これは、ガブリエレ・ミュンターの自画像です。知っているでしょう。抽象表現主義の中に青騎士という芸術家の一派があったが、その中のひとりである女流画家です。ワシリー・カンディンスキーの恋人でもあった。彼女はカンディンスキーを愛したが、のちに捨てられたそうです。理由はなぜか。おそらくは、それほどの美人ではなかったからだ。
画家としての才能も、見くびられていた。
これはわたしの意見ですがね、画家としては、カンディンスキーよりもミュンターの方が上だと思いますよ。色彩もフォルムもフォーヴィズムのようだが、愛を感じる。
それはかのじょが、ほんとうにカンディンスキーを愛していたからだ。
愛がなければ、芸術はきついものになる。
カンディンスキーは今は評価されていますがね、もう少ししたら、一括して廃棄されてもおかしくないような作品ばかりです。あまりおもしろくない。だがあの当時は、ああいうものがよかったのです。人間の魂は、自分というものを離れて、何か奇妙な世界を泳いでいた。
ミュンターには、そんなカンディンスキーが、何かとても偉大なことをしている男のように見えたのでしょう。
そういう女性のまことを、ただ、それほど美人ではないからと言って、捨てていくのは、男の方がおかしい。愛でつくしてくれる心の正体を、見抜けない感性は、芸術家としてどうかと思います。
確かにきつい美人ではないが、目がかわいらしい。愛したいという魂が、この中にいる。まるでかわいい小鳥のようだ。
わたしなら、大事にしてやり、本当の美人にしてやれるものを。それくらいのことは、男にできるということを、男は学ばねばなりませんよ。
どんなおかめさんでも、男がその人を美人だと思って心からだいじにしてやれば、本当に美人になるのです。
本当ですよ。女性というのは、愛して信じて、いいことをしてくれれば、その人のために、女神になることもできるのです。