いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

1年後の福島(本編その1)・・・水族館、小名浜港、住宅街、いわき市内の様子を報告します。

2012年04月26日 22時20分10秒 | 日記

 1年後の福島を再訪した報告の本編(その1)です。
 2012年4月21日の土曜日、早朝に東京を出発した我々は、
常磐自動車道を、ひたすら、いわきに向かいます。
 小名浜を取材するために、途中、いわき勿来の出口で常磐道を
降りました。

 小名浜港がどうなっているかを取材するのが目的ですが、
小名浜港のすぐ手前に、水族館がありました。
 あの日、水族館に津波が侵入し、魚たちが飼えなくなりました。
 その魚たちを、一時、県外の水族館に預かってもらったことで
有名になりました。

 行ってみると、オープンしています。

 この写真は、水族館の入り口です。
 桜がちょうど満開です。

 立派な設備です。

 確かに、営業しています。
 人に来てもらうため、再開を急いだのだそうです。

 入場料は大人1人1600円で、ちょっと高いですね。
 中には入りませんでしたが、プールでイルカのショーでもやってい
るのでしょうか、時折、子供たちの歓声が聞こえてきます。
 子供たちの歓声は、復興に向けて、大きな力となります。
 
 しかし、これだけの施設、設備を維持するのは、それは
相当大変だろうと思います。
 資金的にも、相当な金額になるでしょう。
 正直にいえば、少し、首をかしげました。

 水族館のすぐ向こうが、もう、小名浜港です。
 去年、取材に来たときは、この港に、漁船が打ち上げられて、
ごろごろ横たわっていました。
 今回の写真をご覧ください。

 さすがに、陸上に打ち上げられた船は、片付けられています。
 しかし、港に、なにもないのです。
 船は作業船でしょうか、ただ一隻、停泊しているだけです。
 漁船がないので、ひとかげもありません。

 がらんとしています。
 港は、一見、きれいになったように見えますが、しかし、実際は
港として機能していないのです。
 原発事故で放射線が放出されため、福島の海で獲れた魚は、なかなか
買い手がいません。だから、漁船のにぎわいがないのです。

 しかし、そんな港の敷地に、新しい市場がオープンして
いました。

 もともと、ここは卸売り市場がありました。去年来たとき、その
卸売市場は、津波で破壊されていました。そこを整備して、消費者
向けの海産物市場を作ったのです。

 入ってみましょう。

 意外ににぎわっています。
 私たちが行ったときも、駐車場に、各地からの観光バスが来て
いて、その乗客が、この市場で海産物を買っていました。
 私たちの車のすぐ向かいに駐まったバスは、姫路(兵庫県)の
ナンバーをつけていました。遠くから来るんですね。でも、
そういうのが大事です。そうやって、人が来ると、被災地にも
活気が出てきます。
 観光でもいいから、被災地に行くというのは、とても意味の
あることだと思います。

 しかし、この海産物に近寄ってみて、気がついたことが
あります。

 おわかりになるでしょうか。

 もっとアップにしてみましょう。



 そうなんです。
 海産物に「北海道産」「千葉産」などと書いてあるのです。

 元気よくお客さんの呼び込みをしている店の人に聞きました。
 「これ、千葉産とか、北海道産とか、みんな、他県のもの
ということですか?」
 「うん」
 「じゃあ、仕入れてくるということですか」
 「うん。いわきにさ、中央卸市場があってね、そこで仕入れて
きて、並べるんですよ」
 「福島のものは?」
 「福島の魚は、売れないんですよ」
 年配の漁師さんでした。

 福島の魚は売れないんだという話をするときは、声が小さく
なっていました。
 小名浜という有力な漁港で、自分の所で獲った海産物を扱
えないというのは、それは、残念でしょう。 


 思わず、「がんばってくださいね」と、声が出てしまいました。
 漁師さんは、
 「はい」
 と、答えてくれました。
 せつなくなってしまいました。
 がんばって、という言葉はあまりつかいたくないのですが、
でも、本当に、がんばってくださいね。

