いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

韓流ブーム・・・なんで韓流スターがこんなに人気なんでしょう。日本のタレントは猛反省が必要です。

2011年10月17日 22時33分03秒 | 日記

 韓国のドラマ、いわゆる韓流ドラマがこんなにも爆発的な人気に
なり、しかも、その人気がここまで持続するとは思いませんでした。

 きっかけは、もちろん、ペ・ヨンジュン氏の「冬のソナタ」です。
 冬のソナタは、一過性のブームに終わるのだろうと思っていましたが、
なんのことはない、あれがすべての始まりでした。

 なんで、こんなに韓流ブームになったのでしょう。

 ひとつは、ペ・ヨンジュン氏をはじめとする韓流スターの優しさ
だと思います。

 優しさ。
 それなら、日本の役者やタレントはどうなんだといいますと、正
直言って、優しくないと思います。

 日本のタレントや役者は、ファンや一般の視聴者を、からかいす
ぎるのです。いわゆる「いじり」すぎるのです。

 典型的なのは、毒蝮三太夫氏です。
 彼は、ラジオによく出ていて、番組の中継で、近所のスーパーに
行きます。スーパーでは、あらかじめ「毒蝮三太夫 来る」という
ような告知がされているので、大勢の主婦が集まっています。
 集まった主婦を前に、毒蝮三太夫氏は、必ず、こういうのです。
 「ババア、生きてたかっ」
 「ババア、元気かっ」
 「もういい加減、死ねよっ」
これを聞いて、集まった主婦のみなさんは、どっと笑います。
 これが毒蝮氏のパターンです。

 しかし、これは、なにか勘違いしてませんか。

 「ババア、生きてたかっ」と、みんなの前で言われて、本当に楽
しいと感じる人は、いないでしょう。
 みんなの前で、「ババア、生きてたかっ」といわれたら、頭にき
ても怒るわけにはいきません。笑うしかないでしょう。

 それに対し、ペ・ヨンジュン氏は、絶対に、そんなからかい方を
しません。徹頭徹尾、ファンや視聴者に、優しく優しく接します。
 ペ・ヨンジュン氏は
 「奥様、お目にかかれてうれしく思います」
 「奥様、お元気でしたか」
 と言います。
 ペ・ヨンジュン氏は間違っても
 「ババア、元気かっ」とは言わないのです。

 みなさん、ファンや視聴者の立場として、どちらがいいですか?
 私が主婦なら、毒蝮氏より、ペ・ヨンジュン氏のほうがいいなあ。

 毒蝮三太夫氏の笑いにつきあうのは、疲れるのです。
 視聴者も、無理して笑わなければなりません。

 ペ・ヨンジュン氏に対しては、そんな疲れるような思いをしなく
てもいいのです。

 日本の人気タレントって、みんな、どこかしら、毒蝮三太夫氏の
ようなところがあります。
 まず、明石屋サンマ氏がそうでしょう。
 彼の芸は、視聴者を参加させて、からかうところにあるのです。
もう終わりましたが、「恋の空騒ぎ」が典型です。「恋の空騒ぎ」
で、サンマ氏は、登場する素人の視聴者、それも女性を、あろうこ
とか、「おまえ」といいます。
ペ・ヨンジュン氏をはじめ、韓流スターが、視聴者を「おまえ」
呼ばわりするシーンというのは、考えられないでしょう。

 「おまえ」と呼ばれた素人の女性は、まあ、それを彼とのやりと
りだと割り切って、出てきています。
 だから、彼女にとっては、それでいいのでしょう。
 しかし、ずーっと、そんなことをされていてごらんなさい。彼女
だって、疲れますよ。そういうやりとりをするには、彼女は、常に
テンションを高くキープしておかなければなりません。
 それは疲れることです。

 それに、テレビを見ている視聴者だって、サンマ氏が素人の女性
を「おまえなあ」と呼びながらかさにかかっていびり続けるのは、
それは初めはおもしろいけれども、見ているうちに、だんだんつら
くなってくることがあります。

 引退した紳助氏もそうです。
 彼の場合は、サンマ氏と違って、素人ではなく芸能人をいびると
いう芸でしたが、パターンは同じです。

 笑福亭鶴瓶氏もそうでしょう。
 彼は、NHKが好きですが、この人は、実際には全然優しい人間
ではないように思います。どうして、この人が優しいと思うのでし
ょう?
 うっとおしい人ですよ、この人は。

 役者や歌手にしても、たとえば、キムタク君なんかは、気むずか
しいというイメージが定着しています。
 
 先日、チャン・グンソク君が日本に来て、たくさんの女性ファン
を集めていました。
 ペ・ヨンジュン氏にしろ、チャン・グンソク君にしろ、キムタク君
と違って、気むずかしいイメージなんかないでしょう。サインをね
だりに行ったら、きっとサインしてくれそうじゃないですか。
 あいさつでも、徹底的に優しい言葉をつかいますしね。

