毎日聖書を読み、熱心に学び、教会に献金し、ちゃんとお祈りが出来る様になってから洗礼を受け、クリスチャンになった!・・おそらく世間では、それが普通だと思われているだろうが、実際そんな例はほとんどない。
極端な話し、たとえ聖書を読んだ事がなくても、ただ、キリストの十字架を心から信じることが出来たら、その人はクリスチャンなのである。
なので、洗礼を受けた最初の数日間は、感動と興奮で「ハレルヤ!」なのだが、ふと気が付くと、相変わらずバカなことを考えてるわ、電車の中で足を踏まれたら相手を睨み返すわ、綺麗な女性を見かければ目で追うわで、「あれ?オレって本当にくりすちゃん?」てな事になる。
しかし、たとえあなたが自他共に認める “へっぽこクリスチャン” であろうとも、あなたがイエス・キリストが自分の主だと告白しているのなら、あなたの内には、聖霊の宮がバーン!! と建っているのである。
だけど、依然周りは瓦礫の山・・。これが現実なのである。
つまり、「新生は瞬間だが、聖化には時間がかかる..」この基本的な事が理解出来ていないと、自分の信仰のみならず、人をバカにしたり、教会を批判したりすることになってしまう。
「 人々に躓きを与えてはいけません!」と、あなたも一度や二度、言われたことがあるだろう。だが、アタシはそんなことは言わない。
「あのね、ここいら辺は瓦礫だらけなんだからさ、いちいち躓ずいてないで、ちゃんと前見て歩いてね」
これが、 神殿建設が最初で、城壁修復はその後からという、エズラ・ネへミアから学べる最初の適応なのである。
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(Ⅰコリント6章19節)