いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

参院選を終えて(3)・・・旧社会党は阪神タイガースのようなものでした。民主党は?

2013年07月25日 17時29分10秒 | 日記

 民主党は、なぜ、かくも無残に砕け散ったのでしょう。

逆に、1990年代半ばまで、日本の「革新」を一手に担って
いた社会党は、なぜ、長い間、政党として機能することが出来
たのでしょうか。
 民主党が砕け散ったこと原因を考える手がかりとして、社会党
が長い間、存在した原因を考えてみましょう。
 
 社会党は、総選挙で、いつも絶妙な議席数を取っていました。
 いいときで140議席とか150議席、悪いときで120議席
というところでした。
 佐藤政権のときに、一度、90議席まで減らしたことがありま
すが、そこまで議席が減ると、有権者も、次の選挙で社会党を勝
たせるのです。


 140議席とか150議席だと、まず、間違っても政権は取れ
ない。
 どうがんばっても、野党第一党です。
 しかし、絶対に野党第二党までは落ちず、必ず野党第一党とし
て、自民党の対抗勢力であり続けました。
 絶対に政権は取れない。
 そんなことは、みんなが分かっている。
 振り返ってみれば、ですから、有権者は、安心して、社会党に
投票していました。

 社会党も、政権に就く可能性はないから、ひたすら、自民党と
対立し、対決していました。
 無理難題をふっかけて、もし万一、自分たちが政権に就いてし
まったりしたら、政権党として、その無理難題を自ら実行しなけ
ればなりません。
 しかし、絶対にそんなことはないから、社会党は、いつも野党
第一党として、与党・自民党に、無理難題をふっかけて、対立し
てきたのです。

 当時、国民・有権者も、それは、分かっていた。
 しかし、それでも、多くの有権者が、夢を求めて、社会党に投
票してきたのです。
 
 誤解を恐れずにいえば、当時の社会党は、弱いころの阪神タイ
ガースみたいなものでした。
 巨人という絶対の存在がいるから、まず、優勝はできない。
だいたい2位とか3位にいる。
ときには5位とか6位ということもあるけれど、巨人戦だけは
一生懸命にがんばり、そこそこの成績を残す。
だから、巨人に「権威・権力」を見るファンには、阪神は愛さ
れる。
阪神は、アンチ巨人のシンボルです。
場合によっては、巨人をしのぐ人気を誇りました。
同じように、自民党はまさに「権威・権力」でした。
ですから、阪神がアンチ巨人のシンボルであるように、社会党
も、反自民のシンボルだったのです。

阪神の球団フロントも、実際のところ、ほどほどの強さがいち
ばんいいと思っていました。球団フロントが、「阪神は優勝しな
いほうがいい」と、たびたび失言をして、スポーツ紙をにぎわ
せていました。たぶん、それは本音だったのでしょう。
これも誤解を恐れずにいえば、社会党も、政権を取るより、野
党第一党でいることが、快適だったのだと思います。

さて、そこで、民主党です。
社会党が社民党に衣替えし、福島瑞穂さんが党首となって小さ
な小さな党になったあと、事実上、社会党のあとをついだのが、
民主党でした。
民主党は、「革新」と、「反自民」の、ほとんどそれだけで、人
を集めました。
民主党政権で農水相をした赤松氏など、もとはといえば社会党
の書記長です。一方で、民主党の党首を務めた小沢一郎氏は、
自民党の田中派のエースでした。それがただ「反自民」で同じ
党に入ったわけです。

そういう民主党も、野党第一党である限りは、夢を語れて、よ
かったのです。
ひたすら自民党を攻撃し、衆参のねじれを作り、ねじれを利用
して、また自民党を攻撃する。
それは、野党として、実に気持ちのいいことでした。

ところが、自民党が、弱くなっていました。
かつて、旧社会党が対立したころの自民党は、実に強かった。
強かったからこそ、社会党も、安心して、無理難題をふっかけ
ることができました。
しかし、1990年以降、自民党は、急速に弱体化しました。
もう、かつての自民党ではありません。巨人も、弱くなった
ときがありました。
だから、大きくなった野党・民主党が、その時々の政策案件、
経済案件、政治案件で自民党を攻撃すると、自民党は、ちょうど
弱体化していた巨人が大量失点したときのように、次々に投手
をつぎ込むしかありませんでした。投手と党首が、趣味の悪い
だじゃれのように一致します。
そうやって、実際、福田首相、安倍首相、麻生首相と、1年ご
とに首相が交代ました。

そして2009年8月、とうとう、自民党は持ちこたえること
が出来なくなり、総選挙で政権が交代し、民主党が政権に就い
たのです。


これこそ、民主党と社会党との、最大の違いです。
民主党は、結党の早い時期から、政権交代を実現するという考
えが現れていました。
自民党の政治に飽きた国民も、政権交代を望んでいました。

