いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

その気持ちがあるならがんばれ・・・ソチ五輪で、三宮恵利子さんの言葉が最高でした。

2014年02月26日 13時31分45秒 | 日記

オリンピックに出場した元選手のみなさんが、今回のソチ五輪
で、コメントや感想を、いろいろと、新聞各紙に寄せていました。
 さすがに五輪出場者だけあって、それぞれに、重みのあるコメ
ントでした。

 その中で、私が一番印象に残ったのは、スピードスケートの三
宮恵利子さんの言葉でした。
 
 男子500メートルで、長嶋選手、加藤選手が、5位、6位に
終わり、メダルを取れなかったときのことです。
 競技の翌日の日経新聞で、三宮さんは、こんなことを書いていました。

 「 長嶋選手、加藤選手が、今後どうするのか、分からない。彼らも
悩んでいるようだ。
  でも、二人は、レースの後、悔しそうな顔をしていた」
 と書いて、その次です。
 三宮さんは、
 「その気持ちがあるなら、がんばれ」
 と書いたのです。

 これは、いい言葉でした。
 長嶋、加藤両選手は、続けるか、やめるか、迷っている。もう
限界だとも思うし、しかし、くやしい。
 そのくやしさが、二人とも、試合後のインタビューで、顔に出
ていました。
 だから、三宮さんはいうのです。
 「彼らは悔しそうな顔をしていた。その気持ちがあるなら、が
んばれ」 
 と。

 いいでしょう。
 ただ、むやみにがんばれ、がんばれというのではない。
 君たちは、悔しい顔をしている。それなら、がんばれ。
 というのです。

 こんなことを言われたら、がんばるしかないですよね。



ソチ五輪の情報戦争・・・日本は情報戦争でも負けていたのではないでしょうか。

2014年02月24日 22時00分00秒 | 日記

 スポーツは、最も純粋な行為です。
しかし、競技のルールは人間が決めるものですから、そこには、
決して純粋ではないものが入ってきます。
今回のソチでも、いろんなことがありました。

かつて、というのは1990年代前半のことですが、スキーの
ノルディック複合で連戦連勝だった荻原健司さんが、今回のソチ
五輪の最中に、朝日新聞で、こんなことを書いていました。

・・・
複合で日本が強かったころ、日本が強いジャンプの比率を下
げるため、国際スキー連盟が、たびたび、ルールを変更した。
・・・

このことは、当時から指摘されていたことで、いまになって分
かったということではありません。
しかし、20年の時を経て、当時の選手から、改めて、そうい
うことを聞くと、やっぱりなあと思います。

悲しいのは、当時、そのことが分かっていながら、日本は、ほ
とんど何もできなかったということです。
日本スキー連盟は、いったい、何をしていたのでしょう。
 
 ノルディック複合は、ジャンプと距離を組み合わせた競技です。
当時、日本勢はジャンプを得意としていました。日本勢は大きな
ジャンプで点を稼ぎます。距離は、ジャンプで点数が高い順にス
タートしていきます。荻原選手は、圧倒的なジャンプをし、その
差を保ったまま、距離でも大差で勝つというパターンでした。
 これに対し、国際スキー連盟は、ジャンプの占める割合を小さ
くしたり、ジャンプで距離が出ないよう規制をしたりし、日本勢
のアドバンテージを奪いました。
 ルール変更で、日本を勝てなくしたのです。
 実際、このルール変更を受け、日本の選手は勝てなくなりまし
た。
 その後、長い間、ノルディック複合は低迷の時代を迎えます。
 今回、渡部暁人選手が銀メダルを取り、複合日本、20年ぶり
の復活と伝えられましたが、その20年が、ルール変更による低
迷の時期だったわけです。
 言い換えれば、ルール変更に対応するのに、20年もかかった
ということになります。
 20年前、ルールが変更されるとき、日本スキー連盟は、いっ
たい、何をしていたのでしょう。どうして、ルール変更を止める
ことができなかったのでしょう。いや、そもそも、ルールが変更
されることが分かっていたのでしょうか。

