いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

今後の記事・・・リオ五輪などでしばらく更新をしていませんでした。秋に向け、今後のテーマを掲げておきます。

2016年08月31日 00時14分34秒 | 日記

 リオ五輪の観戦(もちろんテレビです)などで、
当ブログも、しばらく夏休みを取っておりました。
 秋に向けて、また、新しい記事を掲載していきます。
 書くべき記事のテーマを、掲げておきます。

(1)リオ五輪
① 人類の記録はどこまで伸びるか。
  100メートルの記録は、なぜ、違う選手に継承さ
れるのか。同じ選手が記録を更新していくのなら分かり
ますが、なぜ、まったく別の選手が新記録を作っていく
のでしょう。

② 陸上400メートルリレーで銀を取った意味は。
  400リレーの銀の衝撃は大きかったですね。
  その意味、意義は、どこにあるのでしょう。
  私たちは、なぜ、あの銀に感動したのでしょうか。

③ インタビューはうまくなったか。
  試合を終えた選手に「いまのお気持ちは?」と質問
するインタビューがいかにまずいか、本ブログで何回か
取り上げました。
  なぜ、テレビ局は、インタビューの訓練をしないの
か。
  リオ五輪では、改善されたのでしょうか。

(2)アメリカ大統領選
 アメリカの大統領選挙は、民主党がクリントン候補、
共和党がトランプ候補と決まりました。
  ところが、両者とも、TPP(環太平洋経済協力)
に反対する態度を打ち出してしまいました。
  もともと、TPPは、民主党のオバマ大統領が熱心
に推進した政策です。
  それを、共和党のトランプ氏だけならまだしも、同
じ民主党のクリントン氏まで反対するとは、驚きましたた。
  アメリカは、いったい、どうしてしまったのでしょう。

(3)日韓関係に見る日本の外交
  韓国は、日本に対し、何を合意しても、その後で必
ず、また、新たな要求を出してきます。
  戦後の日韓関係は、ずっとその繰り返しでした。
  日本の外交は、どこに問題があるのでしょうか。

(4)日本にとって「普通の国」とは何か。
  普通の国、という場合、人と立場によって、イメー
ジがまるで違います。
  ダートマスカレッジのジェニファー・リンド准教授
が「日本衰退論の虚構」という論文を書き、日本の等身
大の姿が、外からは見えてこないと指摘しています。こ
れは、当ブログでも取り上げたことがあります。
  この論文の射程距離は非常に長く、示唆に富んでい
ます。
  そこで、リンド論文を再度掲載し、今後の手がかり
とします。

(5)高畑淳子さんの会見に見るテレビのありよう
  女優の高畑淳子さんの息子が、ホテルの女性に性的
暴行を加えて逮捕されました。
  それを受けて、高畑淳子さんが会見したのですが、
このとき、NHKをのぞき、すべての民放が、この会見
を生中継しました。
  会見をすべての民放がライブで中継するというの
は、首相の会見をおいて、ほかに、あまり見たことがあ
りません。
  芸能人の息子が逮捕され、母親がお詫び会見するの
を、すべての民放が生中継する。これは、どこか、おか
しいでしょう。
  すなわち、日本中のテレビ局が、すべて中継するよ
うな重大な話なのでしょうか?ということです。


(6)プロ野球の商業主義
  日本のプロ野球の球場が、宣伝であふれかえってい
ます。
  テレビの中継を見ると、バッターとキャッチャーの
後ろ、バックネットが、広告だらけです。
  その広告が、白一色であればまだしも、カラー広告
になっていて、視聴者は、野球中継を見ている間、ずっ
と、強制的にその広告を見ることになってしまいます。
  プロ野球の中継画面が、非常に見づらく、わずらわ
しくなってしまいました。
  その画像をお見せします。