そして、とうとう、政権交代が起きました。
とうとう、民主党が、政権を取ったのです。
野党が、政権を取る日が来ました。

 ところが、日本では、野党は、政権与党を攻撃するのが最大の
使命でした。
 だから、自分たちが政権を取った瞬間に、攻撃する相手がいな
くなってしまったのです。
 もっと簡単にいえば、自民党を倒した瞬間に、野党・民主党は、
ゴールに入ってしまったのです。自民党を倒すことが、ゴールだ
ったのです。

 ところが実際は、ゴールに見えたものは、スタートラインだっ
たのです。
 民主党は、ゴールに入ったつもりになって、祝杯を挙げてしま
ったのです。
 ところが、本当は、そこから仕事が始まるべきだったのです。
 それが、民主党の悲劇でした。

 民主党は、というより、日本の野党は、戦後初めて、政権に就
くということはどういうことかを、身を持って知りました。
 よくいえば「準備不足」でした。
 なにも準備をしないまま、政権に就いてしまったのです。

 よくいえば、民主党は、次に政権を取るときに、この経験が生
きてくるのです。
 できれば、民主党に、いつかまた2回目をさせてみたいところ
です。
 しかし、問題は、「2回目」があるだろうかということです。
 もしかすると、民主党は、それまでに、分裂して消滅しているか
もしれません。

 社会党、民主党と続く、「革新」「野党」を引き継ぐ政党が生ま
れるかどうか。自民党の独走を防ぐには、その勢力がどうしても
必要になってきます。
 巨人軍が永遠だとすれば、阪神タイガースだって永遠でなけれ
ばならないでしょう。 
 阪神あっての巨人なのです。




参院選が終わって(2)・・・どの政党に投票すればいいのだろう?「革新」が消えた影響が大きい。

2013年07月25日 02時11分37秒 | 日記

 今回の参院選は、どの政党、どの候補者に投票するか、
迷った方が多いのではないでしょうか。
 
 もちろん、自民党を支持する人は、すんなり自民党に投
票したでしょう。
 公明党もそうでしょう。
 共産党もそうだと思います。

 残りの有権者は、迷いました。
 前回触れた「反自民」の人々です。
 2009年夏の総選挙では、その人々は、多くが民主党
に投票しました。民主党が「反自民」のシンボルだったの
です。その結果、歴史に残る政権交代が実現しました。

 ところが、民主党は、政権を座にあった3年半の間、無
様な姿をさらし続け、国民の期待をひどく裏切ってしまい
ました。
 ですから、2009年に民主党に投票した有権者も、今
回は、多くが、民主党には投票する気にはなれなかったで
しょう。
もちろん、民主党員などコアな支持者は別ですが、20
09年に「反自民」の票を民主党に投じた有権者は、もう
がっかりしてしまって、たとえ「反自民」でも、今回は民
主党に投票する気にはならなかったでしょう。

 ここで大きな問題が起きます。
 「反自民」という点では変わらない有権者が大勢います。
 では、自民党以外に投票するとして、民主党は、もう、
こりごりだ。
 公明党、共産党は、パスしたい。
 そうなると、残るのは、
 既存の政党では、社民党です。
 新しい政党では、みんなの党、維新の会、生活の党、み
どりの風ーーというところです。

 社民党は、血筋からいえば旧社会党の流れをくむ正当派
の革新政党ですが、いかんせん、小さすぎる。
 生活の党は、民主党から分裂し、小沢一郎氏が率いる政
党です。いかにも小沢色が強すぎて、小沢一郎ファンでな
ければ、ちょっと敬遠したい。
 みどりの風は、爽やかな雰囲気があるけれども、できた
ばっかりで、さて、いったい、どんな政党なんだろう。
 
 残るのは、みんなの党と、維新の会です。

 みんなの党と維新の会は、そこそこの議員を持ち、似た
ような規模の政党です。
 しかし、反自民の受け皿になるかというと、ちょっと違
うだろうというところがある。
 なによりもまず、どちらも、憲法改定に賛成している。
 日本における「革新」あるいは「反自民」は、憲法9条
を守る「護憲」がひとつのキーワードでした。
 いろんな勢力が、「護憲」の一点で集まるのが革新とい
うイメージがあった。
 ところが、みんなの党も維新の会も、「護憲」ではない。
むしろ、憲法改定を念頭に置いている。
 とくに維新の会は、石原慎太郎氏が共同代表になって、
タカ派のイメージが出来てしまった。自民党より右よりと
いう感じさえある。
 そんな状況では、長年の「反自民」の人が、みんなの党
や維新の会に投票するかというと、正直、ちょっと投票し
にくい。

 さて、そうなると、ずっと「反自民」だったという有権
者、「革新」を支持したいという有権者は、票を投じるべ
き政党がなくなってしまうのです。

 「反自民」だから、自民党には投票したくない。
 本来なら民主党に投票したいが、いまの民主党にはもう
がっかりしてしまい、とても、民主党に投票する気にはな
らない。
 そこで受け皿になるべきなのは、みんなの党と維新の会
だが、どちらも「革新」というにはちょっとタカ派のイメ
ージがある。「反自民」だからといって、みんなの党や維
新の会に投票しようという気にはならない。

