世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

見えない空気

2018-08-09 04:16:40 | 黄昏美術館


イワン・クラムスコイ

原題「夫人の肖像」


これは全部を嘘で作り上げた女性である。顔も体つきもすべて人から盗んだものだ。この中にいる本人の本来の姿は、もっと貧相で、これとはまったく違う姿をしているのである。

身分のありそうな服を着て、真に迫って自分をやっているが、それ自体が芝居なのである。本当の自分はこんなものではない。苦い事実がいくつもあるはずである。見かけからは考えられないようなことを、この女性はいくつもしているはずだ。

だからなんとはなしに、まるでキツネが化けているような、胡散臭い空気をまとっているのである。

画家はその空気をもみごとに描き切っている。

嘘でつくりあげた人間には、いつもこの見えない空気がまとわりついているのである。






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ボクサー

2018-08-07 04:16:02 | 黄昏美術館


コンスタンティン・ソモフ


顔と肉体があっていない。これは霊的技術で人工的に美しい肉体をつくったことが如実にわかる例である。

普通こういう顔をしている男はもっと細い。筋肉も薄い。それは目が弱いことでわかる。筋骨隆々とした男は普通目も強いのだ。

目が弱いのにこれだけの体をしているということは、他人から盗んだ筋肉を自分につけているからである。骨組みが小さいのを筋肉を厚くしてごまかしているのがわかる。こういう肉体は、現代のスポーツ選手などに多い。一見美しいが、何やら気色悪さを感じるのは、完全に嘘だからである。こんな顔にこれだけの筋肉がつくはずはないのだ。

近現代の人間は、こういうふうに、肉体改造をふんだんにやっているものが多い。

あまりに自分がつらいことになっているのだ。人間は長い人類史を通して馬鹿なことをやりすぎた。それゆえに本当の姿が実に貧しく醜くなってしまっている。

その本当の姿がいやなばかりに、技術を弄してこのような人工的な美形を作りまくっているのである。






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溶けて来た顔

2018-06-29 04:18:27 | 黄昏美術館


アレクサンドル・イリチェフ

原題「ジャコメッティ」


彫刻家アルベルト・ジャコメッティの肖像らしい。よくいる偽物の芸術家である。

人間は、肉体を霊魂の姿に近づけるために、霊体にある種の霊的技術を施している。その技術の顔の部分を他人から盗み、自分の霊体の顔にくっつけ、全然自分とは違う顔になるということを、馬鹿は昔から繰り返している。

その技術が、馬鹿になってくると、こういう感じになるのである。本人が、顔を剋するような馬鹿なことをしたため、顔が腐って来るのだ。

ジャコメッティは針金のような人間の彫像を作って芸術家として名をなしたが、その名声も芸術も偽物だった。本霊は何もせず、活動はほとんどバックの霊界にいる他霊にやってもらっていた。いかにも重いことをやりそうなこの顔は、他人から盗んできたものである。本人の本当の顔は、もっと貧相で子供じみている。

大人として痛いことができそうなこの顔を、本人が子供じみたことをすることによって、傷めたのだ。だからまるで顔が今にも溶け落ちそうなほど、おかしなことになってくるのである。






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恐ろしい詐欺

2018-06-26 04:17:56 | 黄昏美術館


アルマン・ポワン

原題「マダム・ベルトロの素描」


これは詐欺である。すばらしく優雅な形に髪を結い、美女の容をしているが、目を見れば、こういう高い段階の暮らしができる霊魂ではないことがわかる。

この魂は、もっと下賤な世界に生まれるべき魂なのだ。そういう環境で忍耐や共同作業の基本的修行をせねばならない。しかしそれがいやなばかりに、霊的技術を弄して自分以外の人間になり、無理矢理よい家庭に生まれてきたものと思われる。

あからさまに他人を敵視しているような目だ。実質内面では嫉妬の炎を抑えることもせず、他人への憎悪を営々と育てているのであろう。どういう経歴の女性であるかは不明だが、周囲に害を及ぼさない人間ではあるまい。

こういうのを、妖淫という。馬鹿が高貴な身分に生まれてくると、よくこういうものになる。なんでも自分の願いが叶うと思い込み、あらゆる害を吹きだす、おそろしくいやな存在になるのである。

このような人格に神秘を感じてひっかかる男も多い。しかし引っかかると大変な目に合わされる。

存在自体が詐欺だという女性である。






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反転の自己

2018-05-28 04:16:49 | 黄昏美術館


フランツ・フォン・シュトゥック

原題「自画像」。


この画家は心を閉じている。あまりにこの世界が苦しいからだろう。自己活動のほとんどを守護霊にまかせている。そしてその表現に自分が加担するという、ほとんど、本霊と守護霊が逆転したかのような活動をしているのである。

ゆえにこの画家の作品群には常に異様な苦しさがつきまとう。本霊が常に、これらは自分の作品ではないことを感じているからだ。

シュトゥック自身は、もっと繊細な絵を描く画家なのである。だが彼の守護霊は大胆な構図を描く。それもまたよいが、自分とは違う絵を自分が描くのが、本霊にはきついのだ。

馬鹿と矛盾の吹きすさぶ世の中を、芸術家の魂を守って生きるための、これは彼が選んだ方便だろう。できあがった作品は実におもしろいものになっている。大胆な構図の中に、繊細で奥ゆかしい魂のおののきがあるのだ。

本霊は美しいものを描きたいのに、守護霊はなかなかそれをしてくれない。彼の守護霊は、矛盾の世の中でもある程度生きることのできる痛い人格なのだ。それにまかせていれば、自分はそれほど傷つくことはない。だが思うように自分の表現はできない。

