世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

大晦日

2015-12-31 05:24:01 | 冬の日差し・夏の月

さて、今年ももう今日一日だけになりましたね。わたしたちにとっては、今年は何かと印象的なことがあった年でした。今はあまり詳しくは言いませんが、本当の正義が活躍できる扉が開いたのです。

これから、人間は、だんだんと悪いことができなくなってきます。なぜならもうだめだと、神がおっしゃるからです。

真実が現象として現れてきているのを、今見ている人もいらっしゃるでしょう。神は本当に、静かにおやりなさる。風のひとそよぎで山を動かすことさえ神にはおできになる。

人類はもう次の段階に進まねばなりません。それがいつのことになるのかはまだわかりませんが、だんだんとあなたがたにもわかってくるでしょう。もうこどもではないのです。

たぶん、今年は、あなたがたにとっても、印象的な年だったのではないでしょうか。いろいろなことがありましたね。

明日からまた、新しい年が始まります。来年は一体何が起こるでしょう。

よいお年をおむかえください。




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論語

2015-12-30 03:38:23 | 冬の日差し・夏の月

子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。(子路)

先生はおっしゃった。立派な人は人との和を崩さないが、自分の意見はしっかりと持っている。勉強のできていない人は、すぐ人の意見に同じるが、内心は決して人と和しているわけではない。

   *

今日はかのじょの論語エッセイの真似をしてみましょう。わたしたちはよく、「わたしたちは同じて和せずではない」、ということを言いますが、それはどういう意味だと思いますか。

なぜ、同じて和せずではなく、和して同ぜずなのか。和とは何なのか。それは簡単に言うと、神の愛の中にみなで調和しているということです。自分を信じ、神を信じて、己の信じることをまっすぐにやっていると、不思議と、全体的に、和がなってそれぞれの力を越えた大きな愛の動きが現れてくるのです。

ソルとエルナトでは、意見は真っ向から対立しますが、ふたりは意見をぶつけあって喧嘩をしたりはしません。むしろお互いがお互いの存在を必要にしている。ソルが自分の信じることをみなのために正しくやることができるのは、エルナトがいるからなのです。

わたしたちは、神の愛を学び、その愛に添って自分を行動するとき、全く意見の違うものがいても、絶妙にバランスが取れて、全体ですばらしい仕事になっているということを、よく経験します。

でも、表面上は意見を同じにしても、心の底で相手を馬鹿にしていれば、何をなすこともできません。それは愛ではないからです。やることなすことに乱れが生じ、意見のぶつかり合いの中で何が正しいのかさえ分からず、争ってばかりいる。今の民主主義社会の一面を見るようですね。

愛を信じ、他人の意見に流されず、自分を裏切らずに自分の愛を表現するということをやっていけば、人類もまた、自分の行動が自然に愛に導かれて、それが大きな流れとなりみなの幸せにつながっていくという経験を持つはずです。自分の行動そのものが、神の愛のひとつの表現になるからです。

和して同ぜずとは、そういう意味なのです。




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金子みすゞ

2015-12-29 03:43:53 | 冬の日差し・夏の月

みすゞの詩に、こういうのがあります。


 蓮と鶏

泥の中から
蓮が咲く。

それをするのは
蓮じゃない。

卵のなかから
鶏(とり)が出る。

それをするのは
鶏じゃない。

それに私は
気がついた。

それも私の
せいじゃない。


かわいらしい詩ですが、実はこれには間違いがふくまれています。蓮の花が泥から咲くのは、実際に蓮の花がやっています。鶏が卵から生まれるのは、ちょっと違いますが。蓮の花は、すべて自分で、自己活動をやっているのです。もちろん、「気づいた」のも、ほかのだれでもないみすゞ自身です。

みすゞはすばらしい感性の持ち主で、真実を見抜く目に優れていましたが、いかんせん、まだ若すぎました。だから、花などのもっと深い真実までは、わからなかったのです。

「星とたんぽぽ」などはすばらしいですが、中にはこんな間違いもあるので、気をつけてください。でもそれは、みすゞのせいではありません。彼女も、もっと長生きできていたら、もっと深いことに気づくことができたでしょう。それを邪魔したのは、女性を低く見る当時の社会です。大変愚かな過ちです。人類は絶対にそれを改めねばなりません。

