いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

将棋の電王戦・・・将棋で人間はコンピュータに勝てなくなるのでしょうか?もしそうなったら?

2014年04月30日 14時09分03秒 | 日記

 人間のプロ棋士とコンピュータが将棋の対局をする「電王戦」
が5局実施され、人間側が1勝4敗で、負け越しました。
 さて、人間は、コンピュータに負けるのでしょうか?

 電王戦は今年で3回目です。
 1回目は2012年、米長邦雄・前将棋連盟理事長ひとりが、
コンピュータと1局だけ指して、負けました。
 2回目は、2013年、プロ棋士5人が、コンピュータと、と
いうより、5つのソフト(プログラム)と対局し、プロ棋士が1
勝1引き分け3敗という結果でした。
 そして、今年が3回目で、プロ棋士が1勝4敗だったのです。

 私は将棋ファンです。
 それだけに、この結果は、本当に残念でした。
 
 さて、将棋は、このまま、人間がコンピュータに勝てなくなる
のでしょうか。
 もし、人間が、しかも、プロ棋士がコンピュータに勝てないと
いうことになると、どんな影響が出るでしょうか。
 私が心配するのは、将棋をする人間、将棋のファンが、減って
しまうのではないかということです。
 考えてもみてください。自分がいま指している将棋で、プロ棋
士でさえコンピュータに勝てないということになると、
「なんだ、自分もどうがんばっても、コンピュータに勝てない
のか」
 と思ってしまいます。
 将棋が好きな友人と将棋を指していても、
 「しょせん、コンピュータに勝てない弱い人間同士が指してい
るんだもんなあ」
 と思ってしまうかもしれません。
 そう。「なーんだ」という気持ちになってしまうのです。
 そうなれば、将棋をしようというモチベーションが下がるでし
ょう。

 チェスの世界では、もう10数年前、世界チャンピオンがコン
ピュータに敗北を喫しました。
 これで、チェスの人気が一気に下がったように思います。
 それまでは、だれがチェスの世界チャンピオンになるか、毎年、
欧米の新聞では大きく扱われ、日本の新聞でもちゃんとそれなり
の大きさで記事が出ていました。
 しかし、世界チャンピオンがコンピュータに負けてからという
もの、今年の世界チャンピオンはだれになったかという記事を、
見かけなくなりました。
 世界チャンピオンはだれになるか、そのことに、チェスファン
が興味を失ったような感じがします。
 
 それはそうでしょう。
 せっかく、何局も戦って世界チャンピオンを決めても、その世
界チャンピオンより強いコンピュータがあるというのでは、世界
チャンピオンを決める意味が薄くなってしまいます。
 
では、世界チャンピオンを決める対局に、人間だけではなく、
コンピュータも出せばどうかというアイデアもありそうです。
人間にまじって、コンピュータも出場する。
 しかし、それで、毎年、コンピュータが優勝するというので
は、じゃあ、コンピュータだけの世界選手権をすればいいなじ
ゃいかという話になります。

実際、世界チャンピオンがコンピュータに負けて以来、チェス
の人気は、世界的に、ずいぶん落ちたと思います。


チェスがコンピュータに負けた当時、日本の将棋は、まだ余裕
がありました。
というのは、チェスは取った相手の駒を、盤上から取り除きま
す。ですから、手が進むにつれて盤上の駒が減っていき、終盤
になれば、盤面がシンプルになります。シンプルになればコン
ピュータが強い。
シンプルになればコンピュータが強いのはなぜかという、その
理由は、人間とコンピュータの違いを示しており、このことは、
次回、改めて記したいと思います。
ともかくも、チェスは終盤になれば盤面がシンプルになり、コ
ンピュータが読み間違えなくなるのです。

