いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

民進党の党名 対 明治の先人の苦労・・・民進党という党名には違和感を覚えます。

2016年03月25日 12時35分11秒 | 日記

民主党が、維新の党と合流し、「民進党」に党名を変えました。
 当ブログは、この「民進党」という名前に、どうにも違和感を
覚えます。
 好き嫌いの問題ではないかと言われることを覚悟して言います
が、「民進党」という名前は、日本語として、どこかおかしいと思
います。
 明治維新の後、日本には、欧米の文化、文明が、音を立てて入
ってきました。日本は、政治、経済、法律、芸術といった分野で
も、欧米の考え方や制度を、どんどん取り入れました。自分の国
にはない考え方や制度を取り入れるとき、問題になるのは、言葉
づかいです。デモクラシーや、エコノミーといった言葉は、そも
そも、その考え方自体が日本にはなかったわけですから、日本に
導入するときに、いったい、どうすればいいのか。考え方を導入
するだけではなく、日本語でどうするか、それが大きな問題にな
ります。
 明治の先人は、まことにたいしたもので、デモクラシーを民主
主義、エコノミーを経済、などと、「訳す」というより、むしろ、
「造語」したのです。言葉を作ったといっていいでしょう。

 それが、あらゆる分野で起きました。ベースボールを野球とし
たのは、正岡子規だったというのは、有名な話です。
 共産主義というのも、明治の日本人が考え出したというより、
作った言葉です。いまの中国の共産党という言葉も、実は日本語
だったはずだというのは、中国人が好んでする話です。

 もし、明治の時代に、そうした先人の努力がなければ、日本は、
英語やドイツ語、フランス語の単語をそのまま導入するほかには
なく、現代の日本は、そうした欧米の単語で埋め尽くされていた
はずです。

 なにしろ、考え方そのものがなかったわけですから、その訳語
作りの努力は、素晴らしいものがあったと思います。デモクラシ
ーひとつとっても、江戸時代までの日本は、士農工商、武士の社
会ですから、「民主」という考え方そのものがありません。そこに
入ってきたデモクラシーという英語を「民主主義」と訳すという
のは、見事というほか、ありません。
 まあ、当時の日本は、司馬遼太郎さんが書いているように、江
戸だけではなく、地方、地方で教育システムが整えられ、地方で
も大勢の人材が育っていました。江戸という街は、当時としては、
世界でも最高水準の街だったという評価が、現代では、定着し始
めています。
 そういう中で、数多くの英語、ドイツ語、フランス語が、日本
語に置き換えられて、日本に定着していきました。
 しかし、そうした言葉の海の中で、「民進」という言葉は、見当
たらないのです。
 試しに、いま、パソコンの日本語ワープロで「みんしん」と打
って漢字変換すると、「民心」になります。民の心です。これなら、
江戸の昔からあります。
 では、「みんしんとう」と打つと、「民進党」となります。
 なぜか?
 これは、台湾に民進党という有力な政党があり、ワープロは、
「みんしんとう」を、台湾にある政党の名前、つまり、固有名詞
としてとらえているからです。
 
 いや、明治の先人が、英語の言葉から、日本語の訳語を苦心し
て作ったように、平成のいま、新しい言葉を作ったと思えばいい
のではないか?
 そういう考え方もあるでしょう。
 百歩譲ってそう考えるとしても、それには、言葉を作り出す能
力が必要です。言葉のセンスが要求されます。
そうやってみると、「民進」というのは、いかにも、言葉のセン
スが悪いのではないでしょうか。

民進とは、どういう意味でしょう。
民が進むのでしょうか。
「民が進む」という言い方、考え方は、どうにも、日本と日本
語には、そぐわないように思います。

民主党は、なかなか複雑な経緯を通って、民主党になりました。
もともと、自民党に対抗して、新進党というものが出来ていま
す。それが解党して、一時は、「民主党」と「自由党」というの
がありました。自由党の党首が小沢一郎氏で、自由党が民主党
に合流する形で、民主党となりました。
この民主党と自由党という名称が、もともと、違和感があった
のです。
それもそうです。民主党と自由党というのは、自民党、すなわ
ち、自由民主党という党名を、ばらして取っただけのようなも
のだったからです。
ですから、当時の自民党総裁だった橋元竜太郎氏は、よく、「民
主党には自由がなく、自由党には民主がない」といって、冗談
半分で批判していました。