それはそれとして、ここで言いたいのは、有名だからと言って、それがすべて正しいとは限らないということです。人間はまだ未熟な存在ですから、どんな人でも時々間違いをやります。ですから、人は、いろいろと勉強して、真実を見ぬく目を、自分でも育てていかなければなりません。でなければ、時々とんでもない道に迷ってしまいます。

だれかの言う通りにしていれば、楽に生きられるなんて考えちゃいけない。自分の勉強を怠らず、自分の頭で考え、こつこつと大事に自分の人生を生きていきましょう。そうすれば、あなたは、みすゞが生きることができなかった豊かな人生を生きることができるかもしれません。

最後に一つ。蓮の自己活動というのは、実にすばらしいんですよ。あなたがたもいつか真実を知ることができれば、それはそれは驚くことでしょう。




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フィンセント・ファン・ゴッホ

2015-12-28 03:39:47 | 冬の日差し・夏の月

フィンセント・ファン・ゴッホは宮沢賢治の前世の姿です。彼らの自画像や写真を見ていると、何となく似ているのがわかるはずです。

ゴッホも、本来なら画家になるはずではありませんでした。彼の作品にはすばらしいものがたくさんありますが、彼の本当の使命は、地球上で多くの人達と友情を結び、彼らとともに人間社会をよくする活動を起こして、社会の中で悲しみに沈んでいる多くの人たちを助けるということだったのです。

ですが、彼は裏の馬鹿達に邪魔をされ、人生の道を狂わされ、画家になってしまい、本来の使命を果たすことができなくなってしまったのです。

今日、ゴッホの作品は大変に人気があり、相当な価値をもつものとして扱われています。たしかにすばらしい作品ですし、わたしも大好きだが、本来の彼の使命からすると、彼がしなければならなかったことは、ほとんど何もできなかったというのが本当です。

時代が進むにつれ、裏の馬鹿のやりようはひどくなり、天使の使命を果たせる天使は、ほとんどいなくなっていました。それでも一度だけ、彼は同じ画家を集めて芸術家の理想的共同体を作ろうとしたことがありました。結局は挫折しましたが、これなどは彼が自分の使命をなんとなくわかっていたからでしょう。

生きにくい世界の中で、精一杯の純真な愛を表現した彼の作品群もまた、未来につながっていくでしょう。ゴッホは死んだが、彼の使命は死にはしない。その作品の中にこめられた愛は、必ず、だれかの心に届き、それを揺り動かすことができるのです。




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星の王子さま

2015-12-27 03:46:16 | 冬の日差し・夏の月

これは人間が書いたお話ですが、わたしたちもとても好きです。人間の愛があふれている。

「かんじんなことは目に見えない」という有名なことばは、心が井戸の水をのむように、みんなの心に吸い込まれている。
かのじょも言ったことがありました。星の数ほどたくさんある本の中に、あのたった一冊の本があるというだけで、生きることが楽になると。

ではなぜ、大切なことは、目に見えないのでしょう。それは、目に見えてしまったら、人間がとてもつらいからですよ。考えてごらんなさい。愛というものが目に見えてしまったら、人間はどうしていいかわからないでしょう。愛がなぜそんなことまでしてくれるのかわからなくて、怖くて、逃げてしまうかもしれません。

そう、本当は、大切なことは、目に見えない方がいいのです。大きくなってきて、勉強が進んで来てから、考える方がいいでしょう。何が本当に大切なことなのか、本当にわかるようになるためには、それは目に見えない方がいいのです。おとなになって、いろいろなことを考えるようになったら、目に見えないものを感じるための、感性を育てねばなりません。そうでなければ、本当に大切なものを、失ってしまうでしょう。

大人になって、ずるいことをしてお金持ちになっても、幸せじゃありません。本当に幸せなことは、小さなバラを愛する自分の心の中にあるのです。そこから始めましょう。ほんとうのことは、ほんとうは、もっともっと深い所にありますけれど、自分に解るところから、少しずつ感じて、学んでいきましょう。