しかし、将棋は、取った相手の駒を、そのまま自分の駒として
使います。ですから、終盤になればなるほど、盤面が複雑にな
ります。終盤のほうが、難しいのです。
ここが、チェスと将棋の決定的な違いです。
終盤になればなるほど盤面が複雑になるのだから、将棋では、
コンピュータが人間に追いつくのは、まだまだ時間がかかるだ
ろうと思われていました。
 ところが、この3年間、プロ棋士とコンピュータの対局をや
ってみて、人間が負け越すという結果が出てしまったのです。
 とくに今回、よく、1人、勝ったものです。
 もしこの1人も負けれいれば、電王戦は、人間が5戦全敗と
いうことになっていました。
 そんなことになれば、衝撃は大変なものだったでしょう。
              (続く)
            





いまこそ日本から情報発信を・・・何もしなければ、世界は日本を分かってくれません。

2014年04月15日 17時30分06秒 | 日記


日本から世界に情報を発信する能力は、本当に低い。
海外から、「日本は右傾化してきた」とか、「日本の軍国主義が」
という言い方がされるのを聞くと、「え?」と思います。
その理由を、前回、「日本」という言葉が意味するものが、人に
よって違うということを指摘しました。
もうひとつの理由として、日本からの情報発信力の弱さを挙げ
ました。今回は、その話です。

私たちがいま感じる不満のひとつは、
「どうして、日本は、ちゃんと理解してもらえないんだろう」
ということです。
「どうすれば、ちゃんと分かってもらえるんだろう」。

尖閣でも竹島でも、政府、とくに、外務省の関係者は
「大人の対応」
ということを言ってきました。
日本が正しいのだから、大人の対応をしていれば、世界で分か
ってもらえると。

実は、世界では、この「大人の対応」は、まったく通用しませ
ん。
世界標準の対応は、「大人の対応」ではなく、「声を出したほう
が勝ち」ということです。
誤解されないように書いておきますが、これは、私が個人的に
「声を出した方が勝ち」というスタイルを好きだということで
はありません。好き嫌いではなく、客観的な事実として、そう
だということです。

尖閣諸島は、もっと早いうちに、たとえば30年前、いや、せ
めて20年前に、日本政府が、尖閣に簡単な港湾施設や灯台を
作り、定期的に人が出入りしていれば、日本の領土だというこ
とがはっきりと世界に分かってもらうことが出来たでしょう。
あそこの島に、船の着く岸壁や、灯台があって、機能していれ
ば、尖閣問題のありようは、いまとはまるで違っていたと思い
ます。

前回例にした憲法9条のこともそうです。
日本が、この平和憲法を持っていることを、たぶん、世界の人
は、あまり知りません。
日本は、戦後70年、一度も海外の国と戦争をしたことがあり
ません。
第二次大戦後、70年も一度も戦争をしたことがない国という
のは、世界的に見て、まことに貴重です。
アメリカは、かつてのベトナム戦争から、いまのイラク、アフ
ガニスタンまで、あちこちで戦争あるいは紛争を抱えています。
ロシアは、1970年代末のアフガニスタン侵攻をはじめ、あ
ちこちで紛争を抱え、いまも、ウクライナとの間で危険な状態
になっています。
中国は、朝鮮戦争の当事者でした。その後も、旧ソ連と国境問
題で銃火を交えま、ベトナムとも衝突しています。皮肉なこと
に、いずれも、共産主義国同士の紛争です。インドとは、やは
り、国境問題で戦火を交えました。いまや、領土的野心を全面
的に出し、周辺各国との間で緊張を生んでいます。ベトナム、
フィリピンとは、いつ衝突が起きてもおかしくありません。
韓国は、朝鮮戦争の当事者です。ベトナム戦争では、何の利害
関係もないのに軍隊を派遣し、ベトナムに大きな傷跡を残して
います。
イギリスは1970年代にフォークランド紛争でアルゼンチン
と戦争をしました。
フランスは、ついこの前、アフリカの旧植民地に軍事介入した
ばかりです。