民主党は、2009年に自民党に選挙で勝ち、政権に就きまし
た。
堂々たる政党です。
しかし、その党名である民主党は、自由民主党の一部の言葉に
しか過ぎなかったのです。

今回、民主党が名前を変えると聞いたとき、自由民主党の一部
の名前から抜け出すいい機会だと思いました。
しかし、「民進党」ですか。
繰り返しますが、「民進」という言葉は、日本語にはありません。
民進という言葉は、日本語として、どこか、語感が悪いのです。
また繰り返しますが、「みんしん」とワープロで打って変換する
と「民心」となります。「みんしんとう」と打って、初めて、「民
進党」になります。それは、台湾の政党の固有名詞です。

民進党という党名には、政党としての志みたいなものを、まる
で感じないのです。
次の選挙も、これは、どうも、勝ちそうにないですね。










自国の領海・領土だから他国には口を出す権利はない・・・中国に対して理論武装する必要があります。

2016年03月21日 01時19分10秒 | 日記


 最近、中国は、領土問題で他国から批判されると、「これはもとも
と中国の領土だから、中国の国内問題であり、他国に批判する権利
はない」という反論をするようになりました。
 これは、他国からの批判を、門前払いするものです。
 このロジックを使うと、何でもできてしまいます。
 このロジックに対抗するには、日本も、十分に理論武装しなけれ
ばなりません。
 甘く見ると、してやられます。

 典型的なのは、南シナ海のスプラトリー諸島(南沙諸島)の埋め
立て問題です。
中国はスプラトリー諸島の島を埋め立てて、軍事拠点にしようと
しています。日本やアメリカはこれを批判しているのですが、そ
れに対し、中国政府は最近、「日本は、日本と関係ないことに口出
しするべきではない」との考えを示し、逆に日本を批判しました。
 スプラトリー諸島は中国の領土だから、それを埋め立てようが、
基地を作ろうが、中国の権利だ。領土の中で、何をしようが、他国
が批判する権利はない。
 そういうわけです。
 中国の領土の中でやっていることに、日本は口を出す権利はない
というわけです。

 中国は、周辺国との間で、少なからぬ領土問題、国境問題を抱え
ています。
 南シナ海の島をめぐっては、ベトナム、台湾、フィリピン、マレ
ーシアといった国々と、対立しています。
 中国は、南シナ海は、明の時代から、中国の領海だったと主張す
るのです。南シナ海が中国の領海であれば、他国は口を出す権利は
ありません。しかし、南シナ海が中国の領海だとは、どの国も認め
ていないのです。
 どの国も認めていないものを、自分の国の領土・領海だと主張す
るのは、19世紀の帝国主義国家がしたことです。
 19世紀は、欧米諸国が帝国主義的な領土拡張政策を採り、アジ
ア、アフリカを、次々に植民地としていきました。
 その結果、二度の世界大戦が起きたのです。
 その反省に立ち、国連が組織され、いま、先進国と呼ばれる諸国
は、他国が認めない領土・領海を、自分のものだと主張することは、
もうなくなりました。
 ところが、中国はちがいます 。
 いまの中国がしていることは、19世紀の帝国主義諸国がしてき
たことと同じです。
 中国は、「遅れてきた帝国主義国」といっていいと思います。
 
 どの国も認めない領土・領海を、はずかしげもなく、「中国の領土・
領海だから、他国が口を出す権利はない」と言い切る。
 これは、19世紀なら、間違いなく、戦争になっています。
 
 このロジックは、無茶なロジックで、どうしたって、無理があり
ます。
 例えば尖閣諸島です。
 日本は、一貫して、尖閣諸島は日本の領土だと主張しています。
 中国のロジックが通用するなら、日本が尖閣は日本の領土だと主
張しているのであれば他国つまり中国は口を出す権利はないという
ことになります。
 中国が、南シナ海のことに日本は口を出す権利はないというので
あれば、中国も尖閣諸島に口を出す権利はないということになりま
す。
 領土問題は中国の国内問題だと主張するのが、いまの中国の基本
的な外交方針となっているようです。
 国内問題だから、他国は口を出す権利はない。
 そういうわけです。