 ほかにも、書くべきことはたくさんあります。
 とりあえず、いまここに挙げたことから書いて行きた
いと思います。
 





リオ五輪と選手の言葉・・・だれもが、支えてくれた人への感謝を述べるのは素晴らしい。

2016年08月13日 22時57分45秒 | 日記

今回のリオ五輪は、日本人のメダリスト
たちの、試合後の言葉が素晴らしいと思います。
どの選手も、例外なく、自分を支えてくれた
人たち、コーチや家族に対し、感謝の言葉を述べる
のです。試合後のインタビューは、インタビューアー
が上手か下手かに関係なく、選手は、まず、そう
した感謝の言葉から始めます。
決して、自分ひとりの力で取ったのではないという
ことを、だれもが口にするのです。
それを、みな、素直に口にしているので、それが、
見ている我々の心に届きます。
だれ一人として、「感動を与えられて、よかった」
とは言いません。
このブログで、例えば結団式で抱負を聞かれた選手が
「感動を与えたい」というのはおかしいと、何度か書
いてきました。感動を与えたいという言い方は、傲慢
です。第一、選手が試合で戦うとき、感動を与えたいと
思って試合に臨む選手はいないでしょう。選手は、
勝ちたいと思って試合に臨むのです。それを、なぜ
わざわざ「感動を与えたいと思います」などと言って、
しまうのか。
リオ五輪の壮行会でも、そういう言葉が聞かれました。
しかし、いざ試合を戦うと、だれも、「感動を与えら
れてよかった」などとは言いません。
それは、みんな、勝とうと思って必死に戦うからです。
必死に戦っている選手は、その最中に、感動を与えたい
などとは、ツユほども思わないでしょう。
少しでも先にゴールしたい。なんとか技をかけたい。
選手は、ただ そう思って、必死に戦っているわけです。
感動を与えたいなどと考えている暇はないでしょう。
そして私たちは、選手が必死に戦っている姿に、感動
するのです。感動は、与えられるものではなく、自然な
感情として、湧いて出てくるものです。
選手も、必死の試合が終わったあと、自ずと、
感謝の言葉が出てくる。その言葉に、また、
私たちは、胸を打たれるのです。
今回のリオ五輪で、試合後の選手の言葉は、本当
に素晴らしい。
今回の、と書くと、これまでのロンドン五輪や
北京五輪はどうだったのかと言われそうですが、
しかし、今回のリオ五輪の選手の言葉は、とくに
素晴らしいように感じます。



リオ五輪と卓球・・・石川佳純選手が負傷したのに、どうして治療できなかったのでしょう。こんなおかしなことはありません。

2016年08月09日 02時03分20秒 | 日記

 リオ五輪で、卓球女子の予選を見ていて、どうして日
本チームは抗議しないのかと、不思議に思いました。
 石川佳純選手の足のケガのことです。

 リオ五輪の卓球の一回戦で、石川選手は、北朝鮮の選
手と対戦しました。
 第二セットまで連取しましたが、石川選手は、足がつ
ってしまい、途中から、立っているのがやっとという感
じになりました。

 卓球台に手をつき、顔をしかめ、足をもんで治そうと
します。
 審判に、テーピングなどの治療を申し出たそうですが、
拒否されということです。
 やむなく、そのままプレーを続行しましたが、足がつ
ってしまってはなすすべもなく、格下の選手相手に、敗
れてしまいました。
 これは悔しかったと思います。
世界ランク6位の石川選手が、足がつってその治療も
できず、一回戦敗退です。

 どこがおかしいかというと、おかしな点は、いくつも
あります。

 まず第一に、試合中の選手がケガをしたのに、どうし
て治療を受けさせずに、プレーを続けさせたのかという
ことです。
 いまどき、サッカーでも、ラグビーでも、野球でも、
それに柔道でも、選手がケガをしたら、試合を一時中断
して、治療をします。
 サッカーは、選手同士が接触し、選手が、足や腰、腹部を
傷めて、グラウンドでもだえていることがよくあります。
そんなときは、審判が試合を止め、その選手のチームか
らスタッフが走ってきて、痛み止めを塗ったりしていま
す。
 ラグビーでも同じです。
 野球は、たとえばデッドボールを受けた選手がベンチ
に戻り、場内アナウンスで「選手が治療中ですので、し
ばらくお待ちください」とやっています。
 格闘技の柔道も、足を傷めたとか、鼻血が出たという
ようなことがよくあり、そんなときは、選手が畳の上に
座って、治療をしています。

