いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

ロンドン五輪・・・苦戦する日本で、気になるしぐさがありました。

2012年07月31日 15時52分42秒 | 日記

ロンドン五輪が始まり、連日、深夜までのテレビ観戦と
なっています。
 今回の五輪、日本は苦戦しています。
懸命にやっている選手に、なにをいうこともありません
が、ちょっと気がついたことを書いておきます。

柔道で、金メダル確実といわれた女子の福見選手と中村
選手には、試合前、共通したしぐさがありました。男子
で銅となった海老沼選手も、おなじしぐさをしました。
それを見て、これはまずいんじゃないかと、非常に気に
なったのです。

それはなにかというと、両方の手を口の前で丸く合わせ、
ふーっと息を吹き込むしぐさです。
冬の寒い朝、かじかんだ手を口の前で合わせ、ふーっと
息を吹きかけて温める、あのしぐさです。
3人とも、このしぐさをしていたのです。

3人の普段のしぐさを知っているわけではないのです
が、このしぐさ、どこか、非常に弱弱しい感じがしました。
かじかんだ手に息を吹きかけるしぐさは、かわいいしぐ
さではありますが、これから戦いに臨もうという動作では
ありませんでした。
戦いに臨もうという雰囲気がありませんでした。

一方、3人が負けた相手は、試合前、見るからに猛々し
い雰囲気を漂わせていました。

とくに福見選手は、ずっと、このしぐさをしていました。
自分の息を自分の手に吹き込むというのは、内にこもる
というイメージでした。
息を内側に吐くわけですから、闘志を外に出すという感
じにはなりません。

3人の相手は、みな、そろって、闘志をむき出しにした
雰囲気がありました。

この対比を見ていて、これは、ちょっと苦しいのではな
いかと心配になりました。
残念ながら、心配が当たってしまいました。
3日目に、女子の松本選手がようやく金メダルを取りま
した。
目つきといい、体の雰囲気といい、まったく猛獣のよう
な感じでした。
両手を口のまえで丸めて、そこに息を吹きかけるという
しぐさは、まったくしていませんでした。
考えてみれば、猛獣は、相手に飛びかかろうというとき
に、自分の手に息を吹きかけたりはしないでしょう。

誤解されると困りますが、そういうしぐさをしていた選
手を責めるとか、そんなつもりは、まったくありません。
きっと、3人の選手は、緊張していたんだと思います。
緊張が、そういうしぐさをさせてしまったのでしょう。

本当に残念でした。
また4年後を目指そうなどとは、とても言えません。4
年間というのは、長い長い時間です。
また4年間、トレーニングをするのかと思うと、気が遠
くなりそうです。
傷ついた野生動物は、傷がいえるまで、静かに眠ります。
 残念ながら敗れた選手たちも、いまは、静かに傷をいや
してください。
今後どうするかは、それから考えればいいのです。
いまは、傷をいやすことです。
本当にごくろうさまでした。






オスプレイの配備・・・国民が反対しているのは野田首相と民主党の姿勢です。

2012年07月25日 16時44分49秒 | 日記

米軍の輸送機、オスプレイが、反対運動のなか、山口県
岩国市に運び込まれました。
オスプレイは、どうして、こんなに反対されるのでしょ
う。
背景には、せっかくの政権交代を実現させた民主党への
失望、大いなる失望があります。

09年の夏、政権交代を実現させた民主党に、有権者、
国民は、多くのことを期待しました。
多くの期待がありましたが、すべての期待の根っ子にあ
ったのは、「自民党とは違うなにか」をしてほしい、
「自民党政権とは違うなにか」をしてくれるのではない
かーーということだったと思います。

「自民党時代とは違うなにか」というのも、これもたく
さんありますが、その根本にあるのは、
「開かれた政治」
ということだったのではないでしょうか。

自民党の政治というのは、政治家と官僚が、国民の見え
ないところで、政策を決めてしまう。
このことについては、稿を改めて書きますが、自民党の
政治家は「政策」を、財務省や経産省、外務省、農水省な
どの官僚に丸投げしていました。

財政政策は財務省が作ります。
通商政策や産業政策は経産省が作ります。
外交は外務省が担当します。
農業政策は農水省が実施します。

自民党の政治家は、各省庁が作った政策を承認するだけ
だったのです。
ただ、各省庁が政策を作るとき、自民党には、各省庁に
影響力のある政治家がいて、そういう政治家が、「実力者」
「有力な政治家」とされていました。
それが、自民党時代の政治、正確には、自民党時代の政
策決定だったのです。

こういう政策決定の方法だと、国会がほとんど何の役割
も果たしません。
こういう政策決定は、その過程、プロセスが、国民の目
には全く見えません。

政策が、いわゆる「密室」で決められていたわけです。

「政策」がどうやって企画され、どうやって決まってい
くのか、主権者であるはずの国民には、何も見えない。
 国民は、そうした「閉ざされた政策決定」「密室の政策
決定」を、いい加減にしろと思った。
政策は、我々の目に見えるところで企画・立案し、我々
の見えるところで決めてほしい。
簡単にいえば、「開かれた政策」「開かれた政策決定」を、
国民は、望んだのです。

政治には、「政局」と「政策」があると、何度か、この
ブログで指摘してきました。
いまここで話をしているのは、「政策」のことです。
「開かれた政治」と言ってしまうと、政局と政策の両方
にわたってしまうので、話が錯綜します。
そのため、あえて、「開かれた政策」と書いています。

そう。
歴史的な政権交代を実現し、政権についた民主党に、国
民は、「開かれた政策」を期待したのです。

決して、具体的な個々の政策を期待したわけではありま
せん。なにも、新幹線を作ってほしいとか、飛行場を作っ
てほしいとか、そんな具体的なことを期待したわけではあ
りません。
そういう個々の政策ではなく、
オープンで清新な空気、明朗な空気を、
国民は民主党に期待したのです。

さあ、そこで、オスプレイです。
オスプレイは、安全なのか、危険なのか。
海外でオスプレイが墜落する動画を見ると、いかにも危
なそうな飛行機に見えます。
一方で、専門家、たとえば軍事評論家の岡部いさく氏は、
「いま配備されている古いヘリコプターのほうが、よほど
危険です」と分析しています。
 野田首相は、「政府として安全性を確認するまでは、オ
スプレイは運用しません」と述べました。
 それを受け、防衛省は専門委員会を作り、オスプレイの
安全性を調査することを決めました。

 いや、違うのです。
 野田首相は、民主党は、肝心なところで間違えています。
 そんなことではないのです。

 防衛省の専門委員会の調査で、
 「オスプレイには危険性のないことが分かりました。オ
スプレイは自動車より安全です」
 という結論が出たとしましょう。
 そして、野田首相が
 「国民のみなさん。オスプレイが安全であることが確認
されました」
 と宣言したとしましょう。