 それですむのなら、安いものです。
 米国務省の中国担当官だったマイケル・ピルズベリー氏のことを、
以前、紹介しました。ピルズベリー氏は、アメリカの対中国政策は、
ことごとく間違っていたと告白しています。それを、「100年のマ
ラソン」(日本語訳では、チャイナ2049 となっています)とい
う本で克明に記しています。
 近いうちに、この本のことを取り上げたいと思いますが、ひとつ
ピルズベリー氏が言っていることを紹介しておきます。彼は、「中国
は孫子の兵法というものを外交の基本にしている。孫子の兵法で重
要なもののひとつは、戦わずして勝つということだ」と指摘してい
ます。そして「アメリカ政府は、そのことに全く気がついていな
かったのだ」と。

 そうです。
 領土・領海を「もともと中国のものだから」「他国には口を出す権
利はない」と言い募り、それを既成事実にするのは、まさしく、戦
わずして勝つということです。
 紛争状態にある領土・領海を、「もともと自国のものなんだから、
口を出すな」と言い、そのまま実際に中国のものにしてしまえば、
武力衝突をすることなく、領土・領海を手に入れることになるわけ
です。
 これこそ、戦わずして勝つ、です。

 このロジックを認めてしまえば、何もできなくなります。
 日本も、本気になって、理論武装をする必要があるでしょう。
 いやな話ですが、中国のロジックには、日本もしっかり対応しなけ
ればなりません。




国連の委員会と日本への偏見・・・日本は声をあげて抗議しないといけません。国際社会では雄弁こそ金です。

2016年03月10日 01時08分59秒 | 日記

 国連の女子差別撤廃委員会が、おかしなことになっています。
 国連総会は、1979年、女子差別撤廃条約を採択し、この条約は
1981年に発効しました。
 女子差別撤廃委員会は、この条約がどう遵守されているかなどを
チェックするために設けられた組織で、世界各国から23人の委員
が選ばれれています。委員は、 任期4年で、2年ごとに半数が改
選されます。2010年時点での構成は、弁護5人、政府関係者(外
交官など)8人、学者6人、女性団体・NGO代表が3人ですが、
現在は、少し変化しているかもしれません。
 委員会はジュネーブにあり、毎年、2月、7月、10月ごろに、
委員会を開きます。
 今回は、2月の会合の話です。

2月の委員会の会合は、おかしな話が、相次ぎました。
 委員会は、3月7日に報告書を出しました。
 その中で、慰安婦問題をめぐる昨年末の日韓合意について、次の
ように批判しました。
 すなわち、
 ・慰安婦問題は未解決の多くの課題が残され、遺憾である。
 ・日韓合意は、犠牲者(元慰安婦)の立場に立ったものではない。
 ・元慰安婦に、補償、賠償、公式謝罪、名誉回復のための措置な
どを含む十分かつ有効な救済を実施するよう勧告する。
 ・教科書でも、慰安婦問題を適切に記載して、学生や社会に周知
させるよう求める。
 ーーなどというのです。
 これは、日本の新聞各紙が伝えています。

 
 第二は、日本に対する見解の中で、日本の皇室典範が、皇位を継
げるのは男系男子のみとし、女性天皇を認めていないことを問題視
し、その見直しを求めようとしたことです。
 不思議なことに、2月に日本についての審査会合が開かれたとき
には、皇室典範は、全く問題にもされなかったということです。
 これは、日本政府が抗議し、最終的には、その部分が削除されま
した。
 これも、新聞各紙が伝えました。

 第三に、これは、女子差別撤廃委ではないのですが、国連の子供
の売買、児童売春、児童ポルノに関する特別報告というものがあり、
対日報告書の中で、次のように記しました。
 すなわち、
 ・JK(女子高生)ビジネスは、日本の女子中高生の間で、まれ
なことではない。
 ーーというのです。

 この3つ、いずれも、日本に対し、ある種の偏見に満ちた指摘あ
るいは批判となっています。
 客観的な調査や分析に基づく批判であれば、冷静に受け入れる必
要があります。
 しかし、この3つの指摘は、非常に意図的なものを感じます。
 客観的でもないし、そう断じる根拠も示していない。
 偏った見方だというほかありません。