 ほかのスポーツは、みな、そうやって、ケガをした選
手の治療をするのに、卓球は、選手がケガをしても、そ
のままプレーしないといけないのでしょうか。
 そんなことは、ありえないでしょう。
 石川選手は、足をひきずりながら、プレーをしていま
した。
 じゃあ、もし鼻血を出したとしたら、血をバーッと流
しながら、プレーしていたのでしょうか。
 そんな馬鹿なことはないでしょう。
卓球は英語でテーブル・テニスといいますが、そもそ
ものテニスは、試合中の負傷が多く、よくプレーを中断
して、治療をしています。石川選手と同じように足がつ
ったというような場合は、試合を止めて、マッサージを
したりしています。
どうして、卓球は、それができないのでしょう。
 そんなおかしなことはないでしょう。
 選手が負傷しているのに、負傷したまま試合を続けさ
せるなどということは、聞いたこともありません。
絶対に、これは、間違っています。
 
第二に、では、日本チームは、いったい、何をしてい
たのでしょうか。日本の監督やコーチ、スタッフは、い
ったい、何をしていたのでしょう。
 石川選手が、足をつって、顔をゆがめているのに、日
本チームは、何もしなかったのでしょうか。
 もしそうだとすれば、いや、テレビを見る限り、どう
もそのようですが、ケガをした選手を、そのままプレー
させるチームなどというものは、いったい、どこにあり
ますか。
 
 あの場面、チームの監督なりコーチが、審判に、「石
川を治療する」とねじ込み、強引に、治療するべきだっ
たのです。
 もし、審判が、「NO」といっても、そんなこと、知
らん顔で、治療すればよかったのです。
 それで失格というようなことになったとすれば、その
ときは、日本として猛烈に抗議すればいい。
 抗議すれば通ります。それはそうでしょう。ケガをし
た選手を治療して失格などということは、どのスポーツ
にせよ、あってはならないことだからです。そんな規則
があるとも思えません。

 第三に、日本チームは、英語を勉強してもらいたい。
あの場面、審判に「石川を治療する」とねじ込むには、
英語が必要だったでしょう。
 英語でねじ込めるぐらい、やってもらいたい。
 それができないのであれば、強力な通訳さんを同行し
ておくべきでしょう。

 いや、本当は、日本語でいいのです。
 日本語でいいから、審判に、「石川を治療する」「試
合を中断してくれ」とねじ込み、強引に、石川選手をベ
ンチに連れて戻り、マッサージとテーピングをすればよ
かったのです。

 そして、第四に、日本チームは、選手をもっと大事に
してもらいたい。
 石川選手は、日本のエースです。
 卓球のエースであり、同時に、日本選手団の顔のひと
りでもあります。
 そのエースが、足を負傷し、泣き出しそうな顔で、試
合を続けました。
 そんな姿を、だれも、見たくはありません。
 
 日本チームは、いったい、何をしていたか。
 石川選手は悔しかったと思います。
 チームは、もっと、選手を大事にして、選手を守って
やらなければなりません。
 
 とにかく、ちょっと、いろんな点で、ひどすぎる話だ
ったと思います。
 石川選手は、本当にかわいそうでした。
 こんなことが許されていいはずがありせん。
 これは、日本チームとして対応を考えるべきでは
ないかと思います。

***** 追記 ******

 この記事について、次のような貴重なコメントをいただ
きました。「卓球審判員」と称されています。内容が大変
専門的なので、実際に審判をやっていらっしゃる方ではな
いかと思います。
 なるほどと思いましたので、かいつまんで、掲載して
おきます。
 文中、英語で cramp とあるのが、こむらがえり
のことです。
 全文は、コメント欄にそのまま置いてありますので、
関心のある方は、そちらもご覧になってください。
   
 「お気持ちは大変よく分かります。私も日本を応援しています。
しかし以下のITTF(国際卓球連盟)のルールの該当部分をご覧く
ださい。 足がつることによる中断はできないことが明記されて
います。出血があるような負傷の場合は中断されます。今回の
ジャッジはルール通りです」

 3.04.04.05 A suspension shall not be allowed
for a disability which was present or was
reasonably to be expected at the beginning of
the match, or where it is due to the normal
stress of play; disability such as cramp or exhaustion,
caused by the player's current state of fitness or
by the manner in which play has proceeded, does not
justify such an emergency suspension, which may be
allowed only for incapacity resulting from an accident,
such as injury caused by a fall. 」




