いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

石巻のいま(1)・・・大震災で被災した石巻を取材しました。想像を絶する被害です。

2011年05月30日 15時46分30秒 | 日記

 石巻を取材してきました。 
 2011年5月27日の夜に仙台に入り、28日の土曜
日、レンタカーを借りて、塩釜、松島、石巻、仙台空港を
回ってきました。
何回かに分けて、その様子をお伝えします。
 まず、第1回目は、石巻港です。

      *******

 石巻は、もともと、漁業の街です。
 港が街の中心です。
 
 ところが、震災からもう2か月半たつというのに、石巻
港は、ほとんど、手がついてないのではないか--いうほか
ありません。
 石巻港の写真をごらんください。

 漁船が、津波で打ち上げられたまま、まだ、
港の道のそばに転がっています。


 漁船の隣りには、やはり津波に巻き込まれた自動車が横
倒しになったまま残っています。
 写真でもよく分かると思います。
 陸の上で、船のそばに自動車が転がっているというのは、
ありえない景です。


 港に、石巻漁協がありました。
 しかし、漁協の建物は、破壊されたままです。

 
 
 港の中心部には、青い建物があります。港のシンボルの
ような感じになっていたのでしょう。

 この青い建物は、かろうじて立ったまま残っていますが、
その周辺は、ごらんのように、荒れ果てたままです。

青い建物がポツンと立っているだけに、その周辺の被災
状況がよけいによく分かります。

 電柱も倒れたままです。



 残った建物も、内部は津波にごそっと持っていかれ、
骨組みだけになっています。




 荒涼とした風景になっています。


 岸壁に向かいます。
 しかし、港の道は、あちこちで陥没して段差が出来てい
ます。そこを、津波が持ってきた海の砂が10センチから
30センチの厚さで覆っており、非常に歩きにくい。
 靴の中まで、その汚泥につかりながら、岸壁まで行きま
した。


 岸壁に近づくと、強烈なにおいがします。
 せっかく獲った魚が、放置されて、あちこちで腐ってい
るのです。
広い港なので、風もよく吹きますが、それでも、ものす
ごいにおいです。
 港のような広い場所でなければ、さらにすごいにおいに
なっているでしょう。海産物の倉庫や水産加工の拠点、
魚の店など、被災地の港では、これはもう、大変な問題に
なっていると思います。

 破棄せざるをえなかった魚と、そのにおいに、ものすご
い数の鳥が集まっていました。ウミネコでしょう。港に残
った汚泥の上、腐った魚の上にとまり、くちばしでつつい
ています。白い羽根が目立ちます。



 
 
 私が近づくと、一斉に飛び立ちます。

 
 ちょうどヒッチコックの映画「鳥」のような寒々とした
光景です。

 岸壁から自分の車のほうに戻ると、陸上に転がる船の横
にクレーン車が着いていました。さきほど載せた写真の船
です。

 こんなクレーン車で船が持ち上がるのだろうかと思って
見ていると、持ち上げたのは、船ではありません。クレー
ン車が持ち上げたのは、フォークリフトです。


 船の横にフォークリフトが何台か並んでいて、これは復
興作業に使うのだろうと思っていたのですが、なんのこと
はない、このフォークリフトそのものも、被害にあって、
クレーン車で移動するところだったのです。漁協や水産会
社で、魚を移動するために使ったフォークリフトだったの
でしょう。
復興作業は、まだ、そんな段階です。

 この日は土曜日でしたが、港には、ほとんど人が見えま
せん。作業の車も、あまりありません。
 たまにトラックが通り過ぎるぐらいです。

 これは、ほとんど手つかずなのではないかと思わざるを
えませんでした。
 まだまだ時間がかかりそうです。
 港から市街地に移動する幹線道路には、かき集めたがれ
きとゴミが、山となって積まれています。

 やはり、すごいにおいです。
 近寄ると、ここにも、獲った魚の木箱や、発泡スチロー
ルの箱が、山と積まれています。これがにおいを出してい
るのです。




 なんというか、港全体が、まだ呆然としているような、
そんな状況です。
 脱力感が漂っています。
 
 こんな状況を見て、安易に
 「がんばれ」とか
 「がんばってください」とか、
 とても、言えません。
 
 ただただ、復興を祈るのみです。
 
     ******
 
 石巻には、日本製紙の最新鋭工場があります。
 そこに移動しました。
 その途中で、海岸沿いの石巻の市街地を通ります。
 そこで見た津波の被害は、すさまじいものでした。
 次回は、その様子を報告します。


サマータイムに反対その2・・・日本のお父さんは仕事が終わっても家に帰らないでしょう?