 荻原選手は、こうも書いています。

・・・
今回のソチ五輪で、スピードスケートのリンクは、少し柔らか
いということだった。実は、今回のリンクは、オランダから招い
た技術者が製氷した。そのことを事前に知った国は、あらかじめ、
その技術者の製氷について情報を仕入れ、対応したと聞いた。
・・・

 なんということでしょう。
 今回、実際にスケートリンクの氷は柔らかかったったのです。
500mの長嶋選手も、加藤選手も、テレビの解説者が
 「いやー、氷が柔らかいみたいですねえ。柔らかいから、長嶋
選手も加藤選手も、スケートの刃が、思うようには滑らないみた
いですねえ」
 と嘆いていました。

 日本スケート連盟は、ソチのスケートリンクのオランダの技術
者が製氷し、それが、どうも少し柔らかいようだということを、
事前に、情報としてキャッチしていなかったのでしょうか。

 もし、事前に情報をつかんでいなかったのであれば、もう、そ
の時点で、不利になっています。
 もし、ソチの氷が柔らかいことが分かっていたら、スケートの
刃を、それに対応させるなり、あるいは、滑り方を変えるなり、
いくらでも対応することが出来たでしょう。

 短距離だけではなく、女子の長距離でも、同じように、氷が柔
らかいということを盛んに解説していました。
 しかし、それならそれで、どうして、事前にその情報をキャッ
チできなかったのでしょう。

 このブログで先に書いた上村愛子さんの滑りの話もそうです。
 上村さんのターンの点数が低かったのは、明らかに、ルールの
変更によるものです。
 ルールさえ変更されていなければと思わざるをえません。

 こうしたルールの変更、情報のキャッチを、選手個人に求める
のは、筋違いです。
 選手は、メダルを目指して、ひたすら技術を磨くのです。
 情報をキャッチするのは、選手ではなく、スキー連盟なり、ス
ケート連盟の仕事であり、責任です。
 
 ひとことでいえば、
 日本は情報戦争に負けているのです。

 情報戦に負けて、選手がメダルを取れないとすれば、選手がか
わいそうです。
 選手は、日々、厳しいトレーニングで体と技術を鍛える。
 それと同じように、スキー連盟やスケート連盟、いや、あらゆ
るスポーツの組織、団体は、選手と同じように、日々、厳しい態
度で情報戦争に臨まないといけないのではないでしょうか。
選手だけが厳しいトレーニングをすればいいというものでは、
もう、ないのだと思います。




ソチ五輪と日本・・・アルペンとスピードスケートが冬期競技の基礎体力です。残念ながら、それが日本は。

2014年02月23日 12時39分42秒 | 日記

 ソチ五輪で、日本は、かなりいい結果を残しました。
 しかし、どうしても気になることがあります。
 それは、スキーのアルペン、距離と、スケートのスピー
ド・スケートが、さえなかったことです。
 
 スキーのアルペンと距離、スピードスケートは、ひとつ
の国の冬季競技の基礎体力みたいなところがあります。
 冬期五輪は、採点競技が増えました。
 人気種目であるスキーのモーグルや、フィギュアスケー
トやスノーボードのHP(ハーフパイプ)は、典型的な採
点競技です。
 しかし、アルペンとスピードスケートは、格好はともか
く、速い選手が勝つという、単純明快な種目です。
審判の裁量や感情が入る余地はありません。

 夏の五輪でも、同じように、基礎体力にあたるスポーツ
があります。
 それは、陸上と水泳です。
 陸上と水泳は、ただただ、速い選手が勝ちます。

 夏でも冬でも、基礎体力に相当する種目が強い国は、
ほかの種目も強くなります。基礎体力に当たる種目は、
スポーツの裾野のようなものです。裾野が広いと山が高く
なります。
 基礎体力に当たる種目が強くてこそ、その国のスポーツ
は、本当に強いのです。
 