リオ五輪始まる・・・高藤選手とおかしな判定。柔道はいまや柔道の名を借りた異種格闘技です。

2016年08月08日 15時44分19秒 | 日記

 リオ五輪が始まりました。
 最近の五輪は、商業主義が行き過ぎて、魅力が薄くな
ってきたような気がします。
 しかし、いざ始まると、やはり、引き付けられてしまいます。
 初日から柔道が始まります。私は、もともと、柔道をやっ
ていたので、柔道が始まると、スイッチが入ります。
 リオ五輪は、柔道の準々決勝は日本時間の午前1時ぐ
らいまでに試合があるのでなんとかなりますが、しかし、準
決勝、決勝となると午前4時、5時という時間帯なので、さ
すがに中継を見るのはつらいものがあります。
 準決勝、決勝は、録画しておいて、朝起きてから見ると
いう形になります。
 そこで、初日、男子の高藤選手、女子の近藤選手が金
メダルを逃し、銅メダルだったことを知りました。
 きょうは、高藤選手が準々決勝で負けた試合のことを書
きます。

 高藤選手は、準々決勝で、ジョージア(旧グルジア)の選
手に一本負けしました。
 しかし、第一に、これは、どう見ても、一本ではありませ
ん。
  第二に、中央アジア系の国々の人たちの技は、日本の
柔道にはないような技です。これを柔道というのかどうか。

 まず、第一の一本の話です。
 高藤選手は、投げられたというより、技をかけたジョージ
アの選手ともつれ合って、畳に倒れたという感じです。
 本来なら、これは、両者、有効な技はなかったとするべき
であるように思います。 
 かつて、シドニー五輪で、篠原選手がドイエ選手と技を
かけあって、両者もつれて倒れこみ、主審がドイエの一本
を取ったということがありました。これは内股に対し、内股返
しで返したもので、投げ技は、相手が返すと、両者もつれ
あって倒れるということがよくあります。とくに内股はそうです。
シドニーのときは、本来、篠原、ドイエ両選手とも有効な技
はなかったとして、そのまま試合を続けさせるのが正解だっ
たように思います。

 同じように、高藤選手の試合も、明らかに、両者もつれあ
って倒れたので、一本ではなく、そのまま試合を続けさせる
のが正解だったと思います。
 少なくとも、日本で柔道の試合をすれば、あれは、一本
にはしないと思います。

 もし仮に、ジョージアの選手のかけた技が効いていたとし
ても、高藤選手は、背中がついていません。あれは、高藤
選手は、体をひねっていますので、体の側面から倒れてい
ます。であれば、一本ではなく、もし相手の技が効いたと認
定しても、せいぜい、技ありか、技ありに近い技というところ
でしょう。
 あれを一本とされると、柔道の選手はつらいでしょう。

 そもそも、背中がつくと一本という言い方自体、決して、
日本の柔道の言い方ではありません。日本の柔道の一本
は、相手を投げて、畳にたたきつけるという感じがあります。
たたきつけて、相手があおむけになったということです。あ
おむけになったということで、背中がついたというのですが、
しかし、背中がついたかどうかを見るというのは、柔道という
よりは、どちらかといえば、レスリングの影響ではないかと思
います。

 もうひとつ、内股や、払い腰、あるいは背負い投げのよう
な華麗な投げ技は、技が効きすぎて、相手の体がくるっと
回ってしまい、せっかく投げたのに、相手が腹ばいになって
落ちるということがあります。
 技の切れを見るのであれば、これはもう、明らかに、鮮や
かに技が決まったのですから、一本とすべきものです。
 しかし、五輪の柔道を見ていると、そういうとき、主審は、
一本を取りません。だから、投げられた側も、空中で体を
ひねり、背中から落ちないようにしたりします。それも変な話
で、どんなに投げられても、背中さえつかなければいいという
のは、本来、おかしいのです。
 
 そうやって見ていくと、「一本」の意味がかなりあいまいに
なってしまっているわけです。

 高藤選手の場合は、投げられて鮮やかにたたきつけられ
たわけでもなく、また、背中から落ちたわけでもありません。
 どの基準から見ても、一本ではないのです。

 どうしてこんなことになるかというと、ひとつは、間違いなく、
審判の力量でしょう。同じ審判が、同じ試合の中で、違う
基準で技を判定している様子が、五輪の柔道で、よく見ら
れます。
 サッカーの審判が、FIFA(国際サッカー連盟)でいろい
ろ研修を受け、審査を受けるように、柔道の審判も、国際
柔道連盟が、しっかり、研修と審査をするべきなのです。も
ちろん、いまでもやっているのかもしれませんが、試合を見
ていると、その成果が出ているようには思えません。