 まず、第一の批判を見てみましょう。
 慰安婦問題についての日韓合意は、日本と韓国という国同士、政
府同士の合意です。
 条約でこそありませんが、安部首相と朴槿恵大統領、つまり、国
のトップ同士が、合意したものです。
 それを、国連の一委員会が批判するというのは、国連の枠を超え
た行為で、あってはならないことです。

 国連が、どこかの国に対し、批判するのであれば、それは、国連
自身の相当な覚悟がいります。たとえば、北朝鮮に対し、今回は制
裁決議でしたが、その前に非難決議をしたことがあります。そのと
きは、安保理で、中国が難色を示し、なかなか、決議ができません
でした。仮にも、一国に対して非難あるいは批判をするというのは、
そのぐらい難しいものなのです。
 ところが、日本に対する批判を、女子差別撤廃委員会という国連
の一委員会が、すっと出してしまう。
 一委員会といっても、国連です。
 それなら、北朝鮮への非難決議も、国連のどこかの委員会で出せ
ば簡単だということになります。

 さらにまた、女子差別撤廃委は、日韓合意を、「被害者の立場に
立っていない」と決めつけています。
 そんなことを、当事者ではない委員会が、どうしてそうも簡単に
言えてしまうのでしょう。

 そんなことを言い始めたら、世界のあらゆる合意を、同じように、
「被害者の立場に立っていない」といって、批判することができま
す。つい先日には、シリア内紛で、停戦合意が成立したばかりです。
この合意も「被害者の立場に立っていない」と批判すれば、簡単に
批判できます。

 同じように、世界各地で地域紛争が起き、各国の努力でようやっ
と停戦合意にこぎつける、ということがよくあります。その合意で
も、この委員会の論法を使えば「被害者の立場に立っていない」と
批判することが出来ます。

 「被害者の立場に立っていない」という言い方は、非常にあいま
いな言い方で、また、反論しにくい言い方です。そして、あらゆる
合意に使える「便利」な言い方です。

 国連の正式な機関(女子差別撤廃委)ともあろうものが、そんな
言い方をするのが、そもそも、間違っているのです。がするという
 被害者の立場に立っていないという批判は、韓国国内の市民団体
の言い分そのものです。女子差別撤廃委の批判は、韓国の市民団体
の言い分を色濃く反映したものとしか言いようがありません。
 
 教科書に載せろというのも、国連の機関としては、これはまたな
んとも、乱暴な言い方です。
 国連が、主権国家の教科書に口出しするというのは、聞いたこと
がありません。

 岸田外相は、この委員会報告に対し、「日本政府の説明を反映し
たものとは思えない」と批判し、「慰安婦問題についての日韓合意
は、アメリカやイギリスなど多くの国が歓迎し、国連も潘基文事務
総長が歓迎の意を表した」と反論しました。
 国連事務総長が歓迎しているのに、委員会が批判する。これは、
現在の国連で、委員会という組織が、非常に不透明に運営されてい
るのではないかという疑問を提起させます。

 第二の皇室典範の問題は、いわゆる、ためにする議論の典型でし
ょう。
 だいたい、皇室典範というものを、国連の一委員会が、知ってい
るはずがないでしょう。委員会のメンバーのだれかが入れ知恵をし
たのだろうと思います。ふつう、皇室典範というものが存在するこ
と自体、外国の人は、誰も知らないでしょう。

 しかし、天皇というのは、日本の国家元首です。日本の国家元首
は、首相ではなく、天皇です。
 主権国の国家元首の選び方に対し、国連が、口をはさむ。そんな
失礼なことはないでしょう。もし、国連が国家元首の選び方に口を
はさむのであれば、それは、やはり、相当な覚悟がいります。
 これは、産経新聞によれば、中国系のメンバーが提案したのでは
ないかということですが、そうだとすれば、反日の一環ということ
になります。
 中国人でも、皇室典範を知っている人は少ないでしょう。ですか
ら、それを考えると、中国系のメンバーが提案したものだとしても、
そのメンバーに話を持ち込んだ日本人がいたという推理も成り立つ
ところです。
 この話は、菅官房長官が9日の会見で、「皇位継承のあり方は、
女子に対する差別を目的としたものではなく、委員会が皇室典範を
取り上げるのは全く適当ではない」と抗議しました。

