いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

小池百合子氏の誤算(続き)・・・小池氏は今回、どんなに批判されても自ら立候補すべきでした。希望の党イコール小池百合子だったのです。

2017年11月23日 20時36分47秒 | 日記

 前回の続きです。

 小池都知事が、希望の党の共同代表を辞任しました。党には関わ
っていくということですが、国政からはいったん離れ、都政に専念
するそうです。

 希望の党を設立したころ、小池知事は、そのまま総選挙で勝利し、
もしかすると政権まで取ってしまうのではないかという勢いでし
た。
 選挙があったのは、10月22日です。
 小池知事が希望の党を作ったのは、9月25日ことです。
 きょうは11月16日です。
わずか2か月前は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったわけです。
 たかだか2か月足らずの間に、希望の党は、ジェットコースター
のように激しく上下に動きました。
 ジェットコースターは激しく動いた後にスタート地点に戻ってき
ますが、小池知事も同じように、結局は、都知事というスタート地
点に戻ってきたということでしょうか。

                       (続く)
  
 これまでにも、何度も、新党ブームがありました。
 1976年、自民党にいた河野洋平氏が、保守政治の刷新を打ち
出し、「新自由クラブ」を作りました。これが、新党運動のパイオ
ニアのようなものです。
 新自由クラブは、当初、ブームという言葉にふさわしい動きとな
りましたが、日時がたつにつれてブームが去り、1986年に解党
しました。
 
 1992年には、熊本県知事だった細川護煕氏が政治の刷新を掲
げて「日本新党」を作り、発足してわずか2か月後の参議院選挙で、
細川氏ら4人が当選しました。当選した4人の中に、小池百合子氏
がいました。
 翌年の93年、自民党でもなく共産党でもない政権を期待する国民の
声が高まり、自民党から大勢の議員が離党して、小沢一郎氏と羽田
孜氏の「新生党」や、武村正義氏らの「新党さきがけ」が出来まし
た。続いて、ミニ政党と呼ばれた小さな新党も続々と誕生しました。
 そして、93年8月、日本新党を中心に、そうした新党、ミニ新
党が集まり、なんと、8党による連立政権が出来ました。このとき、
自民党は、下野しています。2009年の総選挙で民主党が勝利し、
政権を取ります。そのときに自民党は下野していますが、自民党の
下野は、93年8月が初めてのことで、2009年は2回目の下野
でした。
 ただ、この8党連立政権は、各党の思惑がばらばらで、すぐに不
協和音が出てきました。
 結局、この8党連立政権は、94年4月に細川首相が辞任し、後
任の首相には、羽田孜氏が就任しました。しかし、日本新党はすで
に求心力を失っており、羽田首相は、その年の6月に辞任し、わず
か2か月で、首相の座を降りました。日本新党は、94年12月ひ
解党しました。羽田氏は、首相でありながら、主要7か国首脳会議
(サミット)に出席できなかった唯一の首相となっています。
 羽田首相が辞任し、日本新党が機能しなくなったあと、自民党と
社会党が連立を組むというウルトラCの出来事があり、社会党の委
員長だった村山富市氏が、首相になりました。
 翌年の95年には、1月に阪神淡路大震災があり、大勢の命が失
われたのに、村山首相が官邸で、その模様をテレビを見ている様子
が映像になり、村山首相の対応が批判されました。3月には、地下
鉄サリン事件も起きます。
96年の年明け、1月5日に、村山首相は、突然、辞意を表明、
政権を投げ出してしまいます。
 それを継いだのが、橋本龍太郎氏で、橋本内閣が誕生しました。

 このころから、バブル崩壊の影響が出始め、97年には、北海道
拓殖銀行と山一証券が倒産しました。
 金融危機です。
90年からの10年は、デフレ不況の時期となってしまし、この
10年を、失われた10年と呼びます。

 2000年になってもデフレは去らず、2000年からの10年
が、次の失われた10年となり、日本は結局、失われた20年に沈
んでしまいました。

 選挙を左右するのは、結局のところ、経済、景気です。
 失われた20年のデフレ不況で、国民は、自民党政権を見限りま
した。
 そして、2009年夏の総選挙で、民主党が大勝し、民主党政権
が誕生しました。自民党は下野しました。
 93年8月にも、自民党は下野しましたが、このとき、政権を取
ったのは、日本新党を中心とした8党連合でした。
 2009年は、民主党が一党で政権を取ったもので、この点が、
93年とは大きく違います。
 
 民主党はせっかく政権を取ったものの、党として成熟しておらず、
とくに、経済面で、ほとんど政策らしい政策を打ち出せませんでし
た。2011年には東日本大震災が発生し、福島原発も危機に見舞
われました。
 鳩山首相、菅首相、野田首相と民主党政権の間に3人の首相が出
ましたが、2012年12月の総選挙で自民党に大敗して下野、安
倍政権が誕生しました。