 夏の五輪で、陸上と水泳の強い国といえば、まずは、ア
メリカでしょう。あとは、オーストラリア、ロシア、とい
ったところでしょうか。


 冬の五輪では、スキーのアルペンの強い国は、オースト
リア、スイス、ドイツ、距離の強い国は、ノルウエー、ス
ウェーデン、ロシアといったところでしょう。 
 スピードスケートの強い国は、今回は、なんといっても
オランダでした。

 では日本はというと、スキーのアルペンは、回転に湯浅、
佐々木の両選手が出場しましたが、大回転、スーパー大回
転、滑降は、出場選手さえいません。
 スキーの花形の競技で、出場する選手さえいないという
のは、どういうことでしょう。
 距離は、女子の石田選手がひとりでがんばっているよう
なものです。
 湯浅、佐々木、石田といった選手が引退したら、その後
はどうなるのかと、心配になります。

 スピードスケートも、今回、500メートルで金を狙っ
た長島、加藤両選手が、メダルを逃し、引退を示唆してい
ます。
 長島、加藤両選手は、前回のバンクーバーに続く出場で、
それは素晴らしいことですが、実のところ、この2人に続
く若手がまったく出てきていないのです。
 この2人が引退したら、いったい、どうするのか。
 女子も、田畑、小平両選手が健闘しましたが、この2人
の後の選手が、よく見えません。

 繰り返しますが、アルペン、距離、スピードスケート、
そして、夏の陸上、水泳、そういった競技は、その国の
スポーツの基礎体力です。
 今回のソチで、メダルは、そこそこ、取りました。
 しかし、アルペン、距離、スピードスケートでは、世界
との差が広がってしまった。
 とくにアルペンと距離は、深刻です。出場する選手さえ
いないという意味では、アルペンが最も深刻かもしれませ
ん。
 そうやって分析すると、ソチ五輪での成績を、過大評価
してはいけないのです。
 
 ソチの最終日、日本チームの橋元聖子団長らが会見して
いましたが、メダルの数が、長野以来の多さだったという
ことに終始していました。
 
 考えてもみてください。日本にはスキー場がたくさんあ
ります。そこで、大勢のスキーヤーが滑っています。それ
がアルペンの裾野です。ゲレンデのスキーヤーが、自分の
滑っているスキーが、アルペン種目として、世界につなが
っているんだと思えば、気持ちのいいものです。
 ところが、回転をのぞき、出場さえしていない。
 日本のスキーは、世界に通用しないのか。
 いや、通用するしないを言う前に、そもそも、世界を考
えもしていないとすれば、それは、寂しいことです。

 今回のソチは、話題が多かった。
 メダルもそこそこ取った。

 しかし、これで成功だと思ってしまえば、日本の冬期競
技は、未来がありません。
 基礎体力に当たる種目、具体的には、アルペンと距離、
スピードスケートの育成と充実がなければ、日本の冬期
競技は、これ以上の発展は、なかなか、ないのではないで
しょうか。


上村愛子さんがなぜメダルを取れなかったか・・・背景にはカービングをめぐる採点基準の変更があります。

2014年02月17日 18時19分11秒 | 日記

 ソチ五輪の女子モーグルで、上村愛子さんは、なぜ、メダルを
取れなかったのでしょう。上村さんが3位にいて、最終走者がア
メリカのカーニー選手でした。カーニー選手は、滑走の途中、あ
きらかに姿勢を崩しました。転倒しそうな感じさえありました。
テレビを見ていて、これは、上村さんがそのまま3位で、ついに
銅メダルだと思いました。
 ところが、採点が出てみると、カーニー選手のほうが、上村選
手を上回り、カーニー選手が3位、銅メダルとなったのです。
 その結果、上村選手は4位に落ち、銅メダルに届きませんでし
た。