 今回の参院選は、こういう状況になってしまい、結局の
ところ、どの党に投票すればいいのか分からない。うーむ。
投票すべき政党がなくなってしまったら、投票する意味は
ないのではないか。
 そう考えた有権者が、多かったのではないでしょうか。

 今回の参院選は、歴史的にはかなり重要な意味を持つ国
政選挙でした。 
 本来なら、もっと投票率が上がるべきだったのに、むし
ろ、ワーストに近いような低い投票率でした。
 それは、
 「どの党に投票したらいいのか分からない」
 「投票すべき党がない」
 「反自民で、いったい、どこに投票すればいいんだ」
 という有権者が多かったからではないかと思います。

有権者にこんな行動を取らせてしまった民主党の責任
は、本当に大きいと思います。
 これほどの事態を引き起こした民主党は、一度、解党し
て出直すしかないのではないでしょうか。



参院選が終わって(1)・・・保守対革新という構図がなくなってしまいました。「革新」が消えました。

2013年07月24日 02時35分13秒 | 日記

 参議院選挙が終わりました。
 予想通りとはいえ、民主党は、歴史的な惨敗をしました。
 民主党は、もう、解党状態です。
 この先、分裂に向かうかもしれません。
 
 参院選のことを、何回か、書いておきます。

 今回の参院選で、まず、指摘したいのは、
 「保守」対「革新」
 という構図がどこかへ消えてしまったということです。

 日本の政治は、戦後長い間、保守と革新が対立するとい
う構図が続いてきました。
 具体的には、自民党 対 社会党 ということです。

 革新という言い方は、実は大変あいまいな言い方ですが、
ひとことでいえば、
 「自民党に対抗する勢力」
 「自民党政権という権力に立ち向かう勢力」
 ということでした。
 もっと簡単にいえば
 「反自民」
 ですね。

 「反自民」の一点ですから、幅は広い。
 正当派の社会主義を信奉する人や労働組合だけではな
く、市民運動をする人、平和運動をする人、もっといえば、
権力的なものに反発する人、権力を嫌う人、そういう人を
まるごとひっくるめたのが「革新」のイメージでした。
 大学の教授といえば革新ーーというイメージもありまし
た。
 
 政党でいえば、社会党が正当派の「革新」でした。
 
 一方で自民党は長い間、政権の座にありましたから、日
本においては、「政府」といえば自民党政府のことです。
 政府と自民党は、いつも、一体になっていました。

 ですから、「反自民」は、実のところ、「反政府」でもあ
ったのです。
自民党とか政府は「権力」を持ったものとしてとらえら
れ、「権力」を市民の手に取り戻すことが「革新」という
イメージでとらえられていました。

 ですから、選挙で、「反自民」の有権者は、基本的には、
社会党に投票していました。
 社会党が、長い間、「革新」の受け皿だったわけです。

 社会党は、政党の流れでいえば、福島瑞穂さんの社民党
が、本来の社会党です。

 しかし、社民党は小さな党になってしまいました。

 代わって、「革新」として、反自民、反政府の政党とし
て立ち現れたのが、民主党です。

 民主党は、かつての社会党の役割を引き受け、反自民、
反政府、あるいは、反権力の受け皿となっていました。

 それだけに、2009年の夏、あの政権交代で、民主党
が政権についたときは、大きな大きな期待がかけられたの
です。

 ところが、3年半の政権の間に、民主党は、無様な姿を
さらけだしてしまいました。

 そうして、この大惨敗です。

 「反自民」の受け皿は、あっけなく、砕け散ってしまい
ました。
 「反自民」は「革新」でしたから、それとともに、「革
新」も、どこかに消えてしまったわけです。

 「革新」が消えた日本というのは、もしかすると、戦後
初めてかもしれません。

                (続く)




「日本」を世界に広めるには・・・ウルトラマンがヒントです。

2013年07月17日 13時08分20秒 | 日記

 「日本的」なものをこれでもかと強調した映画「天と地と」が
失敗したとすれば、では、何をアピールしていけばいいのでしょ
うか。

 大きなヒントは、ウルトラマンにあります。
 「シュワッチ」のウルトラマンです。

 ウルトラマンは、1960年代末、初代ウルトラマン
が登場して大人気となり、二代目のウルトラセブンに引き継がれ
ました。
 その後、ウルトラマンエース、ウルトラマンタロウなどなど、
後継者が続々と出たのですが、さすがに人気も落ち、いったん打
ち切りという感じになります。
 
 ところが、そのウルトラマンが、海外で人気が出たのです。
 アメリカのテレビで、ウルトラマンのことを「銀色の巨人」と
いうような言い方で取り上げるようになり、ウルトラマンシリー
ズが話題になりました。
 そのうち、アメリカバージョンのウルトラマンや、オーストラ
リアバージョンのウルトラマンが登場するほどになりました。

