ツイッターによるツイート(つぶやき)を読むたびに、がっかり
します。
ツイッターでツイートする文章が、おしなべて、下品なのです。
ツイートによる反応が多いのは、ニュースサイトでしょう。
ニュースサイトで、なにかニュースが報じられると、多くのツイ
ートが書き込まれます。
その文章の多くが、読むに耐えないのです。
いま、ツイートが多いのは、たとえば、TPP(環太平洋経済協
力)です。
TPPのニュースが報じられるたびに、賛成派と反対派、両方の
ツイートが寄せられます。
反対派のほうが、圧倒的に多いようです。
その中に、元西武百貨店の社長で、国会議員も務めた水野誠一氏
のツイートがあります。水野氏は、実名でツイートしているので、
ここでも、実名で引用します。
たとえば、水野氏は、TPPを説明した民放のアナウンサーが気
にいらなかったようで、こうツイートします。
「このバカアナ、よくも大声でこんな嘘を」。
この「バカアナ」が典型的です。
バカアナという言葉を使った瞬間に、もう、冷静な議論はできな
くなります。
そしてなにより、水野氏は、このアナウンサーと対談でもしたと
きに、面と向かって「このバカアナ」と口にできるでしょうか?
そんなことをしたら、けんかになります。
そうなんです。
ツイッターって、口でいえない言葉を書いてしまうのです。
でも、水野氏の言葉づかいを見ていると、もしかして、西武百貨店
社長時代にも「あのバカな客」などと言っていたのかと、心配して
しまいます。
こういう言葉づかいは、損です。
試しに、いま、ニュースサイトから、ニュースに対するツイート
をいくつか、ひろってみましょう。
「天罰か」
「談合が横行する」
「書いたやつの知能程度が」
「マスゴミ」
「頭悪い」
「んなのどうでもいいよ」
という感じの言葉が次々に出てきます。
こういう言葉、相手を目の前において、口で言えますか?
言えないでしょう。
言えば、けんかになります。
こういう言葉は、結局のところ、個人攻撃になります。
たぶん、こういう言葉を書く人も、実際は、ごく普通の穏やかな
人なのだと思います。しかし、ツイッターで、ツイートすると、こ
うやって、下品で、きつく、危ない言葉になってしまうのだろうと
思います。
もともと、文章でなにか書くと、話すよりもきつくなる傾向があ
ります。話すときは、実際に相手が目の前にいることが多いので、
そんなにきつい言い方はできません。
しかし、文章で書くときは、相手が目の前にいないので、きつい
言葉が使いやすいのです。
ツイッターの文章が下品になるのは、まず、それがひとつの理由
です。
そしてなによりも、ツイッターは、ごく短い言葉で発信します。
短い言葉で書くとなると、自分の言いたいことを、よりわかりや
すく書く必要があります。しかし、実際には、短い言葉で自分の気
持ちを伝えるというのは、かなり難しい。
そこで、自分の気持ちをツイッターの制限の下で書くには、過激
な言葉を使って、人目を引きたくなります。
「バカアナ」もそうでしょう。
バカアナと書けば、水野氏が、このアナウンサーに怒っているこ
とが、すぐに分かります。
厳しい言葉は、便利なんですね。
しかしながら、そうしたことが、ツイッターを下品にしているの
は間違いのないことでしょう。
短い言葉を、相手にたたきつけるように書く。
いま、「書く」と言いましたが、では、
短い言葉を、相手にたたきつけるように口にする。
だとどうでしょう。
それは、
相手に対する挑発であり、
けんかを売ることにほかなりません。
あるいは、「捨て台詞」と言ってもいいでしょう。
そして、繰り返しますが、結局のところ、個人攻撃です。
ツイッターは、過激な言葉づかいによって、ただでさえ疲れてい
る現代人を、そして、現代人の心を、よりいっそう、ささくれ立た
せているのではないでしょうか。
考えてみてください。
普段の私たちの暮らしの中、たとえば、家庭の家族同士で、ある
いは、学校で同級生同士で、ツイッターに出てくるような「捨て台
詞」をお互い投げ合って暮らすとすれば、それは、いったい、どん
な暮らしでしょうか。
ツイッターにツイートするときは、その言葉を、相手を目の前に
して、口にして言えるかどうか、まず、それを考えてほしいと思い
ます。
そして、
ああ、こんなことを言えばけんかになるな、
ああ、私は、こんなこと、口ではいえない
と思うのであれば、ツイートする文章を、考え直してほしいと思
います。
いまのままでは、ツイートは、あまりに品がなさ過ぎます。
ツイッターは、個人攻撃の道具ではないはずです。
試用期間は約2週間程度でしたが、やはり限界・欠点があると感じました。
デマを信じてしまい、また、1リツイートに反応し、発信元に批判的な言葉をかけたりと、今考えれば冷静さを欠いた行動を起こしました。
ツイッターを始める前は、そんな方々を軽蔑していたのに、情けない話です。
また、ツイッターでは多数での議論が出来ません。
これが最大の欠点だと思いました。
そして、「口は災いのもと」ですね。
ツイッターを始めて、それを一番感じました。
いきなり喧嘩を売ってしまうのも欠点の1つだと思います。
やらずにツイッターを論じるよりも、やって論じる方が良いので、今回は良い社会勉強になりました。