この一冊の小さな本は、人類の宝です。大切なものです。大事にしていきましょう。




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銀河鉄道の夜

2015-12-26 03:44:52 | 冬の日差し・夏の月

この美しい物語も、わたしたちの仲間が書いたものです。人間を本当の幸いに導くためには、何でもやってやりたいという、その天使のすきとおるほど美しい心が深く現れています。

けれども、この天使の本当の使命は、児童文学作家になることではありませんでした。文学作家のようなおとなしい仕事よりも、彼はみんなと共に活発に活動して正しい社会をこの世に創っていくということのほうが好きな人でした。「ポラーノの広場」のように。

しかしバックの霊界からあらゆる馬鹿の攻撃を受け、彼は本当の使命を果たすことができなくなり、その純真な心が辛うじて生きて行くことのできる、詩や児童文学の世界に、自分の魂を逃がしたのです。

アンデルセンもそうですが、自分の使命がまっすぐに果たせないとわかった天使は、よく子供の文学に活路を見いだそうとします。宮沢賢治もまたそうだったのです。

結局賢治は自分の使命を果たすことはできず、三十七年の短い生涯を終えました。しかし彼の熱い思いは、彼の書いた物語の中に残っている。人間を幸せにしてやりたい。そのためには、なんだってしてやりたい。

人間は、彼の書いた物語を大切にしなければなりません。それは、アンデルセンの物語がかのじょの人生を導いたように、彼の物語もまた、だれかの人生を導き、それが人間の本当の幸いの道へとつながるかもしれないからです。

ファンタジー文学は、今この世界で天使の心が辛うじて生きて行ける分野です。かのじょもまた、それによって使命を果たそうとしました。若い頃から表現力を学び、たくさんの詩文や物語を書いてくれました。

かのじょの美しい物語もまた、未来の友の人生を導く光になるかもしれません。いいえ、なるに違いなのです。




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クリスマス

2015-12-25 03:40:44 | 冬の日差し・夏の月

さて、今日はクリスマスです。子供たちは、贈り物をもらえましたか。
かのじょの家では、もう子供も大きくなってきたので、クリスマスのイベントはほとんどやりません。ツリーもケーキもなくて、クリスマスのプレゼントは親から直接もらいます。

もうみんな、サンタクロースを信じない年になってしまいました。ちょっとさみしいですね。

でも、本当にサンタはいるんですよ。あまり詳しいことは言えませんが、本当のサンタは、おじいちゃんでもなくて、赤い服も着てなくて、もっと普通の顔をしています。

それでね、みんなを幸せにしたくって、いろんなことを、見えない世界から、やってくれるのです。

あまり秘密をしゃべると、怒られるかもしれませんから、ここでやめておきましょう。

子供は、いつかサンタを信じなくなるけれど、大人になって、もっと感性が深くなって、目に見えないものを感じる力が強くなってきたら、きっとサンタが本当にいることが、わかってくるでしょう。そしてサンタがくれるものは、おもちゃよりもずっと大切なものだということも。

勉強は、おとなになってからも、やりましょうね。そうしたら、サンタがあなたにすてきなことを教えてくれますよ。





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サンタクロース

2015-12-24 03:33:11 | 冬の日差し・夏の月

サンタクロースは いますよ
ほんとうに いるんですよ

にんげんをしあわせにできる
いろんなものをもって
えんとつのある家にも
えんとつのない家にも
たずねていって
とてもたいせつなものをくれます

それってなにって聞くとね
サンタクロースは笑っているだけで
教えてはくれないの
ただ いつかわかるときがくるって
それだけ言って
次の子のところに行ってしまうの

小さな淋しさが
窓辺にとりついて
こどもたちはいつまでも空を見ている
今は何もわからない
だけどおとなになったらね
わかるんだよ

だれかを幸せにしてあげたいって
そんな心が自分の中で
いつの間にかどきどき動いてる
こんにちはって 挨拶しながら
やさしい心が 小さな卵を割って
君の小さな心臓の中に 
生まれてくるんだよ