戦後、世界は、ずっとどこかで戦争をしていました。
その中で、日本は、ただの一度も、戦争をしていません。

ところが、前回のブログで紹介したように、中国や韓国では、
多くの人が「日本は平和国家の道を歩んでいない」と見ている。

日本人からすれば、「なんで、日本のことが、ちゃんと分かって
もらえないのだろう」ということになります。

日本が70年間、戦争をしてこなかったこと、そして、平和憲
法を持っていることを、どうして、日本は、世界に知らせよう
としてこなかったのでしょう。
ここでも、「日本」です。
日本が世界に対して広報してこなかった。その場合、「日本」と
はなにか。
結論からいうと、日本政府、もっといえば、外務省です。
霞が関の友人つまり官僚をしている友人と、そんな話をしてい
ると、彼は、「いや、政府だけではなく、民間でもやることはあ
る」というのです。
いや、違います。
もちろん、海外で活動している日本企業は、日本のことを広報
することはできます。個人レベルでも、私たちひとりひとりが、
海外の人と話をする機会があれば、日本のことを知ってもらお
うとすることはできます。
しかし、企業は企業活動をするのが目的です。企業活動の結果、
日本のことを広報しましたということは十分あります。しかし、
広報活動をするのが目的だという企業など、ありません。
個人レベルでも、そうです。私たちが海外に行くのは、留学し
たり、観光をしたりするのが目的です。結果として、日本の広
報をするということは、もちろん、あるでしょう。しかし、私
たちが海外に行くとき、目的は日本を広報することです、など
ということは、まず、ないでしょう。

しかし、政府は違います。
政府は、日本のことを広報するのが、仕事のひとつです。
とくに、外務省はそうです。

日本は1904年、当時のロシアと戦争をしました。日露戦争
です。開戦の翌年、1905年に、東郷平八郎率いる連合艦隊
は、日本海海戦でロシア・バルチック艦隊に勝ち、日露戦争は、
日本の勝利で終わります。
しかし、戦争終結に向け、ロシアとの間で、講和条約を結ばな
ければなりません。仲介をするのはアメリカです。
このとき、明治の日本政府は、金子堅太郎男爵をアメリカに派
遣します。もちろん、飛行機などない時代ですから、金子男爵
は船でアメリカ西海岸に上陸します。

金子男爵は、アメリカ各地で講演会を開き、日本の立場を説明
して回ります。そうやってアメリカ全土を横断し、最後は、ニ
ューヨーク、ワシントンにまでたどりつくのです。
この活動によってアメリカの世論は日本びいきになり、アメリ
カ・ポーツマスの地で、アメリカ政府の仲介によって、日本政
府はロシア政府と、戦争終結の講和条約を結ぶのです。
それが、ポーツマス条約です。

この金子堅太郎男爵の活動は、ものすごい行動です。
今と違って、飛行機がありません。
国際電話もありませんから、日本との連絡だって、なかなか取
れません。ホテルに帰って、部屋から東京に電話して、打ち合
わせをするということも、出来ないのです。
金子男爵は、そういう中を、大陸横断鉄道に乗って、アメリカ
を西から東へ移動しながら、日本の立場を訴えて回ったのです。

明治の政府は、そこまでやっている。
それに比べて、現在の政府はと、思わざるをえないのです。

政治学の丸山真男さんは
「であること と すること」
という有名な本を書いています。

簡単に内容を紹介します。
であることというのは、動きがなくて、ある状態が続くことを
意味します。
することというのは、ある状態から動いて、何かをすることを
意味します。
「であること」がずっと続くと、意味がなくなる。法律に「時
効」というものがあるのは、これによって、説明できる。なに
か、法律に触れることがあったとします。しかし、それを何も
アピールすることなく、3年、5年と時間がたつとします。何
の動きもないまま、「であること」が、3年、5年と続くわけで
す。
そうすると、そばにいる人、当事者以外の第三者は、その状態
が当たり前のことだと思うようになります。何年もたって、そ
うなってしまったあとで、当事者が「それは、実はこうなんだ」
とアピールしても、周囲の人は、かえって困ってしまう。
だから、何年かたってからアピールしたって無効ですよと定め
ておかないと、かえって、みんな困ってしまう。
それが時効の概念です。
だから、大事なのは、「すること」です。
ある状態がおかしいのなら、それはおかしいとアピールしない
といけない。それが「すること」です。
だから、大事なのは、「であること」ではなく、「すること」で
す。
――これが、「であること と すること」の内容です。

