いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

ツイッターの限界・・・ツイッターは品のない文章が目立ちます。その文章を相手の目の前で口にできますか?

2011年10月29日 01時17分13秒 | 日記

 ツイッターによるツイート(つぶやき)を読むたびに、がっかり
します。
 ツイッターでツイートする文章が、おしなべて、下品なのです。
 
 ツイートによる反応が多いのは、ニュースサイトでしょう。
 ニュースサイトで、なにかニュースが報じられると、多くのツイ
ートが書き込まれます。

 その文章の多くが、読むに耐えないのです。

 いま、ツイートが多いのは、たとえば、TPP(環太平洋経済協
力)です。
 TPPのニュースが報じられるたびに、賛成派と反対派、両方の
ツイートが寄せられます。
 反対派のほうが、圧倒的に多いようです。

 その中に、元西武百貨店の社長で、国会議員も務めた水野誠一氏
のツイートがあります。水野氏は、実名でツイートしているので、
ここでも、実名で引用します。
 たとえば、水野氏は、TPPを説明した民放のアナウンサーが気
にいらなかったようで、こうツイートします。
 「このバカアナ、よくも大声でこんな嘘を」。

 この「バカアナ」が典型的です。
 バカアナという言葉を使った瞬間に、もう、冷静な議論はできな
くなります。
 そしてなにより、水野氏は、このアナウンサーと対談でもしたと
きに、面と向かって「このバカアナ」と口にできるでしょうか?
そんなことをしたら、けんかになります。

 そうなんです。
 ツイッターって、口でいえない言葉を書いてしまうのです。
 
 でも、水野氏の言葉づかいを見ていると、もしかして、西武百貨店
社長時代にも「あのバカな客」などと言っていたのかと、心配して
しまいます。
 こういう言葉づかいは、損です。

 試しに、いま、ニュースサイトから、ニュースに対するツイート
をいくつか、ひろってみましょう。

 「天罰か」
 「談合が横行する」
 「書いたやつの知能程度が」
 「マスゴミ」
 「頭悪い」
 「んなのどうでもいいよ」
 
 という感じの言葉が次々に出てきます。
 こういう言葉、相手を目の前において、口で言えますか?
 言えないでしょう。
 言えば、けんかになります。

 こういう言葉は、結局のところ、個人攻撃になります。

 たぶん、こういう言葉を書く人も、実際は、ごく普通の穏やかな
人なのだと思います。しかし、ツイッターで、ツイートすると、こ
うやって、下品で、きつく、危ない言葉になってしまうのだろうと
思います。

 もともと、文章でなにか書くと、話すよりもきつくなる傾向があ
ります。話すときは、実際に相手が目の前にいることが多いので、
そんなにきつい言い方はできません。
 しかし、文章で書くときは、相手が目の前にいないので、きつい
言葉が使いやすいのです。

 ツイッターの文章が下品になるのは、まず、それがひとつの理由
です。

 そしてなによりも、ツイッターは、ごく短い言葉で発信します。
 短い言葉で書くとなると、自分の言いたいことを、よりわかりや
すく書く必要があります。しかし、実際には、短い言葉で自分の気
持ちを伝えるというのは、かなり難しい。
 そこで、自分の気持ちをツイッターの制限の下で書くには、過激
な言葉を使って、人目を引きたくなります。
 「バカアナ」もそうでしょう。
 バカアナと書けば、水野氏が、このアナウンサーに怒っているこ
とが、すぐに分かります。
厳しい言葉は、便利なんですね。

 しかしながら、そうしたことが、ツイッターを下品にしているの
は間違いのないことでしょう。

 短い言葉を、相手にたたきつけるように書く。
 いま、「書く」と言いましたが、では、
 短い言葉を、相手にたたきつけるように口にする。
 だとどうでしょう。

 それは、 
 相手に対する挑発であり、
 けんかを売ることにほかなりません。

 あるいは、「捨て台詞」と言ってもいいでしょう。
 そして、繰り返しますが、結局のところ、個人攻撃です。

 ツイッターは、過激な言葉づかいによって、ただでさえ疲れてい
る現代人を、そして、現代人の心を、よりいっそう、ささくれ立た
せているのではないでしょうか。
 
 考えてみてください。
 普段の私たちの暮らしの中、たとえば、家庭の家族同士で、ある
いは、学校で同級生同士で、ツイッターに出てくるような「捨て台
詞」をお互い投げ合って暮らすとすれば、それは、いったい、どん
な暮らしでしょうか。

 ツイッターにツイートするときは、その言葉を、相手を目の前に
して、口にして言えるかどうか、まず、それを考えてほしいと思い
ます。
 そして、
 ああ、こんなことを言えばけんかになるな、 
ああ、私は、こんなこと、口ではいえない
 と思うのであれば、ツイートする文章を、考え直してほしいと思
います。

 いまのままでは、ツイートは、あまりに品がなさ過ぎます。
 ツイッターは、個人攻撃の道具ではないはずです。 

 



TPPがぶっ飛ぶ話・・・2010年までに自由化を達成するAPECのボゴール宣言をご存じですか?

2011年10月27日 02時25分42秒 | 日記

TPP(環太平洋経済協力)に反対する人たちが、
   「えっ?」 「本当?」
とびっくりするような話を、今回は、書きます。

 1994年の11月、インドネシアで、APEC(アジア太平洋
経済協力会議)が開かれました。 
 東南アジア諸国に、日本とアメリカが入った会議で、いまのTP
Pよりはるかに多くの国が参加した会議です。
 翌95年には、大阪で開かれました。

 94年のインドネシアAPECでは、まことに画期的な合意が採
択されました。
 「APEC加盟国は、貿易と投資の自由化を、
  先進国は2010年までに達成する。
  途上国は2020年までに達成する」
 という合意です。

 日本からは村山富市首相や橋本龍太郎通産相、アメリカからはク
リントン大統領らが出席し、大規模な国際会議でした。

 村山首相やクリントン大統領、アジア諸国の大統領、首相による
首脳会議で、APECは、この合意を採択したのです。
 
 書き間違えや、パソコンの変換ミスではありません。
 「先進国は2010年までに自由化を達成する」
 と宣言したのです。

 これを、ボゴール宣言 といいます。
 ボゴールは、APECを開いたインドネシアの都市の名前です。
 
 すごい宣言でしょう。
 貿易と投資の自由化を、2010年までに達成するーーというの
です。

 え? 2010年は去年だろうですって?
 そうなんです。
 もう、去年が、ボゴール宣言で定めた2010年だったのです。
 もちろん、というべきか、ところがというべきか、2010年に
なっても、2011年になっても、貿易と投資の自由化は達成され
ていません。
 ボゴール宣言、すっかり忘れ去られてしまっています。

 そこでTPPです。
 TPPは、TPPに参加した国同士は、貿易を自由化しましょう
というものです。
 それに、農業団体は猛反発しているわけです。

 しかし、TPPって、実は、ボゴール宣言と同じなんですよ。
 
 ボゴール宣言って、本当にそんな合意、あったの?ーーと、眉に
つばをつけたい方もいらっしゃるでしょう。
 しかし、本当です。
 当時の新聞をちょっと見てもらうと分かりますが、連日、一面ト
ップは、インドネシアAPECとボゴール宣言で持ちきりです。
 テレビのニュースだって、連日トップ扱いです。

 ところが、このときは、日本では、ほとんどなにも、反対運動が
起きませんでした。農業団体も沈黙していました。

 ちょっと考えてみてください。
 1994年というと、いまからもう17年前です。
 そんなときに「貿易と投資の自由化」を宣言しているのです。
 ところが、何も反対運動が起きなかった。

 それなのに、17年後の2011年、同じような内容のTPPに、
どうして反対するのでしょう。

 おかしいでしょう。
 こんな不思議な話はありません。
反対するなら、17年前に反対してくれ、というところです。

 そして、17年という長い時間があって、その間に、日本の農業
は何をしていたのでしょう。
 政府・農水省と農業団体は、この17年間、何をしていたのでし
ょうか。
 17年というのは、長い年月です。
 日本の農業を強くするには、十分な時間があったのではないでし
ょうか。
 17年たって、「TPPで自由化が進むと日本の農業は壊滅す
る」というのであれば、この17年という長い年月に、農水省と農
業団体は、いったい、何をしてきたのでしょう。
 
 何もしてこなかったということです。
 
 今回、TPPに入らず、自由化を進めないとします。
 仮の話です。
 では、いまここから、また17年たって、日本の農業は再生して
いるでしょうか?
 17年たって、日本の農業は強くなっているでしょうか。
 答えは、だれにだって分かります。
 「NO」です。

 インドネシアAPECで、なぜ、日本でボゴール宣言に反対運動
が起きなかったのか。
 なぜ、TPPでは反対運動が起きるのか。
  
 APECは、もともと、年に一回開かれる国際会議なのです。
 アジア太平洋地域の経済協力など、経済問題をいろいろ話し合い
ましょうという会議でした。
 その会議を続けているうちに、貿易と投資の自由化というテーマ
が出てきたのです。 
 そう。APECは、「国際交渉」の場ではなかったのです。
 だから、自由化がテーマになったということが、なんとなく、見
えにくかった。
 
 ところが、TPPは、もとからある国際会議ではなく、自由化を
進めるために設定された国際交渉の場なのです。
 そのため、自由化が目的だということが、初めから非常にはっき
りしていた。
 だれの目にも、見えやすかったのです。