2011年05月25日 21時30分43秒 | 日記



 日本で導入しても意味がないという理由は、もうひとつ
あります。それは、日本人のライフスタイルです。
 
 簡単にいうと、日本のサラリーマン、日本のお父さんは、
会社が終わっても、家にはなかなか帰らないということで
す。
 いま、午後6時に仕事が終わるとします。
 だいたい、多くのサラリーマンは、同僚と一緒にどこか
に飲みに行くでしょう。
 家に帰るのは、夜10時とか11時という時間になりま
す。

 日本のお父さんは、本当に家に帰りません。
 これでは、サマータイムを導入しても、まったく意味が
ないのです。

 なぜ日本のお父さんは家に帰らないのでしょうか。
 それを、逆に、なぜアメリカ人は家に帰るか?から考え
てみましょう。

 ひとつは、アメリカの家の広さの問題があります。
 アメリカの家はちょっと郊外に行くと、一戸建ての家の
敷地が100坪から200坪ぐらいあります。それが普通
の家です。
 そうすると、お父さんの部屋なり書斎があります。
 またどの家にも、ガレージがあり、地下室があります。
特別な家ではなく、普通の家です。
 
 こういう家だと、お父さんの居場所があるのです。
本を読みたければ書斎があるし、工作や大工仕事をした
ければ、ガレージや地下室がある。
 5時に会社が終わって、6時に家に着いて、そこで自分
の趣味なり仕事なり、やりたいことをやる場所があるので
す。
 
 これは大きい。

 翻って、日本の家を見てみましょう。
 お父さんの書斎がある家は珍しいでしょう。
 マンションだったら、ガレージも地下室もありません。
 それに、日本は、家の部屋を決めるとき、子供を最優先
します。たとえば3DKのマンションだとして、子供が二
人いたら、2部屋を子供にやります。1部屋が夫婦の寝室
でしょう。残るDKで、食事をしたり、テレビを見たり、
奥さんが家事をしたりします。
 お父さんが6時や7時に家に帰ってきても、居場所がな
いのです。
 DKは、子供たちがテレビを見ているかもしれませんし、
奥さんが家事をしているかもしれない。
 そこへお父さんが入ってくると、奥さんと子供が使って
いるDKの使い勝手が悪くなるのです。
 かといって、夫婦の寝室は、あくまで寝室ですから、そ
こで本を読んだり、工作をしたりというものではない。
 だから、日本のお父さんは、6時とか7時に、家に帰っ
てはいけないわけです。6時とか7時に家に帰ると、奥さ
んと子供たちで作っている秩序が崩れてしまうのです。
 だから、日本のお父さんは、外で時間をつぶしてから、
遅くなって家に帰るのです。そのころになると、もう子供
も寝ているから、DKが使えるようになっています。

 テレビで、ディアゴスティーニという会社が、工作のキ
ットを宣伝しています。毎週ひとつづつ送られてくるパー
ツを組み立てれば、戦艦大和やフェラーリ、あるいは、電
気機関車の模型ができるというものです。
 アメリカの家なら、これは十分にできます。お父さんの
書斎はあるし、ガレージもあるし、地下室もある。毎週送
られてくるパーツを組み立てる場所もあるし、それを置い
ておく場所もあるのです。
 ところが、我らが日本の家で、どこにそんな場所があり
ますか?
戦艦大和を組み立てようと思っても、どこで組み立てれ
ばいいのでしょう。どこに置けばいいのでしょう。

 だから、日本のお父さんは、本当に、家に帰らない。
 仕事が終われば、会社の同僚と、会社の近くの飲み屋で
いっぱいやり、ようやく電車に乗ったと思ったら、家に帰
る駅で、駅前の飲み屋にまた入る。
 本当に、家に帰らないのです。

 サラリーマンのお父さん、つまり、社会の主力を作る働
き手がこれだけ家に帰らない国では、サマータイムを導入
しても、まったく意味がないのです。

 サマータイムは、明るい夏の間は、時計の針を1時間進
め、早く仕事を終わって、早く帰宅し、夏の明るさを楽し
もうというものです。自然の明るさを楽しむのですから、
電気は点けない。だから、節電になるわけです。

 ところが、会社が終わっても家に帰らず、飲み屋によっ
て長い時間いるのであれば、明るさを楽しむということに
は、まったくなりません。
 それどころか、飲み屋の電気の使用量が増えて、かえっ
て、電力消費量が増えるかもしれません。

 サマータイムが導入されても、新橋の駅前では、まった
く何も変わることなく、お父さんたちが、飲み屋に入って
いきます。
 それが目に見えるようです。

 サマータイムの導入に反対する理由の第一として、サマ
ータイムが高緯度地方でこそ効果があるという地理的な理
由を挙げました。
 今回は、サマータイムの導入に反対する第二の理由を書
いたわけですが、それは、サラリーマンのありようという
問題です。簡単にいえば、「ライフスタイル」の問題です。
 これだけライフスタイルの違う所で、サマータイムを実
施しても、まったく意味はありません。

 前回と今回で、サマータイムの導入に反対する二つの理
由を書きました。
 次回は、その補足をします。
 では、また。


サマータイムに反対・・・本文その1です。緯度の高い地域と低い地域の差を考えてみましょう。

2011年05月22日 21時31分18秒 | 日記


 ロンドンやパリは、夏は、夜9時、10時ぐらいまで明
るいのです。明るいので、だまされて、ふと時計を見ると、
え?もう10時なの?という感じです。

 逆に、冬の夕方は、早くに暗くなります。
 朝も、明るくなるのが遅い。

 それは、ロンドンやパリが、北緯50度という緯度の高
い地域にあるからです。
 地球の地軸が傾いているから、どうしても、そうなるの
ですね。

 ニューヨークは、ロンドン、パリほどではありませんが、
夏は夜9時ぐらいまで明るい感じです。
 ニューヨークの緯度は北緯42度ぐらいです。

 ロンドンやパリの北緯50度というのは、日本でいえば、
北海道よりはるか北、サハリンの中ほどのあたりです。
 ニューヨークの北緯42度ぐらいというのは、ようやく、
青森あたりです。