 ウルトラマンは、日本人が日本国内で放送するために作ったも
ので、海外のことなど、まったく考えていませんでした。
 ところが、それに、海外の人が飛びついたのです。

 同じようなものは、ほかにも、いくつか挙げることが出来ます。
 同じ特撮ものでいえば、ゴジラがそうでしょう。
 ゴジラは、これも、日本の映画会社が、あくまで日本国内で上
映するために制作したのです。どこまでも、相手は、日本人でし
た。
 ところが、ゴジラシリーズが何度も制作されるにつれて、アメ
リカ人が注目し始め、アメリカで人気が出たのです。
 1990年代には、ハリウッドで映画「ゴジラ」が制作され、
人気俳優のジャン・レノが出演しています。これは、大変丁寧に
作られてあって、よくできた映画でした。
 
 巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井選手など、
アメリカでも、「ゴジラ」というニックネームで愛されていました。

 漫画では、サッカーの「キャプテン翼」がそうです。
 これも、日本の子供たちを読者に想定して描かれ始めた漫画で、
作者も出版社も、当初、これを海外で読んでもらおうなどとは考
えもしなかったと思います。
 ところが、いまや、この漫画は世界中で読まれ、フランスのジ
ダンなど、サッカーを始めたのはキャプテン翼を読んだからと、
話していました。

 テレビ番組でいえば、NHKの朝の連続ドラマ「おしん」もそ
うでしょう。
 「おしん」は、丁稚奉公で耐え忍ぶおしんの姿に、日本人が共
感し、日本で大人気となりました。
 ところが、その姿が、アジア、アフリカの途上国の人々の心を
とらえ、おしんが人気だという報道がいまでも伝えられたりしま
す。

 ウルトラマンやゴジラ、キャプテン翼、おしんという作品群に
共通するのは、何でしょうか。
 それは、
日本人が日本人のために作ったもの
ということです。

 ウルトラマンも翼もおしんも、そもそも、海外のことなど、考
えてもいなかったのです。
 ただひたすら、日本と日本人のことを考えて制作する。
 実は、それが、海外の人から
 「日本的なもの」
 「日本」
 として注目され、評価されたのです。

 ウルトラマンを作るとき、アメリカを意識して、妙に英語を使
ったり、アメリカっぽい背景を使ったりしたら、アメリカ人には
すぐ分かります。
 考えてもみてください。アメリカ映画で、妙にサムライふうの
アジア人が出てきて、妙な日本語を話し、妙に日本的なことをす
ると、私たち日本人は、すぐ「あ、これはニセモノだ」と分かり
ます。なによりも、安っぽい映画だと思ってしまいます。

 パソコンのゲームに「シムシティ」という街づくりを楽しむ
人気作品があります。アメリカのゲーム会社が作ったゲームで、
私は、英語版で遊んでいました。
 すると、英語版なのに、ゲームにゴジラが出てくるのです。
 せっかく作った街を、ゴジラが破壊します。
 そうすると、ゲームの画面にこんなセリフが、なんと、日本語
で表示されるのです。
 「ウルトラ警備隊に頼むしかない」。
 アメリカのゲームなのに、こういう日本語が表示されるのです。

 ゴジラとかウルトラマンとか、好きになったら、海外にいても、
日本語まで勉強しようとするのです。
 海外に売り込もうと、日本でセリフを英語にしたりせずとも、
海外の人が、日本語を勉強してくれるのです。
 それが、文化の力です。

 逆にいえば、ジョン・ウエインの西部劇「駅馬車」や「黄色い
リボン」は、日本で、いまも人気があります。
 私たちが「駅馬車」を好きなのは、そこに、見るからに開拓
時代のアメリカ、見るからにアメリカの西部という空気が立ち
込めるからです。
 同列に比較はできませんが、しかし、「おしん」がアジアやアフ
リカで受けるのは、見るからに、耐え忍ぶ日本人、働き者の日
本人という空気があるからでしょう。

 そうです。
 日本を海外に売り込むには、どこまでも「普通の日本」である
ことが大事なのだと思います。
私たちの身の回りにある普通の日本こそが、海外で評価される
のです。

 人為的に作った日本や、技巧に走った日本、海外の人が好き
そうな日本、海外の人に見せるために作った日本は、海外では、
実は、たいして評価されません。

「日本」、あるいは、日本の文化的な側面といってもいいかもし
れませんが、「日本」を海外にもっと知ってもらおう、あるいは、
日本を海外に売り込もうというとき、もっとも大事なのは、
「ありのままの日本」を見せるということだと思います。

 そして、それには、まず私たちが、身の回りの日本に自信と
誇りを持つことです。
 
 



「天と地と」に見る失敗・・・いかにも「日本的なもの」を売り込もうとするとうまくいきません。

2013年07月10日 18時10分51秒 | 日記

バブル経済でにぎやかだった1988年、89年のころ、日本
は、世界中から注目を集めました。
 経済だけではありません。
 「日本」そのものが注目を浴びたのです。
 とくに欧米で、日本的なもの、日本の空気、日本の文化を取
り入れようという動きが広がりました。
 それを「ジャパネスク」と呼んだりしました。