 沖縄や岩国の住民は、これで納得するでしょうか。
 納得するわけがありません。
 沖縄や岩国の住民以外の国民も、納得しないでしょう。

 専門医委員会が「安全」という結論を出し、野田首相が
「安全です」といっても、国民は「はい分かりました」と
は言わないのです。
 国民は、納得しないのです。

 どうしてでしょうか。
 国民が政権交代で民主党に期待したもの、すなわち、
  「公開された政策決定」
  「オープンな政策決定」
  「明朗で清新な何か」
 を、民主党政権、そして、野田首相が、どこかへ置き去
りにしているからです。

 国民は、オスプレイに反対しているわけですが、なによ
りも、それ以上に、オスプレイ配備に至る野田首相と民主
党政権の姿勢やありように疑問の声を挙げているのです。

 オスプレイの配備には、沖縄と山口の住民だけではなく、
知事や市長も反対し、知事や市長が、政府に、オスプレイ
の配備を中止するよう、何度も申し入れました。

 ところが、政府、そして、野田首相は、こうした声に、
まともな対応をしてこなかったのです。
 野田首相が、一度でも、オバマ大統領に、「オスプレイ
は、国民感情を考えると、いまは、配備できません」と申
し入れたことがあったでしょうか。
 一度もありません。
 野田首相がオバマ大統領に、オスプレイの配備中止を申
し入れ、それをオバマ大統領が断ったというのならまだし
も、申し入れさえ、ないのです。

 国民は、
「民主党の政府なら、こういうとき、国民の側に立って
くれるはずだ」
という思いを持っています。
 自民党の政府なら米政府と米軍の言いなりだろうけれ
ど、民主党の政府なら米政府にも米軍にも、おかしことは
おかしいと言ってくれるーーそう思ったからこそ、国民は、
09年夏、政権交代を実現させたのです。

 ところが、実際には、危険だとされるオスプレイを、国
民に対し、何の説明もなく、受け入れてしまう。
 これなら、自民党政府と何の変わりもありません。

 国民がNOと言っているのは、ただ単にオスプレイの配
備ではありません。
 国民がNOと言っているのは、オスプレイの配備を国民
に何の説明もなく受け入れてしまう野田首相の姿勢、民主
党の姿勢に対してなのです。

 悲しいことに、野田首相は、そのことを、何も分かって
いないようです。




記者会見のパソコン・・・医療の現場でも、患者よりパソコンばかり見ている医者が増えてきたそうです。

2012年07月22日 01時28分48秒 | 日記

 記者会見で、少なからぬ記者が、会見をする人の顔も見
ず、パソコンの画面ばかり見ているという記事を、7月の
初めに書きました。
 それを見て、友人の医師が、
 「医療現場でも同じことが起きているんだよ」
 と知らせてくれました。

 この友人の話を聞いて、なるほどと思ったことがありま
す。
 このブログでお知らせしたように、私は5月の連休中に、
左足首の骨を折り、入院して手術を受けました。
 骨折した現場では、幸い、近くにある総合病院の救急外
来がオープンしていて、そこで応急措置を受けました。
 その際、診察してくれた若い医師が、患者である私のほ
うを見ず、パソコンばかり操作しているのです。

 私は、医師に対し、
 ・ けがをしたのは、いまから2時間ほど前であること。
 ・ 山の斜面でけがをしたこと。
 ・ けがをしたときに、骨の折れるような音がしたこと。
 ・ ひどい痛みがあったので、バファリンを飲んだこと。
 などを詳しく説明します。 

 医師は、私の説明を聞き、それをそのままパソコンに打
ち込んでいくのです。
 だから、私のほうを見ません。
 
 記者会見で、会見する人が話す内容を、黙々とパソコン
に打ち込んでいく記者と、まったく同じです。

 患者としては、心配になってきます。
 パソコンより、私のけがを見て下さいよーーという感じ
です。

 結局、私が説明し終わったあと、医師から、
 「では、レントゲンを撮りますので、廊下の奥にあるレ
ントゲン室に行ってください。連絡しておきます」
 という話があり、ようやく、声を聞きました。

 友人の医師は、
 「医療の現場でも、記者会見で記者がパソコンばかり見
ているのと同じ現象が起きているんだ」
 と教えてくれたのですが、まったく、その通りでした。

 友人の医師によると、その原因は、数年前に始まった
 「電子カルテ、電子オーダリングシステム」
 の導入だといいます。

 友人の医師の話をまとめると、次のようになります。

           ***

 記者会見で会見する人を見ずにパソコンばかり見ている
記者は、自分の仕事(記事を書くこと)を楽にするために
パソコンに入力しているのだと思うけれど、医者が患者の
ほうを見ずにパソコンとにらめっこするのは、同じ現象だ
けれど、理由は違う。
 医者の場合は、病院経営で、電子カルテ、電子オーダリ
ングシステムを導入し始めたためなんだ。

 医療現場では、さまざまな情報が飛び交う。
 たとえば、カルテや、検査結果、検査の予約、診察の予
約といったものだね。
 以前は、こうした情報は、すべて紙に書いて運用してい
た。
 それを電子化し始めたんだよ。
 電子化する理由は、
 ・ 経費の削減
 ・ データの紛失予防
 ・ 医師の間でのデータの相互利用
ーーなどだ。

 しかしだね、医者の立場からいえば、この電子化、つま
りはパソコンの導入によって、仕事が増えてしまったんだ。
よ。
 紙に書くほうが、仕事が早いんだ。

 これまでは、カルテを紙に書き、それを事務方に渡せば、、
あとは、事務方が適切に、検査の予約など必要なことを全
部処理してくれた。
 ところが、電子化されてみると、医者が自分で検査の予
約台帳をパソコンに呼び出し、いつどんな検査をするのか、
それをオーダーというんだが、それを、自分で入力しなけ
ればならなくなったのさ。

 採血検査、心電図検査、レントゲン検査、胃カメラ検査
など、必要な検査ごとに、医者が自分で台帳に予約入力を
しなければならないーーというわけだ。
 これまでは、カルテを事務方に渡せば、そういう作業を、
事務方がやってくれていたわけだね。

 医者がそれを自分でやるとなると、必然的に、パソコン
とにらめっこするようになる。
 患者さんと向き合ってお話しする時間の余裕も、心理的
な余裕もなくなってしまうというわけだ。

 それに、パソコン入力の時間が増えたわけだから、これ
までなら1人10分で診察できたものが、1人15分かか
るということにもなる。
 患者さんの数が減るわけではないから、時間だけが増え
るんだ。