 不可解な採点だと思いました。
 すでにこのブログでも書いたとおり、上村さんが「いまはすが
すがしい気持ちです」と話したので、救われました。
 しかし、それはそれとして、この点数、この採点の不可解さは
解明しないといけません。
 
 翌日の新聞各紙に、大きな手がかりがありました。

 まず、読売新聞です。
 読売では、長野五輪の女子モーグルで金メダルを取った里谷多
英さんが、コメントを寄せていました。
 里谷さんは「映像で見る限り、愛子はすごくいい滑りをしてい
た。勝ってもおかしくなかったと思う」とします。
 そのうえで、
 「表彰台に立った3人の滑りは、いまの主流。体の動きで板を
スライドさせて、常に上半身の下から足が外れないターンをする」
と分析します。
 ポイントは、スキー板の「スライド」です。
 スライドというのは、スキー板を、「ずらす」ということです。
 スキーを「ずらして」曲がるのは、実は、古い技術です。
 ですから、里谷さんは、続けて、
 「スライドさせるターンというのは、本来のスキー技術として
どうかと思う部分はある」と疑問を投げかけます。
 そのうえで
 「(しかし、スライドさせるターンは)上体が安定していてぶれ
ないから、速く見える」
 と指摘します。

 では、上村選手のターンはどうだったでしょう。
 里谷さんは
 「一方、エッジで雪面を切るような愛子の滑りは主流とはいえ
ないが、スキー操作の技術を見れば世界一だ」
 と言います。
 ここでのポイントは、
 「エッジで雪面を切る滑り」です。
 これは、いわゆるカービングです。実は、このカービングは、
モーグルではない普通のスキー、いわゆるアルペンスキーでは、
当たり前の技術なのです。

 ソチでも、たとえば、アルペンスキーの回転や大回転を見てい
ただくと、よく分かります。テレビで見ていると、選手は、スキ
ー板のエッジに沿って、スキーを回転させています。スキーのカ
ーブに沿って、スキーを
操作しているのです。
 エッジを雪面に食い込ませる動き、エッジで雪面を切るように
回転するのです。この動きだと、スキー板は、スライドしません。
「ずれない」のです。
 これが、「カービング」といいます。

 アルペンの選手が、なぜこの「切れるスキー」「カービング」で
ターンするかというと、そのほうが、タイムが速くなるからです。
 切れるスキー、カービングは、エッジ上にのって滑るので、レ
ールに乗って滑走するような感じになります。
 スライドするスキー、ずらすスキーだと、斜面、とくに急斜面
で、スキー板がずずっと斜面下方に向かってずれていきます。そ
のぶん、スピードが落ちます。
 だから、アルペンの選手は、斜面をカービングで滑ります。
これを、上村選手は、モーグルでやっていたわけです。


我々のような一般のスキーヤーはどうかというと、いま、スキ
ーショップにスキー板を買いにいくと、カービング対応のスキ
ー板しか売っていません。
いまは、カービングの時代なのです。

ですから、里谷さんも
「スライドさせるターンというのは、本来のスキー技術として
はどうかと思う」
と、はっきり指摘しているのです。

里谷さんのコメントは、大変鋭い。
「コブの大きさが変化する中盤で、1、2位のデユフールラン
ポワント姉妹は減速していたが、愛子にはそれがなかった」
カービングでエッジに乗り、スキー板をしっかりコントロール
しているから、上村さんの滑りは減速しなかったというのです。
ところが
「ただ、その分、(上村さんの)上体がぶれてしまった。審判は
上体がぶれるかぶれないかを見る傾向がある」
だから、上村さんは、スピードを落とさずにコブを滑り切った
のに、上体がぶれたからという、ただそれだけのことで、審判
が減点したというのです。
だから里谷さんは
「そこが採点競技の微妙なところだ」
とします。