 そこで、「日本的なもの」を売り込もうというわけで、日本で
も、「日本的なもの」を満載したものが、作られました。
 そのひとつが、映画の「天と地と」です。
 角川映画だったと思います。
 「天と地と」は、海音寺潮五郎の小説で、上杉謙信と武田信
玄という二人の武将の生涯を描いています。 
 NHKの大河ドラマにもなりました。
 それを、映画にしたのです。

 当時、たまたま、この映画を見る機会があったのですが、日
本的なもの、日本情緒をこれでもかと盛り込んでありました。
謙信と信玄が大部隊を率いて戦う場面では、画面いっぱいに鮮
やかな紅葉が映し出されます。
もちろん、春のシーンでは、画面いっぱいの桜です。
いざ戦いが始まると、部隊が実際にぶつかる様子ではなく、華
麗に着飾った騎馬武者が、紅葉を背景に、スローモーションで
ゆっくりと、まるで舞踏の儀式であるかのように、敵陣に向か
っ突き進んでいく。
上杉や武田の本陣では、寺や神社で、見るからに宗教的な色彩
を帯びた武将たちが整列している。
そうした様子が、それは見事な色彩で映像としてスクリーンに
映し出されるのです。
実に鮮やかな映像でした。

ところが、これが、全然おもしろくないのです。
映画としてみると、ちっともおもしろくない。
ストーリーが平凡だとか、戦闘場面に迫力がないとか、いろい
ろ理由はあるのですが、とにかく、見始めてすぐ、「ああ、これ
はおもしろくない」と感じました。

映像は見事です。
日本的なものは、これでもかと、ちりばめられています。

たぶん、おカネはかなりかかっている。
でも、おもしろくない。
 一言で言って、退屈な映画でした。
 実際、アメリカでもヨーロッパでも、ヒットすることなく、
終わってしまいました。

日本を世界に売り込むときに、この映画は、重要なヒントを提
示してくれます。
結論的にいうと
「いかにも日本的なもの」、「これこそ日本だ」と日本人が勝手
に思い込んでいるものを売り込むと、まず、失敗するーーとい
うことです。
欧米の人が「おお、これは日本だ」と思うはずだと、我々が勝
手に思い込んで作品を作ると、それがどんな作品であれ、欧米
ではまったく受けないーーということです。

映画「天と地と」は、その典型でした。
画面いっぱいの紅葉、満開の桜、寺と神社、着飾った武将、お
茶、生け花、着物と、「これが日本だ」というものが、次から次
へと出てきます。
ところが、それは日本人が勝手に「これが日本だ」と思いこみ、
「これなら欧米で受けるだろう」と漠然と信じていただけのこ
とでした。
別の言い方をすれば、日本的なものを技巧で作っても、まった
く受けないのです。

「どうですか、これが日本ですよ」「きれいでしょう」という、
えらそうな空気が、作品からにじみ出てしまうのです。

では、どうすればいいのでしょう。
次回は、それを考えてみます。




ドイツはどの国を信頼するか・・・対象の5か国から、日本がはずれました。これが日本の位置づけです。

2013年07月08日 15時41分54秒 | 日記

ドイツ人が、どの国を信頼しているかという調査結果が発表さ
れました。見出しだけ見ると、アメリカに対する信頼が急落し
た。最下位は中国――というのです。
 最下位は中国という見出しに興味を持ち、本文を読んでみると、
日本人としては、問題はむしろ別のところにありーーという感じ
がします。簡単にいえば、調査の対象に、そもそも日本が入って
いないのです。
 
 この調査は、ドイツ公共放送が7月1日から3日にかけて実施
したもので、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5
か国について、「信頼できるパートナーかどうか」を聞きました。
 それによると、アメリカは信頼できると答えた人は49%でし
た。前回2011年12月の調査では65%だったので、16ポ
イントも低下したことになります。
 原因は、アメリカの情報機関が、各国の通信を大規模に監視し
ていたことです。これで、アメリカへの信頼がかなり落ちたわけ
です。
 では、中国はというと、中国を信頼できると答えた人は22%
で、5か国中、いちばん低かったというのです。

 中国への信頼となると、まあ、こんなものでしょう。なにしろ、
ドイツにとって、中国は遠い。信頼とかなんとかいう以前に、関
心がないということでしょう。

 さて、問題は、対象となった5か国です。
 もう一度掲げると、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、
中国の5か国です。
 
 残念ながら、日本が入っていないのです。
 
 5か国に、調査をしたドイツを加えると6か国です。
 
 主要先進国が集まった会議をサミット、先進国首脳会議といい
ます。いわゆるG8です。
 このG8は、日本、アメリカ、カナダ、ドイツ、イギリス、フ
ランス、イタリアの7か国に、ロシアを加えた8か国です。

