それからどうなったのか、ふと目を覚ますと、床に、青いかけらが散らばっていました。それは魚の残骸でした。だけど店の中は、変わった様子はありませんでした。品物達もきちんといつもの棚の上に並んでいました。昨夜見た海は、あれは、夢だったのでしょうか?
「おい、き、君、死んだのかい?」
おそるおそるぼくは言いました。と、絞りとるような微かな声が聞こえました。
「死んだのではない。脱ぎ捨てたのだ」
それは旗魚の声でした。
「…わしは、やつのように、真摯に夢を信じることができなかった…。たとえかなわぬ夢でも、深い心の奥で信じて生きてさえいれば、それだけで、よかったのに…」
そのとき、彼の青い透きとおった体の中に、細い光が走るのをぼくは見ました。それは、まるで生き物のような。微かな暖かい振動でした。
ぼくの話はこれで終わりです。長い間聞いてくれてありがとう。
そうそう、言い忘れてましたが、あのあとすぐ、旗魚は元客船の船長だという老紳士に買われていきました。
「こいつには、どこか、海がしみついている」
紳士はそう言っていました。
え? サビーネのことですか? 彼女は、あれから、もう何も話さなくなってしまいました。動かないし、しゃべりもしない、本当の品物になってしまったんです。ぼくは、彼女の気持ちがわかるような気がします。何もかもを忘れてしまわなければ、生きていけなかったのです。
ねえ、あの青い魚は、いったい、どこに行ってしまったんでしょうね? ぼくは、彼が死んだなんて、とうてい思えないんです。遠いはるかな大海原のどこかで、木漏れ日のような水の中の光にまといつきながら、ひらひらと楽しげに泳いでいるような気がして、しょうがないんです。
(おわり)