 東京は北緯36度ぐらいですから、欧米とくに欧州の主
要都市に比べると、かなり緯度が低い。
 欧州が高緯度の亜寒帯とすれば、東京は中緯度の温帯と
いえます。

 ロンドンやパリ、ニューヨークにいると、夏よりむしろ、
冬の寒さ、冬の日の短さがこたえます。
 そのぶん、夏は大切なシーズンです。
 ロンドンやパリ、ニューヨークの市民が、いつも朝6時
に起きるとしましょう。
 冬だと、6時なんて、つらい。もっと遅くに起きたい。
 しかし、逆に夏だと、6時はもうかなり明るい。そのへ
んが高緯度の特徴です。
 6時に起きたらもう明るい。それはもったいない。もっ
と早く起きたい。といって、ひとり、5時に起きても、こ
れはさすがに街はまだ活動を開始していない。
 であれば、時間を1時間前倒しにして、冬の間の朝5時
を、6時ということにしましょう。そうすれば、朝6時に
起きても、実際は、5時に起きたことになります。
 1時間早めるわけです。
 それがサマータイムでs。

 そうすると、夜も、冬の夜9時が、サマータイムだと1
時間早くなって、夜10時というころになります。
時計を見て、「おっ、もう夜の10時だ」と思っても、
実際は夜の9時ということです。だから、夜の10時でも、
実際は夜9時の明るさです。「明るさ」というと変ですが、
高緯度地方では、夜9時は「暗さ」というより「明るさ」
という感じです。

 これがサマータイムです。
 では、サマータイムの設定で生活はどうなるでしょうか。
 ニューヨークを例に取ると、アメリカ人は、午後5時な
り6時に仕事が終わると、ともかく家に帰ります。日本人
は会社の同僚と連れだってどこかに飲みに行きますが、ア
メリカ人は、そういうことはしません。
 5時に会社が終わると、6時には家に着きます。
 そうすると、例えば彼らは、家の近くのゴルフ場に、奥
さんとゴルフに行ったりするのです。
 アメリカのゴルフは、9ホール終わったところで食事を
したりしません。いわゆるスルーで18ホール、そのまま
回ります。すると、午後6時にラウンドを開始したとして、
まだ日の明るい午後10時には終わるのです。
 こうやって、夏の長さを楽しみます。

 では、日本は?
 東京は北緯36度ぐらいの中緯度ですから、夏と冬で、
極端に差があるというわけではありません。
 もちろん、冬のほうが日の出が遅く、日の入りが早くな
ります。でも、そうむちゃくちゃ大きな差があるわけでは
ありません。
 
 そんなところでサマータイムをやっても、意味がないの
です。

 たとえば、もっと南のほう、沖縄とか、インドネシアを
考えてみてください。あるいは、ハワイでもいいです。
 ハワイがいいですね。
 緯度は北緯22度とか23度とか、そんなものです。
 ハワイは常夏です。
 日本人は大勢ハワイに行っているので、ちょっと思い出
してほしいのですが、あの一年中、夏だけどからっとして
快適な気候のハワイで、サマータイムなんて、必要ないで
しょう。
 
 もっと南、赤道に行くと、ほんと、サマータイムなんて、
何の冗談かと思われることでしょう。

 こうやってみるとよく分かるように、サマータイムとい
うのは、緯度の高い地域で初めて意味のある制度です。
 日本で導入しても何の意味もありません。

 以上が、サマータイムを日本で導入することに反対する
理由の第一です。
 もうひとつ、理由があります。
 それは次回に。

節電でサマータイム?・・・これは欧州のような緯度の高い地域のものです。日本では無意味です。

2011年05月19日 23時58分22秒 | 日記



 福島原発の事故に伴い、節電の必要が出てきました。
 それはしようがないのですが、節電のためと称して、「サ
マータイム」の導入が一部で主張されています。
これは、危ない。
 サマータイムの導入は、日本にとって、まったく意味が
ありません。
 サマータイムは、絶対にやるべきではありません。

 なぜか。
 サマータイムは、欧州やアメリカ東部のような、緯度の
高い地域でこそ、初めて意味のある方策だからです。
 日本のような中緯度の地方でサマータイムを実施して
も、何の意味もありません。それどころか、生活が混乱す
るだけでしょう。
 サマータイムは高緯度地方のものです。
 地理的環境が違う地域のシステムを、別の地理的地域で、
ただ形だけ導入するというのは、まったく意味のないこと
です。

風土を無視して形だけ導するのは意味がなく、悪い影響
さえもたらします。

 サマータイム導入の議論に際しては、そのことをぜひ
踏まえてほしいのです。

 きょうは時間がありませんので、ここまでの予告編とし
ておきます。
 サマータイムには意味がないという本編は、明日までお
待ちください。
 

君が代の続きです・・・卒業式に国歌を斉唱する国は、実は、少ない。世界の常識ではないようです。

2011年05月19日 02時34分42秒 | 日記

 きのうのブログで紹介した新保信長さんの本「国歌斉唱」
(河出書房新社)は、君が代をめぐる基本的な知識を提供
してくれます。
 君が代の歌おうと主張する人たちは、よく「世界の国で
は国歌を歌うのが当たり前」と言います。
 それが、どうもそうではない。
 この本で、そのことが大変よく分かります。