 小名浜港をあとにして、いわきに向かいます。
 いわきに行く途中で、どうしても、寄りたい所がありました。
 1年前、小名浜港からいわきに向かうとき、海岸沿いの住宅街
を通り、そこで、津波に破壊された街を見て、衝撃を受けました。
 1年たって、そこがどうなっているのか、見ておきたかった
のです。

 小名浜港から車を30分ほど走らせると、その街に出ました。
 豊間地区と呼ぶようです。
 写真を見て下さい。

 驚くほど、何も変わっていません。
 津波で破壊された壁や屋根や、あるいは、家具、そういった
ものは、片付けられています。
 しかし、片付けられただけで、そのあとに、家もなにも建って
いないのです。
 ただ、家々の基礎と区画だけが残されています。
 
 車を駐め、外に出ると、ちょうどそこに、地元の女性が
いました。
 その女性のほうから寄ってこられて、
 「どこからいらっしゃったんですか」
 「東京です」
 というようなやりとりで、会話が始まりました。


 私たちは、話を聞くのも申し訳ないという思いでいたの
ですが、この方は、話が止まらないような感じで、いろいろ
当時の話を聞かせてくれました。
 この方は、幸い、少し離れたところに家があり、津波の被害は
比較的小さくてすんだそうです。
 「津波が来るというので、外を見たら、水がひたひたと
押し寄せてきていて、とにかく、逃げなくっちゃ、という
感じでしたよ」
 「でも、逃げるといっても、どこへ逃げたらいいのか、そんな
こと、分からないでしょ。なんだか、パニックみたいになっちゃ
ってね」

 この方の説明では、家が流されてしまった所に、せめて花を
咲かせましょうという運動があって、花を植えているのだそう
です。
 これです。

 たしかに、きれいな花ですが、なんだか、かえって、つらい
気持ちになりました。


 これは、花で、「とよま」と書いてあります。
 読めるでしょうか。 
 とよまというのは、この地域の名前です。豊間です。


 菜の花ごしに、流された家の跡地が見えます。
 この菜の花は、自生したのかと思っていましたが、もしかすると
あとで、この方たちが、植えたのかもしれません。
 
 家の枠組みも残っていました。


 写真を撮っていて、ふと足下を見ると、こんなものが目に入って
きました。

 スプーンです。
 流された家で使われていたのでしょう。
 かつては、このスプーンで、カレーやシチューを食べたのかも
しれません。

 津波の被災地には、生活の跡が、濃厚に残っているのです。
 これを、
 「がれき」
 というような言葉でひとくくりにしてしまうのは、とても違和感を
感じます。

 なにか魔法にかけられたようにぼうっとなり、津波の跡地を
見ていました。
 しかし、次の取材地があります。
 
 いわきの市街地に向かいます。
 いわきも広いので、とりあえず、JRのいわき駅を目指して、車を
走らせました。

 いわきの駅前です。
 1年前に来たときは、原発事故から間がないころでもあり、
人影も少なく、ひっそりと静まりかえっていました。
 しかし、今回は、行き交う人も増え、街は活気を取り戻しつつ
あるようです。
 「東北大進学会」という予備校の看板もあり、日常生活が戻って
きているようです。
 福島だと、東北大進学会になるんですね。
 
 いわきでお昼を食べ、福島原発に向かいます。
 それは、次回に報告します。




あれから1年・・・小名浜ーいわきー原発ー川内村と、福島の現場を取材しました。今回は予告編です。

2012年04月22日 23時53分36秒 | 日記

 週末の2012年4月21日の土曜日、大震災と原発事故の
被害を受けた福島を取材してきました。
 ちょうど1年前、震災から間のない福島を取材しており、
どこまで復興しているのか、実際に現場を見るのが、取材の
目的です。
 コースは、東京から常磐高速に乗り、いわき勿来のインターで
下り、まず、小名浜に向かいます。
 小名浜で港の様子を見ます。
 そこから海岸沿いに住宅地の様子を見て、
 いわきの中心部に入ります。
 いわきから、国道6号線で海岸沿いに北上し、福島原発の
20キロ規制の敷かれている検問ポイントまで行きます。
 検問ポイントのすぐ横には、サッカーのために作られた
Jビレッジがあります。
 Jビレッジを見たあたりで、夕方の4時半ごろでした。
 まだ十分明るいので、今回は、そこから、原発事故で避難を
強いられた川内村に向かうことにしました。