日本が70年にわたってただの一度も戦争をしていない。世界
に誇るべき平和国家だ。
それは、実は「であること」です。
70年間、戦争をしていないというのは、まさに、「であること」
です。
「であること」は、当たり前のことになってしまって、みんな
に忘れ去られます。
日本が70年間戦争をしていないことも、当たり前のことにな
って、世界の人から、忘れ去られてしまうのです。

大事なのは、「すること」です。
日本が70年間、ただの一度も戦争をしていないということを、
世界に向かって広報し、世界の人に知ってもらう。
それが「すること」です。

70年間戦争をしていないんだという「であること」をひそか
に自慢していても、世界の人には、分かってもらえないという
ことです。
70年間戦争をしていない。
平和憲法を持っている。
ただそれだけでは、「であること」に過ぎないのです。
それを世界の人に知ってもらうには、「すること」が必要です。

私たちが持っているフラストレーションは、
日本のことをなんで世界の人にちゃんと分かってもらえないの
だろうーーということです。
それは、まさに、「であること」と「すること」の違いです。
私たちが目の前でいつも見ている日本の風景は、「であること」
です。
「であること」だから、私たちは、すべて、当たり前のことだ
と思っている。
しかし、「すること」をしていないので、世界の人に、私たちの
「であること」が伝わらない。
私たちはこうなのに、どうして、世界の人に分かってもらえな
いのだろう。
それは、「であること」と「すること」の大いなるギャップなの
です。

日本政府は、外務省は、「であること」を続けてきました。
「ちゃんとしていれば、いつかは、ちゃんと分かってもらえる」
という態度を取ってきました。
海外から何をいわれても、日本はじっとしている。それを「大
人の態度」と言ってきました。とくに中国や韓国に対しては、
そうでした。
それは、実は、「であること」を続けているだけだったのです。
「であること」を続けていては、日本のことは、世界に、何も
分かってもらえません。
「大人の態度」というのは、何もしないことの言い訳だったの
です。

「すること」
それは、まさしく、日本からの情報発信なのです。
情報発信力です。
いまからでも遅くありません。
であることから、することへ。





国、政府、日本人・・・「日本」という言葉にはいくつもの意味があります。リンド論文を受けて。

2014年04月07日 16時59分36秒 | 日記

 前回、リンド論文を紹介しました。
 リンド論文は示唆に富みますが、ひとつのポイントは、「日本で
いうタカ派というのは、他国の政治パラダイムでいえば、ハト派
に過ぎない」という指摘です。
 いま、日本をタカ派になってきたという論調があるが、しかし、
世界的な基準で見ると、日本はハト派に過ぎないというのです。
 その通りだと思います。

 では、どうして、日本はタカ派になってきたのではないかと。
他国から言われてしまうのでしょう。

 ふたつ、指摘しておきたいと思います。
 第一は、「日本」という言葉は、いったい、何を指すのかという
ことです。
 第二は、世界に対し、日本とくに日本政府が情報を発信する力
があまりに弱いことです。情報発信力が弱いので、世界に、あり
のままの日本を見てもらえないということです。

 まず、第一の論点からです。
 「日本」というとき、私たちは、何をイメージするでしょうか。
 ひとつは、日本という国でしょう。
 次は、日本政府です。
 そして、なによりも、日本人そのものです。
 「日本」という言葉は、国、政府、日本人の3つの概念を含み
ます。
 「日本は」「日本は」というとき、実は、どの日本を指すのか分
からないまま、ぼんやりとしたイメージで話をすることが少なく
ありません。
 いっとき、「日本という国はこうだ」とか、「日本は特殊だから
ね」とか、そんな言い方が、はやったことがあります。
 こういう言い方で違和感を感じるのは、
 「そうかなあ。私は違うんだけどなあ」
 と思うからです。
 「日本はタカ派になってきた」といわれると、「え?私はタカ派
じゃありませんよ」「タカ派ってだれのことですか」と質問したく
なります。
 日本という国がタカ派になってきたのか。
 日本の政府がタカ派になってきたのか。
 日本人が総じてタカ派になってきたのか。