            ***

 この友人の医師の話を聞いていて、思い起こしてみると、
本当に、いまは、どの病院に行っても、お医者さんが、患
者のほうを見ず、パソコンばかり見ている感じです。
 風邪で近くのお医者さんに診てもらったときも、お医者
さんは、一生懸命、キーボードに状況を打ち込んでいまし
た。
 腱鞘炎で診察してもらった外科のお医者さんは、とても
いいお医者さんでしたが、やはり、パソコンのほうを向い
ている時間のほうが長かったように思います。

 これは、患者としては、寂しい状況です。



野田首相の発言にはがっかりします・・・「それは米政府の方針だから」と。

2012年07月17日 14時43分34秒 | 日記

      前回の関連です。

      *******

 野田首相が、がっかりするような発言をしました。
 17日の朝刊各紙によると、野田首相は16日のフジテ
レビのニュース番組に出演し、米軍が沖縄に配備しようと
しているオスプレイについて、次のように語りました。

 「(オスプレイの)配備は米政府の方針であり、同盟関
係にあるとはいえ、(日本から)どうしろこうしろという
話では、基本的には、ない」。

 これはもう、野田首相はどこか大事なところで、ひどい
勘違いをしているーーとしか言いようがありません。

 相手国の政府が決めた方針であれば、日本政府から何も
言わないーーというような発言を、首相がしてはいけない
でしょう。

 相手国の政府が決めた方針ならそのまま受け入れると
いうのであれば、そもそも、外交というものが成立しませ
ん。

 首相の言い方なら、たとえば、ロシア政府が「北方領土
はロシア固有の領土だから、今後、日本政府とはもう何も
話をしない方針を決めた」ーーと伝えてきたら、
 野田首相は、
「ロシア政府の方針なのだから、日本としてはどうしろ
こうしろと言う話ではない」
 と答えるのでしょうか。

中国が「尖閣列島は中国の領土だから、中国政府として、
尖閣に駐在員を置く方針を決めた」と発表したら、
 野田首相は、
 「中国政府の方針なんだから、日本として、どうしろこ
うしろと言う話ではない」
 と答えるのでしょうか。

 相手国の方針だから、日本として何も言わないというの
なら、外交になりません。

 相手国の政府が決めた方針であっても、それが日本とし
て受け入れることが出来ないものであれば、日本政府とし
てそれに意見を言い、受け入れないという考えを伝えなけ
ればなりません。

 野田首相が、オスプレイの配備をめぐって、
 「それは米政府の方針だから、日本として何かをいう話
ではない」 
 と答えたのは、もし本気でそう言ったのなら、野田首相は、
どこか大事なところで勘違いをしているということです。

 しかし、いくらなんでも、本気で勘違いしているわけ
ではないでしょう。
 こんなことを勘違いしているとすれば、野田首相には
首相たる資格がありません。

 むしろ、野田首相としては、
 「日本政府としてオスプレイの配備を認める」
 と言いたいのだと思います。

 それなら、はっきりと
 「私は、首相として、オスプレイの配備を受け入れます」
 と答えればいいものを、
 どこか、後ろめたい気分、エクスキューズもあるのでし
ょう、はっきりとそういわず、
 「アメリカの方針だから日本としては何かをいう話では
ない」
と、一般論に逃げてしまったのです。

 もし民主党が野党なら、野党の党首たる野田さんは、
 「オスプレイの配備はアメリカ政府の方針だから、日本
として何かを言う話ではありません」
 などとは、口が裂けても、言わないでしょう。
 むしろ、自民党の首相が
 「オスプレイの配備はアメリカの方針だから、日本と
しては、何をいうこともない」
 と言い、野党・民主党の野田党首が、それを、痛烈に
批判するーーという構図になっていたのではないで
しょうか。

 権力は人を変えます。
 しかし、立場が変われば、これだけ変わるものかと
驚きます。
 民主党は、本当にだめになりました。
 


自民党より自民党的な民主党・・・民主党は永遠の野党でいたほうがよかったかもしれません。

2012年07月16日 21時59分32秒 | 日記

 野田首相は、首相になってから、どんどん保守化してき
ました。
 とても、民主党の首相とは思えません。
 自民党以上に自民党的な首相になってしまいました。

 いまの野田首相を見ていると、もしかして、民主党は、
永遠の野党でいたほうが、日本のためにはよかったのでは
ないかと思えてきました。
 政権交代しないほうがよかったのではないかとさえ、思
います。

 民主党が政権与党になり、自民党的な政策を採り始めた
ため、「NO」を言う政党がいなくなってしまうのです。
 もちろん、社民党や共産党のように、いまでも「NO」
という政党はありますが、小さな勢力です。
 「NO」を言う大きな勢力が、いまの日本から、消えて
しまったのです。
 これは、怖いことです。

 いま、毎週金曜日に、首相官邸の周辺で、原発反対の大
きなデモが続いています。
 普通の市民が呼びかけて始まったデモで、こういうデモ
は、日本では初めてでしょう。画期的なデモです。
 
その感想を聞かれた野田首相が、「大きな音ですね」と
答えたというので、問題になりました。「音」とは失礼じ
ゃないかーーというわけです。
 野田首相は「音といったわけじゃない」と釈明していま
した。
 いずれにしても、野田首相が、このデモに関心を持って
いないということを、示してしまったと思います。

 しかし、ちょっと、考えてみてください。

 もし政権にいるのがいまも自民党で、民主党が野党だっ
たとしたら?ーーと。

 もし、民主党がいまも野党だったら、野田さん(野党な
ら首相ではありません)は民主党の党首として、このデモ
に参加していたのではないでしょうか?

 民主党は、いくつかの勢力が集まってできた政党ですが、
ひとつの大きな勢力は、市民運動の流れでした。菅直人・
前首相が、その代表的な人物です。
 今回のデモのような運動は、本来、民主党が担ってきた
運動だったはずです。
 いまも自民党政権が続いていたとしたら、野田さん、菅
さん率いる民主党は、こぞってこのデモに参加し、「反原
発」を訴えていたのではないかと思います。

 ところが、いまや、民主党は政権の座にあり、大飯原発
の再稼働を決めました。
 とても、「反原発」ではありません。
 野田首相の言動を見ていると、原発推進に近いでしょう。

 一方の自民党は、もともと、原発を推進してきました。
 
 そうなると、大きな政党で、今回のデモを支援する政党
がなくなってしまいます。

 冷静に考えると、こんな怖いことはありません。
 
 社会党が野党として健在だったころは、「反政府」を掲
げる人たちには、味方として社会党が存在していました。
 ところが、いま、首相官邸でデモをする人たちにとって、
味方となるような政党が存在しないのです。
 
 こんなことは、戦後の政治史で、初めてのことではない
でしょうか。

 沖縄に配備されようとしているオスプレイのこともそう
です。

 オスプレイの事故の動画を見ていると、どうにも、危な
い飛行機に思えます。左右の翼に着いているプロペラが、
シンクロしない。事故の動画を見る限り、左右のプロペラ
がうまく同調できず、どちらかのプロペラが異常回転する。
その結果、どちらかの翼だけが浮き上がってしまい、機体
そのものが傾いて墜落しているように見えます。
 そうだとすれば、これは技術的な欠陥でしょう。