 きょうは、その予告編です。
 本編は、今週中に、2回程度に分けてお届けします。

         ***

 まず、小名浜港です。
 昨年の同じころに取材したときは、港の上に漁船が打ち
上げられて、ごろごろ横たわるという異様な光景がありま
した。
 今回、そこがどうなっているのか、ぜひ、取材してみた
かったのです。
 写真をご覧ください。


 ご覧のように、打ち上げられて陸上に横たわっていた船は、
すでに撤去され、港はがらんとしています。
 いま、「がらんとしている」と書きましたが、そう、陸上の
船を撤去しただけで、港には、活気がありません。
 まさに、がらんとした港になってしまいました。

 小名浜港をあとにして、海岸沿いに車を走らせます。
 昨年、海岸沿いの住宅が津波でさらわれた現場を見て、息を
飲みました。
 1年後、そこはどうなっているでしょう。
 
 ここです。
 昨年と同じ場所に出ました。

 菜の花が咲いています。
 菜の花の向こうに、家々の基礎だけが残っています。
 去年は、壊された家の壁や屋根、家具がぐしゃっとなって
一面を埋め尽くしていました。
 1年たって、こわれた壁や屋根こそ撤去されましたが、その
後には、まだ、家がなにも建っていません。
 つらいことに、復興には、まだほど遠いというのが現状です。

 原発20キロの検問所まで行き、Jビレッジを見て、
川内村に向かいます。
 いわきから国道をひたすら北上するのですが、国道といっても、
山の中を細いつづら折りの道が、どこまでも続くだけです。
 車1台がようやく通れる程度の道で、対向車が来ると、車を
路肩に寄せ合っての通行となります。
 川内村の人々は、避難するとき、この道を通るしかなかった
わけで、これは大変だったでしょうと思わざるを得ません。

 川内村に着いたときは、日没近くになっていました。
 これは村の中心部にある農協前です。

 川内村は、村の半分ぐらいが避難地域に指定されていました。
 この4月に、そのうちの一部で帰村が可能になりました。
 しかし、行き交う車も少なく、人影はまばらです。

 中心部に、こういうものがありました。

 放射線量計(ガイガー・カウンター)です。 
 表示された数値を見ると、0・114マイクロシーベルトです。
 低い数値で、人体にはまったく影響のないレベルです。
 こんなに低い数値なのに、風評被害が出るのです。
 地元の人にとっては、やりきれない思いでしょう。

 川内村から、今度は西に車を走らせ、田村市、小野町を
経て、高速の磐越東線に乗りました。
 磐越東線からいわきに向かい、常磐高速に乗り換えて、
東京に戻りました。
 東京に着いたのは、もう午後11時近くになっていました。

         ***
 今回は、予告編でした。
 今週中に、詳報をお届けします。
 





 














千鳥が渕の桜(続き)・・・あまりに鮮やかだったので追加で掲載します。

2012年04月16日 15時07分16秒 | 日記

 千鳥が渕の桜の写真を掲載したところ、予想外の
好評となりました。
 そこで、前回掲載できなかった写真を、何枚か
お届けします。
 
 まずは、千鳥が渕の全景です。

 これだけ見ていると、東京の都心とは思えません。
 
 千鳥が渕は、お堀の水面に向かって、桜が一斉に
せり出しており、その様子が鮮やかなのです。
 水面に触れるか触れないかというところまで、
桜が枝を伸ばしています。


 少し違う位置から撮影しました。

 水面まであと数十センチというところまで、
桜が伸びています。
 これが千鳥が渕です。


 江戸時代の人たちも、こうやって、千鳥が渕の
桜を見たのでしょうね。


 もう一度。


 2012年の桜でした。






 




 






満開の千鳥ヶ淵・・・遅ればせながら、4月6日の金曜日の様子です。

2012年04月13日 17時43分18秒 | 日記

 4月6日の金曜日、たまたま、千鳥ヶ淵を通り
ました。
 東京は、すでに気象庁の開花宣言が出ていまし
たが、しかし、4月4日、5日あたりは、まだ
肌寒く、本当に桜が咲くのはまだもう少し先だと
思っていました。

