パオと高床

あこがれの移動と定住

カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』柳原孝敦訳(白水社)

2018-03-14 11:53:21 | 海外・小説

怖ろしい小説だった。
いきなり、冒頭1章でやられる。書き出しだから書けば、
「セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のころのことだった」と始まる。
この1章で読みやめるかどうか。読みすすめていけば、読書の快楽が待っている。
そして、悪夢はその後数章のあいだは訪れず、小説終盤三分の一ぐらいからやってくる。ノワールはノワールぶりを発揮する。
といっても、この小説、「ブエノスアイレス食堂」の開店からの変遷をアルゼンチンの歴史と絡めて描いていく小説なのだ。
移民の双子の兄弟が1911年に開店した食堂は第一次世界大戦やアルゼンチンの軍事政権の中で栄枯盛衰を繰り返す。その中で
それぞれの料理人が食堂を引き継いでいく。そして、最後にセサルが現れるのだ。
この食堂には双子の兄弟が執筆した『南海の料理指南書』が受け継がれている。その料理の記述のおいしそうなこと。
これはどんな味なのだろうと、ワクワクさせる。だが、この食堂の料理人たちは運命に翻弄されていく。
そして、極めつけの恐ろしさへと突きすすんでいくことになるのだ。

面白いのは、小説が時系列に沿って描かれていない点で、各章ごとに時間が入り乱れている。
様々な食堂の歴史と食堂に関わった人々のいきさつが、幾層にも重なって、厚みや神話性のようなものを感じさせる。
各章は長くても10ページほど短ければ2ページほどで出来上がっている。描写は淡々として客観性があり、それが読む快さと
読みすすめる速度を促し、また、何ともいえない不安感のようなものを醸し出している。訳もいいのだろうな、きっと。

宮沢賢治の「注文の多い料理店」が、スケールの大きな時間軸を持ち、南米的な運命の因果関係でつながれていけば、
こういった小説になるのかも知れない。それに、人間の複雑な深層心理と食すために在りつづける飢えの根源への思考が入りこみ、
殺意の暗がりを抱え込めば、こうなるのかな。こうなってしまえば、もちろん、全く別ものなのだが。

知人から、ちょっといわくありげに、躊躇いがちにすすめられて、読んだ小説。小説を読む醍醐味を味わった。
ただ、個性を持った小説だからこその、読者を選ぶ小説なのかも知れない。
コメント
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