 先進国首脳会議は、1975年に始まりました。
 このときは、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、それに
日本の5か国です。
 当時、中東の産油国が、原油を外交交渉の武器に使い始め、原
油価格が高騰しました。それに対処するために、欧州とアメリカ
が会議をしようということになり、日本にも声がかかったのです。
 日本は、アジア代表というイメージがありました。
 これがG5のサミットです。
 当時は、アジア代表といえば、日本でした。
 日本抜きで、国際的な会議はできなという空気さえありました。

 この5か国に、やがてすぐ、イタリアとカナダが加わって、G
7となりました。
そこへ、ソ連の崩壊でロシアという国ができ、もう、共産主義
じゃないということで、サミットに加わって、8か国、G8と
なったわけです。

 こういう歴史を振り返ると、欧州でなにか調査をするとき、
日本が抜け落ちるというのは、これまでなら、ないことでした。
まして、日本ではなく、中国が入るというのは、ありえないこ
とでした。

考えてもみてください。
 もし、いま、2013年というこのときに、初めて、先進国首
脳会議をしましょうという動きが出たとします。
 そのとき、アジアでは、日本ではなく、中国に声がかかるとい
うことです。

 いま、初めて、G7サミットを創設するとしたら、アメリカ、
カナダ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアの6か国に、ア
ジアから中国が入る。
 そういうことになります。

 日本でバブルが崩壊したのは1990年です。
 それから日本は長いデフレに沈み、「失われた10年」、あるい
いは、「失われた20年」という時期を過ごしました。
 日本の経済力は落ちました。

 このブログでも何度か指摘しましたが、日本は、「経済力」だけ
が評価されて、欧米諸国と肩を並べる存在になったのです。
 決して、日本の政治や外国が評価されたわけではないのです。

 悲しいかな、その経済力が落ちると、日本に対する国際的な評
価も、一気に落ちました。

 神は細部に宿るといいます。
 細部、つまりちょっとしたことに、ものごとのありようは現れ
るということです。
 今回のドイツでの調査もそうです。
 調査をしたドイツ公共放送は、5か国を選ぶのに、別に、そう
意識したわけではないでしょう。しかし、ドイツにとって影響力
のある5か国を選ぶときに、ドイツ公共放送は、アメリカ、イギ
リス、フランス、ロシアに次いで、何気なしに、日本ではなく、
中国を選んだのです。
 神は細部に宿るというのは、こういうことを指します。

 20年前とはいいません。
 10年前なら、ドイツの調査でも、対象国は日本だったでしょ
う。

 私たちの日本は、いま、国際的に見て、そういう状態にあると
いうことです。
 そうした厳しい事実を、冷静に、客観的に受け止めて、そこか
らが、新たなスタートになります。

 その際、まずなにより、経済を立て直すことが重要です。
 しかし、経済とは別に、日本が国際的に評価される分野を探る
ことも重要になります。
 それはまた、別なストーリー、別な原稿になりますので、いま
ここでは触れませんが、日本は経済も強いが、しかし、経済だけ
ではない。経済以外でも日本は素晴らしいと、国際的に、そうい
う評価を得ることが大事になってきます。





日本は軍国主義?・・・そう言われて、戸惑うのは私たち日本人です。政府の責任は重い。

2013年07月03日 01時35分40秒 | 日記

 中国と韓国から、「日本は軍国主義化した」とか、「日本
は右傾化している」「日本の政治家は右翼だ」という言い方
が、盛んに聞こえてきます。
 あるいは、「日本は歴史認識が間違っている」とか「日
本は歴史を直視せよ」という言い方も伝わってきます。
 韓国の朴大統領は中国を訪問し、習近平主席と会談
しましたが、そこで、「日本は戦争責任を取っていない」
というような会話がありました。

 こういう言葉を聞いて、最も戸惑うのは、ほかならぬ日
本人の私たちでしょう。
 こうした言い方を聞いて、私たちは、
 「え? 日本が軍国主義化しているって? そんな馬鹿
な」
 と思うのが、正直なところでしょう。
 「いま我々が暮らしているこの日本の、どこが、いった
い、軍国主義なの?」
 「日本は右傾化しているって? 本当?」
 と思います。
 ひとことでいって、
 「ウソでしょう」
 という感じです。

 困ってしまうのは、中国や韓国は、日本が軍国主義化し
ていると、どうも、かなり本気で考えているらしいという
ことです。

 日本と、中国、韓国とで、どうして、こんなギャップが
出来てしまうのでしょう。
 どうして、日本は誤解されてしまうのでしょう。

 外国人のブログを日本語に翻訳して紹介するサーチナと
いうサイトがあります。中国人のブログも毎日のように紹
介されています。読んでいると、
 「日本は軍国主義化していて、中国人を敵視しているか
ら、絶対に行きたくないと思っていたが、仕事でやむなく
行くことになった。行ってみたら、日本人はみな穏やかで
礼儀正しく、中国人だからといって、攻撃されることもな
かった。これまで、日本に対して、間違ったイメージを
持っていた」
 というような趣旨のブログが、いくつも、紹介されてい
ます。
 こういうブログを読んでいると、日本がいかに誤解さ
れているか、大変よく分かります。