 そうなんですよ。
 韓流スターって、見ていて、疲れないんのです。
 それに対し、日本のタレントやスターって、なんだか疲れるので
す。

 現代社会は、疲れることばかりです。
 そんななかで暮らしていて、徹底的な優しさってうれしいですよ。

 大阪人は、ぼけと突っ込みを、お互いにやりあいます。
 しかし、たまには
 「もうほんま、突っ込みばかりで、疲れるわ」
 と思うことだってあるのです。
 大阪人だって、優しさには感動するんですよ。

 その優しさが、虚像であってもいいじゃないですか。
 タレントって、もともと虚像でしょう。
 その虚像が、ファンを疲れさせるようでは、タレントとして失格
です。

もしかすると虚像かもしれないけれど、韓流スターたちは、
     「優しさ」
 をみごとに演じきっています。
 
 韓流スターの「優しさ」は、いまの日本のタレントが失ってしま
ったものです。
 日本のタレントは、思い上がってしまったのではないでしょうか。

 日常生活で疲れた日本人が、どちらを選ぶか。
 答えは明白でしょう。

 日本のタレント、芸能人、役者は、猛反省が必要です。


世界のデモ(2)・・・70年代のデモと比べると「希望」がありません。時代の閉塞感が強いのです。

2011年10月17日 01時31分43秒 | 日記

 今回の世界的なデモは、カナダの広告雑誌の社長が呼びかけたー
ーという報道があります。今晩のテレビのニュースショーでも、コ
メンテーターが、思わせぶりに、そんなことを話していました。


 
 しかし、ちょっと待て。
 コトは、もっと唯物論的に考えなければなりません。
 この社長が呼びかけたのは、事実でしょう。
 そして、その呼びかけに応じた人たちがいたのも事実でしょう。

 しかし、現在の世界の根底に、現状に対する不満がたまっていな
ければ、このように多くの人々が抗議行動に立ち上がるということ
はありえません。

 この社長の呼びかけは、たまたま、現代の人々の心の中にある不
満に火をつける一本のマッチになっただけです。

 唯物論的に、というのは、そういうことです。

 逆にいえば、もし、この社長がデモを呼びかけなくても、いつか
必ず、同じようにして、大規模な抗議デモが起きたでしょう。
 この社長がいなくても、別の社長、別の人が現れたでしょうし、
あるいは、そうした別の人物が現れなくても、自然発生的にデモは
起きたのです。

 こうやって、「仕掛け人」を探し出すのは、デモの根底にある
人々の不満から、目をそらすことになりかねません。
 それが危険なのです。

 昨日、70年代のデモと、今回のデモを対比しました。

 そうした二つの時代を反映するものがあります。
歌です。

 70年代の学生運動やデモを代表する歌は、日本においては、
「友よ」というフォークソングです。

 友よ
 夜明け前の 闇の中で
 友よ
 戦いの 炎を燃やせ
 夜明けは近い
 夜明けは近い
 友よ
 この闇の 向こうには
 友よ
 輝く明日がある

 これは、岡林信康の作詞・作曲です。
 この歌は、70年代、あらゆる場面で、歌われました。
 大合唱となったものです。

 特徴は、「希望」です。
 明るいことです。
 「友よ いまはこんな闇の中にいるように見えるけれど、夜明け
は近いんだ。闇の向こうには、輝く明日があるんだ」
 そう訴えています。
 明るい明日を我々の手にするために、いま、こうやって、デモを
しているんだーーという、力強いものがあります。

 同じように、アメリカで歌われた歌があります。
 それは、We shall overcome です。

 We shall overcome
 We shall overcome
 We shall overcome someday
 Oh, deep in my heart
 I do believe
 We shall overcome someday.
 
 私たちはいつか勝利する。
 そうだ。
 私たちは心の中深く、信じてやまない。
 私たちはいつか勝利する。

 この歌は、アメリカのベトナム反戦と結びついて歌われたのです
が、すぐに、世界中に広まりました。
 日本でも、デモのとき、「友よ」とあわせて、We shall
 overcomeが歌われたものです。

 この歌も、明るい歌でしょう。
 私たちは、いつか必ず勝利する。
 そういう歌です。

 この二つの歌は、70年代の学生運動と、それに伴う抗議デモ、
抗議の動きを代表し、象徴するものです。

 決して「仕事がほしい」という訴えではないのです。

これに比べて、今回のデモと抗議活動は、どこが違うのでしょう。
 決定的なのは、今回は、「希望」や「明るさ」がないことです。
 今回のデモは、どこにも、希望を感じさせないのです。

 仕事がほしい。
 経済格差を是正せよ。
今回のデモの訴えは、そういうことです。

 ここには
 「闇の向こうには輝く明日がある」とか
 「We shall overcome」
 というような意志と希望がありません。

 もしかすると、いまの社会は、もう、希望や明るさを感じられな
くなってしまったーーということなのでしょうか。

 70年代の学生運動のうねりと比べ、今回のデモは、非常に暗い
側面ばかり感じるのです。
 このデモの向こうに、展望が見られないのです。
 デモの参加者は、夜明けが近いとは、思っていないでしょう。

 それだけ、時代閉塞の状況は、いよいよ厳しいということではな
いでしょうか。