 五輪という世界最高の大会で、毎回、毎回、こうしたお
かしな判定が起きます。
 いい加減、なんとかしないといけないでしょう。

 第二に、柔道という競技の変質です。
 高藤選手と戦った相手は、ジョージアの選手ですが、高
藤選手の背中越しに、高藤選手の帯を、背後からつかん
でいました。
 柔道でも、これは、帯取り返しという技があります。相手の
帯を背中越しに取って、そのまま投げるのです。ただ、あま
りきれいに決まる技ではなく、長い時間、背中越しに帯を
つかむと反則になります。ですから、試合では、あまり見る
ことがありません。
 しかし、中央アジア系の選手は、これをよくやるのです。
 相手の背中越しに帯をつかみ、そのまま、長い時間、そ
うやって相手を抑えつけようとします。
 日本だと、これはすぐに審判が待てをかけ、悪質と見れ
ば反則を取るでしょう。
 しかし、五輪では、審判が、注意しないのです。
 注意しないので、ずっと、相手の帯をにぎっていたりしま
す。
 日本の選手は、日本国内ではまずこういう場面に遭遇し
ないので、あまり慣れていません。
 戸惑っているうちに、相手は、日本の選手の帯をつかん
だまま、帯を持ち上げて、投げ捨てようとします。
 高藤選手が倒れたのは、ちょうど、そういう感じでした。

 これは、柔道ではありません。
 いっとき、柔道がJUDOになったみたいな言い方をよくし
ていましたが、そんなものではなく、こうなると、もう別の競技
です。柔道ではなく、別の格闘技です。

 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」を書いた増
田俊也氏が、このことについて、的確なことを話していまし
た。
 増田氏は、
 「いまや、畳の上で、柔道ではなく、異種格闘技をやって
いるんです」
 と指摘しています。

 まさにその通りだと思います。
 畳という試合場で、各国、各地域の地元の格闘家が、
それぞれ地元の、土着の格闘技をやる。
 柔道あるいはJUDOという名前を借りて、柔道着という試
合着を借りて、それぞれの国、それぞれの地域の格闘技
を展開している。
 そういうわけです。

 そうなると、もう、柔道ではありません。
 柔道場という試合場の上で、世界的な異種格闘技大会
をしているのです。

 では、日本はいったい、どうするべきなのか。
 どこかで、考え方を根本的に変えて、柔道ではなく、格
闘技をするのか。
 あるいは、あくまで、「柔道」を掲げ、日本は、孤高の道を
行くのか。

 「柔道」を掲げ、孤高の道を行く場合、金メダルは取りに
くくなるかもしれませんが、私は、個人的には、その道を選
ぶのがいいと思います。

 ただし、その前に、日本柔道連盟は、各国、そして、国
際柔道連盟に対し、柔道のあり方を、きちんと説いていく
べきではないかと思います。
 何もしないと、日本の柔道は孤立する一方です。

追記・・・高藤選手の一本負けを解説した新聞がありました。
その新聞によると、最近、国際柔道連盟は、投げられたとき、
背中が畳につかないよう、選手がブリッジするのを禁止した
のだそうです。ブリッジは首で体を支えるもので、たとえば、
投げられて仰向けになったとき、首でブリッジすれば背中が
たたみにつかずにすみます。しかし、これは首のケガにつな
がって危険だということで、もし、ブリッジをしたら、それで
一本負けというルールにしたのだそうです。
 高藤選手も、思わずブリッジをしたから、一本負けになった
というのです。
 いや、しかし、あの場面、どうも、すぐには信じられません。
 というのも、審判は、高藤選手がブリッジをしたから一本を
取ったという雰囲気ではありませんでした。審判は、高藤選手
が、ただ投げられたから、一本!という、そんな感じでした。
 それに、審判は、後ろのほうにいて、高藤選手のブリッジは
見える位置ではなかったと思います。
 第一、あの投げ技は、低い位置からの投げだったので、
ブリッジをしても危ないという感じは、まったくありません
でした。
 ・・・追記として書いておきます。