 実のところ、こうしたギャップや誤解が、日本と中国、
日本と韓国の間だけで止まっている間は、まだしもよかった。
 しかし、最近、朴大統領や習主席がアメリカを訪問し、
オバマ大統領やアメリカ議会に、日本に対する批判をしま
した。
 中国と韓国がアメリカや欧州でそうやって日本への批判
を続けるものだから、問題が、日本と中国、日本と韓国の
間だけにはとどまらず、世界に広がってきたのです。

 日本に対する誤解が世界に広がるとすれば、それは、深
刻な問題で、政府は、真剣に対応を考える必要があるでし
ょう。
 もちろん、どうすれば誤解を解くことができるかという、
その対応です。

 日本は、太平洋戦争が終わり、いまの憲法を持ちました。
 いうまでもなく、憲法9条は、戦争の放棄をうたってい
ます。平和憲法です。
 
 太平洋戦争、というより、第二次世界大戦が終わったの
は1945年ですから、今年2013年で、もう68年に
なります。
 第二次大戦が終わったあと、平和憲法を持つ日本は、戦
争に参加してきませんでした。
 こんな長い間、戦争をしなかった国は、本当に少ないの
です。
 アメリカは、ベトナム戦争が泥沼となり、国力を損じま
した。最近は湾岸戦争で主役を演じ、いまも、アフガニス
タンやイラクで、軍隊を展開しています。
 欧州諸国も、あちこちで戦争をしました。イギリスはア
ルゼンチンとの間でフォークランド紛争がありました。湾
岸戦争では、最も積極的にアメリカを支援しました。
 フランスはついこの前、アフリカのマリに軍事介入した
ばかりです。
 日本が軍国主義化していると批判する韓国は、ベトナム
戦争でアメリカ側に立ってベトナムに軍隊を送り込みまし
た。ベトナムと韓国は何の関係もありません。ベトナムに
してみれば、なんで韓国の軍隊が来るんだという思いだっ
たでしょう。
 やはり日本を批判する中国は、国内ではチベットで紛争
を抱え、国境ではあちこちで隣国と小競り合いをしていま
す。旧ソ連とは、共産主義国同士で、国境において軍事
衝突をしたことがあります。アメリカが去ったあとのベト
ナムとも交戦しています。

 ところが、日本はその間、外国に軍隊を出したり、どこ
かの国と戦火を交えたということなど、ただの一度もない
のです。
  
 戦後68年間、日本は、世界にまれに見る平和国家とし
てあり続けました。
いまの日本は、その延長線上にあります。

 私たちはそういう日本に住んでいます。
 だから、中国や韓国から「日本は軍国主義だ」などと
言われると、反論するそれ以前に、
 びっくりして、
 「えっ? どうして、そんなことになるの?」
 と、戸惑ってしまうのです。

 そういう中国のほうが、はるかに軍国主義でしょう。

 どうして、こうも誤解されるのか。
 そこに、大きな問題があるのです。

 私たち日本人が、いま一番フラストレーションを感じて
いるのは、
 「日本という国は、どうしてちゃんと伝わらないのか」
 「いったい、どうすれば、我々の日本を、実像通り、
海外に伝えることができるのだろうか」
 ということだと思います。

 別の言い方をすれば、
 「日本という国の情報を、海外に向けて、もっと積極的
に、もっとちゃんと発信してほしい」
 「日本のことを、しっかりと、海外に伝えてほしい」
 ということです。

 それには、政府の責任が大きい。
 なかでも、外務省の責任が大きい。

 もちろん、海外に進出している企業は、日本のことを
伝えることができます。
 留学生もそうでしょう。
 民間団体や、NGOも、そういう役割を担えるでしょう。

 しかし、政府とくに外務省は、それが仕事なのです。
 それが、政府・外務省の大きな役割のひとつです。

 政府は、政治家(閣僚)と、各省庁の官僚から成ります。
 閣僚も、官僚も、それぞれの立場で、日本の情報を発信
してほしい。

 しかし、人数からいえば、閣僚は少数です。
 官僚が圧倒的多数を占めています。

 外務省の官僚は、日本の情報を海外に発信する責任があ
ります。

 これだけ日本が誤解されるのは、これまで、日本の情報
が発信されてこなかったためです。
 簡単にいえば、外務省の官僚が、日本の情報を発信する
努力を怠ってきたのです。
日本のことを海外の人にもっと知ってもらおうという意
欲が、決定的に欠けていたのです。
 いや、いまも欠けています。

 これだけ、日本が誤解されるのは、ひとつには、外務省
の責任が大きいのです。

 日本は戦後68年間、ただの一度も戦争をしたことのな
い平和国家であることを、海外にPRしないといけないの
です。それは、日本の誇りなのですから、もっと、それを
海外に知ってもらわないといけない。
 たぶん、海外の多くの人は、そのことを知りません。
 中国や韓国の人になると、そんなこと、ほとんど知らな
いのではないでしょうか。