 これが沖縄に配備されたら、沖縄の人は、不安だろうと
思います。
 いつ落ちるか分からないというのは、不安ですよ。

 ところが、野田首相の民主党は、アメリカに配備の中止
あるいは延期を求めることなく、米軍の計画通り、オスプ
レイの配備を進めようとしています。

 自民党は、もともと、米軍に反対するわけがありません
ので、結局のところ、民主党も自民党も、つまり、最大与党
と最大野党が、そろって、オスプレイの配備に賛成という
ことになってしまいます。
 現実にそうなっています。

 もし、かつての社会党がいまも最大野党だったら、社会
党は、大きな声でオスプレイの配備に反対したでしょう。
 社会党は、もともと、日米安保に反対していたのですか
ら、オスプレイの配備に賛成するはずがありません。

 そうであれば、オスプレイの配備に反対する沖縄の人た
ちにとって、社会党は、強力な味方だったのです。
 
 民主党は、社会党の流れも引き継いでいます。血筋から
いえば福島瑞穂さんの社民党のほうが純粋な社会党に近い
のですが、しかし、民主党には社会党出身の議員がたくさ
んいます。
 民主党は、市民運動と社会党の流れをくむのです。

 もし、いまも自民党政府が続いていて、民主党が最大野
党だったら、民主党は、当然のごとく、オスプレイの配備
には反対していたでしょう。

 ところが、民主党はいまや政権の座に着き、野田首相は、
どんどん保守化して、米軍の計画通り、オスプレイの配備
を進めようとしている。
 アメリカにはNOといわない。

 もちろん、自民党は、アメリカにNOというわけがない。

 そうなると、大きな政党で、オスプレイに反対する政党
は、どこにも存在しなくなってしまいます。
 そして、実際に、そうなっています。

 では、沖縄の人たちは、いったい、どの政党を味方とし
て頼めばいいのでしょう。
 二大政党である民主党と自民党は、頼むに足らずという
政党になってしまいました。

 いま、自民党が政権を担当していたら、最大野党の民主
党は、オスプレイの配備に猛烈に反対し、沖縄の反対運動
と協力して、かなり大規模な反対運動を起こすことが可能
でしょう。もしかすると、国民的な反対運動になるのでは
ないでしょうか。
 自民党政権は、相当な危機感に見舞われる。
  
 これはいけないというので、自民党政権は、アメリカに
たいし、オスプレイの配備の延期を求めるかもしれません。
 その可能性が高いのではないでしょうか。

 まことに皮肉なもので、自民党政権だったほうが、オス
プレイの配備に慎重だったかもしれない。
 ところが、民主党は政権の座に着いたため、自民党なら
躊躇したと思われるオスプレイの配備を進めようとしてい
るわけです。

 沖縄の人たちの政治不信は、いったい、どれほど強くなって
しまうのでしょう。

          ****

 民主党は、野党のままなら、「反原発」を掲げていたで
しょうし、オスプレイの配備にも反対したでしょう。

 ところが、なまじ政権の座に着いたがために、「反原発」
を捨て、同時に、沖縄より米軍の側に立ってしまいました。

 その結果、反原発、反オスプレイを言う大きな政党は、
どこにも存在しなくなってしまいました。

 これは、かなり危険な状況です。
 相当危ない。

 民主党は、野党のままでいたほうがよかった。
 野田首相の無表情な顔を見ながら、つくづく、そう思い
ます。
 こういう言葉はつかいたくないのですが、
 野田首相は、恥を知るべきでしょう。
 
 このままでは、日本は危ない。
 ・・・それが杞憂に終わればいいのですが。




ロンドン五輪・・・選手諸君。もういい加減「国民に夢を与えたい」とは言わないでもらいたい。

2012年07月14日 23時20分42秒 | 日記

 ロンドン五輪が、あと2週間と近づいてきました。
 五輪は、いつでも、わくわくします。

 しかし、今回の五輪は、がっかりすることが多いのです。

 すでに何度か書いているので、もうあまり書きたくないの
ですが、書かざるをえません。
 五輪に出場する選手が、次から次へと、
 「日本に夢を与えたい」
 「見ている人に夢を与えたい」 
 というのです。

 以前は、そうですね、北京五輪のころは、こんなことを
言う選手は少なかったと思います。
 きっかけは、去年3月11日の大震災だったような感じ
がします。
 震災で被災した人に「夢を与えたい」ということから、
言うようになったのではないかと思います。

 しかし、「夢を与える」という言い方が、どれほど
「上から目線」であるか、選手たちに、気がついてほしい
のです。

きょう、テレビでニュースを見ていたら、女子体操の選
手が五輪への抱負を聞かれ、笑顔で、
 「夢を与えるような演技をしたいです」
 と答えていました。

 笑顔で答えていましたから、悪気はまったくないのでしょう。

 しかし、五輪の大舞台で、床運動や平行棒の演技に臨む
とき、体操の選手は、
 「夢を与えるような演技をしたい」
 と思うはずがないでしょう。
 
 演技に臨むときは、きっと、

 失敗しないかなとか、
 失敗したらどうしようとか、
 うわー、緊張してきたとか、
 平行棒から落ちないようにとか、
 着地が決まるようにとか、
 なんとか成功したいとか、

 そう思っているはずです。

 これからメダルをかけて、床運動をスタートするという
とき、夢を与えるような演技をしようなどと思って演技を
する選手は、いないでしょう。
 いたら、おかしいですよ。

 そしてなによりも、「夢を与える」という言い方は、傲
慢で、えらそうな言葉で、上から目線の言い方です。

 大きなお世話です。
 
 どうして、そんなことに気がつかないのでしょう。

 「夢を届けたい」というのなら、まだしも、分かります。
 それは、相手と同じ目線に立っています。
 しかし、
 「夢を与える」というのは、相手より上の目線でモノを
言っています。

 正直にいえば、「私は国民に夢を与えたいです」と抱負
を語る選手の試合は、見たくないですね。
 本当に、大きなお世話です。

 昨日は、10代の選手が、やはり、抱負を聞かれて、
 「夢を与えるような試合をしたいです」
と答えていました。

 きっと、深くは考えていないのでしょう。
 しかし、10代の選手まで簡単に口にするということは
「夢を与える」という言い方が、普通になってきたという
ことなのでしょう。

 さらにその前には、水泳で、3番手というと申し訳ない
のですが、記録的にはメダルは厳しいだろうという五輪選
手が、五輪への抱負を聞かれて、
 「みなさんに夢を与えるような試合をしたいですね」
 と答えていました。