 ところが、6日、千鳥ヶ淵に行ってみて、びっくり
しました。
 桜が、いきなり満開になっています。
 
 一気に満開になったので、まだ、一片の花びら
も散っていません。
 写真をご覧になってください。

 
 写真に見える水面は、皇居のお堀です。
 千鳥ヶ淵は、桜が散り始めると、このお堀の水面が
花びらで埋まります。
 それはそれは見事なものなのですが、しかし、ご覧
のように、この日のお堀は、花びらがまったくありま
せん。こういうのも、珍しいのです。

 千鳥ヶ淵の入り口には、靖国神社があります。
 すでに、数多くのお店が出ています。

 なんといっても、たこ焼きとフランクフルトです。

 その前の広場は、お花見の席取りで、いっぱいに
なっています。


 いやー、日本ですねえ。
 こういうのを見ていると、本当に、日本だなあと
思います。
 たくましくて、にぎやかで、なんとなく、いいで
しょう。
 こういうのを見ていると、日本経済も必ず復活する
という思いが、本当にしてきます。

 一週間遅れになりましたが、満開の千鳥ヶ淵の
様子をお届けしました。
 



きょうで200本目の記事になりました・・・ご愛読を感謝します。

2012年04月10日 17時59分10秒 | 日記

昨年2011年の1月に始めたこのブログも、今回で
ちょうど200本となりました。
だいたい、2日に一本という勘定になります。

PRもせずに書いてきましたが、最近は、ページビュー
も訪問していただく方も、少しずつ増えてきました。

 ご愛読を心から、感謝します。
 本当にありがとうございます。

 ジャーナリズムというのは、実のところ、
「読者に読まれていくら」
「読まれて初めて価値がある」
 という側面があります。

もちろん、「孤高のジャーナリズム」というスタイル
もあります。
でも、それにしても、やはり、読者がゼロなら、意味
がなくなります。
どんなに素晴らしい原稿、素晴らしい記事を書いても、
だれにも読まれなければ、意味がありません。

このブログで200本の原稿を書く間も、読んでいただ
いた方から、感想を伝えていただくのが、なによりも
励みになりました。
コメントでも、あるいはメールでも、なんでもけっこ
うです。ぜひまた、感想をお寄せいただければーーと
思います。

 本当に、この間、ありがとうございました。
 感謝申し上げます。
 これからもどんどん書いていきます。
 引き続き、どうぞ、ご愛読をお願いします。



野田首相が大学で講演しました・・・いま震災と原発より消費税を優先する首相とはいったい?

2012年04月08日 22時05分36秒 | 日記

 野田首相が、この週末、神戸市の甲南大学で、200人
の聴衆に対し、消費税の増税がいかに必要か、熱を込めて
訴えました。

大学でやったということは、聴衆の多くが若い大学生だ
ということになります。
 首相は、いまのままだと社会保障が破綻すると説明し
ました。そのうえで、若い世代が希望を持てるようにする
には、社会保障制度の立て直しが必要で、そのためには
消費税の増税が不可欠だと主張しました。

 野田首相には、改めて、がっかりしました。

 野田首相は、東日本大震災からの復興や、原発事故への
対応について、甲南大学でやったような集会を開き、熱を
込めて、そう、熱を込めて、訴えたことがあったでしょうか。
 ありません。

 いま、野田首相が、大学で集会を開いて、熱を込めて
訴えるものがあるとすれば、それは、震災からの復興と
原発事故への対応でなければなりません。

 それをせず、消費税の増税を熱を込めて語る首相とは、
いったい、なんなのでしょうか。

 社会保障の立て直しが必要なことは、だれもが知ってい
ます。
 そのためには、消費税の増税も、必要になってくるかも
しれません。

 しかし、このブログで何度か書いているように、いま政
治が優先するべきは、消費税の話でしょうか。
 違うでしょう。
 いま、政治が最優先するべきものは、震災と原発です。