 民主党政権が倒れたあと、再び、新党が生まれます。
 まず、なにより、大阪維新の会です。橋下徹氏が率いる維新は、
一時、ものすごいブームを呼び、かつての細川護煕氏の日本新党の
再来を思わせるほどの勢いがありました。
 ほかに、みんなの党という党もありました。

 民主党は下野した後、衰退の一方となり、今回、2017年10
月の総選挙で、とうとう、希望の党、立憲民主党、それに残った民
進党と、分裂してしまいました。

 さて、こうやって振り返ってみると、小池百合子氏は、1992
年、細川護煕氏が日本新党を立ち上げたときに当選、政界に登場し
ています。
 その後、1997年まで、ちょうど25年になります。
 この25年の間、小池氏は、ずっと政界にいて、新党ブームをす
ぐそばで見てきました。
 すべてを見ているといっていいと思います。
 それなのに、今回、その経験を、どうして生かすことが出来なか
ったのでしょうか。

 民進党の前原代表は、どういうボタンの掛け違えをしたのか、民
進党の議員は、希望の党へ全面移籍できるという説明をしていまし
た。
 ところが、小池氏は、記者会見でその点を聞かれ、「憲法改正と
安保法制に反対の人は、排除します」「全員をそのまま受け入れる
つもりは、さらさらありません」と答えました。
 これが「排除の論理」とされ、この物言いで、希望の党への支持
が一気に落ちたとされます。

 私は、政党を作る以上、基本的な考え方で違う人が集まっても、
意味はないと思います。ですから、小池氏が、「憲法改正と安保法
制に賛成という人だけ来てほしい」と言ったのは、当然のことだと
思います。
 もちろん、小池氏の言葉遣いが激しすぎて反感を買ったというの
は、その通りかもしれません。
 しかし、同じ考えの人だけが集まってほしい、というのは、極め
てまっとうな姿勢だと思います。

 私は、むしろ、小池氏自身が選挙に立候補しなかったのが、最大
の敗因だったのではないかと思います。
 日本新党が発足したとき、細川護煕氏は、熊本県知事から衆議院
議員へ、転身しました。
 衆議院議員になっていたからこそ、首相になれたのです。
 それを、小池氏は、側近中の側近として、すぐ近くで見ていたは
ずです。

 逆に、党首、代表が国会議員にならず、失敗したのが、大阪維新
の会です。維新は、橋下徹氏が、その強烈なキャラクターで牽引し
た政党です。ところが、橋下氏は、大阪市長をしており、維新が臨
んだ最初の国政選挙で、国会に立候補しなかったのです。
 立候補を促す声が強かったのですが、立ちませんでした。
 そのため、維新の国会議員は、「維新 国会議員団」という組織
を作り、国会議員だけで行動するようになりました。橋下氏という
強烈なカリスマが不在のまま、国会議員だけで行動していると、や
がて、内部分裂が始まってしまったのです。
 維新は、いまもそれなりの活動をしていますが、橋下氏が登場し
たころと比べると、見る影もありません。

 小池氏は、日本新党の細川代表、維新の会の橋下徹氏と、新党に
おける2つの党首のあり方を見ています。
 今回、小池氏は、橋下徹氏の道をたどってしまいました。
 維新が橋下徹だとすれば、希望の党は小池百合子です。
 それぞれに、強烈なキャラクターとカリスマ性で、新党を立ち上
げたのです。
 そのカリスマがいない新党は、存在意義が、半減してしまいます。

 希望の党といえば小池百合子だと、あのころ、国民のだれもがそ
う思っていたのではないでしょうか。
ところが、選挙が始まってみると、小池百合子氏は、そもそも立
候補さえしていない。応援演説をするだけだ。
 これでは、せっかくのカリスマ性が生きないのです。

 小池氏は、東京都知事をしていなければ、立候補していたでしょ
う。あの段階で都知事をやめると、都知事を投げ出したように見え
たかもしれません。
 都知事をやめたら、強い批判を受けたでしょう。

 しかし、それでも、小池氏は、立候補すべきだったのです。
 自ら、希望の党の代表として衆院選に立候補する。
 立候補して、政権奪取への思いを語る。
 それでこそ、希望の党は、まとまったと思います。

 希望の党は、玉木代表のもと、こじんまりした中堅の政党として
スタートしました。
 立憲民主党も、枝野代表のもと、やはり、こじんまりした中堅の
リベラル政党として、スタートしました。

 希望の党が立ち上がった直後の熱気、政権奪取をするんだという
熱気は、ほとんど夢のように、消えてしまいました。

 今回、小池百合子氏は、十分カリスマになりうる政治家であるこ
とを示しました。
 まだ65歳です。
 ドナルド・トランプ氏が、70歳でアメリカの大統領になって、
世界に「70歳でもアメリカの大統領になれるんだ」という思いを
持たせました。
 トランプ氏は、政治家の寿命を相当に引き延ばしたと思います。
 そうやってみると、小池氏の65歳というのは、まだ若い。
 小池氏が、カリスマとして、何かやりそうだという空気を生んだ
のは間違いありません。
 彼女がもともとこれで引き下がる人とも思えません。
 今回の失敗を踏まえ、次の挑戦に向かうことを、当ブログとして
も、期待しておきます。