 ですが、APECは、日米の首脳をはじめ、各国の首脳がすべて
参加した会議で、その規模たるや、TPPの比ではありません。
そこで、2010年までの自由化が宣言され、それを合意として
採択したのです。

 TPPは、日本に必要不可欠だと思います。
 野田首相が、TPPに積極的です。
 それはいいことです。
 しかし、これからものすごい反対が待ち受けているでしょう。
 それに対しては、簡単な答えがあるのです。
 野田首相は、
 「いや、TPPといいますが、実は、1994年のAPECのボ
ゴール宣言で、2010年までに自由化しましょうということをす
でに決めています。当時の自民党政権が、それに参加して決めたのです。
ですから、TPPとかなんとか言う前に、日本は、貿易を自由
化することを、もうとっくに決めているんです。
それを、粛々と実行するだけなんです」

といえば、すむことなのです。

 しかし、農水省と農業団体は、2010年までに自由化を達成す
るボゴール宣言を、ろくに反対もせず、受け入れたのを、もうすっ
かり忘れてしまったのでしょうか。

 余談ですが、実は、1994年にインドネシアのAPCEでボゴ
ール宣言を採択したとき、私は、インドネシアの現場にいたのです。

 当時の実感としてはどうだったかというと、
 「えっ? 2010年までに貿易と投資の自由化を達成する?え
らい先の話だけれど、しかし、自由化を達成するというものすごい
話を、本当に合意したの?
こんなにあっさり合意しちゃっていいの?
日本の農水省と農業団体は、なんで反対運動しないの?
こんな、ものすごい合意を、よくまあ、こんなにあっさり受け
入れたねえ」 
というものでした。

 歌人の俵万智さんの歌に
 「愛しているだなんて
  チューハイ一杯で
  言っちゃっていいの?」
 という代表作があります。

 同じように、
 「2010年までに自由化だなんて
  インドネシアのコーヒー一杯で
  言っちゃっていいの?
 という感じでした。

 インドネシアのコーヒーって、トアルコトラジャ・コーヒー
です。

 こうやって見ていくと、TPPへの反対運動は、本当におかしな
話です。
 ボゴール宣言にも反対し、TPPにも反対するというのなら、筋
は通っています。
 しかし、ボゴール宣言は何も反対せず、TPPだけ反対するとい
うのは、ほとんど、反対運動にもなっていません。
 「ためにする」というのは、こういうことでしょう。

 そうそう。
 いま、「2010年というのは、えらい先の話だけれど」
と書きました。
 そうなんです。
 ボゴール宣言の1994年から見ると、2010年の自由化
などというのは、永遠の未来みたいなものでした。

 だから、農水省など農業の自由化に反対する勢力も
 「え? そんな先のことなの?
  それなら、OKでいいよ」
 という感じだったんですね。
 「16年も先なら、私、もう、担当かわっているから」
 というのうが、反対運動をしなかった理由だろうと思います。



TPP・・・コメの自由化で、とんでもない誤解があります。稲作衰退は海外のコメのせいではありません。

2011年10月26日 02時17分49秒 | 日記

コメの自由化をめぐって、昔から、どうしようもなく大きな誤解
があります。それがまた再燃しています。
 きっかけは、TPP(環太平洋経済協力)です。

 野田首相がTPPに積極的な姿勢を見せたのに対し、全中(全国
中央農協会)が反対しています。
 
 TPPは経済の自由化を進めるものですが、経済の自由化に対し
ては、必ず、農業団体から反対の声が上がります。

 反対のシンボルはコメです。
 自由化されて海外から安いコメが入ってきたら、日本の農家は壊
滅するというのです。

 しかし、ここには、本当にどうしようもなく大きな誤解があるの
です。

 海外から安いコメが入ってきても、日本人は食べません。
 なぜなら、海外で作っているコメは、種類が違うからです。
 日本のコメは、小粒で炊飯に適した「短粒米」(たんりゅうま
い)です。
 それに対し、海外のコメは、その多くが、粒が長くて大きい「長
粒米」(ちょうりゅうまい)です。長粒米を炊飯するとパサパサし
て、ちょっと食べられません。
 長粒米は、炊飯には適していないのです。
 では長粒米は何に使うかというと、典型的なのは、チャーハンで
す。チャーハンは、コメを炒めます。長粒米は、炒める料理に適し
ているのです。

 日本人にとって、コメとは、炊飯器で炊飯し、お茶碗に盛ったご
飯であり、ほどよく水分を含んでしっとり、つやつやした炊きたて
のご飯のことです。

 長粒米を、日本のコメと同じように炊飯器で炊くと、ぱさぱさし
たご飯になり、とても食べられたものではありません。

 ですから、コメが自由化されても、日本のコメには、まったくと
いっていいほど影響はないのです。

 そんなこと、なぜ分からないのかと思います。

 ひとつには、普通の消費者は、海外のコメがそんなコメだとは知
りませんから、「コメが自由化されると日本のコメが壊滅する」と
いわれると、「コメの自由化には反対」と答えます。
 
 何も知らない消費者を、だましてはいけません。

 一方、農業団体は、海外のコメは日本では受け入れられないだろ
うということを、たぶん、よく知っていると思います。知っていて、
なお、反対しているのだと思います。

 そして、民主党政府は、TPPを推進するというのであれば、い
まここで述べたような、コメにまつわるとんでもない誤解を、丁寧
に説明すればいいのです。
 野田首相が、会見して、
 「海外のコメは日本のコメとは全然違うものです」とはっきりと
のべ、では、どう影響を受けないかを、丁寧に説明すればいいのです。
 どうして、その努力をしないのでしょう。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花
 といいます。
 暗い夜道で、向こうに幽霊のようなものが立っている。こわごわ
近づいたら、枯れた木だったというわけです。

 コメの自由化問題は、これによく似ています。

 そしてなによりも、日本の稲作は、海外のコメが入って来ていな
いのに、衰退に向かっています。
 第一に、私たち日本人がコメを食べなくなったのです。朝、会社
に行く前に、多くのサラリーマンは、いま、手軽なパンを食べます。
コメの消費量は、最盛期の半分ぐらいではないですか。

 第二に、若い人たちが農業に就業しなくなってきたので、農村が
高齢化してしまいました。本当に農業をやる若い人が減った。いま、
大学生は就職活動、シューカツに追われています。しかし、その大
学生にとって、農業は、就職先とは考えられていません。就職した
いのは、銀行、メーカー、商社といった企業なのです。農業に就職
したいという新卒の学生を見たことはありません。

 日本の農業、なかでも稲作は、なにも、コメの自由化で海外から
安いコメが入って来て衰退したのではありません。
 日本国内の事情、私たち日本人の事情で衰退してきたのです。

 いまここで、TPPに反対し、コメの自由化を阻止したところで、
日本の稲作は、再生しません。
 日本の稲作を再生させるには、日本人がもっとコメを食べること
と、それよりなにより、若い人を日本の農業に就業させることです。
それには、若い人にとって、農業を魅力ある産業にする必要があり
ます。

 TPPに反対し、コメの自由化を阻止するなどという、そんなこ
とにエネルギーを使う暇があれば、日本の農業を魅力的な産業にし、
若い人を農業に引き付ける工夫をしてほしいと思います。
 エネルギーは、そのためにこそ、使ってほしいのです。

 コメの自由化反対などと、十年一日、同じことを言っていたら、
日本の農業はどんどん衰退するばかりです。
 もういい加減に目を覚ましたらどうでしょうか。



日本経済の空洞化・・・日本企業はいったい何を考えているのでしょう。企業には愛国心はないのでしょうか。

2011年10月24日 11時30分00秒 | 日記

 政府は、円高対策を策定中です。
 同じころ、タイで大規模な洪水が起きて工業団地が次々に水没し
ましたが、タイの工業団地に入っているのは、その多くが、自動車
や電機の日本企業です。皮肉なことに、タイの洪水によって、日本
企業がいかにたくさんタイ、つまり海外に工場を移転しているか、
改めて、よく分かりました。
 
 円高対策と、タイの洪水で水没した日本企業の工場を対比すると、
むなしくなってきました。

 円高対策の中身は、
1)日本企業が日本国内に立地することを促すよう、補助金をつけ
る。
2)日本国内で雇用につながるような事業に補助金をつける。
 ーーなどが中心です。

 この2つ、もちろん、やらないよりやったほうがマシですが、し
かし、本当にむなしい対策です。

 まず、1)ですが、日本企業が日本国内に立地するようというの
は、日本企業は日本国内に工場を作ってほしいーーということです。
 日本国内に工場を作る場合は、補助金を出すなりして、優遇措置
を取るということです。

 しかし、タイの洪水で水没した日本企業の工場を見て分かるよう
に、では、なぜ、タイに進出する前に、日本国内に工場を作るよう、
促さなかったのか、ということです。

 いま、ここに書いているのは、経済学的、あるいは、経営的には、
理屈にあっていないという批判が出るのを、すべて承知で、書いて
いることです。
 
 企業の経営者からすれば、これだけ円高が進んだのだから、日本
より海外で生産したほうがいい。それは当然でしょう。
 そんなことは分かっている。

 しかし、いまここで、これだけ海外に出て行ってしまったあとで、
日本政府が「日本国内に工場を作ってください。作ってくれたら補
助をします」というのは、滑稽ではありませんか。
 滑稽というより、悲しいですね。

 その補助政策を、なぜ、海外に出て行く前に、しなかったのでし
ょう。
 円高は1985年のプラザ合意で始まりました。
 日本企業は、その後、長い間に、海外に移転していったのです。
 ですから、政府としては、民主党ではなく、自民党政府の時代の
責任です。

 円高で海外展開するのは経済学的に当然だ、経営的に当たり前の
話だといって、放置してしまったツケが、いま、回ってきたのです。

 さらに滑稽で、悲しいのは、2)の雇用対策でしょう。
 これは、日本国内で雇用につながるような事業をした場合には、
補助金を出しましょうーーということです。
 
 しかし、タイを見てください。
 日本企業の工場があれだけタイに進出しているのです。
 それは、「雇用の輸出」です。
 反対にいえば、「失業の輸入」です。

 日本企業は、タイで、たくさんの雇用を創出した。
 
 これも、経済学的、経営学的には、むちゃくちゃであることを覚
悟の上で書いています。

 日本企業は、タイで、たくさんの雇用を創出した。
 もし、その日本企業の工場が、日本国内に立地していれば、日本
国内でたくさんの雇用が創出されていたのです。

 それを、いまごろになって、政府が、「雇用につながる事業には
補助金を出す」というのは、ほとんどブラックユーモアでしょう。

 経済学的、経営的に、円高の下で日本企業が海外に工場を移転す
るのは当然だというのであれば、その帰結として、日本で雇用が減
るのも当然です。当然のことが起きているのであれば、放っておい
てもいいのではないでしょうか?
 経済学者、経営者は、なんと答えますか?

