世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

大晦日

2016-12-31 04:20:11 | 冬の日差し・夏の月

さて、大晦日です。今年もいろいろなことがありましたね。皆さんにはどのような年でしたか。

わたしは、定期的にここに戻ってきますが、ほとんどはほかのところで、ある活動をしています。詳しく言うことはできませんが、その活動のせいで、かのじょを馬鹿にしていた人たちがどういうことになったのかを、かなり知っています。

悲しいということもできないほど、愚かなことになっている。馬鹿というものは、何もわかっていない。わかっていないのに、なんでもわかっていると思って、あらゆることをしてしまう。調子にのってやったことが、返って来た時に、いつも呆然として、何をすることもできずに、法則の渦に飲まれてしまう。

そこを乗り越える一番いい方法は、自分の過ちを認めて神に謝り、心を改めてやり直すことなのだが、馬鹿はそれだけは絶対に嫌だというのです。

嘘で守っている自分が、痛すぎるのです。本当のことがばれるのが、一番つらいのです。そんなことなど、馬鹿になってやめてしまえば、なんでもないことなのだが、なかなか浸っている闇の世界から出てこようとしない。

あなたがたは、女性とセックスをすることが、本気で守らねばならない牙城だと考えているが、それも、人間として進化してしまえば、あまり重要ではないことになるのですよ。セックスは大事なことだが、それをやらなくても別に苦しくはないというものになってくるのです。本当ですよ。

セックスが最重要なことになってしまうのは、人間の自分があまりに苦しいことになっているからなのです。男性は、自分がたまらなく嫌だから、女性の美人が神のように美しく見えて、激しくそればかり追いかけてしまうのです。

今年は申の年でした。象徴的ですね。来年は酉だ。猿のように、動物的な欲を乗り越えて、鳥のように真実の世界に飛んでいくのだと、読むこともできる。

馬鹿は、人間の可能性がずっと広く深いことを知りません。今自分ができないことをするのがいやで、過去の世界にばかり閉じこもっている。そこから出ようとしない。彼らのすることはみな、新しく見えるようで、過去にあったものの焼き直しばかり。

本当に新しいものは何もない。

新しい年が明日やってきますが、来年こそは、新しいものがきっかりと世界に灯る年になってほしいものです。





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ポーラースター・システム

2016-12-30 04:18:03 | 冬の日差し・夏の月

これは、ルイ16世の処刑の様子を描いたイラストです。嘘と盗みで馬鹿なことをした偽物の王様でしたが、むごいですね。

本当は、人民はこんなことをしてはいけなかったのです。いくら馬鹿な王様でも、こんなことまでしてはいけなかった。一番良い方法は、引退させて、次の王を立てて、その周りをよい臣下で固めてなんとか政治を正しく直していくという方法でした。

そのほうが、人民の苦しみが少なくて済むのです。

人民は、衆愚の中で狂っているだけで、正しいことが何なのかを、わかっているわけではない。啓蒙思想家も、人民を愛しているわけではない。革命の後に起こった恐怖政治がそれを物語っている。愛がなければ、政治は恐怖になる。

ナポレオンが出なければ、フランスは衆愚の中に乱れに乱れて、滅んでいたのです。幻の王権を何度も立てるが、そのたびに人民にひっくり返されて何もなくなってしまう。その混乱に乗じて、他国に攻め入られて、国が滅んでしまう。そういう運命になるところだったのです。

そうなれば、フランス人は他国人に奴隷のように扱われ、まるでユダヤ民族のように、各国を放浪する身になっていたかもしれないのです。

ナポレオン・ボナパルトは、偽物の男でしたが、イタリアから輸入した、イタリア的王権なのです。それで、確かな政治の支柱を作って、フランスの政治を何とかしたのです。それが、レオナルドという天使のしたことでした。

政治の中心には、王のような存在が必要なのです。神の愛の代理ができる、高い人格が中央にいてこそ、高い能力を持った人間が存分に生かされ、人民を幸福にする活動がいくらもできる。

王制は廃れたが、北辰ということばは、人類の希望になるでしょう。





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チャールズの心臓

2016-12-29 04:44:40 | 冬の日差し・夏の月

コル・カロリとはチャールズの心臓という意味です。男性の、本当の気持ちという意味で、彼はこれを名乗っているらしい。

コル・カロリは、アルヤに引きずられるような形でまた出てきました。本当は、彼のようなやさしい天使は、あまり出て来てはいけないのですよ。ほかの、ゾスマやアンタレスのような厳しい天使が、きつく言い渡しているからです。