小池百合子氏の誤算・・・希望の党は、どうしてうまくいかなかったのでしょう。

2017年11月16日 11時52分29秒 | 日記

 小池都知事が、希望の党の共同代表を辞任しました。党には関わ
っていくということですが、国政からはいったん離れ、都政に専念
するそうです。

 希望の党を設立したころ、小池知事は、そのまま総選挙で勝利し、
もしかすると政権まで取ってしまうのではないかという勢いでし
た。
 選挙があったのは、10月22日です。
 小池知事が希望の党を作ったのは、9月25日ことです。
 きょうは11月16日です。

わずか2か月前は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったわけです。
 たかだか2か月足らずの間に、希望の党は、ジェットコースター
のように激しく上下に動きました。
 
ジェットコースターは激しく動いた後にスタート地点に戻ってき
ますが、小池知事も同じように、結局は、都知事というスタート地
点に戻ってきたということでしょうか。

                       (続く)
  




記者会見で切り込む覚悟・・・質問に立った記者が「よろしくお願いします」というのは、覚悟が足りません。プロ意識の問題です。

2017年11月14日 13時57分13秒 | 日記

最近、記者会見で、大変気になることがあります。
 質問する記者が、会社名と自分の名前を名乗ったあと、
 「よろしくお願いします」
 というのです。
 もちろん、全員が言うわけではありませんが、10人が質問に立つと、3、
4人は、「よろしくお願いします」と言っています。
司会が、「では、次の方」といって、手を挙げた記者を指名すると、
その記者が、「***テレビの***です。よろしくお願いします」と言
うのです。
 
つい先日、大リーグへの移籍希望を発表した日本ハムの大谷選手が
会見をしました。日本記者クラブという大きな場所で会見し、大勢の記
者が出席していました。
私は、テレビで見ていました。
新聞記者、テレビの記者、テレビのアナウンサーが、次々に質問してい
ました。
私も、意識してチェックしていたわけではないのですが、司会の方に指
名された記者が、何人か続けて「よろしくお願いします」というものだか
ら、気が付いてしまいました。

大谷選手の会見だけではありません。
ほかの会見では、記者が、自分の名前を名乗ったあと、「よろしくお願
いします」と言っています。
今度、何か記者会見がテレビで中継されたら、気を付けてチェックして
みてください。

かつて、記者会見で、発表する側が「よろしくお願いします」ということ
はあっても、記者側が、「よろしくお願いします」などということはなかっ
たと思います。

では、記者会見で、記者が「よろしくお願いします」というのは、どこが
おかしいのでしょうか。
簡単にいえば、記者側が、発表側におもねっているからです。

こんな感じです。
「すいません、私、あんまり勉強してないので、いい質問できないかもし
れませんが、ぜひ、いい答えをお願いしたいのですが。すいませんが、
よろしくお願いします」
とまあ、そんなイメージでしょうか。
言い換えると、記者側に、自信がないのです。

大谷選手の会見の場合、大谷選手というのは、言うまでもなく、日本球
界のスーパースターです。
投手としても打者としても素晴らしい実績を残り、年俸も何億円ともらっ
ています。
大谷選手からは、そういう空気や自信がにじみ出ていて、風圧みたい
なものが、テレビからでも感じられます。

そういう風圧に、記者側が、はじめから、やられてしまっているのです。
会見する人の風圧に、記者側がやられてしまうと、もう、いい会見には
なりません。

大谷選手の会見も、大谷選手は一生懸命答えていて、まじめな人柄
がわかり、大変好感が持てました。
しかし、記者側の質問が、なんだかまだるっこしい。
大谷選手の風圧に負けて、ちゃんと聞けないのです。

記者会見というのは、会見する人に、記者側が、切り込んでいくもので
す。会見に出られる人は限られているわけですから、会見に出た人は、
多くの人の代表として、その場に臨まなくてはなりません。
記者会見で、いい答えを引き出すには、記者側にも、事前の勉強と質
問の工夫、そして、なによりも、相手に切り込む覚悟がいるのです。
大谷選手の風圧に負けないだけの覚悟がいるのです。

それを、「よろしくお願いします」と言ってしまっては、もう、初めから負て
いるのと同じです。
相手に切り込む覚悟など、どこにもありません。
別の言葉でいえば、記者側に、プロとしての意識がないのです。

記者会見で、質問する記者が「よろしくお願いします」と言ってしまえば、
記者失格です。
記者会見で、「よろしくお願いします」という言葉、もう、やめませんか。