 しかし、メダルはちょっと厳しいぞ、という選手まで、
 「夢を与えるような試合をしたい」
 と答えるというのは、おかしいでしょう。
 そんなことを言う暇があれば、君は、もっとがんばれよ。
 
 さらにはまた、女子レスリングの選手も、
 「夢を与えるような試合をしたい」
 と答えていました。

 違うだろう。
 君の抱負は
 「絶対に金メダルを取りたい」
 だろう。
 「金以外は、ほしくない。私は絶対に金を取ります」
 だろう。

 別に、君に夢を与えてもらおうとは思わないよと、言い
たくなります。

 国会議員になって評判を落としてしまいましたが、かつて、
女子柔道で金を取った国民的ヒロイン、谷亮子選手は、五輪に
出るとき、
 「国民に夢を与えるような試合をしたい」
 とは言いませんでした。
 彼女は、そんななまやさしいことではなく、
 どうしても、金メダルを取りたかったのです。
 だから、谷選手は、抱負を聞かれて、
 「最低でも金」
 と答えて五輪に臨み、みごとに金を取ったのです。

 「夢を与えたい」
 などという言葉は、金を取ろうという選手の言葉ではあ
りません。
 上から目線であると同時に、試合に臨む選手の言葉と
しては、実に甘い言葉です。

 どうしても金メダルを取りたい、なにがなんでも金メダ
ルを取りたいという選手は、
 「夢を与えたい」 
 などとは言わないのではないでしょうか。
とにかく金を取りたい。なにがなんでも勝ちたい。
 そう思っている選手は、抱負を聞かれて、
 「勝ちたいです」
 「金メダルがほしいです」 
 と言うのではないでしょうか。
 
 五輪に出る選手は、何年にもわたって、苦しいトレーニ
ングを積んできたはずです。
 五輪に出たい。
 それは、五輪が世界で最高の試合だからです。
 だから、五輪に出たい。
 
 なぜ五輪に出たいかというと、
 それは、選手自身が出たい、
 そう、自分が出たいからです。

 そして、五輪で勝ちたいのは、
 自分が勝ちたいのです。

 率直にいえば、スポーツというのは、すべて、選手が、
自分のためにやるものです。


 水泳でも、陸上でも、柔道でも、サッカーでも、体操でも、
ボートでも、そう、すべての競技で、選手は自分が勝ちたい
からやるのです。
 勝ちたいと思って練習してきた選手が世界中から集まり、
その勝ちたいという思いをぶつける。
 その結果、私たちは、すばらしい技術を見ることができ、
あるいは、すばらしい試合を見ることができ、ものすごい記
録を見ることができ、そして、魂が震えるような感動を経験
するのです。

 選手は、自分のために試合をするのです。
 その結果として、感動的な試合が生まれる。

 感動的な試合をしようと思って試合をするから感動的な試
合が生まれるのではありません。


 選手は、だれもが、自分のため、自分自身のために、五輪
に出場し、試合に出るのです。


 だから、抱負を聞かれたら、
 「はい、私は、勝ちたいです」
 「私は、勝つために、練習をしてきました。私は勝ちます」
  と答えてほしいのです。
 
 それが、スポーツです。
 
 夢を与えたいなどと話して試合に臨むと、まず間違いなく、
勝てないと思います。
 
 そうではなく、自分のために勝つんだと、そういう気持ち
こそが強い気持ちであり、そういう強い気持ちの選手の試合
こそ、素晴らしい試合になるのです。

 五輪に出る選手のみなさん。
 夢を与えたいなどという「甘い気持ち」で試合に出てはい
けません。
 「自分のために試合に出る」と思ってください。それこそ
が、「強い気持ち」です。

 あなたたちは、自分のために試合をしてください。

 もう、「夢を与える」などと言わないでほしい。
 「勝ちたい」と言ってほしい。
 そして、自分のために、五輪に出てほしい。
 
 選手は、自分のために試合に出て、
 自分のために金メダルを取ってきてほしいのです。

 心から、健闘を祈ります。



今年の旧暦には閏月があります・・・私たちの生活は旧暦に基づく行事が少なくありません。

2012年07月09日 15時46分14秒 | 日記

この原稿は、2012年7月に書いたものです。 
 2012年に旧暦の閏月があったことを説明したもので
すが、その後、2014年にも、同じように、旧暦の
閏月が発生しています。
 2014年11月5日付けの原稿でも、2014年の
閏月を説明していますので、そちらも、あわせて、お読み
いただければと思います。

       *****

 七夕は、新暦(太陽暦)の7月7日にするから、梅雨の
最中になって、雨のことが多いという記事には、反響をい
ただきました。
 私自身は、別に、暦に詳しいわけでもなんでもないので、
あまり書くとボロが出かねませんが、少し、書き忘れたこ
とを付け加えておきます。

 まず、今年の旧暦は、3月が2回ありましたーーという
ことからです。
 旧暦の3月は、弥生(やよい)と呼びます。
 
 今年は弥生が2回あり、2度目の弥生は、閏弥生(うる
うやよい)と呼びます。

 閏というのは、閏年(うるうどし)の閏です。
 太陽暦では、4年に1度、2月29日を設定します。
これは、太陽の運行とカレンダーのずれを調整するた
めのものです。

旧暦(太陰暦)は、このずれがもっと大きいので、日で
はなく、3年に一度、ひと月分をまるまる、余分に設定
するのです。
これを、閏月(うるうづき)と言います。

2012年が、その年に当たり、3月を2回やったので
す。
具体的には、新暦の4月21日の土曜日が、旧暦の閏弥
生の1日でした。

前回の記事で、今年は、旧暦の7月7日が新暦の8月2
4日ですと書きましたが、閏弥生があるから、そこまでず
れているわけです。閏月がなければ、旧暦の7月7日は、
8月24日ではなく、もう少し前になっていました。
ただし、閏月が3年に1度もあるので、「閏月がなけれ
ば」という仮定は、あまり意味がありません。

これ以上書くと、いよいよボロが出そうですが、旧暦で
は、新月つまり月がまったく見えない日を、毎月の始まり
とします。この初日を、「朔」と呼びます。
 月の満ち欠けは、29日半(29・5日)をひとつの
周期とします。それが、1年12か月あると、日数は
 29・5日かける12か月=354日
 となります。
 一方、太陽暦は365日です。これは、地球が365
日かけて太陽を一周するということです。
 365日マイナス354日=11日
 です。
 すると、月のカレンダーを使って生活していると、実
際の太陽の運行と、3年で33日のズレが生じます。
 これは、田植えの時期とか、夏の始まりとか、お正月
とか、生活するうえで、大きな問題になります。
 そこで、閏月を3年に1度作って、月のカレンダーを
生活に合うよう調整するわけです。