 放っておけないから、政府は、雇用対策を打たざるをえないので
す。

 それであれば、日本企業が海外に工場を移転するのを、なぜ、も
っと早い段階で、引き留めなかったのか?ということになります。

 東京は、ほとんど1年中、就職活動、シューカツの学生であふれ
ています。
 年中、シューカツをしているので、大学の講義にも影響が出ます。
 そして、それだけシューカツをしても、なかなか内定が出ないの
です。
 ところが、タイでは、それだけの雇用機会があるわけです。
 もし、あれだけ海外に出て行った工場が、半分でも日本に残って
いたら、大学生も、これほど苦労しなくていいだろうにと、大学生
諸君がかわいそうでなりません。

 もうひとつ。
 タイで日本企業が生産する自動車は年間150万台に達するそう
です。
 「日本車」とは呼べません。「タイ車」です。
 そして、この生産は、タイのGDP(国内総生産)にカウントさ
れます。
 もし、この自動車が、日本国内で生産されていれば、日本のGD
Pはいまよりもっと大きく、なにも、中国に抜かれて3位に転落す
る必要はなかったのです。

 日本経済は、すでに、空洞化しています。
 
いつかのブログで、
 「日本企業には愛国心はないのか」
 と問いました。
 再度、問いたいと思います。
 日本の経営者のみなさん。
 あなたたちには、愛国心はないのでしょうか。
 日本がどうなってもいいのでしょうか?

 経団連の米倉会長には、とくに問いたい。
 政府に円高対策を求める前に、日本企業自身で、なんとかしない
といけないのではないですか?
 このままでは、
 「国滅びて 企業あり」
 です。
 まさか、経団連は、それでもいいと考えているわけではないでし
ょうね?



橋下知事のトライ・・・大阪は大阪都になるべきです。東京都はただの「ひがし」「きょうと」なのですから。

2011年10月23日 01時39分40秒 | 日記

 大阪の橋下知事が、今月末で知事を辞職し、大阪市長選に出るこ
とを決めました。
 この人の、君が代を強制する態度だけは許せません。
 
 しかし、大阪市を中心にして「大阪都」を作りたいという構想に
は賛成します。
 
 神戸市に勤務する友人がいます。
 彼の話を聞いていると、県の仕事が、よく分かりません。
 兵庫県は、もちろん、神戸市のことは神戸市に任せます。
 すると兵庫県の仕事は、神戸を除く兵庫県内です。神戸といえば
兵庫を代表する市です。兵庫県の仕事をするときに、神戸抜きとい
うのは、民間企業ではちょっと考えられないでしょう。

 これが、大阪府では、さらに問題になります。
 大阪府知事は、大阪市を除く大阪府の仕事をします。
 大阪府で、大阪市を除いてしまうと、かなり仕事のウエイトは小
さくなります。

 これは、東京都に引きつけてみると、よく分かります。
 東京都は、東京23区を市にしていないので、東京都知事は、2
3区を直接担当します。もちろん、23区以外の東京も守備範囲で
す。
 ちょっと考えてみてください。
 もし、23区が独立した市、たとえば東京市で、東京都知事がそ
の東京市を担当しないとすれば、東京都知事という仕事は、えらく
影の薄いものになります。

 公務員の数もそうです。
 もし、東京市というものがあれば、東京市の公務員が大勢います。
 そして、それとは別に、東京都の公務員がまたいるわけです。
 いまは、東京市がなく、東京都が23区を直接担当するから、東
京の公務員は、それだけ少なくすんでいるわけです。

 そこで大阪です。
 大阪は、東京と並び、日本を代表する地域です。
 それなら、東京と同じように、知事が、大阪市を直接担当しても
全然おかしくありません。

 現状は、大阪市には、大阪市の公務員と大阪府の公務員が両方い
て、公務員の数が多くなっています。
 大阪市を廃止し、大阪府知事が大阪市も直接担当するようにすれ
ば、大阪市の公務員は不要になります。
それだけ、税金が少なくてすむのです。

 東京、大阪だけではなく、
 神奈川と横浜、
 愛知と名古屋
 福岡県と福岡市
 京都府と京都市
 兵庫県と神戸市

 の6つのエリアでは、同じように知事が市も担当するということ
にすれば、行政が効率的になるのではないでしょうか。

 東京は、ちゃんとそうなっているのですから、ほかのエリアも、
同じように、そうすればいいのです。

 ちなみに、東京都 の名称です。
 「とうきょうと」という言い方が定着しているので、私たちは、
つい「東京」の「都」と考えてしまいます。

 しかし、東京都は、明らかに、「東」の「京都」です。
 明治維新で明治政府ができました。
 京都にいた天皇が、無血開城した江戸城に入ったので、「都」は
京都から江戸に移りました。
 このときは、まだ「江戸」です。

 さて、名前をどうするか。
 もともと、天皇がいた場所は、「京都」です。
 そうです、「京」の「都」ーー「きょう」の「みやこ」です。
それが、東の江戸に移りました。
 そこで、江戸を、「東」の「京都」としたのです。
 
 東京都というのは、
 「東京」「都」
 ではなく、
 「東」「京都」
 なのです。

 あくまで、本来のオリジナルな都は、「京都」です。
 「東」「京都」と、わざわざ「東」がつくのは、オリジナルでは
ないことを表します。
そう思われると困るので、明治政府は
 「ひがしきょうと」ではなく、
 「とうきょうと」
 と読むことにしたのでしょう。

 京都の人たち、たとえば、京都に本社のある日本電産の永守社長
は、いまでも、東京のことを
 「あれは、ひがしきょうとや」
 と言ってはばかりません。


 京都の人たちは、いまでも、
 「天皇さんは、東京にお貸ししてある」
 などと思っていたりします。

 明治政府は、さらに、えげつないことをしました。
 江戸を、東京都「とうきょうと」としたから、京都が「きょう
と」のままでは、なんだか、東京のほうが格下のようになります。
 そこで、京都に、わざわざ、「府」というわけのわからない名称
を付け、「京都府」にしてしまったのです。
 京都というのは、「京の都」ですから、本来、それで完結した呼
び名です。そこにあえて「府」をつけると、「京の都の府」となっ
てしまって、ほとんど意味がありません。

 東京の明治政府は、よほど、西が怖かったのでしょう。
 京都だけではなく、秀吉ゆかりの大阪にまで「府」をつけ、大阪
府としました。
 すなわち、
 東の「東京都」が、日本の都(みやこ)、
 西の「大阪府」「京都府」は、ただの府(ふ)という位置づけに
してしまったのです。

さて、そこで、橋下知事です。
 彼の主張する「大阪都」は、大阪は「東京都」に並ぶ存在やでー
ーということを主張することにもなるのです。

 ではもし、京都でも、同じ動きが起きたら?
 それは、「京都府」にまた「都」をつけるわけにはいかないでし
ょう。そんなことをしたら、「京都府都」になってしまいます。
 京都で、同じ動きが起きたら、そのときこそ、
 「京都府」も「京都市」も消え、
 突然、
 「京都」が復活するのです。
 そうです。
 「京の都」の復活です。

 そのとき、東京都は、「ひがし」「きょうと」に転落してしまい
ます。

 京都には、京都御所があります。
 これは、明治維新まで、何百年もの間、天皇家のすまいでした。
 「京都府」が「京都」になったとき、天皇家は、京都に戻るとい
うオプションもあるかもしれません。

 橋下知事のトライは、彼がどこまで意識しているのかは知りませ
んが、本来、実は、そこまでの長い射程のある話なのです。
 橋下氏には、ちょっとがんばってもらいたいと思います。


タイの洪水・・・水没の危機にあるのは、実は、日本経済ではないでしょうか。

2011年10月20日 14時42分27秒 | 日記

 タイの洪水には驚きました。



 都市や工業地帯が、まるまる水没してしまうことに、も
ちろん、まず驚きましたが、日本の企業がこれほどまでに
タイに進出していることには、それ以上に驚きました。


  タイに進出と書きましたが、製造業の生産拠点を、日本
からタイに移転したということです。
 なにしろ、タイで作っている日本車は、150万台に達
するそうです。「日本車」と書きましたが、日本の企業の
車というだけのことであって、実際は「タイ車」ですね。