 リンド論文は1年前に書かれたものです。1年後に読み返して
みると、状況は少し変わってきたと思う部分があります。国際情
勢や政治、経済情勢が、1年たつと、こうも変わってしまうのか
と思わされます。
 しかし、リンド論文の根幹は、長期的な視点を持っており、い
までも非常に有効です。
 では、1年前といまと、どう違ってきたかといえば、それは安
倍首相が登場し、安倍政権が確立されたことでしょう。
 1年前に書かれたリンド論文は「日本は衰退したと思われてい
るがそうではない」という書き方をしています。しかし、1年後
のいま、アベノミクスが一定の成果を収め、当時の「日本衰退論」
は、影をひそめました。
 
 では、「日本」という言葉が代表する3つの要素、すなわち、日
本という国、日本政府、日本人のうち、リンド論文のあと1年間
で変わったのは何でしょう。
 日本という国は、そのまま、ここにあります。
 日本人も、1年前と同じように、ここにいます。
 では日本の政府は? そうです。この1年で、日本の政府が大
きく変わったのです。
 安倍首相が登場し、政府はずいぶん変わりました。

リンド論文のときと比べ、「日本」は、「政府」が大きく変わっ
たのです。
「首相」が変わった。あるいは、「政権」が変わったといっても
いいかもしれません。

海外から、「日本はタカ派になってきた」と見られるとすれば、
その場合、「日本」とは、日本の首相であり、日本政府だという
ことになります。

日本で、たとえば、親しい友人同士で政治談議をしているとし
ます。そのとき、「安倍首相はタカ派だからなあ」とだれかがい
えば、「いや、そうでもないだろう」という人もいるでしょうし、
「うん、そうだよなあ」という人もいるでしょう。

海外からの対日論調が、「日本はタカ派になってきた」というも
のだと、私たちは、どこか違和感を感じます。
しかし、もし、海外からの論調が「日本の安倍首相はタカ派の
色彩が強い」というものだと、私たちも、「それはそうかもしれ
ないなあ」と思うかもしれません。

海外の新聞が、日本を取り上げて、
「最近の日本は」
と書くとき、それがいったい、何を意味しているのか、私たち
は、気をつけておく必要があります。
ニューヨークタイムズも、ワシントンポストも、いい新聞では
ありますが、けっこう、いい加減なところもあります。彼らは、
アメリカ以外の国を、なんでも、よくわかっているというわけ
ではないのです。

きょう、朝日新聞が日本、中国、韓国で実施した世論調査の結
果を掲載していました。
大変気になったのは、「戦後の70年、日本は平和国家の道を歩
んできたと思いますか」と尋ねた質問に、日本人はもちろん大
多数、93%がそう思うと答えています。
それはそうでしょう。日本はこの70年、ただの一度も、戦争
をしていません。憲法9条を、一生懸命、守ってきました。
平和憲法というものを持つ数少ない国です。
ところが、同じ質問に、中国ではYESが36%、NOが62%
もありました。
韓国になると、YESがたった19%、NOが79%もありま
した。
日本人の93%が、日本は平和国家だと思っているのに、中国
では62%、韓国では79%が、「日本は平和国家の道を歩んで
こなかった」と答えているのです。

予想された結果ではあるでしょうが、しかし、実際にこの数字
を見ると、がっかりします。
平和憲法を守り、70年間、一度も戦争をしたことがない国が、
どうして、「平和国家ではない」と思われてしまうのでしょうか。
ひとつは、「日本」という言葉が何を指すかです。
この世論調査では、中国も韓国も、「日本」という言葉を、「日
本政府」「安倍首相」と受け止めているのです。

もうひとつが、日本からの情報発信の弱さです。もしかすると、
中国でも韓国でも、日本が平和憲法を持っていることを知らな
いのではないでしょうか。あるいは、日本が70年間、一度も
戦争をしたことがないということを、知らないのではないでし
ょうか。
調べるまでもなく、知らないのだと思います。
その原因は、なにか。
日本側の原因は、もう、疑いもなく、政府、とくに外務省の情
報発信力の弱さです。
私たちがフラストレーションを感じるのは、「どうして、海外で
は、日本のことをちゃんと知ってくれないのだろう」というこ
とです。
それが、今回のブログの冒頭に掲げた第二の論点、日本の情報
発信力の弱さです。
次回は、それを取り上げます。