今回の記事を読み、私が感じた事を代弁して頂いたように感じました。
誰もが陥りやすい罠なのかもしれません。
アメリカで言われる「キーボードウォーリアー」にならずに済み、私はラッキーだったと思います。
ありがとうございます。
私の考えを支持していただき、感謝します。
でも、本当に、ツイッターって、言葉遣いが
悪いですよね。相手に言葉を投げつける感じ
です。捨て台詞の応酬というところがあります。
おっしゃるように、リツイートに反応してしまう
というのは実感としてよくわかります。リツイート
するかたも、会ってみると、たぶん、ごく普通の
かたなんでしょう。
ツイッターのメリットばかり強調されますが、
その陰の部分も認識しておく必要があると
思います。
引き続きご愛読ください。
これ、航空機の乗客が機内で客室乗務員に対して地上では有り得ない暴言や暴行をぶつけてしまう問題や、クルマを運転すると性格が豹変する人がいる問題と、何か似ていませんか。
仮説ですが、これらの問題は、ある条件下で精神が一種のトランス状態(精神変容状態)に陥ってしまい、理性が退行して感情が押さえられなる現象(催眠で術者に指示されるままの感情や振る舞いをするのも理性の退行を人為的なトランス状態を作ることで起こしています)のが真因ではないかと感じます。
脳科学的な仕組みの持つ特性が絡んでいるとすると、航空機でキレて正気を失っている社長さんには、モラル教育よりもむしろ冷たいおしぼりと熱いお茶が効果的であるのと同様に、あっと驚く解決方法があるのかもしれませんね。
ひょっとして、ボイスコミュニケーションとテキストコミュニケーションでは、この「理性が感情を意識しなくても自律的に精度よく抑える回路」が、それぞれに別個についていて、ボイスコミュニケーションで習得した学習成果はテキストでは同じ精度で機能してくれないようななんらかの仕掛けが脳にあるんしゃないでしょうか。
だから、ボイスではいちいち意識しなくても感情は制御できる立派な大人が、テキストでは意識しないと感情むき出しになってしまうことが起きる、という仮説です。
新入社員がビジネスメールを毎日書いているうちに繊細な感情の伝え方や言い回しの選び方を自然と身につけ、当初は四苦八苦して推敲していたのが、そのうちに話し言葉がすらすら出るようにビジネスメールも書き言葉としてすらすら書けるようになる事実、話し言葉の世界のプロが必ずしも書き言葉のプロになれない事実、志村けんのトーク番組とブログの文章の感情表現能力の著しい落差。
この仮説なら説明がつきます。
に関し、有益なコメントをありがとうございます。
ボイスコミュニケーションからテキストコミュニケ
ーションへの移行がうまく行ってないーーという
のは、大変分かりやすく、なるほどという指摘
です。
80年代のネットの話もおもしろいですね。
飛行機に乗ったとき、飛行機の中で、スタッフ
に対して、地上ではちょっと考えられないよう
な態度を取るというのは、なるほど、そうです
よね。
それと似ているのではないかという視点は、
説得力があります。
うーむ。まことに貴重なご指摘です。
考えさせられました。
どうもありがとうございます。
(1)ネット時代になり、普通に暮らす多くの人びとが広く体験し、時に傷つき、時に傷つけ、苦い思いをしている極めて身近なテーマであること
(2)それほど広く起きている問題にも関わらず、ネットの現場ではあくまで一般的なモラルやマナーやエチケットの問題として片付けられていること
(3)しかし実際は、Twitterに加えて、上に書いた「ネットニュース(80年代の研究者向け掲示板)」、さらに80年代の「ニフティサーブ」等の「パソコン通信」(インターネット以前)にも起きていた問題であり、明らかに「ボイスコミュニケーション」と「テキストコミュニケーション」の違いに関係している問題であること。
(4)にも関わらず、テレビのコメンテーターなどをはじめとして、いまだに「匿名性」が原因だと解説するメディアが多いこと
(5)社会学や心理学、コミュニケーション論などの研究者が、これについて何かの知見(ケーススタディや心理学実験に基づく、より蓋然性の高い仮説など)を知っている可能性があること
(6)ネット選挙解禁、表現規制、民族問題など、ネット上の感情表現がいままで以上に大きなテーマとしてクローズアップされるきっかけが控えていること
が挙げられます。私は小さいメーカーで企画開発の仕事をしている技術者でして、このようなテーマを掘り下げて研究したり広く伝えたりする力もないのですが、たまたまネット利用歴が長いこともあって、「これ、絶対に何かそういうことが共通して起きる何らかの仕組みが人間の脳の中に潜んでるよなあ」と思っていた次第です。そんなときに検索でブログの記事を拝見し、日頃から漠然と感じていたことを書いてみたのが上のコメントでした。
ジャーナリストをなさっているたのこと、もしそのような機会がありましたらぜひ掘り下げて教えて下さい。ありがとうございました。
丁寧なコメント、ありがとうございました。
感謝しております。
大変有益なコメントでした。
たまには、また、当ブログにお立ち寄りください。
引き続き、ご愛読ください。