だからコル・カロリは、すぐにいなくなりました。あまり出て来ては、あなたがたのためにならないし、余計なことをしすぎると、獅子が怒りますから。

今は、獅子の星や、プロキシマが主となって、天使の活動を率いているのです。

男が女を愛するのは、本当はとても単純できれいなものなのだが、それができない男が多すぎる。それをコル・カロリは愛してくれるようです。こんな風にすればいいんだよという、見本を見せてくれる。

威張らないほうがいい。かわいい弟の振りをして、女の子を素直に愛すればいいんだ。いいことは何でもしてあげて、抱きしめたくなる気持ちを限界まで我慢して、馬鹿になって、愛してるって何度でも言って、いいところを何度でもほめてあげて、喜んであげればいい。

それで、女の子に馬鹿にされて、死ねばいいなんてことを言われたりしたら、喜んで死んだらいいんだよ。

コル・カロリはそういう天使なのです。





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幻の少女たち

2016-12-28 04:18:53 | 冬の日差し・夏の月

今日は、アルヤに敬意を表して、幻のように美しい、マグダレンの絵です。イエスの体に塗る香油の壺を持った、美しい女性です。

アルヤはこのように、とても女性的でやさしい天使です。男の人ですが、まるでおばさんのようです。小学校の先生によくいる、とてもやさしい女性の先生を思い出してください。そういう人が天使になると、こんな感じになるのかという方なのです。とても美しい。

本当のことを言うと、アルヤは、もう長い間、人類の天使を休んでいたのです。遠い昔に、とてもつらいことがあって、長いこと、この世界に生まれてくることができなくなっていたのです。ですが、この時代、とうとうかのじょがだめになってしまったので、長らく留守にしていた、人類の天使の席に、戻って来てくれたのです。

自分なら、何とかなるからです。人間が自分に馬鹿なことをしないように、痛いことをしてくれる友人がいるからなのです。もちろんすぐには引き受けてはくれませんよ。何度も頼まなければいけません。天使だとて、無条件になんでも引き受けてくれるわけではないのです。

アルヤは、この時代から、新たに人類を愛していく活動をしていくために、ある友人に、何度も頭を下げてくれたのです。その人が、助けてくれることを引き受けてくれたので、彼は活動を始めたのです。

あなたがたは、愛というものが、どういうことを影でしてくれているかということを、知らなければなりません。

一枚の服を自分に買ってくれるために、親がどんな苦労をしてくれたのかを、学ぶように。





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月を釣る

2016-12-27 04:18:24 | 冬の日差し・夏の月

今年は、いろいろな天使が、夢幻詩語にお話を書いてくれました。読むと、それぞれに、作者が違うのがわかるでしょう。

特にウルトラマン・キオは面白かったですね。ゾスマの美しさが出ている。彼でなければ、あの美しい巨人のイメージはできなかったでしょう。あなたがたも、キオは気に入ったようだ。

かのじょが残してくれた愛を、わたしたちはできるだけ美しく育ててあげたい。麗しいかのじょの心の池から、月を釣り上げるように。

わたしが気になっているのは、ウォルターとジンジャーのことです。このかわいいカップルに、かわいい話を書いてあげたいという思いがあります。かのじょが描いていた絵では、ジンジャーは赤っぽい髪と、緑色の目をしていましたね。彼はブスっぽいと言っていましたが、そんなことはない。とてもかわいい娘です。

ウォルターより自分の方が背が高いことを気にしている。女の子には、時々、男の子よりも先に自分が進歩してしまったことを、悪いことのように感じてしまう子がいます。男の子が、女の子の方が大きいということを気にして、苦しがるからです。そういう男の子の気持ちを感じられる子は、できるだけ背が低く見えるように、彼の前では微妙に膝を折ったりするのです。

かわいいですね。そんな心がやさしいから、女の子は進歩してしまう。男の子は、がんばらなくてはいけません。どんなにいっぱしぶっても、女の子の心がわからない限りは、まだまだ子供です。