それでは、モーグルの審判の採点の基準は、どうなっているの
でしょう。5、6年前、そう、前回のバンクーバー五輪の前に
は、上村さんの滑りは、モーグル界の基準とされていました。
それがいったい、どうなってしまったのでしょう。

その答えが、同じ日の日経新聞に出ていました。
「上村のターン なぜ低評価」という共同電です。
 この共同電は、いま挙げた疑問によく答えてくれます。
 まず、こう書きだします。
 「採点競技のモーグルの評価基準は、随時、見直される。2
010年のバンクーバー五輪前には、得点の50%を占めるタ
ーンでは、スキーをずらさずエッジで雪面を掘り込む「カービ
ング」が最重視されたが、ここ数シーズンは、カービングとと
もに、吸収動作と、上体の安定が、3つの要素として、並列し
て評価されるようになった」
なるほど、そうなんですね。
前回のバンクーバーまでは、上村さんのカービング技術が、最
も重視されていたんですね。
だから、当時は、上村さんの滑りが世界の基準となっていたわ
けです。
実は、バンクーバーの少し前、2008年、2009年は、上
村さんは圧倒的な強さを誇り、ワールドカップでも、連戦連勝
という形でした。
そして、上村さんの滑るところを、欧米勢が、ビデオで録画し、
その滑りを研究して、取り入れたのです。
その結果、バンクーバー五輪では、欧米勢が上村さんの滑りに
追いつき、上村さんの優位がくつがえされてしまったのです。
 だから、バンクーバーが1年早く開かれていたら、上村さんが
メダル、それも、金メダルを取っていたように思います。

 上村さんのターンを指導したのは、フィンランドのラハテラ・
コーチです。ラハテラさんは、02年ソルトレーク五輪の金メダ
ルを取っています。
 上村さんは、06年トリノ五輪で、大技を決めたのに5位に終
わり「どうすればメダルが取れるのかナゾです」という言葉を残
しました。このナゾに答えたのがコーチのラハテラさんです。
 ラハテラさんは、モーグルで勝つには、ターンが大事だとし、
上村さんのターンを徹底的に鍛えるのです。
 そのとき、まさに、先端の技術であったカービングを教えたわ
けです。
 それが花開いたのが、07年、08年、09年で、先ほども書
いたように、当時、上村さんは世界で無敵でした。このころ、ア
メリカの女子モーグルの選手が「難しいコースなのに、アイコが
滑ると簡単に見えるわね」と話していたのを、テレビの中継で見
たことがあります。
 当時、上村選手は、そのぐらい、素晴らしかったのです。
 繰り返しますが、そのときにバンクーバー五輪が開かれていた
ら、まず間違いなく、メダルを取っていたでしょう。
 しかし、ラハテラさんと磨いた上村さんのターンの技術、それ
がカービングの技術ですが、それが、バンクーバーの前に、欧米
の選手に盗まれてしまったのです。
 なんという皮肉でしょう。

 日経の共同電は、続けます。
 「メダルを獲得したデユフールラポワント姉妹やカーニーら北
米勢は、スキーのエッジより、ソール(面)を使って小さくずら
す技術で、雪面に逆らうことなく滑り降りた。
 上村のスキーは左右に弧を描いていたが、北米勢は体の近くか
らスキーが離れず、直線的なライン取りで高得点がついた」
 この記述は、よくわかりますね。
 上村さんのスキーは、カービングの技術によって、左右に弧を
描くのです。なぜ弧を描くかというと、スキーを、エッジに乗せ
て板のカーブに沿ってターンさせるからです。弧を描くというの
は、言葉を換えれば、スキーを鮮やかに回転させているというこ
とになるのです。
 