いまでも、日本の伝統行事やしきたりは、旧暦でするも
のが少なくありません。

たとえば、お盆です。
試しに、壁にかかっているカレンダーを見ると、
7月15日のところに「盆」「中元」と書いてあります。
 それでは、8月15日を見てみましょう。「月遅れ盆」
と書いてあります。

 私は関西(神戸市)の出身です。
 関西は、こうした行事は、だいたい、旧暦でやる習慣が
いまでも残っています。
 典型的なのが、お世話になった方に贈り物をする「お中
元」です。
 関西のお中元は、7月中旬ごろから始まり、8月15日
のお盆で終わります。小売店やデパートのお中元セールも、
まさに、この時期にやります。
 ところが、大学で東京に来て、東京に住むようになって、
東京のお中元が6月に始まり、7月の中旬で終割るのを見
て、びっくりしました。

 これは、デパートでもそうです。
 同じ高島屋、同じ大丸でも、首都圏の店は6月から7月
までお中元セールをし、京阪神のお店は7月から8月まで
お中元セールをします。
 東京、大阪にまたがれば、お中元は、6月から8月まで
延々とやっていることになります。
 東京と大阪は、新幹線でわずか2時間半という距離にな
ったのに、いまでも、伝統行事は、それぞれの地域に根付
いた方法でやるんですね。

 ところが、その東京も、というより、日本全国が、とい
うべきですが、お盆のお休みは、8月15日の月遅れ盆で
やります。月遅れ盆というより、「旧盆」といったほうが
いいですね。
 どこの会社も、8月の15日、16日の2日が休日とな
ります。
 そして、日本人の「民族大移動」と呼ばれるほど、私た
ちは、この旧盆に故郷に帰り、墓参りをします。
 
 私たちは新暦で暮らしているのですから、お中元を7月
のお盆に合わせてるするのなら、盆の墓参りも7月のお盆
でやればいいようなものです。
 しかし、故郷への里帰り、先祖への墓参りは、だれが決
めたわけでもないのに、旧盆にします。

 それは、とりもなおさず、実は、私たちの生活のかなりの
部分がいまも旧暦に根差しているからーーということになる
のではないでしょうか。





七夕はなぜ雨か・・・日本の伝統行事は旧暦にもとづいています。

2012年07月06日 14時33分43秒 | 日記


 7月7日の土曜日は七夕です。
 今年の七夕も雨模様で、織姫(こと座ヴエガ)と彦星(わし座
のアルタイル)は、また会えないようです。


 7月7日というと、日本は梅雨の最中なので、どうしても、
雨の日になってしまいます。
 でも、どうして、わざわざ、梅雨の最中の7月7日が七夕
なのでしょう。

 七夕は、古くからある伝統的な行事なので、月で暦を作っ
ていた旧暦(太陰暦)にもとづくしきたりです。
 いまのカレンダーは、もちろん太陽に基づく新暦(太陽暦)
です。
 では、新暦と旧暦で、どのぐらいのズレがあるのでしょうか。

 私たちがいまいる2012年7月7日の土曜日は新暦ですが、
この日を旧暦にすると、まだ5月18日です。

 では、旧暦の7月7日は、いまの新暦だといつになるかを
見てみると、今年は、8月24日が旧暦の7月7日になります。

 今年は、8月24日の金曜日が、本来の七夕になるわけです。

 8月24日だと、夏の最中で、ほぼ間違いなく、晴れている
でしょう。
 七夕を、8月24日に祝うと、織姫と彦星は、ちゃん
と会えるわけです。

 日本の伝統行事は、江戸時代、あるいは、もっと前、
平安時代から続いているものも少なくありません。
 日本で太陽に基づく太陽暦、新暦を採用したのは、
明治に入ってからです。

 ですから、日本の伝統行事を、いまの暦でやると、
季節感に合わないことが多くなります。
 七夕がその典型です。

 いまでも、地方に行くと、七夕をひと月遅れ、つま
り、8月7日にする地域が、かなりあります。

 もちろん、ひと月遅れでも、まだ本来の七夕では
ありませんが、しかし、8月7日だと、もう梅雨は
すっかりあがって、晴れの日が続いています。
 そのほうが、実感には合います。

 たまには、旧暦の良さに思いをいたすのも、悪くない
ですね。


 



記者会見のパソコン・・・相手の顔を見ず、パソコンばかり見ている記者が増えました。これは心配です。

2012年07月04日 23時03分12秒 | 日記

 民主党の内紛で、記者会見が増えています。
 首相会見のような大人数が入る会見から、離党した議員
の個人的な小さな会見まで、いろんな会見があり、テレビ
でも会見の様子をよく流しています。

 それを見ていて、これはちょっとまずいなと思うことが
あります。
 パソコンです。
 会見場に記者がパソコンを持ち込み、会見での発言や質
疑を、その場で、パソコンに打ちこんでいるのです。

 記者が、会見している人の顔を見ず、黙々とパソコンに
向かっている。
 これは、おかしいでしょう。

 きのうでしたか、小沢派の議員がひとりで会見をしまし
た。
 普段なら、議員がひとりで会見することはまずありませ
んが、いまは、離党するのか、新党に入るのか、ひとりひ
とりの議員の行動が重要になります。
ですから、個人の議員の会見でも、記者が出ます。
 ただ、そうはいっても、こじんまりした会見です。テレ
ビで流れている会見風景は、どこかの会議室を使った少人
数の会見でした。
長い机の端に会見する議員がひとり座り、机の両方に各
社の記者が並んで座っています。記者同士が、机を挟んで
向かい合って座る格好です。
 それが、異様なのです。
 机をはさんで向かい合って座っている記者が、みな、パ
ソコンを開き、会見する議員の発言を打ち込んでいる。
 議員は一生懸命しゃべっているのですが、記者たちは、
みな、パソコンの画面に没頭していて、会見する議員のほ
うを、だれも見ていない。

 これは、いったい、何なのでしょう。

 記者会見は、たとえば、記者の質問に対し、会見する人
がどんな表情で答えるのかを見て、回答の裏を探るのです。
 会見する人が、無表情にしゃべっているのか、笑顔で答
えているのか、怒って答えているのか、それによって、解
答の意味がまるで違ってきます。

 記者会見は、会見する人と、記者が、切り結んでいかな
ければなりません。
パソコンの画面ばかり見ていたら、相手と切り結ぶのは
無理です。

 実は、首相の会見でも、最近、一生懸命、パソコンを打
ち込んでいる記者が増えてきました。
 彼らは、首相の顔を見ていない。

 どうしてこんなことになったかというと、パソコンに会
見者、たとえば野田首相の発言内容をそのまま打ち込んで
いくと、会見の原稿を書くのが速くなるのです。

 会見に出る記者は、ノートやメモ帳を机の上に置き、会
見する人の発言をボールペンでノートやメモ帳にメモして
いくというのが、本来のスタイルでした。

 会見が終わったら、ノートに取ったメモを読み返しなが
ら、どういう原稿にしようかを考えて、それからパソコン
に向かって原稿を書くというのが、スタイルでした。
 もちろん、パソコンの普及前は、パソコンではなく、原
稿用紙に原稿を書いたのです。

