新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新年なので、何か縁起の良い絵をと思って探しました。
色々迷って富士の絵にしたけど、これでよかったかな。
今年は巳年ですね。
へびのように、自分のまるごとの大きさを使って、前に進んでいきたいですね。
幸せな一年でありますように。
2024年も、もう今日で最後ですね。
みなさんには、どんな年でしたか。
わたしたちは、仲間がスレッズを始めて、詩人として自分を立てていく決意をしました。
作品集のブログも始めて、そちらもなかなかいい感じになってきています。
そこから、来年はもっと発展していきたいと考えています。
かのじょの小さな夢を、かなえてやりたい。
いいことになっていくといいですね。
皆さんもよいお年をお迎えください。
イヴですね。毎年この日が来ると、なんだか心がそわそわします。
だれかのために、何かいいことをしたくて。
今年のイヴは、小さなケーキとチキンを買って、ささやかにやるつもりです。
平和に感謝しつつ、人類の幸福を祈りながら。
どんな悲しいことも、必ず乗り越えられることを願って。
どうかこの日だけは、世界中の人が平和でありますように。
今日は、実母の命日です。
子供を捨てて、自分勝手に生きた、愚かな女性でしたが、反面教師として、学ぶことも多かった。
美人だからと言って、男を馬鹿にして生きると、ああいうことになるのだと。
年を取って、美貌を失い、皆に捨てられて、孤独に死んだ人。
でも、この日のことは覚えている。
親として、何もしてくれなかった人だけど、せめてこの日くらいは、花でもあげて、思い出してあげましょう。
今日は世界猫の日だそうです。
アメリカに本部がある、国際動物福祉基金というところが制定した日だそうで。
よい機会なので、ここで撮りためた猫の写真を放出してしまいましょう。
みんな、散歩の途中でよく会う、近所の猫です。




猫を見かけると、つい写真を撮ってしまうので、猫の写真がたくさんたまってしまいます。
みんなかわいいですね。
今日はこの存在の誕生日です。62歳になりました。
かのじょが、事実上死んだのが、51歳の誕生日でしたから、もうそれから11年が経ったことになりますね。早いものだ。
多重人格活動という、この肉体と人生を使ったわたしたちの活動も、11年の間に、だいぶ落ち着いてきました。最初のころは、みなが争うように出てきたりしていましたがね、今はアンタレスを中心に、比較的穏やかに、皆でやっています。
主体は皆でかわりばんこにやってますが、今は少し回転が速いですね。一日どころか数時間で交代することがあります。やはり、自分とは全く違う、かのじょの人生を生きるのは、わたしたちもきついのです。
自分らしいことは全くできない。切り絵や色鉛筆の絵なども、かのじょに合わせて、みな苦労しながらやっているのですよ。
天使はみな痛い男ですから、かのじょのようにおとなしい女性の人生をやるのは、結構つらいものがあるのです。
それでも、何とかやっていけるのは、みなかのじょを愛しているからです。互いに協力し合い、苦手なところは補い合って、何とかこの人生をやってゆく。
この人生をわたしたちにくれたかのじょのためにも、最後まで美しく生きていきたいですね。
6月の第3日曜日は父の日です。
画像は、グイド・レーニの聖ヨセフの像。幼子イエスを見る暖かなまなざしがいいですね。
イエスは神の子で、マリアは処女のまま懐胎したことになってますが、実際はちゃんとヨセフの子でした。
ヨセフがまじめないい男だったので、天使の魂が来たのです。
ヨセフは大工としてまじめに働き、妻子を養っていました。
家族のために、まじめに働いてくれるお父さんには、感謝しなくてはなりません。お父さんのおかげで、子供たちは大きくなれる。
イエスが神の使命を帯びて、よいことができたのも、彼が大人になるまで育ててくれた、父母のおかげなのです。
かのじょの父親は、いろいろ問題のある人ではありましたが、それでもまじめに働いて、稼いでくれましたね。
子供のころにはつらいこともありましたが。
父親に関して、一番いい思い出は、かのじょが結婚することになったとき、ぽんとその準備金を出してくれたことです。
それでかのじょは無事に結婚することができた。
後々の救済のために、人生の土台を築くことができたのです。
今日は母の日です。日本では、カーネーションを贈ったり飾ったりして、お母さんに感謝を伝える日ですね。
でもかのじょには、母の日にはいい思い出がありません。
幼いころに実母に捨てられ、二番目のお母さんには愛されず、母と慕った叔母さんには、言葉の虐待を受け続け、要するに、母親の愛情には、ほとんど恵まれずに育ったのです。なんだか踏んだり蹴ったりですね。
そういう経験をしてきた人ですから、母という言葉には、一種冷めた感情を持つ人でしたね。お母さんに感謝したくても、感謝したくなるようなことはほとんど何もしてもらえなかった。そんな子供時代のさみしさ、心の寒さは、大人になったかのじょにも、大きな影響を与えていました。
自分の子供には、同じ思いをさせたくない。大人になって結婚し、母となったかのじょは、一生懸命に子供を愛しました。
夫と心の行き違いがあっても、夫婦別れはしなかった。親が離婚した子供が、どんな思いをするか、深く知っていたからです。
女の子は、自分の母親をモデルにして、母親業をやるものですが、そんなモデルはなかったので、手探りで母親をやっていましたね。世間の母親をまねしながら、自分なりの母親をやっていた。
満点のお母さんではなかったけれど、一生懸命にやっていました。
子供時代に、あたたかなお母さんの思い出がないということは、苦しいことですよ。大人になっても、心にいつも寒い隙間がある。
お母さんというものは、子供の心を作る、あたたかなお日様なのです。
書斎の整理をしていた時に見つけました。
かのじょが描いた少女の像です。
かわいいが、本人は気に入らなかったみたいで、書類の山の中に埋もれたまま、忘れ去られていたみたいですね。
年月を経て、色鉛筆の色も褪せてしまいましたが、せっかく見つけたので、あげることにしました。
これからも、かのじょの作品を見つけたら、ここで紹介することにしましょう。
なお、明日から、「季節の花」シリーズの絵を、短詩を添えて発表することにします。
それらの作品は、平成17年から18年にかけて、徳島新聞の文化欄に発表されたものです。
絵の方は、フォトチャンネルに収めてありますが、詩は発表していないと思うので。
これを機に、ブログの方にまとめてみたいと思うのです。