 もし、消費税の増税を後回しにすれば、日本の財税赤字
を心配して、市場が混乱に向かうのではないかという主張
は、当然、出てくるでしょう。
 市場より先に、格付け会社S&Pとムーディーズが日本
の国債の格付けを下げるかもしれません。

 たぶん、野田首相は、財務官僚から、そう説得されたの
ではないかと思います。
 説得というより、「洗脳」ですね。

 しかし、それで消費税増税をするというのであれば、
        「政治」
 は不要です。

 首相は、たとえば、
 「日本は財政赤字であり、財政再建は絶対に必要です。
そのためには、消費税増税も議論しなくてはなりません。
しかし、いまは、震災からの復興と原発事故への対応を最
優先しなくてはなりません。
 震災からの復興と原発事故への対応に、一定のめどがつ
けば、そのときこそ、財政再建に取り組みたい。そのとき
には、消費税の増税も必要になることがあるでしょう。
 しかし、いまは、それよりも先に、震災からの復興と原
発事故への対応に力を注ぎたい」
 といえばいいのです。
 財政再建は必ずやる。そのために消費税増税が必要なこ
とも分かっている。分かっているからこそ、いまは、それ
を、少し後回しにする。
 そういえば、市場へメッセージは伝わるのです。
 それが政治です。

 野田首相は、目をさましてほしいと思います。
 しかし、最近の野田首相を見ていると、本当に、顔の表
情が乏しくなってきました。
 表情が動かないでしょう。
 生気がなくなってきたように思います。
 マインドコントロールを受けている人の表情です。

 いまこのとき、震災と原発事故より、消費税を優先する
首相は、なによりも、「政治家」として失格ではないでしょ
うか。




暴風の電車で・・・なぜこうも子供を甘やかすのでしょう。日本はどうなってしまったのでしょう。

2012年04月03日 21時45分01秒 | 日記

 きょう4月3日の火曜日は、春の大嵐に見舞われました。
嵐というより、ほとんど台風といっていいほどでした。

 暴風のピークが帰宅ラッシュにぶつかるという予報が出
たので、混乱を避けようと、東京では、多くの会社が
早めの帰宅を促しました。
 そのため、東京の電車は、午後3時ぐらいから帰宅ラッ
シュが始まっていました。

 そんな電車の中での出来事です。

 地下鉄は、家路を急ぐサラリーマンで混んでいました。 
そこに、30代後半の母親と、小学校の高学年らしい少
女がいて、並んで椅子に座っていました。品のいい母娘で
す。
 普段なら、サラリーマンとこういう母娘が、ラッシュの
電車に乗り合わせるということはありません。この日は、
いつもと違う早い時間のラッシュになったので、こういう
組み合わせが実現しました。

 私は、用事があって、たまたま、この地下鉄に乗り合わ
せました。

 帰りの人たちは、つり革につかまって、ちょっと疲れた
表情を見せています。
 電車が風雨で止まったりしないだろうか。
 そんな不安も、みんなの顔ににじみます。

 そんな車内で、少女が携帯電話でゲームを始めました。
 それは全然かまわないのですが、しかし、少女が始めた
ゲームは、ゲームのBGM(音楽)が、外に出るのです。
イヤホンをするわけでもありません。
 キーボードを触るたびに、音楽が変化します。
 
 すぐ終わるのだろうと思っていると、なかなか終わりま
せん。風雨の中、帰宅を急ぐサラリーマンやOLには、明
らかに耳障りです。
 なんとなく、いらついた空気がしています。