 政府とくに外務省は、本気になって、日本のことを、世
界に知ってもらう努力をしないといけません。

 官僚の給料は、私たち国民の税金で払われています。
 私たちが、外務省の官僚の雇い主なのです。
 このまま働きの悪い状態が続くようだと、雇い主として
は、給料を返してもらいたいところですね。


 

太平洋を米中二国で・・・習近平主席の発言に見る中国の覇権主義。ほとんど帝国主義です。

2013年07月01日 00時34分37秒 | 日記

 少し前のことになりますが、中国の習近平主席がアメリ
カを訪問し、オバマ大統領と8時間にわたって会談しまし
た。
 その会談で、非常に気になる発言がありました。
習近平主席が、オバマ大統領に対し、
 「太平洋は、中国とアメリカの二国が活動するのに、十
分な広さがある」
 と言ったのです。

 会談での発言内容は、少しずつメディアに漏れて出てき
て、これは、その中にあった発言です。

 この発言は、簡単にいえば、
 太平洋を、中国とアメリカで分けて統治しましょうとい
うことです。

 この発言には、現代の中国の拡張主義が、みごとに表現
されています。

 太平洋は、公海です。
 それを、中国とアメリカとで分け合いましょうとは、よ
く言ったものです。
これを、領土的野心といいます。
 あるいは、領土拡張主義ともいいます。

 もし、日本が、こんなことを言ったら、大変です。
 安倍首相が、オバマ大統領に
 「太平洋は、日本とアメリカの二国が活動するのに、十
分な広さがあります」 
 と言ったとしましょう。

 どうなるか。

 中国と韓国で、
 「日本の軍国主義が完全に復活した」
 「日本が領土的野心をむき出しにする」 
 という非難、批判が、ごうごうとわき起こるでしょう。

 当然、次には、
 「日本は歴史に学べ」
 「日本は歴史と向き合え」
 という批判が出てきます。

 ところが、中国がその発言をしても、韓国は何もいいま
せん。
 日本も、なにか、反応が鈍い。

 この発言には、いくつか、重要なポイントがあります。

 ひとつは、同じ発言をしても、日本が言うと、中国や韓
国は過剰に反応するだろうということです。

 二つめは、実は、日本は絶対にこういう言い方はしませ
ん。日本は、なにをするにしても、常に控えめです。
 
 三つめは、しかし、中国は、平気でそういう発言をする
ということです。
 
 この発言は、領土拡張主義そのものですが、中国は、そ
のことを隠そうともしません。
 平気で、堂々と、そうした発言をします。

 だから、四つめは、中国がいかに自己中心的な性質を持
った国かが分かるということです。

 五つめは、こうした発言に、日本政府は、はっきりと抗
議をしないといけません。
 日本政府という場合、具体的には、外務省です。もっと
具体的には、外務省の官僚です。
 外務省の官僚は、習近平主席のこの発言に、はっきりと
抗議をしないといけません。
 しかし、官僚というのは、なにかコトを構えるのを嫌が
ります。なにもしないでいられるのなら、できるだけ、何
もしたくない。
 だから、こうした発言にも、
 「とくに抗議するような内容でもありません」
 というような言い方をして、知らんぷりを決め込みます。
 何もしないというのは、一見、波風が立たないように見
えますが、実は、何もしないことで、相手の立場を認めた
ことになってしまいます。
 それを「不作為の罪」といいます。
 日本政府、霞が関の官僚は、そうやって、「不作為の罪」
を重ねてきました。

 だから、習近平主席のとんでもない発言にも、日本政府、
外務省の官僚は、何も抗議をせず、結果的に、習近平主席
の発言を認めてしまうのです。

 少なくとも、習近平主席は「日本から何も抗議が来なかっ
たから、あの発言は、してもいいんだな」と思ったでしょう。

 六つめは、繰り返しになりますが、中国の拡張主義、覇
権主義です。
 これほど露骨な拡張主義、覇権主義は、前にも一度書き
ましたが、なにやら、古典的な帝国主義です。
 19世紀から20世紀初めにかけは、欧州列強が植民地
競争をした帝国主義の時代です。
 いまの中国は、遅れてやってきた帝国主義国家です。
 21世紀の現代は、すでに、植民地の時代は終わり、民
主主義が広く定着した時代です。
 その時代にあって、中国は、ただひとり、遅れてやって
きた帝国主義国家だとしか言いようがありません。

 七つめは、社会主義、共産主義の終焉です。
 マルクスが理論的な体系を提示した共産主義は、虐げら
れた者、弱い者を開放する社会として、多くの支持を集め
ました。

 共産主義、社会主義は、弱者のためにあるというイメー
ジが長い間、あったのです。

 中国は、共産主義国家です。
 弱者のためにという共産主義を標榜する国家が、皮肉な
ことに、これ以上ないというような帝国主義国家になって
いる。
 これほどの歴史の皮肉はありません。

 日本政府は、じっと黙って見ていては、いけません。