 この本は、文部科学省が2002年に発行した「諸外国
の初等中等教育」という報告書を紹介しています。
 政府刊行物センターで売っているようなので、来週にで
も買ってきます。
 その前に、新保さんの本が取り上げている文科省の「諸
外国の初等中等教育」を紹介しておきます。孫引きみたい
になるので、ちょっと気がひけるのですが、あまりにおも
しろいので、ちょっと失礼します。

 文科省の「諸外国の」は、アメリカ、イギリス、ドイツ、
イタリア、カナダ、ロシア、中国の8か国の教育制度を調
べたものです。
 その中に、「学校における国旗・国歌の取り扱い」とい
う表があります。
 その表によると、イギリス、フランス、イタリアの3か
国では、通常、学校で国歌が演奏されることはないという
ことです。ただし、フランスでは2005年に国歌が必修
になったようですが、これはまたのちほど確認します。
 アメリカは、連邦法で、国旗掲揚中の国歌演奏に際して
は国旗に向かって起立することが規定されているそうで
す。しかし、学校での義務づけ規定はとくにないとのこと
です。これは文科省の発行物ですよ。
 
 そして、結局、この8か国のうち、学校行事で国歌斉唱
や演奏があるのは、カナダ、ロシア、中国の3か国だけで
す。
 カナダ、ロシアは、国や州の法で決まっているのではな
く、各校の判断で慣習的にしているだけだそうです。

 結局、学校で厳しく国歌斉唱を求めているのは、共産主
義の中国だけです。

 内容は以上の通りですが、これは、繰り返しますが、文
科省みずからの資料です。
 結論をいえば、卒業式で国歌を斉唱するのは、「世界各
国の常識」ではないーーということです。

 君が代を義務化しようという人たちの言い分が、いかに
あいまいなものかということが、大変よく分かります。
 
 そして、国歌を強制しているのが共産主義国である中国
だという事実を、考えてみてください。

 世界の国では、国歌を大事にしていて、学校の卒業式で
は必ず歌っているーーなどと言うのは、もうやめにしまし
ょう。

君が代ーー橋下知事が君が代斉唱で起立をと主張しています。がっかりです。世界ではどうなんでしょう?

2011年05月18日 02時20分54秒 | 日記



 大阪・橋下知事の維新の会が、学校で君が代を歌うとき
には起立するという条例を提出する方針を決めました。
 橋下知事にはエールを送ってきましたが、これにはがっ
かりしました。
 100年の恋もいっぺんに冷めるというやつですね。

 公式な行事には必ず君が代を歌うべきだという人たち
は、国民が国歌を歌うのは世界中どこでも当たり前のこと
だと思っているようです。
 石原慎太郎氏など「国歌を歌うのは当たり前のことだろ」
と力説してやみません。

 何年か前、大阪でプロ野球のオールスターを見ました。
試合開始に先立って君が代を歌うので、「ご起立ください」
というアナウンスが流れました。
 私は個人的には君が代は好きじゃないので、そのまま座
っていました。周囲を見ると、座っているのは私だけのよ
うです。
 すると、後ろの席の人が、とんとんと、軽く背中をたた
き、起立を促すのです。
 無視して、そのまま座っていました。
 いやですね、こういうのは。

 では、公式な場で、国民が国歌を歌うというのは、世界
の常識なのでしょうか?
 実は、どうも、そうではないようです。

 新保信長さんというジャーナリストが書いた「国歌斉
唱」(河出書房新社)という本があります。
 世界の国で、いったい、国歌はどう歌われているのだろ
うということをルポしたおもしろい本です。
 いま「ルポ」と書きましたが、実は、新保さん、飛行機
で各国に飛んで調べたわけではありません。東京にある各
国のレストランや語学学校などを回り、そこのオーナーや
シェフ、先生たちに、国歌のことを聞いて歩いたのです。
 なるほど、こういう手があるか。
 東京はみごとな国際都市ですから、ほとんどすべての国
のレストランや店があります。

 その結果はどうだったでしょう。
 フランスのラ・マルセイエーズは、勇壮なメロディーで、
思わず奮い立ちたくなるような歌です。

 しかし、サッカーのW杯ドイツ大会の決勝で、フランス
のジダン選手は、この歌を歌わなかったのです。この歌は
戦いの歌で、フランス人を鼓舞するものです。しかし、移民
の子としてフランスで苦労したジダンにとって、あまり歌
いたい歌ではなかったようです。
 フランス語学校のロレーさんによると、「そもそも歌う
機会がない。学校行事でも歌わないし、きちんと習ったか
どうかも記憶にない」のだそうです。

 イギリスの国歌「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」もま
た有名な歌です。

 ところが、英会話学校の講師スミスさんによれば、「学
校で習った記憶はないし、入学式や卒業式でも歌わなかっ
た」と話しています。
 へえ。
 
 去年のサッカーW杯・南アフリカ大会で優勝したのは
スペインですが、なんと、スペインの国歌には、歌詞が
ないのだそうです。
 2008年の北京五輪を機に、世界のひのき舞台で歌
えるようにと、歌詞を募集し、当選作を決めたそうです。
 ところが、その歌詞が公開されると、「ふるくさい」
「陳腐だ」などと批判が殺到し、歌詞をつけること自体
をやめたそうです。
 だから、今もスペインの国歌には歌詞がありません。
 石原慎太郎氏が「どこの国でも、国歌は歌うのが当たり
前だ」といっても、スペインの人はそもそも歌詞がないか
ら歌わないのです。