 ところが、母親は、まったく注意をしません。
 それどころか、少女は、ゲームの進行状況を、時々、母
親に見せるのです。

 私は少し離れた所に立っていましたが、
 「ゲームは、音を消してやってくれませんか?」
 と、母娘に向かって、声をかけました。

 少女は驚いたような顔をしました。
 すると母親は、少女に向かって、小さな声でなにごとか
ささやき、少女は、携帯のゲームをやめました。

 母親も少女も、
 「あ、すみません」とか、「失礼しました」
 とか言えばいいのに、
 なにも言いません。

 声をかけなければ、音楽を出しながら、ゲームをやり続
けるつもりだったのでしょうか。
 母親は、どうしてそれを注意しないのでしょう。

          *****

 最近、携帯電話やスマートフォンを、子供が使います。
 それで、この日見たようなことが、実によく起きるので
す。

 たまたま春の暴風の前日でしたが、夜、東京・有楽町で
お好み焼きを食べました。
 テーブル席です。

 隣りの席に、これまた母子連れが座りました。
 40歳ぐらいの母親と、小学校の2年生ぐらいの小さな
男の子です。
 やはり、品のいい母子連れでした。

 ところが、注文を聞きに来たウエイターさんに、母親が
注文する間に、男の子は、スマートフォンを出してゲーム
をし始めたのです。
 
 母親は、何事もなかったかのように、注文をしました。
注文が終わると、母親は、男の子がスマートフォンのゲ
ームをしやすいように、画面を触ったりして、手助け(?)
をしてやります。

 やがて、注文のお好み焼きが来ました。
 母親は、男の子にお好み焼きを切ってやり、小皿に入れ
て、男の子の前に置きました。

 なんと。
 男の子は、母親が置いてくれたお好み焼きを食べながら、
スマートフォンのゲームをし続けるのです。

 母親はというと、黙々と、自分のお好み焼きを食べてい
ます。

 結局、食べ終わるまで、男の子はずっとスマートフォン
のゲームをし、母子の会話は、全くありませんでした。
 反抗期とか、そういうのではなく、小学校2年生ぐらい
の可愛い男の子です。母親の言うことはいかにもよく聞く
感じの男の子です。

 小学生低学年の男の子がスマートフォンのゲームに熱中
するというのはさておくとしても、しかし、ゲームをしな
がら食事をさせるーーというのは、いったい、何なのでし
ょうか。

 いったい、日本は、どうなっちゃったんでしょう。
 日本の親って、なぜこうも、子供を甘やかすのでしょう。
 いや、これはもう、甘やかすというレベルを超えていま
す。
 日本は、本当に、どうなっちゃったんでしょう。

         ******

 別の日、やはり、東京・有楽町のレストランで、夕食を
とりました。

 隣りの席に、6人連れの家族がやってきました。
 父親と母親、小学生らしい女の子と男の子、それに、祖
父、祖母ーーという組み合わせです。
おじいちゃん、おばあちゃんが来たので、一緒に食事で
も、ということなのでしょう。

 ところが、小学生の女の子(これがお姉ちゃん)と男の
子(こちらが弟)は、席に座る前から、それぞれ、スマー
トフォンでゲームをしているのです。
家族6人が席に座っても、子供2人は、黙々とスマート
フォンをいじっています。
 母親が子供2人に、「なにがいいの? ハンバーグ?」
とかなんとか聞いて、注文をします。
 その間も、ずっと、スマートフォンをいじっています。
 父親も注意をしません。

 記念撮影したいというわけで、おじいちゃんがデジカメ
を取り出し、自分で残る5人を撮ろうとします。おじいち
ゃんは、少し離れたところに立ち、
 「はーい、こっち向いて」
 と言います。
 お姉ちゃんのほうはさすがにカメラを向きましたが、弟
はそれでもなお、スマートフォンでゲームをしています。
 おじいちゃんが
 「おーい、なんとかちゃん。こっち向いて」
 と声をかけ、母親がカメラのほうを向かせて、ようやく、
目がスマートフォンから離れました。

 記念撮影が終わると、子供2人は、すぐまた、スマート
フォンのゲームに戻りました。

 母親も父親も、だれも、それを注意しないのです。

 いったい、これは、何なのでしょう。
 この人たちが、もし、東北で被災して、避難所にいると
したら、それでもなお、この子供たちは黙々とスマートフ
ォンのゲームをするのでしょうか。それでもなお、父親も
母親も注意をしないのでしょうか。
 
 悲しいことに、こうした風景は、珍しい風景ではないの
です。
 いまこの記事をお読みのみなさんも、
 「私も見たことがある」
 「そうそう、そうなんだ」
 「よく見ますよ」
 とお思いになるのではありませんか。