 自動車だけではありません。
 もちろん、自動車の部品メーカーもどっと出ています。
テレビのインタビューで、タイにある日系の自動車部品メ
ーカーの役員が「洪水で、部品の生産がストップしていま
す」と答えていました。インタビュアーに「部品は、どこ
に出荷していたのですか?」と聞かれ、この役員は「ホン
ダです」と答えていました。もちろん、タイのホンダのこ
とです

自動車の生産が、タイの国内で完結しているわけです。
もちろん、多く電機メーカーも、生産拠点というか、工
場を、タイに移転しています。洪水で水没した工業団地の
映像を見ると、パナソニックの文字が見えます。

水没した工業団地は、1つや2つではありません。
5、6か所の工業団地が水没しています。
そのすべてに、日本企業の工場があるのです。

かつて、北海道の苫小牧に、苫東工業地帯というものが
計画されました。しかし、工業団地の土地の造成はしたも
のの、日本企業はほとんとそこに工場を作らず、計画はい
つの間にか消えてしまいました。
日本国内には、あちこちに、同じような工業団地があり
ます。そして、同じように、計画倒れになっています。

それなのに、タイには、5つも6つも工業団地があって、
そのすべてに、日本企業が進出しているのです。

もちろん、理由はあります。
ステレオタイプに、簡単にいえば、国際化、グローバル
化ということになります。タイで作った自動車や電機製品
は、タイから東南アジアに輸出されます。東南アジアに輸
出するなら、東南アジアで生産したほうが、輸送コストも
かからず、都合がいいというわけです。

さらには、賃金の安さでしょう。
日本の賃金は、世界的に見て、かなり高い賃金というこ
とになっています。

そして、その根底にあるのは、円高です。
生産に与える円高の影響は、いくつかのパターンがあり
ます。
ひとつは、円高によってドルベースにした輸出価格が高
くなってしまい、海外の企業との価格競争に負けることです。
1ドル200円のころには、200円の製品を輸出す
るとき、値段は1ドルですみます。ところが、1ドル10
0円の円高になると、200円の製品を輸出するとき、値
段は2ドルに跳ね上がってしまうのです。日本企業は、同
じ200円で製品を売っているつもりなのですが、ドル建
てになると、1ドルから2ドルへ、製品の値段が2倍にも
高くなってしまう。2倍になった商品は、だれも買ってく
れません。
そうやって、韓国企業や中国企業に負けていくわけです。

 もう、日本でモノを作っても、勝負にならない。
 海外に工場を移転し、海外で生産するしかなくなって
きたのです。
  
 円高の影響のもうひとつのパターンは、たとえば、日本
国内の賃金です。
 日本国内の工場で働くと時給1000円だとしましょう。
 あくまで仮の数字です。
 1ドル200円だと、時給は5ドルです。
 ところが、1ドル100円になると、時給はなんと1
0ドルに跳ね上がります。
 日本の国内の賃金水準は、なにもしていないのに、国
際比較をすると、円高によって、勝手に2倍に跳ね上がる
わけです。
 そうやって、いま、日本の賃金水準は、世界的にトップ
クラスの高い水準になってしまっています。

 これは為替のマジックです。
 日本国内で円で時給をもらっている派遣さんは、
「こんな給料じゃ生活できないよ」
と思っている。
 しかし、それをドルベースでみると、世界的には非常に
高い時給になっている。
 雇用する日本企業にしてみると、ドルで支払うなら、タ
イのほうが思い切り安くなる。それなら、タイに工場を作
ってタイで労働者を雇おうかということになるのです。

いま、ここで書いてきたような状況は、大変異常な状況
です。
日本企業は、日本にいないで、どんどんタイに出て行っ
ていたのです。
タイだけではありません。
中国にはもっと出て行っています。
ベトナムにも工場を作っています。
マレーシアもかなり多いですね。

これを国際化、グローバル化といえば恰好はいいのです
が、誤解を恐れずにいえば、これは
 「失業の輸入」
です。

海外に工場を作るというのは、海外で雇用の機会を作る
ということです。それは、本来なら、日本にあるべき雇用
の機会を、海外に出しているわけです。
言い換えれば、海外進出は、
   「雇用の輸出」であり、
   「失業の輸入」
なのです。

 私たちが、いま、タイの洪水で改めて目の当りにしてい
るのは、そういうことです。

 あのタイの水没した工業団地にある日本の企業が、いま、
すべて、日本国内にあれば、日本には、雇用の機会が実に
豊富にあることになります。
 あの水没した日本企業の工場が日本国内にあれば、日本
の新卒の大学生が、就職の内定をもらえず、駆け回るなど
ということをせずにすんだのです。

 これが、生産の空洞化です。
 日本経済は、すでに空洞化している。
 タイの洪水の映像を見て、そう思わざるをえません。

 ここまで、タイに日本企業が生産拠点を移転した原因と
理由は、その根っこにあるものは、
       円高
 です。

 1ドル=120円ぐらいなら、日本企業は、ここまで海
外移転をせずにすんだでしょう。
 しかし、76円台というのは、もういけません。
 円高を放置した責任は大きいのです。

 企業は、タイに工場を作り、タイから各国に輸出する。
だから、企業は、それなりに利益を確保できる。
 しかし、日本という国は、いつ終わるともしれない経済
の低迷にあえぐ。
 
 何回か、このブログで書きましたが、これは、
   「国破れて 企業あり」
 です。
 タイで作った自動車を日本車といえるのか?という話
です。

 いまここに書いたストーリーは、あえて、一方的な見方
に立っています。
 反論はいくらでもできます。
 たとえば、いや、日本企業がタイに進出したことによっ
て、タイ経済は豊かになり、タイの人々の生活水準は上が
ったはずだーーという反論が当然あるでしょう。
 それが、たぶん、いちばん有力な反論です。

 あるいは、いや、日本企業が海外に出るのは、経済の国
際化であり、グローバル化であって、そんなことは当然だ
という議論も当然あるでしょう。
 
 しかし、問題は、日本国内の失業率をこんなに高くし、
長い長い経済低迷にあえぎ、長い長いデフレに苦しみ、
それなのに、そんな国内を放っておいてまで、企業は海外
に出て行っていいのか? ということです。

 その原因を作ったのが円高であることは間違いありま
せん。
 そして、その円高に何も手を打たずにきたのは、今の民
主だけではなく、長期的に政権を取っていた自民党にも、
大きな責任があります。そして、それを支えてきた日銀、
大蔵省、財務省の責任もまた大きい。

 タイの人々が洪水で苦しんでいるのはまことにお気の
毒に思います。
 早く洪水が収まればいいと願います。

 しかし、その映像を見ながら、ああやって、すっぽり
水没しているのは、実は日本経済ではないのかと、危機感
を持たざるを得ないのです。





原発事故・・・「安心」と「安全」は違う。原子力を専攻した友人の考えを紹介します。

2011年10月19日 01時46分45秒 | 日記

 福島の原子力発電所の事故について、医者の友人が、なるほどと
いう考えを披露してくれました。この友人は、大学は工学部原子力
学科に入り、4年間、原子力を勉強して卒業し、その後、改
めて医学部に入学したという経歴を持っています。現在は医者をし
ています。
 大変おもしろい考え方だったので、ここに記して、紹介します。

 今回の原発事故に限らず、あらゆる事故で、「安心と安全」とい
う言い方をします。
 彼はまず、「安全」と「安心」は違うといいます。
 「安全」は、科学的なものだが、
 「安心」は、心理的なものだというのです。

 なるほど、その通りです。

 この飛行機は、ちゃんと強度を計算して作ってあるから、「安
全」です。
 この工場は、事故を防ぐ方策を二重、三重に敷いているから、
「安全」です。

 ーーというのは、科学的な根拠に基づく言い方です。

 原発でも、科学者は「安全」ですと言ってきました。

 ここで、二つのテーマが分岐します。
 ひとつは、科学者は「絶対に安全」とは言わないーーというこ
とです。
 というのは、「絶対安全」というものはないことを、科学者は
知っているからです。
 絶対に落ちない飛行機はなく、実際、1年に何回か、飛行機の
墜落事故が報じられます。
 100%の安全というものはないということです。

 もうひとつ。
 科学者は「安全」かどうかはいうけれど、「安心」かどうかを
いうのは科学者の役割ではないーーと、この友人は指摘します。
 この原発は「安心」ですと言うのは、科学者ではなく、政治や
行政の役割だと、この友人は言うのです。

 「安心」とは、心理的な要因なので、科学者としては「安心」と
いう言葉は使いたくない。また、使えないそうです。
 科学者が「安全だ」と判定した原発を、それに基づいて、「この
原発は安心です」と言うのは政治や行政の役割だというのです。

 なるほど。

 しかし、「安心です」という言葉を聞いて、私たちが安心するか
どうかは、「安心です」と言う人が、どのぐらい信頼できる人物か
によります。
 頼りない人が、「これは安心できます」といっても、だれも安心
しない。
 