人間の、自分というものが、おそろしいほど歪んでいた時代を生きようとした、繊細な魂の、これはひとつの試みなのである。

この自画像は、自分を描いているようで、自分とは違う人間と、奇妙に融合した不思議な人格を描いているのである。





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破壊

2018-05-27 04:17:08 | 黄昏美術館


ルイス・ウェルデン・ホーキンス

原題「マスク」。


整った顔をしているが、目つきが恐ろしい。

何かを破壊してやろうともくろんでいる顔である。

馬鹿な女はこういう顔をすることがある。人の心を勉強していない者は、単純な動機であらゆるものを破壊しようとする。自分に危険を及ぼすものはすべて破壊せよと言う、動物的エゴの装置の中に生きているのである。

そういう未熟な魂が、他人から美女の形を盗む時、こういう妖怪的に醜い女ができるのだ。

他人の顔で隠している本当の顔は実に醜いが、実際はまだそのほうがましなのである。

美女の顔をかぶって、恐ろしい魔的な表情をすると、醜悪というより、破壊的なのだ。

愛がすべてを裏切り、破壊しようとしているという、恐ろしいメッセージを投げているからである。

顔と中身が違いすぎると、こういう恐ろしくいやなものができるという例である。






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偽物の顔

2018-05-26 04:17:31 | 黄昏美術館


リン・フォアークス

原題不明。


人類は今、ほんとうの自分の姿をいやがり、おおかたの人間が、他人から盗んだ顔を自分の顔に貼りつけて生きている。

その姿を、霊界から見ればこういう感じに見えるという絵である。

こっちの側から考えれば、高等な技術のように思えるが、実情はこういうことなのだ。神が人間の姿を作ってくださる時の技術を、他人からはぎとって、ほかの人間に貼り付けるだけなのである。

本人はこのことに一生気付かない。だがバックの霊界から見ている守護霊や、勝手に人生を改造してる馬鹿の霊は、本人のこういう姿を常に見ているのである。

あまりにも馬鹿らしい。

とんでもない嘘なのだ。

しわくちゃの饅頭のような顔をしたブスが、目の覚めるような美女の顔をつけていることもある。その女は他人の顔を自分だと信じて、ずいぶんと自信たっぷりにものをいうのである。他人への態度も高飛車だ。

平気で人を馬鹿にする。

馬鹿は常にこういうことをしてはばからないが、このさまをずっと見ていると、いやにもなってくる。だから時に、バックの馬鹿の霊がいやになって本人のための活動を突然やめたりすることもある。

嘘というものは、やはりきついものなのだ。目のくらむようないい人生を送っているものが、突然暗転したりすることがあるのは、バックの馬鹿の霊が馬鹿のための援助活動を突然やめることがあるからである。

嘘の人生は常にそういう危険をはらんでいるということを、考えておくがよい。






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バレエ・ダンサー

2018-05-25 06:34:56 | 黄昏美術館


エドガー・ドガ


ドガは女性をもののように描く。

絵を見れば、女は馬鹿だ、という画家の心がそのまま描いてある。

そういうことももう人間にはわかるようになった。今後、このような画家の作品を名画に数えることはなくなるだろう。

こういう絵を見ていると、男も女も女性を馬鹿にするようになる。女性が魂のない傀儡のように描かれているからだ。

女がこんなものなら、自分のエゴのために利用しても別にかまわないと、思う者も出る。馬鹿というものは常に人を利用しようとするからだ。

絵画作品は、見る者の心を美しい方向にかきたてなければならない。その使命に反するものは、駄作よりも低い愚作である。

ピカソ同様、ドガも廃棄対象にせねばならない。






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バーレスク・ダンサー

2018-05-24 04:17:33 | 黄昏美術館


クライド・シンガー


バーレスクとはストリップショーのことである。要するに女性が裸を男に見せて稼ぐ仕事だ。

弱い女性にはそれしかできなということがある。

暗い客席に群れている男たちの影。その視線を浴びているダンサーは背を向けている。画家は心がないかのごとき筆で淡々と描いている。

すぐれて美しい肉体ではない。幻のような美女を求めてくる男はいささか落胆するだろう。だが金を払って入った限りはすべてを見ていく。そういうところに落ちた女性を、みんなで遊ぶのだ。

裸を大勢の男に見せるという仕事は女性にとって酷なのだ。ライトを浴びながら踊る女性は自分の心を忘れない限りそれができない。

これが地獄と言われなくて何だと言うのだ。

何のために人はこういうことをするのか。

いつまでもこの現実を肯定することを許されると思うのか。






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最後の日々

2018-05-21 04:16:48 | 黄昏美術館


アンジェロ・モルベッリ


おそらく養老院の風景だろう。

苦い人生を終えようとしている老人たちが集っている。聖職者の説教でも聞いているのか。それとも何らかの講義か。だが心ここにない表情をしているものが多い。あからさまにうち伏している者もいる。

まるで砂漠の夜のようだ。女性がひとりもいないのはどうしたわけなのか。男の老人ばかりの世界というものが、いかに虚無的であるかを思い知らされる図である。

男は女性がいれば何かをしようとするのだ。老人でもそのうれしさはある。だがその甘やかな目的が何もない。生きるための目的が何もない。人生の最後の日々に見なければならない風景がこれであれば、人生は非情だとしか言えないだろう。

何をしてこうなったのか。あらゆる愛に背かれるほど、痛いことをしてしまったのだ。そして自分からは、ほとんどだれも愛そうとしなかったのだ。

甘いものを欲しがるばかりで、男が男として痛いことは何もしなかったら、世界はこうならざるを得ないのかもしれない。

女が誰もいない、老いた男だけの世界である。






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