 子供がスマートフォンでゲームをするというのは、なに
も悪いことではありません。
 それ自体は、別におかしくはない。

しかし、家族6人で食事に来たのに、ものもいわず、ス
マートフォンでゲームをしているーーというのは、どう考
えたって、おかしいでしょう。

 それより、なにより、それを、注意もしない父親と母親
というのは、いったい何を考えているのでしょうか。
 実は、それが一番問題です。

 暴風で帰宅を急ぐラッシュの車内で、子供が、音楽を出
しながらゲームをする。それ自体がおかしい話ですが、し
かし、その子供に注意をしない母親が、実は、一番問題で
す。
 親はいったい、何をしているのでしょう。

 子供が、お好み焼きを食べながら、ゲームをする。ゲー
ムをしながら、お好み焼きを食べる。
 有楽町あたりのお好み焼き屋さんは洒落た店内ですから
ね、母親だって、おしゃれをしています。
 ところが、子供がゲームをしながらお好み焼きを食べる
のを叱るどころか、手伝いまでしてやっている。
いったい、これはどういう母親なんでしょう。

 繰り返しますが、こうした風景が、珍しくないのです。
 本当に、日本はいったい、どうなってしまったのでしょ
う。
我々はいったい、何をしているのでしょう。






消費増税と政治・・・首相が政治生命を賭けるべきなのは、増税ではなく、震災からの復興でしょう。

2012年04月02日 01時32分07秒 | 日記


 民主党の野田内閣は、消費税を上げる法案を閣議決定し、
国会に提出しました。

 日本の財政は大赤字です。
 財政再建しないと、ギリシャのようになりかねない。
 財政再建は、絶対に必要です。
 そんなことは、だれも分かっている。

 財政再建のためには、増税も必要かもしれない。 
 本当は、増税の前に、無駄な歳出をカットする方が先です。
 でも、歳出カットだけでは足りず、いずれ、増税は必要
になるでしょう。

 消費増税法案は、市場に好感されるでしょう。

 新聞各紙は、消費増税法案を、おおむね支持しています。
 
 前回のブログで書いたように、野田首相は「消費増税に
政治生命を賭ける」と言います。

 しかし、ちょっと待ってほしいのです。
 どうしたって、ちょっと待ってほしい。

 財政再建が必要なことはよく分かっている。
 そのためには消費増税だってやむをえないかもしれな
い。
 
 しかし、いまこのとき、首相が政治生命を賭けるのは、
消費増税なのでしょうか。

 違うでしょう。

 いまこのとき、日本の首相が政治生命を賭してやるべき
ものは、なによりも、東日本大震災からの復興でしょう。
そして、同時に、原発事故への対応でしょう。

 野田首相が消費増税を打ち出したため、国会は、消費増
税が審議の中心になってしまいました。
 増税は、民主党と自民党の間で、政争の具になってしま
いました。
 民主党自身、増税に反対の議員がいて、党分裂の気配さ
えあります。

 大震災からの復興や、原発への対応は、政府の手際の悪
さによって、もともと、遅れています。
 そこへ、政治の関心が消費増税に向いてしまったため、
大震災からの復興は、さらに遅れてしまいました。

 いま、日本にとって、最も重要なのは、震災からの復興
と、原発事故への対処です。
 それこそが、首相が政治生命をかけるべきものです。

 震災からの復興より、消費増税を優先するというのが、
「政治」でしょうか。

 財務省の官僚なら、消費増税を優先したいでしょう。
 それは財務省の官僚として当然の仕事ですから、財務省の
官僚が消費増税を主張するのは、それはそれでかまわないの
です。

 しかし、野田首相は官僚ではなく、政治家です。
 いま何が一番大事か。
 行政、役所、官僚、そうした組織や人が優先したいとア
ピールするものを退け、いまの日本にとって一番大事なも
のを明示する。それが政治でしょう。

 野田首相は、それに気がついていないのです。
 
 野田首相は、本当に、つまらない政治家になりました。
 これのどこが「政治」でしょう。
 野田首相は、政治家ではなく、おもしろくもなんとも
ない、ただの官僚になってしまったように見えます。