 福島原発の事故に際し、菅首相はじめ、どの政治家、あるいは役
人が、「安心です」といっても、だれも信用しません。
 
 そこで菅首相は、科学者に「安心です」と言わせようとした。

 ところが、科学者は、「安心です」とはいえない。
 
 なぜかというと、すでに見たように、「安心です」というのは
科学の言い方ではないからです。

 しかし、首相からなお責められると、科学者は、しようがないので、
せめて、「安全」という言葉をいうしかない。
 でも、「絶対安全」「100%安全」とはいえない。
 
 そこで、「もう爆発はありませんか?」「もう安全ですか?」と
質問されたら、口ごもってしまう。
 結局は「(爆発の)可能性はあります」としか答えられない。

 すると、
 え?可能性はある?
 それはどういうことですか?
 安全じゃないということですか?
 という展開になり、話が泥沼に入っていく。

 友人の指摘は、以上のようなものです。

 政治家が「安心です」と言えば、国民が納得するーーそういう
状況になるには、政治家が国民から信頼されていなければならない。
 いま、「安心です」といって、国民を納得させられる政治家はい
るのか。いや、いないだろう。それが問題ではないか。
 ーー友人の結論は、それです。

 なるほどなあと思ったので、ここに紹介しておきます。
 なるほどねえ。





韓流ブーム・・・なんで韓流スターがこんなに人気なんでしょう。日本のタレントは猛反省が必要です。

2011年10月17日 22時33分03秒 | 日記

 韓国のドラマ、いわゆる韓流ドラマがこんなにも爆発的な人気に
なり、しかも、その人気がここまで持続するとは思いませんでした。

 きっかけは、もちろん、ペ・ヨンジュン氏の「冬のソナタ」です。
 冬のソナタは、一過性のブームに終わるのだろうと思っていましたが、
なんのことはない、あれがすべての始まりでした。

 なんで、こんなに韓流ブームになったのでしょう。

 ひとつは、ペ・ヨンジュン氏をはじめとする韓流スターの優しさ
だと思います。

 優しさ。
 それなら、日本の役者やタレントはどうなんだといいますと、正
直言って、優しくないと思います。

 日本のタレントや役者は、ファンや一般の視聴者を、からかいす
ぎるのです。いわゆる「いじり」すぎるのです。

 典型的なのは、毒蝮三太夫氏です。
 彼は、ラジオによく出ていて、番組の中継で、近所のスーパーに
行きます。スーパーでは、あらかじめ「毒蝮三太夫 来る」という
ような告知がされているので、大勢の主婦が集まっています。
 集まった主婦を前に、毒蝮三太夫氏は、必ず、こういうのです。
 「ババア、生きてたかっ」
 「ババア、元気かっ」
 「もういい加減、死ねよっ」
これを聞いて、集まった主婦のみなさんは、どっと笑います。
 これが毒蝮氏のパターンです。

 しかし、これは、なにか勘違いしてませんか。

 「ババア、生きてたかっ」と、みんなの前で言われて、本当に楽
しいと感じる人は、いないでしょう。
 みんなの前で、「ババア、生きてたかっ」といわれたら、頭にき
ても怒るわけにはいきません。笑うしかないでしょう。

 それに対し、ペ・ヨンジュン氏は、絶対に、そんなからかい方を
しません。徹頭徹尾、ファンや視聴者に、優しく優しく接します。
 ペ・ヨンジュン氏は
 「奥様、お目にかかれてうれしく思います」
 「奥様、お元気でしたか」
 と言います。
 ペ・ヨンジュン氏は間違っても
 「ババア、元気かっ」とは言わないのです。

 みなさん、ファンや視聴者の立場として、どちらがいいですか?
 私が主婦なら、毒蝮氏より、ペ・ヨンジュン氏のほうがいいなあ。

 毒蝮三太夫氏の笑いにつきあうのは、疲れるのです。
 視聴者も、無理して笑わなければなりません。

 ペ・ヨンジュン氏に対しては、そんな疲れるような思いをしなく
てもいいのです。

 日本の人気タレントって、みんな、どこかしら、毒蝮三太夫氏の
ようなところがあります。
 まず、明石屋サンマ氏がそうでしょう。
 彼の芸は、視聴者を参加させて、からかうところにあるのです。
もう終わりましたが、「恋の空騒ぎ」が典型です。「恋の空騒ぎ」
で、サンマ氏は、登場する素人の視聴者、それも女性を、あろうこ
とか、「おまえ」といいます。
ペ・ヨンジュン氏をはじめ、韓流スターが、視聴者を「おまえ」
呼ばわりするシーンというのは、考えられないでしょう。

 「おまえ」と呼ばれた素人の女性は、まあ、それを彼とのやりと
りだと割り切って、出てきています。
 だから、彼女にとっては、それでいいのでしょう。
 しかし、ずーっと、そんなことをされていてごらんなさい。彼女
だって、疲れますよ。そういうやりとりをするには、彼女は、常に
テンションを高くキープしておかなければなりません。
 それは疲れることです。

 それに、テレビを見ている視聴者だって、サンマ氏が素人の女性
を「おまえなあ」と呼びながらかさにかかっていびり続けるのは、
それは初めはおもしろいけれども、見ているうちに、だんだんつら
くなってくることがあります。

 引退した紳助氏もそうです。
 彼の場合は、サンマ氏と違って、素人ではなく芸能人をいびると
いう芸でしたが、パターンは同じです。

 笑福亭鶴瓶氏もそうでしょう。
 彼は、NHKが好きですが、この人は、実際には全然優しい人間
ではないように思います。どうして、この人が優しいと思うのでし
ょう?
 うっとおしい人ですよ、この人は。

 役者や歌手にしても、たとえば、キムタク君なんかは、気むずか
しいというイメージが定着しています。
 
 先日、チャン・グンソク君が日本に来て、たくさんの女性ファン
を集めていました。
 ペ・ヨンジュン氏にしろ、チャン・グンソク君にしろ、キムタク君
と違って、気むずかしいイメージなんかないでしょう。サインをね
だりに行ったら、きっとサインしてくれそうじゃないですか。
 あいさつでも、徹底的に優しい言葉をつかいますしね。

 そうなんですよ。
 韓流スターって、見ていて、疲れないんのです。
 それに対し、日本のタレントやスターって、なんだか疲れるので
す。

 現代社会は、疲れることばかりです。
 そんななかで暮らしていて、徹底的な優しさってうれしいですよ。

 大阪人は、ぼけと突っ込みを、お互いにやりあいます。
 しかし、たまには
 「もうほんま、突っ込みばかりで、疲れるわ」
 と思うことだってあるのです。
 大阪人だって、優しさには感動するんですよ。

 その優しさが、虚像であってもいいじゃないですか。
 タレントって、もともと虚像でしょう。
 その虚像が、ファンを疲れさせるようでは、タレントとして失格
です。

もしかすると虚像かもしれないけれど、韓流スターたちは、
     「優しさ」
 をみごとに演じきっています。
 
 韓流スターの「優しさ」は、いまの日本のタレントが失ってしま
ったものです。
 日本のタレントは、思い上がってしまったのではないでしょうか。

 日常生活で疲れた日本人が、どちらを選ぶか。
 答えは明白でしょう。

 日本のタレント、芸能人、役者は、猛反省が必要です。


世界のデモ(2)・・・70年代のデモと比べると「希望」がありません。時代の閉塞感が強いのです。

2011年10月17日 01時31分43秒 | 日記

 今回の世界的なデモは、カナダの広告雑誌の社長が呼びかけたー
ーという報道があります。今晩のテレビのニュースショーでも、コ
メンテーターが、思わせぶりに、そんなことを話していました。


 
 しかし、ちょっと待て。
 コトは、もっと唯物論的に考えなければなりません。
 この社長が呼びかけたのは、事実でしょう。
 そして、その呼びかけに応じた人たちがいたのも事実でしょう。

 しかし、現在の世界の根底に、現状に対する不満がたまっていな
ければ、このように多くの人々が抗議行動に立ち上がるということ
はありえません。

 この社長の呼びかけは、たまたま、現代の人々の心の中にある不
満に火をつける一本のマッチになっただけです。

 唯物論的に、というのは、そういうことです。

 逆にいえば、もし、この社長がデモを呼びかけなくても、いつか
必ず、同じようにして、大規模な抗議デモが起きたでしょう。
 この社長がいなくても、別の社長、別の人が現れたでしょうし、
あるいは、そうした別の人物が現れなくても、自然発生的にデモは
起きたのです。

 こうやって、「仕掛け人」を探し出すのは、デモの根底にある
人々の不満から、目をそらすことになりかねません。
 それが危険なのです。

 昨日、70年代のデモと、今回のデモを対比しました。

 そうした二つの時代を反映するものがあります。
歌です。

 70年代の学生運動やデモを代表する歌は、日本においては、
「友よ」というフォークソングです。

 友よ
 夜明け前の 闇の中で
 友よ
 戦いの 炎を燃やせ
 夜明けは近い
 夜明けは近い
 友よ
 この闇の 向こうには
 友よ
 輝く明日がある

 これは、岡林信康の作詞・作曲です。
 この歌は、70年代、あらゆる場面で、歌われました。
 大合唱となったものです。

 特徴は、「希望」です。
 明るいことです。
 「友よ いまはこんな闇の中にいるように見えるけれど、夜明け
は近いんだ。闇の向こうには、輝く明日があるんだ」
 そう訴えています。
 明るい明日を我々の手にするために、いま、こうやって、デモを
しているんだーーという、力強いものがあります。

 同じように、アメリカで歌われた歌があります。
 それは、We shall overcome です。

 We shall overcome
 We shall overcome
 We shall overcome someday
 Oh, deep in my heart
 I do believe
 We shall overcome someday.
 
