いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

世界のデモ(2)・・・70年代のデモと比べると「希望」がありません。時代の閉塞感が強いのです。

2011年10月17日 01時31分43秒 | 日記

 今回の世界的なデモは、カナダの広告雑誌の社長が呼びかけたー
ーという報道があります。今晩のテレビのニュースショーでも、コ
メンテーターが、思わせぶりに、そんなことを話していました。


 
 しかし、ちょっと待て。
 コトは、もっと唯物論的に考えなければなりません。
 この社長が呼びかけたのは、事実でしょう。
 そして、その呼びかけに応じた人たちがいたのも事実でしょう。

 しかし、現在の世界の根底に、現状に対する不満がたまっていな
ければ、このように多くの人々が抗議行動に立ち上がるということ
はありえません。

 この社長の呼びかけは、たまたま、現代の人々の心の中にある不
満に火をつける一本のマッチになっただけです。

 唯物論的に、というのは、そういうことです。

 逆にいえば、もし、この社長がデモを呼びかけなくても、いつか
必ず、同じようにして、大規模な抗議デモが起きたでしょう。
 この社長がいなくても、別の社長、別の人が現れたでしょうし、
あるいは、そうした別の人物が現れなくても、自然発生的にデモは
起きたのです。

 こうやって、「仕掛け人」を探し出すのは、デモの根底にある
人々の不満から、目をそらすことになりかねません。
 それが危険なのです。

 昨日、70年代のデモと、今回のデモを対比しました。

 そうした二つの時代を反映するものがあります。
歌です。

 70年代の学生運動やデモを代表する歌は、日本においては、
「友よ」というフォークソングです。

 友よ
 夜明け前の 闇の中で
 友よ
 戦いの 炎を燃やせ
 夜明けは近い
 夜明けは近い
 友よ
 この闇の 向こうには
 友よ
 輝く明日がある

 これは、岡林信康の作詞・作曲です。
 この歌は、70年代、あらゆる場面で、歌われました。
 大合唱となったものです。

 特徴は、「希望」です。
 明るいことです。
 「友よ いまはこんな闇の中にいるように見えるけれど、夜明け
は近いんだ。闇の向こうには、輝く明日があるんだ」
 そう訴えています。
 明るい明日を我々の手にするために、いま、こうやって、デモを
しているんだーーという、力強いものがあります。

 同じように、アメリカで歌われた歌があります。
 それは、We shall overcome です。

 We shall overcome
 We shall overcome
 We shall overcome someday
 Oh, deep in my heart
 I do believe
 We shall overcome someday.
 
 私たちはいつか勝利する。
 そうだ。
 私たちは心の中深く、信じてやまない。
 私たちはいつか勝利する。

 この歌は、アメリカのベトナム反戦と結びついて歌われたのです
が、すぐに、世界中に広まりました。
 日本でも、デモのとき、「友よ」とあわせて、We shall
 overcomeが歌われたものです。

 この歌も、明るい歌でしょう。
 私たちは、いつか必ず勝利する。
 そういう歌です。

 この二つの歌は、70年代の学生運動と、それに伴う抗議デモ、
抗議の動きを代表し、象徴するものです。

 決して「仕事がほしい」という訴えではないのです。

これに比べて、今回のデモと抗議活動は、どこが違うのでしょう。
 決定的なのは、今回は、「希望」や「明るさ」がないことです。
 今回のデモは、どこにも、希望を感じさせないのです。

 仕事がほしい。
 経済格差を是正せよ。
今回のデモの訴えは、そういうことです。

 ここには
 「闇の向こうには輝く明日がある」とか
 「We shall overcome」
 というような意志と希望がありません。

 もしかすると、いまの社会は、もう、希望や明るさを感じられな
くなってしまったーーということなのでしょうか。

 70年代の学生運動のうねりと比べ、今回のデモは、非常に暗い
側面ばかり感じるのです。
 このデモの向こうに、展望が見られないのです。
 デモの参加者は、夜明けが近いとは、思っていないでしょう。

 それだけ、時代閉塞の状況は、いよいよ厳しいということではな
いでしょうか。




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