息子と二人、何十年ぶりかで岐阜城に登った。
400円払ってお城に入ると、中で面白い絵を見付けた。
それはナな何と、“信長と聖書” !?(本当のタイトルは分らない)
信長がキリスト教を擁護したことはよく知られているが、教会堂のみならず、神学校の設立まで許可し、あのルイス・フロイスを岐阜まで連れて来ていたと言うのだから、その気の入れようはハンパなかった。
それと、これはほとんど知られていないのだが、信長には、弥助(ヤスフェ)というモンザビーク出身の黒人の家来がいた。
弥助のことを大層気に入っていた信長が、彼から聖書のことを聞いていたことは、ほぼ間違いないと思われる。
仏教勢力に対抗するためだったとか、外国の珍しいものが欲しかったとか、まぁ理由は色々とあったのだろうが、
当時、権力ボケしていた日本の僧たちに比べ、言葉も文化も全く異なる異教の地で、自らの命をも顧みず、
必死で伝道活動をしていた宣教師たちの姿に、何かしらの真実を見ていたことは、まぎれもない事実だったと思う。
「殺してしまえホトトギス」の信長が、クリスチャンだったかも知れないなどとは、世界中誰一人として思っていないだろうが、
本能寺で燃え上がる炎に包まれた時、「神よ!」と、信長が祈らなかったとは、誰にも断言出来ない。
過去にどんな非道なことをしようが、その人が天国に行っても不正にならないただ唯一の方法、
そこが、キリストの十字架のスゴイところなのである。