 私たちはいつか勝利する。
 そうだ。
 私たちは心の中深く、信じてやまない。
 私たちはいつか勝利する。

 この歌は、アメリカのベトナム反戦と結びついて歌われたのです
が、すぐに、世界中に広まりました。
 日本でも、デモのとき、「友よ」とあわせて、We shall
 overcomeが歌われたものです。

 この歌も、明るい歌でしょう。
 私たちは、いつか必ず勝利する。
 そういう歌です。

 この二つの歌は、70年代の学生運動と、それに伴う抗議デモ、
抗議の動きを代表し、象徴するものです。

 決して「仕事がほしい」という訴えではないのです。

これに比べて、今回のデモと抗議活動は、どこが違うのでしょう。
 決定的なのは、今回は、「希望」や「明るさ」がないことです。
 今回のデモは、どこにも、希望を感じさせないのです。

 仕事がほしい。
 経済格差を是正せよ。
今回のデモの訴えは、そういうことです。

 ここには
 「闇の向こうには輝く明日がある」とか
 「We shall overcome」
 というような意志と希望がありません。

 もしかすると、いまの社会は、もう、希望や明るさを感じられな
くなってしまったーーということなのでしょうか。

 70年代の学生運動のうねりと比べ、今回のデモは、非常に暗い
側面ばかり感じるのです。
 このデモの向こうに、展望が見られないのです。
 デモの参加者は、夜明けが近いとは、思っていないでしょう。

 それだけ、時代閉塞の状況は、いよいよ厳しいということではな
いでしょうか。




世界各地でデモが起きています・・・時代閉塞の現状に私たちは答えなければなりません。

2011年10月15日 23時11分34秒 | 日記

 世界各国の大都市で、社会の現状に不満を持つ人たちがデモ行進
をしました。
 経済格差の是正を求めて、ウオール街で始まったデモが、世界中
に広がったものです。

 デモの参加者たちが訴えたのは、貧富の差の是正、経済格差の是
正、そして、仕事ーーです。
 仕事がほしい、働く場がほしいということです。

 これをどう考えればいいのでしょう。
 
 世界的に、失業が大きな問題になっています。
 それが、このデモの根っこにあります。
働きたいのに、働く場がない。
 大学を出たのに、就職先がない。
 若い人々の失業がひどい。

 それなのに、銀行や証券の金融関係者は大金を手にしているーー
という不満が、ウオール街のデモの背景にありました。

 しかし、今回、そこから世界各国に波及したデモは、もっと素朴
な広がりがあって、仕事がほしい、働く場がほしいーーという訴え
になっています。


 世界中で、こんなにも、私たちは、働く場がないのでしょうか。
 どうして、こんなにも、失業者が増えたのでしょうか。
 
 かつてーーというのは、1960年代末から1970年代にかけ
てですが、世界的に、大きな学生運動のうねりがありました。
 当時は、世界の各地で、今回と同じようにデモがありました。
 いや、もっと大規模なデモでした。
 今回とは比較にならないぐらい大きなデモが、毎日のように、各
地でありました。

 今回と同じようにーーと書きましたが、デモが訴えたものは、か
なり違っています。
 当時は、政治体制の変化を求めるのが狙いであって、失業をなん
とかしてほしいとか、仕事がほしいというものではありませんでし
た。
 いまより、もっと政治的、もっと思想的なデモでした。
 ひとつには、社会主義的な理想を背景にした側面がありました。

 日本の場合を見ると、1970年代は、やはり学生運動の嵐が吹
き荒れたのですが、このころ、大学生は就職に困るということはま
ずなかったのです。大学を卒業すると、そんなに苦労せず、どこか
に就職できました。
若い人の失業は、問題にはなっていなかったのです。
 ですから、デモも、「仕事がほしい」というものではなかったの
です。
 
 その点が、今回のデモと、決定的に違うところです。

 では、どうして、いまは、違ってしまったのか。
 このブログで、先月、「時代閉塞の現状」というシリーズは3回、
書きました。
 そこで、地球の人口に触れています。
 1970年代の地球の人口は35億人ほどです。
 2011年のいま、それが70億人に達しようとしています。

 もちろん、人口論だけで論じてしまうのは危険でしょう。
 しかし、人口が倍に増えたのは事実です。
 では、仕事の機会、働き口は、同じように2倍に増えているので
しょうか? 
 答えは、NO でしょう。

 失業が増えるのは当然です。

 このデモに対し、では、世界のすべての国で政権が交代すれば、
解答はあるのかというと、それも NO でしょう。
 失業者が増え、仕事がない。
 それに対し、どのような政権が登場したとしても、答えを出すの
は容易なことではありません。

 70年代の学生運動は、我々が新しい国を作れば、新しい未来が
拓けるという、明るい理想がありました。

 今回は、そうではありません。

 今回のデモは、その背景に、
 「我々の地球は、70億人という人口を養えるのか」
 という、究極の問題を突きつけているように思います。

 それが、時代閉塞の現状です。

 私たちは、この問いになんとかして答えられなければなりません。
 それが、いまこのときを生きる私たちが解くべき課題です。




日本人大リーガーのヒゲ・・・あれは似合いません。貧相な顔になります。悪役レスラーに見えます。

2011年10月13日 16時13分15秒 | 日記

 アメリカの大リーグでプレーする日本人選手は、なぜ、
ヒゲをはやしたがるのでしょうか。
 それも、なぜか、アゴの下だけに、はやそうとするので
す。

 松坂選手が典型的です。
 アゴの下だけに、ちょろちょろっと、ヒゲをはやします。
 かつて、メッツでプレーした吉井投手もそうでした。
 松坂選手は、注目される選手だけに、よけいに目立ちま
す。

 アゴのヒゲではないけれど、やはり、ヒゲをはやしてい
るのは、
 イチロー選手 
 上原投手
 斎藤投手
らですね。

 だれも、日本ではヒゲをはやしていなかったのです。
 日本ではやしていないのに、なぜ、大リーグに行くとヒ
ゲをはやすのか。
 
 理由を直接本人に聞いたことはありませんが、だいたい、
想像はつきます。
 日本人の顔は、若く見られるのです。
 若くというか、子供っぽくみられることがある。
 
 若く見られるーーというより、正確にいえば、
 「子供っぽく見られる、といわれている」
 「若く見られる、と日本人は勝手に思っている」
というべきでしょうか。

 松坂選手は童顔です。
 イチロー選手も、渡米したころの写真を見ると、若々し
い。というより、童顔です。
 
 アメリカに行き、若く見られたくない、軽く見られたく
ないーーという気持ちになるのでしょう。
 しかし、それは、日本人の勝手な勘違いです。
 アメリカ人では、むしろ、若く見えるほうが好まれます。
 若く見られたくない、軽く見られたくないからヒゲをは
やすというのは、意識過剰です。

 そして、なによりも、あのアゴヒゲは、日本人選手は、
だれも、似合わないんですね。
 松坂選手は、ひじを手術したあと、先日、久しぶりに軽
いピッチングをし、報道陣の前に姿を見せました。
 なんと、手術のあとだというのに、わざわざアゴヒゲを
はやしているではありませんか。
 

 あのアゴヒゲは、ひとことでいって、貧乏くさいですね。
 貧相に見える。
 周囲も、注意してやればいいのにと思います。

 かつて、日本のプロレスに、グレート東郷という悪役レ
スラーがいました。
 力道山のころです。
 この人は、素性がわからないところが多いのですが、日
系のアメリカ人です。
 有名な悪役です。
 アメリカ人が、「日本人の悪役」というイメージを抱く、
その通りのスタイルをしていました。
 下駄はいて、ニタニタ笑って。
 そして、アゴヒゲです。
 アゴにちょろちょろっと、無精ヒゲのようにヒゲをはや
す。これが、見るからに、貧相なイメージとなり、悪役ス
タイルに花を添える(?)のです。

 言っちゃあ悪いけれど、松坂選手やかつて吉井選手のア
ゴヒゲは、まさしく、この悪役レスらー・グレート東郷の
アゴヒゲなのです。

 松坂選手をはじめ、日本人の大リーガーは、なんでわざ
わざ、こんなみずぼらしく、貧相なアゴヒゲをはやすので
しょう。
 あれは、みんなに嫌われる悪役プロレスラーです。
 なんで、そんなことがわからないのでしょう。
 あれは、周囲の人が言ってやらないといけないと思いま
す。

 アメリカ人はヒーローが好きですが、しかし、アメリカ
のスーパーヒーローって、だれも、ヒゲ、はやしてません
よ。
 スーパーマンはヒゲないでしょう。
 スパイダーマンもそうです。
 バットマンもそうです。
 スターウオーズのハリソン・フォードもそうです。
 プロレスの正義役レスラーもそうです。
アメリカのヒーローって、みんな、つるっとした顔をし
ています。
 どちらかというと、本当に、つるっとして、子供みたい
な顔立ちですよ。スーパーマンの演じたクリストファー・
リーブが、まさにそうでしょう。残念ながら亡くなりまし
が、彼は、若々しく、つるつるした肌だったでしょう。
まもなく公開されるヒーローものの映画「ミスター・アメ
リカ」の主人公も、まさしく、ああいう感じです。

 彼らは、絶対に、ヒゲなんかはやしてませんよ。
 まして、薄汚いアゴヒゲなど、見たこともありません。
 
 ヒゲをはやしたヒーローはいません。
 そうです。
 アメリカ人って、若さが好きなんです。

 せっかく、つるつるした肌の若々しい日本人が、
わざわざ、似合いもしないヒゲをはやす必要はないのです。
 日本人大リーガーのヒゲ、ぶさいくで、貧相です。
 もう、ヒゲ、そりませんか。