 ところが、いつのころからか、ノートにメモを取るなら、
直接パソコンにメモを取ったほうが、便利だという考え方
に変わってきました。

 まあ、みんな、パソコンのキーボード操作が速くなった
ということも、背景のひとつでしょう。

 そうなると、「取材ノート」というものがなくなって、
なんでもかんでもパソコンに打ち込んでしまう。
 記者会見で、パソコンに没頭する風景は、そうやって始
まりました。

 でも、これは、異様です。
 パソコンを使うなというのではありません。
 そうではなく、人が話をしているときぐらい、その人の
ほうを向けーーというのです。
 それが、エチケットでもあり、話をする人への礼儀でも
あるでしょう。

 記者会見のとき、記者は相手の顔を見て、相手と切り結
んでいかなければなりません。
 パソコンと切り結んでもしようがないのです。


民主党の分裂・・・民主党は増税しないと言って政権交代しました。野田首相の罪は重いでしょう。

2012年07月03日 21時57分35秒 | 日記

小沢一郎氏が、結局、民主党を離党しました。
 これから新党を作ることになります。
 私は、個人的な感想としては、小沢一郎氏という政治家
を好きではありません。
 しかし、今回は、ちょっと小沢一郎氏を擁護してみたい
と思います。


 小沢氏は、これまで何度も新党を作ってきましたが、い
ずれも権力闘争というイメージが強かったのです。
 しかし、今回は、離党する理由がはっきりしています。
 そこを評価したいのです。

 民主党の野田首相は、消費税増税に
「政治生命をかける」
と断言し、自民、公明と協力して、消費税増税法案を衆議
院で可決・成立させました。
 
 しかし3年前、09年夏の総選挙で、
野田首相は、民主党のマニフェストを前提にして、
「絶対に消費税は増税しない」
「増税より先にやることがあります」
と訴えました。

そうやって演説している様子は、いまでも YOUTUBEで
見ることが出来ます。


 小沢氏は
 「民主党は増税しないといって政権についたのだから、
消費税増税は、国民との約束違反だ」
 と主張して、野田首相および民主党執行部と対立しました。

 そして、その対立は解けず、小沢氏は、
 「いまの民主党は、政権交代したときの民主党ではない」
と言って、民主党を離党したわけです。

 ですから、離党する理由は、非常にはっきりしています。
 素直に考えると、今回は、小沢氏の言い分のほうが、筋
が通っています。

 自民党の山本一太議員だったか、小泉進次郎議員だった
か、民主党のこの騒動について、
 「民主党は、マニフェストを破った国会議員が、マニフ
ェストを守ろうとした国会議員を処分している」 
 と指摘しました。

 その通りです。

 この指摘が、今回の民主党の分裂を、うまく言い当てて
います。

 日本の財政が大赤字なことは、だれもが分かっています。
 このまま放っておくと、危ない。
 ギリシャの破綻は、対岸の火事ではない。
 なんとかしなければならない。
 それには、増税も必要になってくるだろう。

 そんなことは、だれも、分かっているのです。
 日本人は賢明な国民ですから、そんなことは、よく分か
っている。必要とあれば、増税だって、了解するでしょう。
 
 しかし、いま政権にある民主党は、
 「民主党が政権を運営する4年間は、消費税を増税しま
せん」
 と言って、自民党を破り、政権交代を実現させたのです。

 それを、いまになって、
 「消費税増税に政治生命をかける」
 というのは、どう見ても、おかしい。

 おかしいことはおかしいと言わなければなりません。

 もし09年8月の総選挙で、民主党が、マニフェストで
 「財政再建のために、消費税を増税します」
 とうたっていたら、政権交代は実現していたでしょうか。

 これは、はっきりと、約束違反です。

 野田首相は、完全に心変わりをし、政策を180度変えました。

 もし、野田首相が、首相になってみて、
 ・ 日本はいま増税をする必要がある。
 ・ 増税は、いま、しなければならない。
 ・ いまを逃しては、日本は危ない。
 ・ 増税は、政権交代を実現させたマニフェストを破っ
   てでも、しなければならない。
 ーーと考えたのであれば、
 まずなによりも、民主党に投票した有権者、国民に対し、
マニフェストを破ることを、おわびし、謝罪しなければな
らないでしょう。
 
 そして、そのうえで、
 ・ どうしてそう考えるようになったのか。
 ・ どうしていま増税が必要なのか。
 ・ 大震災からの復興や原発への対応より、消費税増税
   を優先する必要があるのか。
 ・ 増税は、それほどまでに緊急に必要なのか。
 ーーということを、有権者、国民が納得するまで、きち
んと説明しなければならないでしょう。

 それは、「増税しません」と訴えて政権交代させた民主
党の責任であるはずです。
 
 ところが、野田首相は、マニフェストを破ったことを、
国民に対しおわびもしていません。

 大震災の復興や原発への対応ではなく、どうして
 「消費税増税に政治生命をかける」
 のか、ちゃんとした説明もしていません。

 なぜいま、このときに、消費税増税が必要なのか、説明
していません。

 増税はしないといっていたのに、どうして増税しなけれ
ばならないと考えを変えたのか、その説明もありません。

 増税は、どうしてそれほどまでに緊急の課題だと思うの
か、少しも説明していません。

 そうなのです。
 野田首相は、増税しないといっていたのを、突然、増税
に政治生命を賭けるとまでいうようになった、その変化を、
まったくなにも説明していないのです。

心を込めて、丁寧に、しっかりと説明すれば、国民も
納得するでしょう。
 しかし、いまのような、木でハナをくくったような説明
では、国民は、納得できないでしょう。
 
 むしろ、これから先、もっと根本的な税制改革が必要に
なったとき、今回のことで不信感を持った国民が、NOと
言い続ける可能性だってあります。

 せっかく歴史的な政権交代を実現したというのに、野田
首相は、それに背を向け、決定的な政治不信をもたらして
しまいました。
 
 今回は、小沢一郎氏に、理があります。
 国民に政治不信をもたらした野田首相の罪は重いと言わ
ざるをえません。



民主党を見て「どうせ政治なんて」と思うのは危険です・・・政治には「政局」と「政策」があります。

2012年07月01日 01時17分55秒 | 日記

 小沢一朗氏が離党するかどうかをめぐり、民主党のご
たごたが続いています。
 そこに、政権復帰を狙う自民党と公明党が絡みます。
 もううんざりだというみなさんも多いでしょう。
 テレビのニュースで街頭インタビューをしているのを見
ていても、
 「私たちと関係のないところでやっている」とか
 「もういい加減にしてほしい」
 「政治家同士が何をやっているんだ」
 という答えばかりです。