 しかし、いつの間にか、上村さんのターンは、評価されなくな
った。ターンを評価する基準が変わってしまったのです。
 日経の共同電は、この点について、大変興味深い解説をしてい
ます。
 「国際スキー連盟FISは、シーズン前に、審判員に対し、最
新の基準を確認するためのクリニックを開く。昨秋(2013年
秋)の教材の一番手に使われたのが、12年1月、上村が休養か
ら復帰してすぐの映像だった」
 なるほど。上村さんの滑りが、審判員の教材になったわけです
えね。ところが、それは、いい意味ではなかったのです。
 「上村の後継気味のターンは、8段階の評価で、
  最高(5・0点以下)
  とてもよい(4・5点以下)
  に次ぐ3番目の
  よい(4・0点以下)
  に分類するよう、指示された」

 カービングは、足を雪面に蹴りだすため、どうしても、体が後
傾気味になります。ですから、このFISのクリニックは、上村
さんのカービングターンを、最高ではなく、3番目の評価にする
よう、審判員に求めたものだったのです。
 だから、カービングを駆使する上村さんのターンは、カービン
グ(切る)からスライド(滑る)に切り替えた北米の選手に比べ、
もう、競技が始まる前から、審判にとっては、点数が低いものだ
ったのです。
 日経の共同電は最後にこう締めくくります。
 「上村は後傾姿勢を改善しつつあったが、審判員の先入観を払
拭するには至らなかった」
 
 ここまで分析すると、あの試合で、なめらかに滑り切った上村
さんより、危うく転倒しかけたカーニー選手のほうが高得点を取
った理由がよくわかります。

 カーニー選手のターンは、FISのクリニックに沿っていて、
滑る前から、審判が最上位の「最高」と考えていた。
 ところが、上村選手のターンは、滑る前から、審判が3番目の
「よい」と考えていた。

 これでは、上村選手が勝つ要素はありません。

 里谷さんのいうように、「これが採点競技の微妙なところ」だと
いえばそれまでです。
 しかし、釈然としません。
 理由が分かってみると、なお、釈然としません。

 続きは、次回に。



ソチの緯度は?・・・避寒地と言われますが北緯43度で札幌と同じです。主要都市の緯度を掲げます。

2014年02月12日 11時07分25秒 | 日記


 このブログで、みなさんによくお読みいただいているのは、世界の主要
都市の緯度をまとめた記事です。
 簡単な一覧表を作っていますので、それを、ご利用いただいているの
かもしれません。

 さて、それでは、いま五輪が開かれているソチの緯度はどうなのでしょ
う。それを加えて、改めて、アップしておきます。

 ソチの緯度は43度60分です。

 ほかの都市と比較すると、札幌の緯度が43度です。
 モスクワが55度、ベルリンが52度、ロンドンが51度、パリが48
度なので、欧州の主要都市がいかに北にあるかが、よく分かります。
 こういう数値を見ていると、スキーとかスケートとか、ウインタースポー
ツは、もともと、欧州のスポーツだということがよくわかります。

 ソチの43度という緯度が、札幌と同じというのも、新鮮な驚きです。
 というのも、ソチは、ロシアにあっては、避寒地として知られているから
です。避暑地ではなく、寒さをしのぐ避寒地です。ソチで冬季五輪を開くと
いうので、そんな避寒地で、冬季五輪ができるのかという議論は当時か
らありました。案の定、今回の五輪が始まる前、現地ソチでは、盛んに雪
不足が伝えられていました。実際、ジャンプやスノーボードの競技場は、
人工雪で設営されたようです。

 ところが、その避寒地のソチが、札幌と同じ緯度にあるのです。
 もちろん、その都市の気温は、緯度だけではなく、周辺の地形、とくに
海と海流によって大きく左右されます。ですから、簡単に緯度だけで比較
するわけにはいかないのですが、しかし、それにしても、避寒地とされる
ソチの緯度が、日本では北の都市を代表する札幌と同じというのは、
ちょっと驚きます。