ノーベル経済学賞・・・世界経済の混乱に解決策を出せない経済学にノーベル賞は不要です。

2011年10月10日 21時00分01秒 | 日記

 ノーベル賞の発表がそろそろ終わりに近づき、きょう10月10
日に、経済学賞が発表されました。
 今年は、アメリカの経済学者2人です。

 しかし、ノーベル経済学賞は、限界に近づいてきました。
 個人的な予想ですが、そう遠くない将来、経済学賞は、廃止には
ならないにせよ、いったん中断されるのではないでしょうか。

 というのも、この混沌とした現在の経済情勢に、経済学は、
有効な処方箋を出せないでいるからです。

 いま、ギリシャが経済危機にあえいでいます。
 ギリシャの経済破綻は、このままでは時間の問題でしょう。

 ギリシャの経済危機をどう解決すればいいのか。
 ギリシャの経済破綻が現実のものとなったとき、それが世界経済
の混乱につながるのを避けるには、どうすればいいのか。
 そもそも、ギリシャ経済がここまでの危機に陥るのを、どうして
見逃してしまったのか。

 これに対し、経済学は、なんらの回答も出せず、解決策も提示で
きないままです。

 ギリシャ経済だけではありません。
 いまの円高も、経済学的には、不思議な現象です。この円高を
どうすれば、もう少しまともな為替になるのか。
 日本の長期のデフレも、そこから脱出する処方箋を、経済学は
結局、提案できずにいます。
 2008年のリーマンショックにしても、経済学は、なすすべも
なく、ただ見ているだけでした。
 
 もう長い間、現実の経済現象に対し、経済学は有効な手立てを
打ち出すことができないままです。

 そんな状態で、果たして、ノーベル経済学賞などというものを出
す意味があるのでしょうか。
 
 私は、大学で経済学を専攻しました。
 経済学は、素晴らしい学問です。
 おもしろい。
 現実の経済を分析するのに、ものすごく役に立ちます。
 経済学が重要なことはとてもよく分かる。

 しかし、だからこそ、いま、この混沌とした世界経済に、有効な
解決策を提示できない経済学は、いったいなんだろうと思います。

 ノーベル経済学賞は、いま、その存在意味を失いました。
 下手をすると世界恐慌につながりかねない現在の世界経済に対し、
経済学が、なにか画期的な処方箋を提示できるようになるまで、ノ
ーベル経済学賞は、一時、中断するべきではないかと思います。





アップル登場の5年前・・・日本の企業がインテルに世界初の製品を発注し、製品化されます。それは・・・。

2011年10月09日 03時10分16秒 | 日記

 1970年代に、日本では電卓戦争というものがありました。
 電卓が普及期を迎え、安売り競争が始まったのです。
 この電卓戦争をしかけたのが、電卓専業メーカーのビジコムでし
た。一時は、電卓といえばビジコムというぐらい、大きなシェアを
取りました。しかし、電卓戦争は結局のところ、企業の体力勝負に
なり、キヤノンやシャープといった大手電機メーカーに破れ、倒産
してしまいます。

 電卓戦争に際し、ビジコムは、電卓用の半導体チップを作ること
を決め、その開発を、シリコンバレーの小さな会社に依頼します。
 この会社こそ、いまをときめくインテルでした。

 ビジコムの発注を受け、インテルは、製品名4004という半導
体チップを開発しました。
 これが、世界初のマイクロプロセッサーでした。

 パソコンの心臓部は、マイクロプロセッサーと呼ばれる半導体チ
ップです。CPUとも呼びます。
 CPUは、セントラル・プロセッシング・ユニットの略で、日本
語では、中央演算装置 などと訳します。
 
 いま、パソコンを買うと、どこかに必ず、「intel インサ
イド」というシールがはってあります。テレビのCMでは、「イン
テル入ってる」というコピーが一時有名になりました。
 これは、そのパソコンは、インテルのマイクロプロセッサーを使
ってますーーという印なのです。
 いま、ほとんどのパソコンが、インテルのマイクロプロセッサー
を使っています。

 このマイクロプロセッサーの第一号こそ、日本のビジコムが発注
したものなのです。

 製品名は、先ほど記したように、4004 と名付けられました。
製品化されたのは、1971年のことで、ビジコムは、実際に、
4004を搭載した電卓を作ります。

 これが、インテルの4004を搭載したビジコムの電卓です。 
 現在の電卓と比べて、まだまだ大きいですね。
 
 ところが、ビジコムは、せっかく4004を搭載した革命的な
電卓を作りながら、自ら仕掛けた電卓戦争に敗れ、倒産してしまい
ます。
 そのため、4004は、宙に浮いてしまいます。

 繰り返しますが、これは、世界初のマイクロプロセッサーです。

 インテルは、この4004を放棄することなく、改良を重ね、1
980年代には、製品番号 8086 というマイクロプロセッサ
ーを仕上げます。
 8086は、4004の改良型です。
 
 スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウオズニアックの二人のス
ティーブが、世界初のパーソナル・コンピュータAPPLEⅡを製
品化したのは1976年です。
 ビジコムの発注によってインテルが4004を開発したのが19
71年ですから、わずか5年の差です。

 APPLEⅡによって、世界の電機メーカーは強烈な刺激を受け、
一斉にパソコンの開発に乗り出します。
 当然、半導体メーカーも、パソコンの心臓部になるマイクロプロ
セッサーの開発に着手します。
 初期のころ、多くのパソコンに使われたのは、
 ザイログ社の Z80 
 というマイクロプロセッサーでした。
 対抗馬は、
 モトローラ社の 6809
 というマイクロプロセッサーでした。

 しかし、最終的には
 インテルの8086
 が勝利を収めるのです。

 8086は、世界の多くのパソコンに搭載されます。
 ちなみに、アップルだけは、誕生のときから長い間、インテルを
使わず、独自のマイクロプロセッサーにこだわっていました。ただ
し、最近はインテルを使っています。

 8086の成功を受け、インテルは、8086をさらに改良しま
す。
 8086の初めの改良型は、
 80286 と名付けられました。
 8086の2番目の型ということで、「2」を入れたのです。

 3番目の改良型が、80386 です。
このあたりから、世界のパソコンのマイクロプロセッサーは、イ
ンテルの独壇場になります。

 4番目の改良型が、80486 です。

 そして、5番目が、80586 となります。
 しかし、インテルは、ここで呼び名を変えます。
 「5」は、英語で penta ペンタ です。
 8086から数えて5番目、ペンタのマイクロプロセッサーとい
うことで、インテルは、80856を、
 「ペンティアム」
 と名付けるのです。

 そうです。
 これが、私たちがよく聞く
 「インテルのペンティアム」
 なのです。

 いまは、世界のパソコンは、ほとんどが、このインテルのペンテ
ィアムを使っています。
 インテルは、パソコンの死命を制する圧倒的な大企業となりまし
た。
 
 ところが、いま、こうやって見てきたように、インテルのペンテ
ィアム 80586 は、世界初のマイクロプロセッサー4004
の子孫であり、4004は、日本の電卓会社ビジコムが発注したも
のなのです。

 4004はインテルが作ったわけですが、発注したのはビジコム
ですから、権利はビジコムにありました。
 
 ということは、ビジコムが倒産せずに、そのまま存続していたら、
いまのインテルのペンティアムは、実は、日本企業であるビジコム
のペンティアムだったかもしれないのです。
 その可能性は、おおいにあったと思います。

 日本でパソコンを作っている富士通もNECもソニーも東芝も、
アメリカでパソコンを作っているHP(ヒューレット・パッカー
ド)もDELLも、世界のパソコンメーカーはどこもインテルのペ
ンティアムを使います。インテルに対し、いちいち、お金を払わな
ければなりません。それはもう、ものすごい金額です。なにしろ、
インテルのマイクロプロセッサーがなければ、パソコンを作れない
のですから。

 しかし、もし、ビジコムが倒産しなかったら、いま、インテルの
地位にあるのは、ビジコムだったということになります。
 
 これは歴史のIFですが、日本の企業は、というより、日本は、
ものすごく惜しいことをしました。
 本当に惜しかった。
 惜しいなんてものじゃないですよ。
 ああ、残念!

 みなさんも、会社や家庭で、電卓を触るたびに、ビジコムの名前
とともに、この話をちょっと思い出してください。ああ、残念だっ
たなあと。




スティーブ・ジョブズ・・・本当に残念です。二人のスティーブとビルゲイツ、そして、日本の話を。

2011年10月06日 12時53分00秒 | 日記

 アップルのスティーブ・ジョブズ氏の訃報が伝えられま
した。ガンの手術をした後も、いまひとつ体調がよくない
ようでしたが、それにしても、突然、という思いがします。
 56歳でした。
 大変残念です。

 アップルといえばスティーブ・ジョブズ氏ですが、しか
し、アップルは、1976年、「二人のスティーブ」によ
って設立されたのです。
 ひとりは、もちろん、スティーブ・ジョブズ氏です。
 そして、もうひとりが、スティーブ・ウオズニアック氏
です。

この写真の左がスティーブ・ジョブズ、右がスティーブ・
ウオズニアックです。
 
 ふたりは、まだ大学生で、家のガレージを工場にしてパ
ソコンを作りました。
 このパソコンがAPPLEです。

 当時は、日本では、まだパソコンという言葉も広まって
いず、「マイコン」と呼ばれたりしています。もちろん、
いまのような「PC」などという言い方は存在さえしてい
なかったのです。

 そのころのパソコンは、基盤のキットのセットを買って
組み立てるもので、まだまだ、一般の人に普及するような
ものではありませんでした。
 ところが、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウオズ
ニアックの「二人のスティーブ」が作ったAPPLEⅡは、
すべてが完成した形になっていて、それだけでも、画期的
な製品でした。