 本当に何をやっているのでしょう。
 しかし。
 これで、
 「政治はこんなものだ」とか
 「どうぜ政治なんて」
 と思うのは、大変危険です。

 ここは、政治を、
 「政策」と「政局」に分けて考えてほしいのです。

 政治には、政策と政局があります。
 その違いは何でしょうか。

 会社帰りに「軽く食べようか」「軽くやりますか」とい
うことになったとします。
 そこでこんな会話になります。
 「小沢一朗はなかなか新党を作らないねえ」
 「うん、今度は慎重だね」
 「小沢派の議員って、1年生が多いんだろ。次の選挙は
落ちる人が多そうだから、新党作っても、続かないという
心配があるんじゃないの」
 「だけど、輿石幹事長って、小沢派なんだろ」
 「うん、そういうことになっているけどね」
 「それと、鳩山さんは、どうするのかね」
 「増税法案には反対したけれど、離党はしないというん
だろう」
 「だけど、仮にも、元首相だからね。党の方針に反対す
るというのは大変なことだよ」
 「野田さんも大変だね」
 「それと、自民党はどうするのかなあ」
 「石原幹事長って、軽いよなあ」

 どうですか。
 いかにもありそうな会話でしょう。

 普段からちょっとニュースに関心がある人なら、このぐ
らいの会話は、簡単に出来てしまいます。
 この会話には、ひとつ、大きな特徴があります。
 なんでしょうか。

 それは、会話の中に、必ず、「人」が出てくることです。
 小沢一郎氏、輿石幹事長、鳩山元首相、野田首相、石原
幹事長と、この短い会話の中に、これだけの人が登場しま
す。
 これが、政治の話のひとつの特徴です。

 では、「人」が出てくるというのは、どういう意味があ
るのでしょうか。 
 「人」が出てくると、話がおもしろいのです。
 有名な政治家は顔も知られていますから、顔と名前が一
致します。顔と名前が一致していれば、イメージしやすい
し、なじみもある。
だから、「政治」の話は、しやすいのです。
 しやすいし、なによりも、おもしろい。
 政治家というのは、ひとり一人、キャラクターがおもし
ろいから、話のネタになりやすいのです。

 これが、「経済」だと、そうはいきません。
 やってみましょうか。
 「おい、EUの金融危機ってさあ」
 「そんなこと、聞かれたって、分からないよ」
 「だけど、ドイツがさあ」
 「ドイツって、あの女性の首相だろ」
 「ドイツが危機感持っているということなんだけどさ、
これって、EUだけで解決できるのかねえ」
 「さあねえ」
 「アメリカや日本はどうすればいいのかね」
 「そんな難しいこと、聞くなよ」 
 「うん、まあな」
 「そんな話、メシがまずくなるじゃないか」
と、こんな感じになってしまいます。
 全然、話がはずまないのです。

 なぜ、「経済」は、話がはずまないのでしょう。
 それは、「人」が出てこないからです。
 いまの例では、唯一、ドイツのメルケル首相が出てきま
すが、それだって、女性の首相だから話題になるだけのこ
とです。

 会話は、「人」が出てこないと、おもしろくないし、は
ずまないのです。
 人のうわさ話って、おもしろいでしょう。

 そこへ行くと、「政治」はおもしろいのです。
 政治家という「人」が登場する「政治」は、おもしろい
のです。

 しかし、ここで、ちょっと待ってほしいのです。
 ここに、大きな落とし穴があるのです。

 小沢一郎氏の離党をめぐる騒ぎ、そして、次の選挙をに
らんだ駆け引きは、政治家と政治家、人と人の争いであり、
ひとことでいえば、
 「権力闘争」
 です。

 そして、この権力闘争を、
 「政局」
 と呼ぶのです。

 「政局」は、政治のひとつの側面にしか過ぎません。
 政治には、もうひとつ、重要な側面があります。
 それが「政策」です。

 政策とは何でしょう。
 たとえば、
 日本は今後、原発をどうするのか。
 太陽光発電など代替エネルギーはどう開発するのか。
 大震災で避難している人の生活をどうするのか。
 大震災からの復興をどう進めるのか。
 長い不況に沈む日本経済をどう立て直すのか。
 日本の電機産業をどう再建するのか。
 中国と韓国との外交をどうするのか。
 EUの金融危機に日本はどう対応するのか。
 超円高にどう対処するのか。
 財政赤字をどうするのか。
 
 そういうのは、すべて、「政策」です。
 政策は、どうしても経済面のテーマが多くなります。

 ここに例示した「政策」は、いずれも、日本にとって重
要なテーマです。
 こうしたテーマに解答を出すのが、本来、「政治」の重
要な役割であり、「政治家」の使命です。

 原発を太陽光発電など代替エネルギーに替えていく。
 原発で行くのか、代替エネルギーで行くのか。
 その選択は、ものすごく重い決断となります。
 その決断、つまり、「政策」を選択する決断をするのが
政治家の使命であり、それが本来の政治なのです。

 官僚は?
 たとえば、「原発で行くのか、代替エネルギーで行くの
か」というテーマであれば、最後に選択する役割は、あく
まで政治家の役割です。
 官僚は、
 ・原発で行くならメリットとデメリットがある
 ・代替エネルギーで行くなら、やはり、こんなメリット
があり、こんなデメリットがある
 ーーという基礎的なことをしっかりと調べ、まとめて、
政治家に提出するのが、本来の役割です。
 だから、財務省にも経済産業省にも、外務省にも、すべ
ての省庁に、大臣という名前の政治家が、トップとして存
在するのです。
 官僚は、「政策」を決める基礎を調べ、作る役割です。
 そして、そのうえで、政治家が「政策」を選択氏、決断
するのです。
 政策を決めるのは本来、官僚ではないのです。

         ****
 「政策」を決めるのは、政治家であり、それが「政治」
なのです。
 ところが、実際には、政治家は「政局」ばかりやってい
るように見えるのです。

 だから、国民は、「政治なんて、しょせん」という反感
を持つのです。

 それはもちろん、「政局」ばかりに熱中する政治家が悪
いのです。
 しかし、私たち国民が、それを政治のすべてだと思って
しまうと、私たちの目の前から「政策」がどこかへ消えて
いってしまいます。

 それがいちばん危ないのです。
 
 政策というのは、国の針路にかかわる重要なものです。
 私たち国民が「政治」というのは「政局」のことだけだ
と勘違いしてしまうと、この国にとって本当に重要な「政
策」が、どこかへ行ってしまいます。
 私たち国民が、日本という国の「政策」に無関心になっ
てしまったら、それは、大変危ないことです。

 政治には「政局」と「政策」があります。
 「政局」だけが政治ではないということを、決して、忘
れないでほしいのです。