私達が何か神から示された時、一歩突っ込んで無理にでも願えば、私達は生きたキリストと出会うことができる。
しかし、いくら求めても、自分が主権を握ったままでは、自分の世界や価値観から一歩も外に出ることが出来ず、真の解決への道は閉ざされてしまう。
「イエスは彼らと共に食事の席でパンを裂かれた」とある。
食卓の席でパンを裂くことは、イスラエルでは例外なく、その家の主人の役割である。
つまり、この時二人は、イエスをもてなす側ではなく、もてなされる側にいた。
二人はこの食事の席での主権を、イエスに委ねていたのだ。
その時に初めて、二人は自分達と共にいてくれたのがイエスである事を知ったのである。
メッセージはこちらからでも視聴できます。
http://www.goodnewsstation.com/msg04051502.mp3
GNSのメインページはこちら!