 こうやってみると、世界の国では国歌を歌うのが当たり
前だーーなどというのは、とんでもない思い込みだという
ことがよく分かります。
 
 東日本大震災の被災者の避難所で、地元の中学生や高校
生の合唱団のリードで歌を歌うことがあります。
 そのとき、必ず歌われるのが「ふるさと」です。
 避難所で君が代なんて、だれも歌いたいとは思わないで
しょう。
 
  「ふるさと」。
 志をはたして
 いつの日にか帰らん
 山は青きふるさと
 水は清きふるさと

 いい歌です。
 津波で家が流され、あるいは原発事故で避難を迫られ、
いまはこうして避難所にいる。
 でも、何年後か分からないけれど、いつかきっと、
ふるさとに帰ろう、家に帰ろうーーこの歌を歌うと、
そういう思いがあふれてくるじゃないですか。
 心の支えになります。
 君が代だと、そうはいかないでしょう。
 
 どうしても国歌がいるというのなら、この「ふるさと」
はどうでしょうか。

 この優しい歌なら、そもそも、歌うときには起立せよ
とか、起立しない人間は懲戒とか、そういう空気にさえ
ならないでしょう。
 直立不動で「ふるさと」を歌ったらおかしいですものね。
 
 君が代を歌うのは当然だとか、君が代を歌うときは起立
せよとか、そういうことをいうのは、世界の国で、むし
ろ珍しいようです。
 橋下知事も、石原知事も、世界の「当たり前」をちゃん
と見てから、モノを言ってほしいですね。



東日本大震災・・・町長が亡くなった大槌町で仮設の役場ができました。でも、気になることが。

2011年05月16日 00時54分09秒 | 日記

 今回の大震災で、岩手県大槌町は、大きな被害を受けま
した。町長が津波で死亡し、町役場の職員も大勢が命を落
としました。
 幸い、副町長は生き残りました。
 町議会も、かなりの議員が生き残りました。

 きょうのテレビのニュースで、生き残った副町長や議員
の悩みを取り上げていました。
 こういうとき、リーダーとなるべき町長がいなくなり、
職員も大勢いなくなったとなると、大変です。
 健闘を祈るのみです。

 ただし、ちょっと気になることがあります。
 誤解を恐れずに、書いておきます。

 ひとつは、副町長の部屋です。
 大槌町は、ようやく仮庁舎ができて、活動を開始しまし
た。
 そこに、副町長の部屋が作られたのですが、個室で、え
らく立派なのです。応接セットもついています。テレビは、
そこでインタビューをしていました。
 いまこのときに、果たして、こんな立派な個室が必要な
のでしょうか。それが気になります。

 もうひとつは、議会です。
 議会は、かなりの数の議員が生き残りました。
 それなら、町長が死んでも、議会が、もっと町をリード
すればいいのにと思います。
 議会は立法府ですから、いくらでも、法律を作って成立
させることができます。
 町議会ですから、条例を作ることができます。
 生き残った議員で、どんどん、条例を作ればいいのです。
 仮設住宅を作る条例、がれきを撤去する条例、県や国に
支援を要請する条例などなど、いくらでも条例を作ること
ができます。
 行政が滞っているなら、議会で条例を作り、町を動かせ
ばいいのです。
いまこそ、議会が、本来の役割を果たすべきときです。

大槌町だけではなく、議会には、立法府としてもっとできる
ことがあるはずです。
 というより、議会は、法律、条令を作る権限があり、
本当は強力な力を持っているのです。
 「議会は行政のチェック」などという言い方は、議会が自ら
を貶めるだけです。
 そんな馬鹿なことを言ってないで、立法府という本来の
力を発揮すればいいのです。
 このときこそ、各地の議会は、奮起しなくてはなりません。
 立法府は奮起せよ!

福島原発・・・メルトダウンしていました。ところが、あまり大きなニュースになりません。それが危ない。

2011年05月15日 01時31分20秒 | 日記

 福島原発の1号機がメルトダウンしていたことを、東電
が発表しました。
 2号機、3号機も、その可能性があるといいます。

 これは、ものすごいことです。
 メルトダウンというのは、核の燃料棒が、空だき状態に
なり、すっかり溶け落ちて、容器の底にたまってしまった
ということです。
 もし、そのまま容器の底を溶かしてしまえば、建家の床
も溶かしてしまい、地面にまで届いてしまう可能性だって
あります。
 アメリカの原子炉でそういうことが起きたら、溶けた燃
料棒が、地球にめり込み、そのままアメリカと反対の側に
ある中国まで行ってしまうーーというので、かつては、チ
ャイナ・シンドロームという名前までついていました。
そういうタイトルの映画もあります。ジェーン・フォン
だが主演していました。

 福島で、実際に、そのメルトダウンが起きていたのだと
いうのです。
 幸い、容器の底にたまっており、容器を溶かして外に出
るまでにはなっていないーーということのようです。

 すごい話でしょう。

 ところが、新聞各紙は、それほど大きな扱いになってい
ません。
 騒ぐのが好きなテレビのニュースでも、そうたいして「騒
いでいませんでした。

 それが怖いのです。

 もし、このメルトダウンが、震災後、早いうちに起きて
いたら、新聞もテレビも、大騒ぎしたことは間違いありま
せん。
 もしかすると、パニック状態になっていたのではないで
しょうか。