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おしゃれなお姫様の話

2015-12-23 03:36:26 | 冬の日差し・夏の月

今年は、アンデルセンの「人魚姫」とグリム童話の「かえるの王様」を、ちょっと自分流に強引に解釈して、書いてみました。

「かえるの王様」で、お姫様がマントを縫うのは、スカボロー・フェアからとったんじゃありませんよ。かのじょがまだ二十代の頃の、童話のアイデアからとったのです。それはこんなお話でした。

あるところに、とてもおしゃれなお姫様がいて、いろんなドレスを仕立て屋に作らせて、毎日ドレスを着替えていました。そんなお姫様が、ある日青い花の咲き乱れる王国のすばらしい景色を見て、この王国の景色を自分のドレスにしたいと、とんでもないことを言ったのです。そこに悪魔が出てきて、実際に王国の国土を剥いで、それを魔法で布にして、一着の青いドレスをつくってしまったのです。お姫様は気に入りましたが、そのせいで、王国の国土が荒れて大変なことになって、国民が困って、いろんなつらいことがたくさん起こったのです。

お姫様は後悔して、森に住む良い魔女のところに行って、どうしたらいいか相談するのです。そうしたら、魔女はかのじょに魔法の糸と針を渡し、ドレスをほどいて、一針一針、国土を縫い合わせて行けと、言うのです。姫様は、初めはしぶりつつも、やがてドレスをほどいて、一針一針、国土を縫い合わせていったのです。

簡単に言えば、こんなところです。ほかに、悪魔との契約とかお姫様の派手なおしゃれ癖の戒めとかも、絡んでくるんですが、結局のところ、お姫様が粗末な服をまとって一生懸命国のために針仕事をしているその姿を見て、王国を通り掛かった王子様がお姫様を見染めて、ハッピーエンドになるというお話でした。

なかなかに壮大なメルヘンでしょう。

これそのものを、書いてもよかったのですが、物語としては、ちょっと詰め込みすぎてややこしい感じがあるので、このアイデアの一切れをいただいて、「かえるの王様」に生かしてみたのです。

これからも、何かを思いついたら、物語を書いてみましょう。ときにはかのじょの頭の中に残っている、小さなアイデアをいただいて。

かのじょの書く物語とは、ちょっとちがうかもしれませんが。




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冬至・2

2015-12-22 03:51:56 | 冬の日差し・夏の月

さて、今日は冬至です。それと同時に、かのじょの実母の命日でもあります。

かのじょの気持ちは、今日の本館の詩を読んでくださればわかるでしょう。かわいそうな死に方をした人。愛していると言ってあげたかったが、言えなかった。

かのじょが小さい頃に子供と家を捨てて、出ていった人。それから会ったこともなく、母親と言われても、ピンと来ない。それが子供としての正直な気持ちでしょう。あれからどんな暮らしをしていたのかは知らない。だけどその最期はあまりにもみじめなものでした。生活保護を受けながら暮らしていた、一人住まいのアパートで、かのじょの実母はたばこの火が原因の火事で焼死したのです。

ですが、その人の愚かな人生は、かのじょに強い影響を与えました。どんなにつらいことがあっても、自分の子供にだけは、あんな思いをさせたくない。だからかのじょは、夫との心のすれ違いが何度あろうと、その結婚をあきらめなかったのです。

かのじょの結婚は、幸せではなかったかもしれない。けれど、家庭と子供を見捨てて出ていくような母親には決してなりたくはない。そういう思いはかのじょの中に岩のようにどんと座りこんでいたのです。

実母の死は、みなの幸せを考えず、自分のことだけを考えて行動をした場合、どんなことになるかということを如実に教えてくれます。馬鹿な人だった。愛していたら、もっとみなのことを考えなさいよと、忠告できたかもしれないのに、そんなことさえ言えなかった。

この日は、愛せなかった母のことを思い出す日。それが、自分をこの世に産んでくれた人への、せめてものかのじょの愛だったのです。




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