いろいろなエピソードが浮かんできそうだ。このかわいい子たちを、本当に幸せにしてあげるためには、どうしたらいいだろう。

いつか、ウォルターとジンジャーのお話が、できるかもしれません。





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動物たち

2016-12-26 04:18:33 | 冬の日差し・夏の月

今年は、ベネトナシュが新しいブログを始めてくれました。素敵な動物の絵を、毎日あげてくれます。それに敬意を表して、今日はゾウさんの絵です。かわいいですね。

彼は動物が好きなのです。愛らしい。本当の自分を、真っ正直に、精いっぱい生きている。いろんなことを味わっている。感じている。すばらしい存在が、中にいる。

動物というものは、どういうものであるか、知っていますか。人間のようにものをいうことも、複雑なものを作ることもできないからと言って、彼らは馬鹿ではありません。

彼らも、この地球創造活動に大きく貢献しながら、豊かな自己活動を行い、様々に勉強している、すばらしい神の創造なのです。

いろいろな段階の魂がいます。まだ上手に生きることができなくて、霊魂は肉体の中に鎮座しているだけで、誰かが生きてくれている自分を、ただ見ているだけという動物もいます。今はまだ、そういう勉強をするという段階なのです。

またある動物は、自分で歩くことができます。自分で食べることができます。ですけれど、ほかのオスと戦うときは、誰かにやってもらっています。まだ、戦うことはできないからです。それはそういう勉強をしている段階の魂なのです。

また動物でも、人間より高い段階の霊魂を持ったものもいます。そういうものは、自然界の中にいても、とても不思議な仕事をしています。

いろいろな動物がいます。中には、段階的に、自然界がとても困ることをしている動物もいるんですよ。人間ほどではありませんが。

このように動物たちは、いろいろな先達に守られて、指導してもらっている、かわいい存在なのです。自己存在の創造活動とは、こういうものなのです。地球はそういう場所なのです。

この地球世界にはまだ、あなたがたのまるで知らないことが、たくさんあるのです。知りつくそうとしても知りつくせない。おもしろい真実がふんだんにあるんですよ。

またいろいろなことを教えてあげましょう。






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ダイアナ

2016-12-25 04:18:51 | 冬の日差し・夏の月

ダイアナを描いた絵を見つけました。こうしてみると、本当にかわいらしい女性だ。暖かな愛が、この人の中にあるのがわかる。

ですがこの絵を見ると、少し苦しい気持ちにもなります。きれいな服だけど、もっと似合う服を着せてほしいという気持ちになる。

ダイアナは、こんなおとなしいドレスよりも、もっと快活さを感じる明るい服がいいと、わたしは思うのです。

わたしなら、彼女の良さがもっと映えるような、明るくて、機能的で、すばらしくセンスのいい服を着せてあげるのに。

彼女を愛していたら、だれでも自然にそんな服を選ぶだろうに。

王宮というところは、とてもつらいところだったのでしょうね。驕慢と虚栄にまぎれて、とても痛いものが隠れている。上等な美しい服に見せているけれど、この服はまるでお仕着せの鎧のようだ。

いいことをしてあげるふりをして、ダイアナの本当の美しさを殺している。

あの人を本当に愛してくれた人は、きっとあそこにはいなかったのでしょう。

今日はクリスマスですね。サンタからプレゼントはもらいましたか。うれしかったですか。誰かに愛をもらうことは、とても幸福でしょう。

その気持ちを、ほんの少しでいいから、ダイアナにも分けてあげてください。こんなきれいな人を、不幸せに死なせてしまったことを、何も悔いないでいてはいけない。愛していると、言ってみてください。

心の中で、もっと彼女に似合う服を、着せてあげてください。





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イヴ

2016-12-24 04:19:30 | 冬の日差し・夏の月

さて、今日はクリスマス・イヴです。今年も誰かにプレゼントは用意しましたか。
誰かに堂々とプレゼントができる日があるのは、うれしいですね。

彼、試練の天使は、かのじょの人生を引き継ぎましたが、子供たちにクリスマスプレゼントをあげる習慣はもうやっていません。なぜというに、天使がそんなことをすると、ちょっとつらいことになるからです。

かのじょはずっとそんなことをやってきましたけどね。母親ですから、当然だと思ってやってきたのですが、そういう、普通の人間のおかあさんがやることを、ずっとやってきたせいもあって、とうとう、人間のためにあらゆることをやりすぎたことになって、人類の天使としてやっていけなくなったのです。

こういう時代ですから、仕方のないことだったとはいえ、結末はとても悲しかった。だから彼は、子供にプレゼントをしてあげたくても、しないのです。子供たちも、なんとなくわかっている。特に末の子は、母親の愛を十分に拒否してくれます。彼にはわかるのです。天使の母には愛してもらってはいけないことが。

この人間世界は、人間が、愛を学ぶためにあるのです。人間が、愛を発してやらねばならないことを、天使がやりすぎてしまうと、人間の方が大変なことになるのです。愛の世界の決まりには、いろいろなことがあるのですよ。それをこれから、たくさん学んでいかなくてはなりません。