 もちろん、パニックになる必要はありません。
 しかし、メルトダウンを、これだけ小さなニュースにし
てしまっていいのでしょうか。
 本来は、もっと大きなニュースでしょう。

 福島原発の事故から、2か月たちました。
 この3、4週間は、原発も小康状態になってきて、なん
となく、落ち着いた感じになっています。
 報道は、引き続き、一面トップで続いていますが、むし
ろ、今後どうするかーーという記事が多くなっています。

 あれほど騒いだ放射線も、東京では、なんとなく、遠い
世界とまではいいませんが、ちょっと遠い感じの話になっ
てきています。
なにしろ、事故直後は、自宅待機というような企業まで
あったのですから、そのころに比べると、平穏なものです。

 その中でのメルトダウンです。
 だから、かつてほどの緊張感がありません。
 しかし、それが危ない。
 メルトダウンというのは、大変なことです。
 処理が格段に難しくなるのではないでしょうか。
 事故処理の工程だって、かなり遅れるでしょう。
 
 原発の報道で難しいのは、事故そのものが非常にわかり
にくく、専門知識がないと正確な記事を書きにくいという
点にあります。
 過大評価せず、過小評価せず、しっかりと判断する。
 
 メルトダウンのことは、過小評価しすぎではないでしょ
うか。
 報道する側は、もう少し緊張感を、持続しないといけな
いと思います。


ユッケの食中毒・・・ナマの肉を食べるのは日本の文化ではない。それに、安売りはもうやめよう。

2011年05月09日 17時29分25秒 | 日記

 久しぶりに、大震災以外のことを書きます。

 ユッケによる食中毒の話です。
 この話は、ポイントが二つあります。

 ひとつは、生で肉を食べることは、日本の文化かということです。
 もうひとつは、安売りの弊害です。

 まず、ナマで肉を食べるということについてです。
 この事件のあと、テレビで、女性の評論家が、
 「日本にはナマ食の文化がありまして」
 と話していました。
 ユッケのようにナマの肉を食べるのは、日本の文化だというのです。
 とんでもない。
 この評論家は、なにか勘違いしています。

 日本で、ナマを食べる文化は、もっぱら魚のことです。
 刺身や寿司は、明らかに、ナマで食べる文化です。
 
 肉はというと、日本では、そもそも江戸時代まで、牛や豚の肉自
体、食べる習慣がなかったのです。

 牛肉や豚肉を食べるようになったのは、明治の開国で欧米の
文化が入ってきたからです。
 
 そしてまた、牛肉をナマで食べるユッケは、韓国料理です。

 かつて、日本人は、ユッケを食べなかったと思います。
 20年前、30年前、韓国焼き肉店に入っても、ユッケを食べる
人はいなかったように思います。
 というより、そのころは、メニューに入っていなかったのでは
ないかと思います。

 ユッケをもって、日本のナマ食の文化――などというのは、噴飯
ものです。
 あれは、もともと、日本の食べ物ではありません。
 
 ユッケを、日本の食文化と絡めて議論するのは間違っています。
 あれは、韓国料理で、焼き肉店が、いい加減な調理をして、食中
毒を出したーーと、そういうことです。

 第二に、値段の問題です。
 この1月、牛どんチェーンが、一斉に、牛どんを100円値下げし
ました。そのときに、このブログで、
1)無理な値下げ競争は、デフレを進めるだけである
2)無理な値下げは、景気を悪くする
3)無理な値下げは、必ず、どこかにしわ寄せを招く
――ことを書きました。

食中毒を出した焼肉えびす屋は、無理な値下げの典型です。
安売りを武器にのし上がってきたため、徹底的にコスト削減をし
ました。
 そのため、安い加熱調理用の肉をナマで出してしまいました。
さらにまた、加熱用の肉であっても、表面をそいで捨てるトリミ
ングをしておけば、あるいは食中毒を防げたかもしれない。しか
し、コストを削減するには、表面をそいで捨てるなどということ
はできなかった。
 
 これは、無理な安売りの害そのものです。
 無理な値下げ、無理な安売りは、絶対に、どこかにしわ寄せが来
ます。
 働いている人の低賃金かもしれません。
 納入業者への無茶な要求かもしれません。
 品質を落とすことかもしれません。
 そして、最悪なのは、食の安全の切り捨てです。

 今回は、まさに、食の安全を切り捨てることによって、安売りを
実現していたわけです。

 もう、こんな安売り競争はやめませんか。
 焼肉だけではありません。
 あらゆる業種で、安売り競争は、やめましょう。
 テレビも、DVDも、車も、
 ジーンズもカッターシャツも、
 食品も、
 安く売ればいいというものではないでしょう。

 もの作りには、敬意を払うのが当然です。
 その敬意が、値段としてつけられるのです。
 私たちは、もう、目をさますときではないでしょうか。





菅首相が浜岡原発の停止を求めました。実はこれが本来の民主党です。これこそ市民運動の精神です。

2011年05月08日 23時59分46秒 | 日記

 菅首相が、浜岡原発の停止を要請しました。
 これを受けて、8日の日曜日の新聞各紙は、読売と朝日
が賛成、日経が反対と、論調が割れました。
 浜岡原発のある御前崎の市長はというと、浜岡原発を停
めることに疑問を、というより、反対の姿勢を見せました。
地元の市長が、原発停止に反対するというのは、原発がい
かに地元に利益をもたらしているか、かえってよく分かり
ます。