 ソチと東京の比較をしておきましょう。
ソチは、
緯度が43度60分
経度は東経39度73分
です。

東京は
緯度が34度41分
経度は東経139度46分
です。

 経度の差が時差になります。
 ソチと東京の時差は、5時間あります。
 高梨沙羅選手のジャンプは、日本時間の12日の午前2時に競技が始
まりました。これは、ソチでは、午後9時です。
 
 夜になって気温が下がって雪の状態がよくなるのを待つということな
のでしょう、ソチ五輪はナイターが多いのですが、しかし、ジャンプが
夜の9時からというのは、まあ、ずいぶん遅い時間に始めるものです。
 選手だって、これは、調子を合わせるのが難しいだろうと思います。

           *****

 世界の主要都市の緯度の一覧表を次に掲げます。

        
   世界の主要都市の緯度

ストックホルム・・・59度
モスクワ・・・・・・55度
ベルリン・・・・・・52度
ロンドン・・・・・・51度

パリ・・・・・・・・48度
シアトル・・・・・・47度
オタワ・・・・・・・45度
ソチ・・・・・・・・43度
札幌・・・・・・・・43度
ボストン・・・・・・42度
ローマ・・・・・・・41度
シカゴ・・・・・・・41度
ニューヨーク・・・・40度
青森・・・・・・・・40度

秋田・・・・・・・・39度
北京・・・・・・・・39度
ワシントン・・・・・38度
仙台・・・・・・・・38度
ソウル・・・・・・・37度
新潟・・・・・・・・37度
東京・・・・・・・・35度
鹿児島・・・・・・・31度
エルサレム・・・・・31度
カイロ・・・・・・・30度

ニューデリー・・・・28度
那覇・・・・・・・・26度
リヤド・・・・・・・24度
ホノルル・・・・・・21度

 

まさしく万感の思い・・・いまはすがすがしいと答えた上村選手はいい表情でした。

2014年02月10日 12時05分06秒 | 日記

 2月9日の日曜日は、朝から、気分が重かった。
 ソチ五輪で、モーグルの上村愛子選手が、また4位
に終わり、とうとう、メダルが取れなかったからです。

ほとんど徹夜でテレビ中継を見ていました。
最後に滑ったアメリカのカーニー選手が、途中、スキー
を乱し、これは、上村選手がメダルに届いたと思いました。
しかし、カーニー選手は、ミスにもかかわらず、意外な
ほどいい点が出ました。
その結果、カーニー選手は上村選手を上回って3位に入っ
て銅メダルを取り、上村選手は4位に落ちたのです。



本来なら、上村選手のコメントを聞きたかったのですが、
上村選手があまりに気の毒で、コメントを聞く気にもな
れず、ひとまず、テレビを切りました。

少し休み、テレビをつけると、ちょうどまた、女子モー
グルの試合を録画で流していました。
そこで、上村選手の試合直後のインタビューを見ました。

上村選手の答えがすばらしかった。
まず、
「オリンピックに向け、やりたいことは全部やったという
思いがあって、滑ったあと、まだ順位も分からないのに、
涙が出てきました」
と話していました。
全部やった、やるべきことは全部やった、そういう思いが
あったんでしょうね。
それが、これで終わったという思いが、あふれてきたので
しょう。
「万感の思い」というのは、まさに、こういうことをいう
のでしょう。
聞いているこちらも、思わず、いずまいを正したくなる、
そんな言葉でした。

上村選手は、続いて、
「いまは、すがすがしい気持ちです。
 メダルはないんですけどね、でも、すっきりして、
すがすがしい気持ちです」
と答えました。

この答えを聞いて、私も、心がすっと晴れました。
さっきまでの重い気持ちが、軽くなりました。

上村選手は、メダルを取れなかったけれど、
「すがすがしい気分です」
と言っている。
自分で、やるだけのことは全部やったから、結果は
いいんだという、そういうことなんでしょう。
無理して言っているのではなく、自然に出てきたよ
うに見えました。