神からいただいた頭や手や足を使って、愛することができるときは、存分に愛してあげなさい。それをする時間くらい工夫すればあるのに、PTAの役員をしないのは、とんでもない損ですよ。子供たちのプレゼントを買うのにも、十分に時間をかけて悩みましょう。喜んでもらいたいという気持ちを表現できる品物を、十分に吟味しましょう。

愛することができるのに、愛さないのは損だ。後で絶対に後悔する。なぜあの時、もっとあの人のためにやっておかなかったのかと。

過ぎてしまった時間は取り戻せない。今、愛している人がいて、その人のために何かができるのなら、進んでそれをやりなさい。愛する人を愛せる時を、逃してはならない。

クリスマスは、そんなこと考えるのに、とてもいい日です。





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眠り姫

2016-12-23 04:18:28 | 冬の日差し・夏の月


かのじょは今眠っています。薔薇のようなものに守られて、静かに眠っています。それには棘はありませんが、しっかりとかのじょを守ってくれている。

かすかに笑っているようにも見えます。わたしたちが時々美しいイメージを送ると、わずかに反応する。

霊魂というものは、常に活動しているものですが、その活動が今異常に低いところに落ちている。神がすべてを支えてくださっている。

消えてしまったわけではない。確かに存在し、生きているが、無理に無理を重ね過ぎれば、天使もこういうことになってしまうのだと、そういう例が、わたしたちの中にもできてしまったのです。

悲しむことはない。これはかのじょにとって、今は一番いいことなのです。わたしたちが今やっていることも、あなたがたが味わっている試練も、かのじょは何も知らないほうがいい。目覚めたときには、かのじょは故郷の自分の家にいて、すべてを忘れている。

レグルスがそれをやってくれたとき、わたしは戸惑いましたが、今ではあれが一番よかったのだと思っている。確かに、覚えていれば、かのじょの苦しみは大きすぎたことでしょう。

かのじょがあなたがたと生きてきた日々には、美しいこともたくさんあった。だがそれらも、今はもう何もない。

そのほうがいいのだと、神がお思いになるまで、あなたがたは痛いことをやりすぎたのです。

悲しみを感じていることでしょう。ですがいつかあなたがたもきっと、かのじょが何も知らないでいてくれた方がよかったのだと、思うことができるようになるでしょう。





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冬至の次の日

2016-12-22 04:20:37 | 冬の日差し・夏の月

お久しぶりです。スピカです。年末が来たので、帰って来ました。

今年の冬至は昨日でしたが、22日がかのじょの実母の命日なので、今年もこの日から始まります。

かのじょの実母は悲しい人でした。天使の母親になった人で、我が子を捨てたのはこの人だけです。ですからこの人は、霊界に退いた後、とても大変なことになっています。この人に捨てられたことで、かのじょはとてもつらいことになったからです。

かのじょはあなたがたに美女の見本を見せにきた天使でしたが、かのじょの実母はその正反対の人でしたね。とてもきれいな人でしたが、偽物でした。他人から盗んだ顔が美しすぎたので、人生が破たんしてしまったのです。こういう例は、よくあります。

本来あまり美しく生まれないはずの女性が、盗みをして美しく生まれてしまうと、それを鼻にかけて、人生を甘く見て、男を簡単に乗り換えて、馬鹿なことばかりして、年をとって美貌が衰えてくると、男にも捨てられて、子供に頼ることもできず、誰にも相手にされなくなり、とうとうひとりになって、悲しく死んでしまう。

そういう例はたくさんあるのです。

かのじょを誤解した人は、かのじょの母親がこうだったので、かのじょもこうなると思っていたでしょう。だが天使というのは人間ではない。実母の業を引き受けるような存在ではないのです。かのじょがあの人の娘として生まれてきたのは、神の導きです。

あなたがたはこの母娘を通して、あまりにも深いことを学べるのです。

天と地どころではない。神とトカゲくらいなほどに、違う。人間と天使では、存在の質が違うのです。人間は業をひきずるが、天使はみごとに業を取り換えることができるのです。あなたがたとわたしたちでは、できることの質が違うのです。

あなたがたは、暗いものに反応してどうしようもなくそれにひきずられることがある。それにはあなたがたの本質に基を発している何かがある。

悲しいものではありません。そこから何かが発達して何かになっていく何かがあるのです。

それをこれから、勉強していきましょう。







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