 菅首相の決断は、こうして、賛否両論となっています。
 しかし、この決断こそ、民主党の本来の持ち味だと思い
ます。
 自民党政権、自民党の首相であれば、動いている原発を
停めるなどという決断はできなかったでしょう。
 賛否はあるでしょうが、この決断こそ、民主党の持ち味
です。民主党は、遅まきながら、この路線で行くべきなの
す。

 2009年の夏、国民が、政権交代を実現させたのは、
民主党に期待したからです。
 自民党政権には絶対にできない政策をやってほしい。そ
う期待して、民主党政権を実現させたのです。

 ところが、民主党は、せっかく政権を取ったのに、なん
だか、自民党政権と同じようなことばかりやってきました。
 今回の東日本大震災と福島原発の事故で、菅首相がやっ
たのは、自民党の首相がやったであろうと思われることと、
ほとんど違いがありませんでした。
 原発事故の情報公開は遅い。遅いだけならまだしも、大
事な情報を公開しない。政府は事項の責任を取ろうとせず、
責任を東電に投げてしまう。対策を打ち出すよりも、党内
のごたごたのほうに熱が入る。
 なにより、首相にリーダーシップがない。首相が責任を
取らないから、危機に当たって、リーダーがいなくなって
しまう。
これでは、自民党時代と変わりません。
 いや、むしろ、自民党のほうがしっかりしていたかもし
れませんね。
 
 あの政権交代はいったい何だったのでしょう。
 国民がそう思っている状況で、菅首相は、浜岡原発の停
止を要請しました。

 大震災の発生以来、国民は、たぶん初めて、拍手を送っ
たのではないでしょうか。
 国民が、民主党に求めていたのは、こういう姿勢です。
 これでこそ、政権交代をした意味があったというもので
す。

 いま、「こういう姿勢」と書きました。
 では、それは、どういう姿勢かというと、
 「市民運動の姿勢」 
 だと思います。

 浜岡原発は断層の上にあるらしい。
 東海地震が起きる可能性は非常に高い。
 しかし、浜岡原発は、今回の大震災で明らかになった津
波の大きさには対応できてないらしい。
 それなら、運転を停止するべきじゃないのか。

 これは、市民運動の考えであり、市民運動の姿勢です。
 これは、自民党政権には絶対になかった姿勢です。
 そして、国民は、こういう考え方、こういう姿勢に期待
を込めたのです。それが政権交代でした。

 そして、菅首相というのは、もともと、市民運動から政
治に入った人です。
 このブログで、かつて、
 「市民運動から出た菅首相は、自民党という倒すべき相
手が消えた段階で、何をやっていいのか分からなくなった
のではないか」
 「菅首相は、市民運動の限界を示しているのではないか」
 と書きました。

 そして菅首相は、首相になった瞬間、あるいは、民主党
が政権を取った瞬間に、市民運動を放棄したように見えま
す。菅首相は、妙に「普通の政治」をしようとしてきました。
 菅首相は、自らが市民運動の出身であることをすっかり
忘れてしまっていたようです。
 「市民運動」というのは、どこか、希望を感じさせます。
 自由な運動、自由な発想で、新鮮なことをする。
 そういうイメージがありました。
 国民が民主党政権に望んだのは、そういうことだったの
です。

 菅首相は、それをどこかにすっかり置き去りにしていま
した。国会で答弁する菅首相の姿に、市民運動家らしい新
鮮ではつらつとした空気がありますか?

 しかし、今回、浜岡原発の停止要請という形で、市民運
動の精神が、突然、よみがえりました。
 これが必要だったのです。
 
 菅首相は、いや、民主党は、政権についても、市民運動
の精神で進むべきだったのです。
 そこからもたらされる新しい動きや、新鮮な考え、市民
サイドに立った政策を、国民は望んでいたのです。

 浜岡原発の停止には、賛否があるでしょう。
 しかし、議論を超えて、危ない原発は停止しようという
姿勢が、大事なのです。
 市民運動というのは、そういうことを言うのです。

 民主党は、どうしようもない土俵際から、今回の浜岡原
発の停止要請によって、息を吹き返しました。

 今後も、この姿勢でやってほしいと思います。
 地震と津波の被災者の救済も、福島原発の事故への対応
も、市民運動の精神で当たってもらいたい。それこそが、
民主党らしさというものでしょう。

 市民運動ならどうするか?
 大震災の被災者は、すべて救う。
 原発事故は、なにもかも、包み隠さず、間髪いれずに公
表する。
 危ないものは危ないという。
 政府がすべて責任を持つ。
 首相が「すべて、私が責任を持ちます」と宣言する。

 国民が民主党に期待するのは、そういうことです。
 浜岡原発の停止要請に続く、第二、第三、第四、第五の、
新鮮な政策を、ぜひ、打ち出してもらいたい。
それでこそ、政権交代させた意味があったというもので
す。


東日本大震災・・・また「勇気を与える」という言い方が増えてきました。善意がだいなしです。

2011年05月07日 23時49分24秒 | 日記


 「勇気を与える」という言い方を、また、聞くようにな
りました。
東日本大震災からまもなく2か月になります。
 この連休中も、スポーツ選手や芸能人が、避難所を訪れ
たり、チャリティ試合を開いたりしていました。それはそ
れで大変いいことです。しかし、インタビューの答える選
手や芸能人が、
 「私のプレーで勇気を与えられたら」
 とか、
 「少しでも勇気を与えたい」
 という言い方をするのです。
 せっかくの善意が、この言い方で、だいなしになってし
まいます。
 
