日の光…、かなうのなら、この硬いガラスの体など脱ぎ捨てて、自由にあの海を泳いでいきたい…。

 でも、それはしょせん、夢に過ぎないのです。ガラスはガラス、どうあがこうが、本物の魚にはなれないのです。

「今にわかるさ」
 旗魚はそうつぶやいて、あとはもう何もいいませんでした。

 それから、青い魚は、毎夜のごとく、何とかして壁から離れようと、鎖をひっぱりつづけました。尾びれで壁をうち、その反動で空中に飛んで、ピンから鎖を外そうとしたり、鱗がきしきしと鳴るほど力をこめて鎖をちぎろうとしましたが、どうしても、壁は彼を離してくれませんでした。

「ぼくは海にいくんだ」

 そう言いながら、彼は、まるでとりつかれたように、もがき、あがきました。

「君、そんなにむちゃをやってると、しまいにはばらばらになってしまうよ」
 最初のうちはまわりの品物たちも、心配してあれやこれやと忠告しましたが、しまいには彼の強情にあきれて、何も言わなくなりました。ただ、旗魚だけが、悲しげに彼を見つめていました。

「ばかみたい、そんなことして、何になるの」
 ある夜のこと、突然、鉄琴を鉄棒でたたいたような甲高い声が言いました。それはサビーネでした。

(つづく)






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海・2

2024-08-22 03:48:53 | 月夜の考古学・第3館

 午前二時を過ぎたころなど、うるさくてしょうがないくらいに、ぺちゃくちゃとしゃべっています。中でも一番うるさいのは、西側の棚にならんだ、貯金箱やマスコット人形などの小物たちでした。

 一番奥の棚には、金髪のサビーネという大きな古い陶人形が座っていました。店の中でも一番高価な彼女は、ぺちゃくちゃと小うるさい小物たちを、安っぽいやつらと言ってさげすんでいました。彼女は以前、お金持ちの家にいたこともあり、ことあるごとに、今自分が町はずれの小さなプレゼント・ショップにいる境遇を嘆いていました。

「ああ、本来なら、わたしはこんなところにいる人形じゃないのよ」
 それがサビーネの口癖でした。

 店には、ほかにも色々な品物がいました。ガラス製の旗魚(かじき)の置物や、中国製の泥人形、革のポシェット、ベネチアのカーニバルの仮面、剣の形をしたペーパーナイフ…。でも、彼らの考えていることは、みな、ほとんど同じでした。少しでも、ほかの品物よりもましな人間に買われること。それだけだったのです。だけど、中にひとつだけ、変わった品物がいました。それは、小さな青い魚のペンダントでした。

 彼は、東側のビロードをはった壁の一画に、ピンで止められて、吊り下げられていました。彼の一センチ余りの小さな体には、細かい細工がしてあり、尾びれや胸びれや、青いきらきらとした鱗を、ある程度自由に動かすことができました。

 彼のいた壁は、ぼくのいたところからわりと近かったので、ぼくはよく魚と話をしました。彼の話はいつも、海のことばかりでした。

「ねえ、君、海って、知ってるかい? それはね、とてつもなく大きな水のかたまりで、生きた本物の魚が、うようよといるんだ」

 海のことを語るとき、彼の目はきらきらと輝いていました。そんな彼の夢を見るような目を見ていると、ぼく自身も、見たこともない大きな海が、頭の中に広々と広がるような気がしたものでした。

「すごいなあ、うん、すごいなあ」
 ぼくがあいづちをうつと、魚はとても喜んで、たくさんの海の話をしてくれました。まるでロケット噴射のように、海の中を突き進んで行くヤリイカや、山のように大きなクジラや、無数の真珠のように、激しい海流の中を躍る泡の群れなど、こんな小さな七宝焼きの魚が、いったいどうして、こんなに多くのことを知っていたのでしょうか。多分、彼を作った名もない職人が、心をこめて彼を作ったからだと思います。少なくとも、今のぼくはそう思います。

 そんなある夜、七宝焼きの青い鱗をふるわせながら、彼はぼくに言いました。

「ぼくは、こんなふうに体を動かすことができる。やろうと思えば、このまま空中を泳ぐことだってできるんだ。ほら、見ろよ!」

 細い銀色の鎖を精一杯引っ張って、彼はしきりにしっぽを動かしました。すると、やがて、まっすぐにたれさがっていた鎖が、棒のようにぴんと張ったままゆくりと壁を離れ、上に持ち上がりはじめるのです。壁と鎖の為す角度が、初めは五度くらいだったのが、やがて十度になり、二十度になり、三十度になります。そしてもう少しで四十度になるというときに、不意に鎖がゆるんで、魚はぱたりと壁にぶつかりました。

(つづく)





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海・1

2024-08-21 04:15:40 | 月夜の考古学・第3館

 ああ、これで、やっとものを言うことができる。ありがとう。ぼくは長い間、ぼくのネジを巻いてくれる人を待っていたのです。

 おや、ずいぶんと驚いていますね? 無理もないかもしれません。あなたのように自由に動く手足を持った人間からすれば、ぼくは単なるオルゴールについたピエロの人形なのですから。

 少しは、落ち着きましたか? ふふ、でも、あなたもおかしな人ですね。こんな夜更けに、一人で部屋に閉じこもってお酒を飲みながら、オルゴールのネジを回すなんて。…あなたも寂しいんですね。

 ああっ、ごめんなさい。そんな、からかったわけじゃないんです。ただ、ぼくはあなたに話を聞いてもらいたくて。ぼくも、ずっと一人だったものだから。今までだれも、ぼくのいうことなんか聞いてくれなかったから…。