右傾化?・・・日本はレンズを通して見られると分析したリンド論文を改めて紹介します。

2014年04月02日 10時26分07秒 | 日記

 日本は右傾化しているとか、日本はナショナリズムが高まって
いおるという言い方を、最近、海外から聞きます。
 いずれも、もともと、中国と韓国が言い始めたことですが、
この両国がアメリカや欧州で盛んにアピールすることもあって、
アメリカのニューヨークタイムズのような新聞でも、日本は
右傾化しているというような論評を載せたりします。

 しかし、日本は右傾化していると言われて、いちばん、驚
くのは、実のところ、私たち日本人でしょう。
 日々、この国で生活していて、
 え? 右傾化?
 というのが、正直な気持ちではないでしょうか。

 ちょう1年ほど前、アメリカの外交専門誌「フォリン・アフェア
ーズ・リポート」(2013年1月号)が、
「日本は何を間違え、どこへ向かうのか」
という特集を載せました。

 このフォリン・アフェアーズで、ダートマス大学のジェ
ニファー・リンド准教授が、「日本衰退論の虚構 見えな
い日本の等身大の姿」という論文を書いています。

 このリンド論文は、大変興味深く、「右傾化」とはなにか、
世界で日本はどうとらえられているかを考えさせてくれます。
 1年前に紹介した論文ですが、いま読み返しても大変示唆
に富む論文だと思いますので、ここで、改めて紹介します。

 リンド氏は、
 「われわれ研究者、政策分析者、ジャーナリストは、なんらか
の理由で、日本をノーマルな国家とみていないことが多い。
人々は、極端なレンズを通して、日本を見ようとする」
 と書き始めます。

 アジアにあって西欧型の発展をした日本は、アジアなのか
西欧なのかという議論は昔からあって、
   「日本は特殊だ」
という言い方が、いっとき、なされました。

 リンド氏は、バブル時代には日本が経済力で世界を支配
するのではないかと欧米が恐れたことを指摘します。
 ところが、バブルが崩壊すると、今度は一転、日本は衰退
する国だという議論が一気に増えたことを指摘します。

 そう。
 日本に対する見方は、えらく極端なのです。

 リンド氏は、
 「いまや日本のイメージの振り子は、大きな揺り戻しを
見せている。日中関係の悪化によって、日本の平和主義は
終わり、ナショナリズムが台頭していると(海外では)言
われている」
 とします。

 ところが、
「尖閣で緊張が高まり、(中国で反日暴動が起きたとき
でさえ)日本の野田首相(当時)は冷静な反応を示し、中
国政府に暴力行為を抑えるよう、穏やかに要請した 」
 
 さて、ここからです。
 「それでも世界の主要紙は、日本のナショナリズムの高
まりを警告する記事を掲載し、日本政治におけるタカ派台
頭の意味合いについて議論するようになった」

 次が、リンド論文のポイントです。
 「間違いのないように言っておくが、日本でいわれるタカ派と
は、他国の政治パラダイムに照らせばハト派に過ぎない」
 ここです。

 日本の右傾化とか、日本でタカ派が台頭したとか、そう
いう論調が、海外で増えている。
 しかし、日本人から見れば、それは、かなりの部分、誤解
があるのではないかと思わざるをえない。

 タカ派といわれて困惑するのは、たとえば、いまの日本は、
海外の領土を自分のものにしようなどという領土的野心は
まったく持っていません。
 領土的野心をタカ派というなら、中国のほうが何万倍もタカ派で
しょう。
 