 三番目のJKビジネスですが、国連の報告は、日本でのJKビジ
ネスはまれではない、と指摘しています。
 日本人なら、えっ? というところです。
 失礼でしょう。
 そんなことを報告するなら、まれではないという根拠を示さなけ
ればなりません。しかし、その根拠はどうも、示されていないよう
です。

 思いあたるのは、昨年、国連の関係者(女性)が、日本に来て、
日本プレスクラブでスピーチしたことです。彼女は、プレスクラブ
で「日本の女子高生は、13%が、援助交際をしている」と話し、
猛烈な批判を受けました。日本政府も抗議をし、後日、この発言は
取り消されました。

 なんでこんなことを言ったかというと、彼女は、スピーチの前に、
女子高生の援助交際を批判している市民団体に行き、そこで、話を
聞いていたのです。たぶん、そのときに、日本の女子高生が、普通
に、援助交際をしているという話を聞いたのでしょう。
 もし、彼女が、アメリカで同じようなスピーチをしたら、アメリ
カ人は激怒するでしょう。

国連の委員会は、国連総会とは別のところで活動しているだけに、
委員会報告は、恣意的なものになりやすいのだと思います。
 今回の3つの報告は、極めて意図的な内容というほかありません。
 それは、日本のイメージを国際的に落とそうというのが狙いなの
ではないかと思わざるをえないのです。

 日本政府は、これまで長い間、そういうのは誤解に基づくものだ
から、放っておけば、みんな分かってくれるという立場を取り、こ
ういうときに、ほとんど、反論もせず、放置してきました。
 そのツケが、いま、回ってきていると思います。
 遅まきながら、今回のように、政府レベルで、きっちりと反論し、
抗議するというのは、新しい一歩でしょう。
 「雄弁は銀、沈黙は金」という格言は、国際社会では、まったく
通用しません。
 国際社会では、雄弁こそ金です。
 日本は、モノを言わなければなりません。 





勝負の運は自らたぐり寄せるものだ・・・沢選手と女子サッカー。韓国戦で足りなかったものは。

2016年03月03日 23時26分40秒 | 日記

女子サッカーの韓国戦、あれだけ押しまくって、どうして点が入
らないのか。どうして、勝てないのか。
 本当に、残念というほか、ありませんでした。

 でも、どうしてでしょう。

 勝負には、流れがあり、潮目のようなものがあります。
 流れといっても、ひとつの試合の中だけの流れではなく、もっと
大きな、たとえば、今回のような五輪予選を通じた流れというもの
もあります。
 潮目が変わって、流れが変わるのを待つしかないかと、自らを納
得させるしか、ありませんでした。

 いや、やはり、納得できない。
 これは、何かが欠けている。
 韓国戦でいえば、明らかに、運がありませんでした。
 ゴール前を固める韓国の守備をなんとしても破るんだという気合
いのようなものも、足りなかったように思います。
 そういう気合いのようなものが、運を呼び込みます。
 運も実力のうち、という言い方がありますが、それは、本当にそ
う思います。
 そうした「なにものか」が、韓国戦で、なでしこジャパンには、
足りなかったのではないか。
 そんなことを思っていました。

 そんなことを思いながら、試合の翌日の3日の新聞各紙を読みま
した。
 その中で、報知新聞に出ていた宮間選手のコメントを読んで、
 「これだ」
 と思いました。

 宮間選手は、引退した沢選手から、
 「勝負の運をたぐり寄せる努力が必要だ」
 と言われたというのです。
 そして、宮間選手は、自分たちはその努力が足りなかったかもし
れないと言うのです。

 沢選手の言葉で、すっきりしました。
 そう。「運」なのです。
 でも、ただの運ではない。
 勝負の運は、自ら、たぐり寄せなければならないのです。
 運は、運の方から転がりこんでくるものではない。
 運は、たぐり寄せるものだというのです。
 ですから、運も実力のうち、というのは、正しいのです。

 韓国戦は、その「運」をたぐり寄せる努力、いや、必死の努力が
足りなかったのではないか。

 そう思うと、韓国戦を引き分けてしまった理由が、なんだか、す
っと腑に落ちたように思います。

 沢選手が持っていたものは、実は、その「運」をたぐり寄せる努
力だったのです。
 その沢選手が引退したことによって、なでしこには、「運」をた
ぐり寄せる選手がいなくなってしまったのです。