 ありがとう。ぼくを買ってくれたのが、あなたのような人で、本当によかった。

 じゃあ、少しの間、ぼくの話を聞いてください。ぼくにとって、生涯で一番の友達だった、一匹の魚の話を…。



 ぼくは、あなたに買われるまで、ずっと長い間、あの店の棚のすみっこに立っていました。だれも知らないけど、ほんとは、あの店の主人のおじさんが、小さな赤ん坊だったころから、あそこにいたんですよ。だから、ぼくはあの店の長老格でもあるんです。もっとも、だれもそんなふうに思ってはくれませんでした。こんな安っぽいブリキの人形なんて、だれも重くみたりなんかしませんよね。

 ぼくのいた店は、小さな古いプレゼント・ショップでした。人形や、置物や、種々のアクセサリーや珍しい外国の民芸品などが、棚や壁やテーブルにぎっしりと並んでいました。黒光りする古い木の天井には、ランプをかたどった暗い明りが下がっていて、見えない布でぼくたちを包むように、静かに店内を照らしていました。それは、ぼくたちが知っている、この世でただ一つの光でした。

 あなたも一度見て知っていますよね。でも、あの、もの言わぬ品々が、人間が寝静まった真夜中に、ひそひそと話をしているなんてことは、全然知らないでしょう。

(つづく)





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2024-08-20 05:07:06 | 月夜の考古学・第3館

まえがき


これは、かのじょが27歳のころに書いた、初期の作品です。

人生の最も厳しい試練の時期に、童話作家として自分を立て直そうと志してから、初めて書いた作品です。

主人公のモデルは、そのころに手に入れた小さな七宝焼きのペンダント。

初期の作品は、未熟で足りないところも多いと、かのじょは発表することをしぶっていたのですが、今読み返すと、とてもおもしろいファンタジーなので、わたしたちはこれを発表することにしました。

後々、月の世の物語で発揮したかのじょの高い表現力の片鱗が、この作品にも見えています。

明日から、6回に分けて発表します。

お楽しみに。





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冬のおわり

2024-08-10 03:20:57 | 月夜の考古学・第3館

素直になりたいと思った
嘘はいやだと思った
日常のいらだちの中で
本当のことを語りたいと思った
塵や垢のように脳細胞にまとわりつく
行方のない想いとではなく
人間と
語り合いたいと思った

井戸の底からわきあがる
どうしようもない想いを
鎧の外へ出してはいけなかったのか
瞳で語ってはいけなかったのか
振り向いてはいけなかったのか
だれかが落とした言葉のかけらを
拾ってゆっくりと見てはいけなかったのか

ああ、いけなかったのだ
もしそのまま眠っていたかったのだとすれば
つむっていた目をあければ
夢が覚めるとわかっていたのに
わたしはもう目をあけてしまった
わたしはもう見てしまった
優しさの仮面に隠れた
氷のように冷たい息
ふしめがちの目の中に見え隠れしていた
小さな恐ろしい蛇

そんなものを
なぜ見てしまったのだろう
たぶんそれは
あなたに出会ってしまったからだ
あなたの目は嘘をついていなかった
わたしの浅薄な仮面を透いて通ってしまうほど
あなたの目はまっすぐだったのだ
わたしは、あなたの目で引き裂かれた
仮面の下から血膿が流れ出るのが
心地よくなるほど
わたしは引き裂かれ
そしてわたしにもどってきた

もう、目をそらすのはやめよう
もう、自分の心から逃げようとするのはやめよう
わたしはたぶん、きらわれものだ
きらわれるのは
本当のことを見ようとするからだ
人が見られたくない所まで
見てしまうからだ
だから見ないようにしてきたのに
気がつかないふりをしてきたのに
もうそれができなくなった
うそっこの笑顔ができなくなった
あなたと笑顔をかわしたから
あなたの瞳があんまりに
わたしをきれいに映しかえしてくれるものだから

求め続けていたものが
不意に目の前に現れるのが
どうしてあんなにこわかったんだろう
ただ手をさしだせばよかったのに
ああ、わたしは
真正面から見ていたはずなのに
いつの間にか背を向けていたんだね
人から聞いた優しさの形を受け入れて
自分自身の寂しさに耳を傾けなかったんだね
空を見上げればいつだって涙が出たのに
傷をつけたら熱い血が溢れ出てくる柔らかい皮膚を
わざわざ言葉の蝋で固めて
わたしは人形になっていたんだね
こんな簡単なこと
とうの昔にわかっていたはずなのに

明日からわたしは
もとのわたしに戻ろうと思う
ひとりで歌をくちずさんで
ひとり楽しむ楽しさを知っていたころに
戻ろうと思う
言葉がわたしにかたりかけてくれた
流れる涙の意味を一生懸命に探した
子供みたいに馬鹿なわたしに戻ろうと思う
そしでできることなら
あなたといっしょにいきたいと思う
何もできなくて
欠点だらけのわたしだけど
たとえだれより遅くたって
一つ一つ学んでいくから
一生かけて
いい人間になるから

何かが違うという思いにとりつかれたら
それから逃げない方がいい
今は何も見えないけれど
きっとどこかに道はある
たとえ間違えたって、引き返せる
自分の目が生きている限り
信じられるものを持っている限り
友達はきっとどこかにいる

さようなら
もう後ろは見ない
もう嘘をほんとだと思うふりはしない
もうひかえめな言葉の下にひっこめられた光る刃を
怖がりはしない
嘘つきだった人の胸に隠れた
暗く果てしない荒れ地を
耕さなければならないと思い込んでいる
果てしない畑を
だれが照らしてあげられるかはわからないけど
たぶんそれはわたしではない

くりかえしくりかえし
積もる雪をかきわけながら
わたしはふきのとうのように
今日、一つの冬と決別するのだ




(1989年)





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