 訃報を報じるテレビのニュースで、スティーブ・ジョブズ
の功績を、「安価なパソコンを発売し」と報じたものが
ありました。
 それは、取材不足もいいところで、大間違いです。
 APPLEⅡは、そうではなくて、ほとんど世界で初めて
のパソコンだったのです。

 当時、コンピューターというのは、人間の背丈より高い
ような超大型のマシンが何台も並び、オフィスのデスク
の上に、その端末(キーボード)が置いてあるーーという
イメージだったのです。
 その雄がIBMだったわけです。
 とても、個人のレベルで買ったり使ったりできすものでは
ありません。

 それを、個人でつまりパーソナルに使えるようにして
作ったコンピューターを、二人のスティーブが作ったの
です。
 それが、パーソナル・コンピュータであり、
 その輝く第一号が、APPLEⅡです。
  
 だれでも使えるようなコンピュータ初めて作った。
 それこそが、二人のスティーブの大きな大きな功績です。

  
 「安価なパソコンを出した」などと報じるのは、本当に
取材不足もいいところです。取材不足というより、何も
取材せずに書いたーーというしかないでしょう。
 そんなことを書くのは、二人のジョブズに対して、失礼
でしょう。 

 さて、このとき、APPLEⅡ用に開発されて、非常に人気
の出たソフトは、ゲームです。
 どんなゲームかというと、
1) 地下迷宮でモンスターと戦う「ウイザードリー」   
                  wizzardry
2) モンスターがうろつく世界を探検する「ウルチマ」   
                  ultima
です。
このふたつが、パソコンの本当に初期のころの、二大ゲーム
ですね。

 こういうIT系、もちろん、ITなどという言葉は最近
できた言葉で、その当時にあるはずもないのですが、まあ
いまの言葉でいえばIT系ですね、そのIT系のツールが
広く使われるようになる原動力は、だれがなんといっても
ゲームです。
 ウイザードリーをやりたいからAPPLEⅡを買うとい
う人が少なくなかったのです。

 ゲームを軽視する人は、IT系の世界では成功しません。
 人間は「ホモ・ルーデンス」であって、「遊ぶ人」なの
です。

 そもそも、ゲームって、動きが激しく、アイデアも要求
されるので、作るのが難しいのです。ビジネスソフトより、
ゲームソフトを作るほうが、技術的にははるかに高い水準
を求められます。
 だから、ゲームを作れるというのは、高い技術を持って
いるということにもなるのです。

 さて、二人のスティーブだけではありません。
 もうひとりの天才がアメリカで活動を開始します。
 それが、ビル・ゲイツ氏です。

 二人のスティーブのアップル社が、APPLEというハ
ードウエアそのものを作り、大革新をもたらしたの対し、
ビル・ゲイツは画期的なソフトウエアを作って、同じよう
に大革新をもたらしました。
 ビル・ゲイツの作った会社がマイクロソフトで、その画
期的なソフトウエアが「ウインドウズ」だったわけです。

 その後、スティーブ・ウオズニアックは静かに身を引き、
表舞台には出てこなくなりました。
 そのため、アップル社は、スティーブ・ジョブズ一人の
名前が有名になってしまいましたが、古くからのパソコン
マニアには、スティーブ・ウオズニアックの名前も忘れる
ことができません。ウオズニアック氏にも敬意を表したい
と思います。

 このころ、日本でも、同じように、有名になった若い企
業家がいました。
 アスキーを作った西和彦氏です。
 西氏は、神戸生まれで、二人のスティーブやビル・ゲイ
ツ氏とまったくの同年代です。
 西氏はとくにビル・ゲイツ氏と仲がよく、西氏のアスキ
ーと、ビル・ゲイツのマイクロソフトは、蜜月のような
関係にありました。
 しかし、その後、西氏は、メインバンクの銀行団と対立
し、アスキーから離れます。
 
 この当時は、ソフトバンクの孫正義氏は、無名の存在で
した。
 ソフトバンクは、パソコン雑誌を出しており、どちらか
というと、パソコンの出版社という感じでした。

 1977年、二人のスティーブがアップル社を作ったこ
ろは、まさしく、パソコンの黎明期であり、新しい時代が
来るという明るい予感がありました。

 そうした黎明期からの立役者であったスティーブ・ジョブズが
思わぬ形で姿を消しました。

 初めてパソコンを買ったのが、きのうのことのようです。
 ジョブズ氏が姿を消したのは、本当に残念です。
 感謝と敬意を表します。

 次回以降、もう少し、続きを書きたいと思います。
 





こぼれ話・・・温暖化防止を決めた京都会議(COP3)は、寒かった。小雪が舞っていました。

2011年10月06日 10時51分08秒 | 日記

 ジャーナリストとして取材をするうちに、心に残った
話、思わず吹き出してしまった話というのがあります。
 それを、適宜、書いていきたいと思います。
 
 まず、温暖化防止の枠組みを決めた1997年の京都
会議、京都議定書から始めましょう。

 地球の温暖化を防ごうというので、気候変動枠組条約
という国際条約ができ、その会議が、定期的に開かれて
います。
 会議は、各国持ち回りで、もう何度も開かれています
が、これまででとくに重要だったのが1997年12月
に京都で開かれた京都会議です。
 よくCOP3というのがこれです。
 こっぷすりーと読みます。
 3回目の会議だったわけですね。

 京都会議では、温暖化の原因を二酸化炭素(CO2)
であると定め、その削減量を、具体的に決めたのです。
 日本はCO2を6%削減し、アメリカは7%削減、欧
州は8%削減するというのが目標です。アメリカは、そ
の後、この目標を不満として「離脱」を宣言しました。

 さて、この会議は、12月の初め、1週間という長丁
場で開かれました。場所は、京都市の北の郊外、北山杉
で有名な京都・北山の一角です。北山の山の上に、「京
都国際会議場」という大きな会議場があり、この会議場
が舞台になりました。会議場の真ん前にはプリンスホテ
ルがあり、参加した各国政府の代表は、このプリンスホ
テルに泊まっていました。
 プリンスは高いし、空室もないし、記者たちは、山の
ふもとにある京都市内のビジネスホテルに泊まってい
ました

 京都をご存じの方はぴんとくると思いますが、京都の
12月は寒いのです。京都は12月から2月にかけて、
底冷えします。

 しかも、郊外の北山の山の上の会議場です。
 そしてまた、舞台となった京都国際会議場は、なぜこ
んな建て方をしたのかと思うほど、コンクリート打ちっ
放しの、コンクリートがむき出しとなった建造物です。
 これを設計した建築家には申し訳ないけれど、建物自
体が、寒々としているのです。

 そうです。
 この会議は、とにかく、寒かった。
 寒い12月に、底冷えのする京都で、寒風の吹く山の
上で、コンクリート打ちっ放しの寒々とした国際会議場
で、この会議は開かれました。
 何の会議かというと、「温暖化防止会議」ですよ。

国際会議場の正面には大きな広場があり、各国の環境
団体がビラを配ったりして、参加者に働きかけています。
 ところが、なにしろ寒いので、「温暖化を防止しまし
ょう」というビラを配る手が寒さで震えています。
 ビラを受け取ろうにも、会議場に出入りする参加者は
コートから手が出ません。

 いやー、本当に寒かった。

それに、国際会議場の付近には、プリンスホテルがあ
るだけで、レストランもなにもないのです。
だから、会議場の外にいると、ただただ、むき出しの
山があるだけで、どうにもしようがありません。
それが寒さに拍車をかけます。

長丁場、一週間の会議をしているうちに、雪が降り始
めました。
12月の中旬、ようやく、京都会議は、各国のCO2
削減量を具体的に決めた合意を採択して、閉幕しました。
これが「京都議定書」と呼ぶもので、中身は、冒頭に
書いたように、CO2を、日本は6%、アメリカは7%、
欧州諸国は8%削減するというものです。
この数値をめぐって会議はもめにもめ、もしかすると
採択できずに終了するかという状況にもなりました。
はらはらしながら、ようやく採択したときは、深夜に
なっていました。

採択の瞬間、会場は大きな拍手に包まれました。
参加者も記者たちも、ほっとして、会議場の外に出ま
した。
すると、ひゆーっと寒風が吹きつけ、小雪が舞ってい
るのですね。
正面広場は、うっすらと雪化粧さえしています。
みんな、寒さに震えました。
各国から集まってきた記者たちも、「寒い、寒い」と
言いながら、取材しています。
みんなして、雪の中を移動し、寒さに震えながら、
「温暖化防止」
の原稿を書きました。

 温暖化防止?
 そんなこといわないで、早く暖かい所に入りたい。
 手が、かじかでしまって。
 これじゃ、風邪ひくよ。 

 地球って、こんなに寒い星なんだ。
 寒冷化防止の間違いじゃないですか。

 みんな、そんな感じでした。

 京都会議は、本当に寒い会議でした。
 あれは、なんというか、開催の時期、場所を選ぶの
に、ちょっと失敗したのではないでしょうかねえ。
 
 会議には、過激な環境団体も来ていましたが、小雪
が舞うなか、彼らも、苦笑しながら「温暖化防止」の
ビラを配っていましたね。
 
 まあ、そこまで考えて時期と場所を決めたとすれば、
それはそれで、恐るべき深慮遠謀というほかありません。
 ただ、現場にいた実感としては、たぶん、これは、何
も考えずに時期と場所を決めたな、こいつら、という感
じでした。