 韓国戦の敗戦は、それで、原因なり理由が、非常によく分かりま
した。

でも、宮間選手が、そうコメントしたということは、宮間選手も、
それがよく分かったということでしょう。
 それは、ほかの選手も、同じように、すっと分かったのではない
でしょうか。

 だとすれば、ここから先は、もう大丈夫です。
 それさえ分かれば、もう、行けます。
 残る中国戦、北朝鮮戦、ベトナム戦と、
 なでしこは、たぶん、3連勝して、リオへの切符をつかむような
気がします。

 勝負の運は、みずからたぐり寄せるものだ。
 
 それが分かれば、もう、大丈夫です。
 




スーパーチューズデーとドナルド・トランプ氏・・・「不動産王」は職業ではありません。

2016年03月02日 16時37分49秒 | 日記

 アメリカの大統領選挙は、3月2日の火曜日にスーパーチュー
ズデーがあり、民主党、共和党、それぞれで、候補者選びの投票
が行われました。
  
 スーパーチューズデーというのは、候補者を選ぶCHOOSE
(チューズ、選ぶ)と、火曜日のTUESDAY(チューズデー)
をひっかけたものです。
 民主党、共和党とも、州ごとに自党の候補者を決める選挙をし
ます。あくまでも、それぞれの党の候補者を選んでいるに過ぎな
いのですが、アメリカでは、まるで大統領を選んでいるかのよう
に熱が入ります。
 両党とも、三月の第一火曜日に、10前後の州で一斉に選挙を
し、この投票が党の候補者選びに大きく影響します。スーパーな
火曜日だというわけで、スーパーチューズデーと呼びます。

今回のスーパーチューズデーは、民主党はヒラリー・クリントン
氏、共和党はドナルド・トランプ氏が、ほぼ勝利し、大統領候補
の指名争いで、有利になったようです。
 ――と、実は、きょう、書こうとしているのは、そのことでは
ありません。

 きょうは、トランプ氏の肩書きです。

 
 日本の新聞は、ヒラリー・クリントン氏は、前国務長官ヒラリ
ー・クリントン氏などと書きます。
 ところが、トランプ氏のことは、不動産王ドナルド・トランプ
氏と書きます。手元の新聞を確認すると、読売新聞と日経新聞が
不動産王と書いています。朝日新聞は実業家としてます。
 実業家とするのは、どちらかといえば少数派で、不動産王ドナ
ルド・トランプ氏という表記が、一般的になっています。
 テレビでも、不動産王、といったりしています。

 しかし、こんなおかしな話はないでしょう。
 というのも、不動産王というのは、職業ではないからです。
 書くなら、不動産会社社長とか、会社社長、せいぜい、朝日の
ように実業家と書くべきでしょう。

 だれかに「あなたは仕事、何なさっていますか?」と尋ねられ
たとしましょう。
 そこで、「はい、私は、不動産王です」と答えたら、あほかと思
われますよ。

 「おい。そこの記者。オレの仕事は不動産王じゃないぞ」
 
 日本のメディアがトランプ氏を不動産王と書いたり呼んだりす
るのは、大統領選挙に彼が出てきてから、ずっと気になっていま
した。
 でも、トランプ氏は、一時のあだ花で、いずれは消えていくだ
ろうと、みな、思っていたのでしょう。私もそう思っていたので、
まあ気にするまでもないかと考えていました。
 ところが、トランプ氏は、消えるどころか、この様子だと、間
違いなく、共和党の大統領候補になります。

 このままだと、次のアメリカ大統領選挙は、民主党ヒラリー・
クリントン氏と共和党ドナルド・トランプ氏の争いになります。
 そのとき、選挙の記事で、

 前国務長官(民主) ヒラリー・クリントン
 不動産王 (共和) ドナルド・トランプ

 と書いたりしたら、おかしいでしょう。

 もう、いい加減、「不動産王」は、やめたらどうでしょう。
 まあ、そのぐらい、トランプ氏の進撃が、予想を超えていたと
いうことでもあるのですが、それにしてもねえ。
 記者やアナウンサーのみなさん、おかしいと思いませんか?