前々回のトリノで5位だったときは
「いったいどうしたらメダルが取れるんだろうとい
うのが、ナゾですね」
と話していました。
前回のバンクーバーで4位に終わったときは
「なんで、一段一段なんだろう」
と答えていました。
トリノも、バンクーバーも、気丈に答えていましたが、
しかし、表情は悔しそうでした。

しかし、今回のソチのインタビューでは、
「いまはすがすがしい気分です」
と答えるとき、トリノやバンクーバーのときのような
悔しい表情は、ありませんでした。

もちろん、くやしい気持ちは、どこかにはあったと思
います。
今回のインタビューでは、
「メダルはありませんけどね」と答えていましたし、
「メダル取れたかなと思ったんですけど」とも答えて
いました。
しかし、そのときの表情はすっきりしていて、トリノ
やバンクーバーのときの表情とは、まるで違っていま
した。

やるべきことは、もう、全部やった。
やり残したことはない。
そういうときは、結果はどうあれ、人は、すがすがし
い気持ちになれるんだと、上村選手は、改めて、示し
てくれたように思います。
本当に素晴らしかった。
お疲れさまでしたというのは、こういうときにこそ、
ある言葉だと思います。
お疲れさまでした。

       *****

ただし、あれだけの滑りをしながら、なぜ、上村選手
は、メダルを取れなかったのか。なぜ、カーニー選手
は、あれだけのミスをしながら、上村選手より点数が
よかったのか。
それは、疑問として、残っていました。
その分析を、次回、掲載します。










1964年東京五輪の聖火台・・・国立競技場で撮影してきました。

2014年02月07日 17時28分55秒 | 日記

 ソチ五輪が始まりました。
 東京でも、2020年に五輪が開かれます。
 1964年以来、56年ぶりです。
 メインの会場になる国立競技場が建て替えられるのに
伴い、64年の東京五輪で国立競技場に設置されが
聖火台も、新しくなります。
 いまの聖火台は記念として保存される方向で検討
されているようですが、しかし、いまの国立競技場で
いまの聖火台を見るのは、もうあと少しだけのことに
なりました。
 そこで、いまの国立競技場と、いまの聖火台を撮影
してきました。
 1月初めに国立競技場で、高校サッカーがありました。
 ちょうどいい機会なので、チケットを買って、中に
入ってきました。

 聖火台は、競技場の外からは見たことがありますが、
実際に近くまで行ったことはありません。
 いったい、どこまで近づけるのでしょう。
 
 競技場の正面ゲートから入ります。
 そのまま、観客席に出て、すり鉢状の観客席を
最上段まで登ります。
 かなり高いですよ。

 最上段のフェンスに沿って、移動できる道がついて
います。
 聖火台は、競技場の正面スタンドから見えるように
設計されていますんどえ、正面ゲートから入ると、
ちょうど反対側です。
 聖火台に向かって、競技場の最上段の道を、競技場を
くるりと半周するような格好で、聖火台のすぐ近くまで
たどり着きました。


 
 おお、これが、1964年の東京五輪の聖火台か。
 手前に観客席が見えるでしょう。
 聖火台は、意外なほど、観客席から近いんですね。



 聖火台のすぐ後ろに、照明塔があります。
 
 このまま、どこまで聖火台に近づけるのでしょう。
 行ってみましょう。

 少々驚きましたが、聖火台の本当にすぐ近くまで
行けます。右手に見える小さな階段を上ると、聖火台に
触れそうです。さすがに、階段の手前にからは入れません。

 ただ、聖火台そのものは、すぐ眼の前に見えます。

 これです。
 1964年10月10日、秋の素晴らしい晴天の下、
聖火ランナーの坂井さんが、競技場のグラウンドから
階段をたったっと駆け上がっていって、聖火を点した
のが、この聖火台です。
 
 そうか、これが、あの聖火台だったのか。

 もっと大きいと思っていましたが、意外に小さいのです。
 
 聖火台、ぽつんとひとり、という感じで立っていました。