 リンド論文は、そのことを、
 日本でいわれるタカ派は、世界基準でいえばハト派に
過ぎないと、指摘するわけです。

 リンド論文は、
 「結局、中国の過激なレトリックを前にしても、日本は
平和と国際法を尊重するメッセージを出しただけだった」
 とします。

 リンド氏は、別に日本を擁護するためにこの論文を書いた
わけではないでしょう。あくまで、客観的な分析です。

 そのうえでリンド氏は、日本の姿を正しくとらえることが重要
だと指摘します。
 リンド氏は、国のパワーを測る尺度を次のように定義します。
 すなわち、

 「数百年にわたって、国のパワーは、 
 ・ 経済生産力(GDP)
 ・ 一人当たりの富
 ・ 人口の規模
 ・ 技術基盤
 ・ 政治的安定
 
 ーーによって形作られてきた。
 
 ・ 民主主義国家であるかどうかを加えることも出来るだろう」

 というのです。 
 
 ここには6つの要素が挙げられています。 
 その6つの要素を指摘したうえで、リンド氏は、次のよ
うに続けます。
 「この6つの要因のすべてで、日本を上回っているのは
アメリカだけだ。
 欧州では、経済力と人口において、日本を上回る国はない。
 たとえば中規模パワーであるイギリスは、人口でもGDP
でも、日本の半分程度にすぎない。 欧州のパワーの中核
であるドイツでも、人口とGDPの規模は、日本の3分の2程度だ」
アメリカを除けば、欧州においても、日本を上回るパワーを持つ
国はないというわけです。

 では、中国はどうか。
 「6つの要素で日本をしのごうとするプロセスにある中
国は、ファンダメンタルズ面で、大きな問題を抱えている。
 すなわち、中国は膨大な数の勤勉な人口を抱え、GDP
も日本を上回る規模に達しているが、民衆の多くは依然と
して貧しい。
 政府は政治腐敗にまみれており、いまや、政治的安定を
維持していけるかどうかさえ、分からない状態にある」
 
 そこで日本です。
 「もちろん、日本も問題を抱えている。人口が高齢化し、労働力
も低下している。 この13年間で9つの政権が誕生するほど、
政治は混乱している。
 しかも、近隣諸国との歴史論争が間欠泉のように吹き出す」
 これらは、日本人ならだれでも感じている弱点です。

 しかしと、リンド氏は言います。
 「ただ、こうした課題を抱えていても、日本は豊かだし、
民主的な社会を持っている。教育レベルも高く、力強い防
衛力も持っている」

 そのうえで、リンド氏は、日本を正しく評価することの
重要性を強調します。
 「その実像を見据えて日本のポテンシャルを見極め、こ
の国をノーマルにとらえれば、日本がいかに有意義なパワ
ーを持つ国であるかが、理解できるはずだ」
 日本は決して、衰退する国家ではないというわけです。

 次は、非常に示唆に富む指摘です。

 「もし、日本を(単なる何もしない)平和主義国家と
みなせば、東アジアにおいて日本が果たせるノーマルな
役割を見落としてしまう」
 「一方で、日本を軍事国家とみなせば、真のパートナー
として信頼するのをためらうようになる」
 
 世界は日本を、
 ただ何もしない平和主義国家か
あるいは
 ナショナリズムが台頭しかねない軍事国家か
 そのどちらか、極端な見方でしかとらえない傾向あるーーと
いうのです。

 真理は中間にありーーです。

 世界は日本を、どうして、もう少し素直に、ノーマル
に見ることができないのだろうか。
 日本をもっとノーマルに見よう。
 それが、リンド論文の核です。

 「この60年にわたって、日本は能力以下の活動しかし
てこなかった。安全保障をアメリカに依存してきただけで
はなく、安全保障政策を同盟関係の枠内に収め、ジュニア
パートナーの地位に甘んじてきた。
 アメリカも、同盟関係における日本の役割を最低限に抑
えるのが最善だと考えてきた。戦力は我々が提供するから、
日本は基地を提供してほしい、と言ってきた」

 そして、リンド論文の結論です。 
 「日本がそのポテンシャルをもっと生かすために、
日本は同盟関係や国際政治におけるノーマルな役割を
どう果たすべきか。
 ワシントンと東京は、それを考える時期に来ている」

       ***
 
 日本はなぜ誤解されるのか。

 「日本を、特殊な見方でとらえるのではなく、
日本を、ノーマルに認識しよう」
 
 示唆に富む論文でした。