「気をつけなさい。こんな夜は、書鬼が出るのです」
暗い夜の図書館の中で、その男は言った。わたしは図書館の隅でぼんやりと棚の本をいじりながら、聞いていた。
「書鬼とは何かと、お尋ねになりたいでしょう」
男は続けて言った。わたしはだまって男を振り向いた。別に尋ねたいわけでもなかったが、男がしゃべりたいようなので、「それは何です?」と言ってみた。
「言葉の妖精のようなものです。こんなに本がたくさんあるところには、時々出るのです。今まで、誰にも読んでもらえなかった本などから、不思議な言霊の妖精が現れるのですよ」
「妖精? それを書鬼というのですか」
「ええ、その通りです。ほらごらんなさい」
男はある書棚を指さした。見ると、書棚のかたすみから、光る小さなものが出て来る。それは、栗鼠の毛皮で作った丸い毬のようなもので、灰色のかすかな光を放ちながら、ぼんやりと本の中から浮かび上がってくるのだ。
わたしは興味をもって、その小さな光る毬に近寄ってみた。毬は逃げなかった。むしろわたしが近寄るのを喜ぶように、わたしの手の中に飛び込んできた。
「ああほら、もうとりつかれてしまった」
男は、少し含み笑いをしながら言った。
「気をつけなさいと言ったでしょう。それにとりつかれたら、言葉を探さねばならなくなる」
「ことばを?」
「そう、ことばを。誰かが書いた、永遠の言葉を。太古の昔に書かれたまま、誰の目にも触れなかった、秘密の言葉を探さねばならないのです」
「それはどんな言葉です?」
「さあ、誰も詠んだものはいません。ただ伝説があり、それは一つの恋文だそうです」
「恋文?」
「誰かを愛しているものが、愛する者のために書いた永遠の手紙。何が書いてあるのかはわからない。でもそれを読んだ時、世界の秘密がわかるのです」
男は言った。わたしは手の中の光る毬を、そっと握りしめた。
書鬼は、わたしの手の中で震えながら、ゆっくりと点滅した。わたしはそのとき、わるいことを考えた。言葉を探すことなど、面倒だと考えたのだ。そこでわたしは、ゆっくりと書鬼を口に近づけ、それを飲み込んだ。
すると男は、けたたましく笑いだした。そして、まるで活字が飛び散るように、闇の中に雲散霧消した。
わたしは図書館の中に立ち尽くし、聞いたこともないような言葉が、脳みその中からあふれて来るのを感じた。