 「勇気を与える」とは、なんと傲慢な言い方でしょう。
 「与える」というのは、上にいる人が、下にいる人に何
かを渡すことでしょう。
 「勇気を与える」という言い方が、結果的に、避難して
いる人を上から見てモノを言っているということに、どう
して気がつかないのでしょうか。

 もし、私が、いま、避難所で暮らしているとすれば、「避
難所の人に勇気を与えたい」という言葉を聞けば、きっと、
「おおきなお世話です」と思うでしょう。

 きょうも、スケートの小塚選手が主催して、愛知でチャ
リティスケートを開いていました。
 それを紹介するNHKのニュースで、アナウンサーが、
 「小塚選手たちが、被災者に勇気を与えようと、チャリ
ティ大会を開きました」
 とやっていました。
 「またか」と思ってそのまま見ていると、小塚選手は「力
が伝わればいいなと思います」と話しています。また、浅
田真央選手は「私たちの演技がパワーになればいいなと思い
ました」と話しています。


 そうなんです。
 小塚選手たちは「勇気を与える」などとは言ってないの
です。
 よかった。
 小塚選手たちを見直しました。
 しかし、では、このニュースはなんだったのでしょう。
 結局のところ、NHKがニュースの原稿を書くとき、選
手が話してもいない「勇気を与える」という言い方を、勝
手に使ったということでしょう。

 言葉で仕事をするテレビ局が、こんな原稿を、勝手に作
ってはいけないでしょう。
 NHKは、反省しなければなりません。

 連休中はスポーツのイベントが多かったので、この言い
方は、非常に気になりました。
 気がついた選手のことを書いておきます。
 2000本安打を達成した巨人の小笠原選手は、
 「(2000本安打で)少しでも明るくなっていただけ
たら」と謙虚に話していました。人柄が出ていました。
 女子ゴルフの佐伯選手は、サロンパスカップで、「勇気
を与えたいと思ってプレーしました」と話していました。
ちょっとがっかりですね。

 「勇気を与える」。本当にいやな言い方です。

いわき市取材の続きです。原発20キロの立入禁止の検問所まで行きました。

2011年05月02日 22時18分59秒 | 日記

被災したいわき市の取材の続きです。

 常磐道をいわき勿来で降り、津波に襲われた海岸沿いを
走って、いわき市の中心部に入りました。
 いわき市の中心部は、内陸にあるため、津波の被害を受
けていません。また、いわき市は、事故を起こした福島原
発の避難区域にも、かろうじて、指定されませんでした。
 ですから、本来なら、平静を保っているはずなのですが、
日曜の昼というのに、通りには、人影がありません。




 幸い、レストランは開いていたので、そこでお昼にしま
した。レストランの方に聞くと、
 「ここに来て、少し人が戻ってきましたが、少し前まで
は、本当にさっぱりでした」
 とのことです。

 いわきは福島の中核都市なのですから、いわきに元気が
出ないと復興も始まりません。
ぜひ、いわきに足を運んでください。

 さて、いわきから、国道6号線で、福島原発を目指しま
す。原発に向かう高速は閉鎖されたままです。
 6号線は、それなりの通行量はあるのですが、原発に近
づくと、車が減ります。
 そして、見えてきました。
 原発から20キロ、立入禁止の検問所です。
 パトカーが停まっていて、一般車両は入れません。


 近づくと、パトカーの横には、大阪府警と書いてありま
した。全国から呼び集められているのですね。
 ただし、パトカーの警官は、ごく普通の服で、特段、放
射線に対応した支度はしていません。
 ちょうど、東芝のバスが人を乗せて、検問を通って
行くところでした。
 原発で作業するのでしょう。
 がんばってほしいというほか、ありません。


 右手を見ると、Jヴィレッジの看板がありました。
 立入禁止区域のすぐ横が、Jヴィレッジなんですね。
 いうまでもなく、サッカーの日本代表が合宿を張るとこ
ろです。
 看板だけではなく、大きなサッカーボールもあり、いか
にもサッカーの村という雰囲気があります。




 このJヴィレッジで、原発で作業をしている人たちが、
寝泊まりしています。原発への放水で放射線が付着した車
も、ここで放射線を洗い流しています。
その現場を見たいと思い、検問の警官に
「J」ヴィレッジは入れますか?」
 と聞くと、
「入れますよ。どうぞ」
 と、意外な返事が返ってきました。

 そこで、車でJヴィレッジの中に入りました。
 すると、広い駐車場で、放水車などを洗浄しています。

 広大な敷地には、サッカー場が何面も並んでいます。
 すばらしい施設です。

 このJヴィレッジも、東電が地元に寄付したものです。
 もちろん、原発を作る見返りとして、寄付したものです。
 原発で地元が潤うという見事な例を、ここで見ることが
できます。

 福島県の佐藤知事は、今回の事故で一方的な被害者のよ
うな態度を取ります。なんで、そこまでえらそうにと思っ
てしまうほど、えらそうな態度です。
 しかし、誤解を恐れずにいえば、こうやって、東電から
多くの見返りを受けています。
 佐藤知事は、そこまでえらそうにしなくてもいいのでは
ないかと、思います。

 (続く)