いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

コロナ対策の体制・・・ひとことで言えば、てんでばらばらです。こんなバラバラで、対応できるのでしょうか?

2020年12月23日 22時26分19秒 | 日記

当ブログは、しばらくお休みしていましたが、復活させたいと思います。
復活第一回は、コロナの話です。コロナをめぐる記者会見の話から書きたいと思います。

 きょうは2020年12月23日(水)です。
 このところ、様々な組織が、入り乱れて会見や緊急会見をしています。
 きのう、きょうは、東京都医師会が会見をし、会長が、
 「医療は本当に崩壊の瀬戸際です」
 「仕事が終わったら、すぐ家に帰ってください」
 と訴えていました。
そしてまた、「勝負の3週間が終わりましたが、感染者は増えています。
だから、これから年末、年始が、真剣勝負の3週間です」 
 とも話していました。

もともと「勝負の3週間」を言っていた小池都知事も、きのう、きょうは、
 「お正月は、家で静かにお過ごしください。いずれ、あの静かなお正月
が役に立ったといえるときが来ます」
 と話しています。

 コロナ対策大臣の西村経済再生相も、連日のように会見し、
 「医療崩壊を防がなければなりません」
 と訴えています。

 田村厚労相は、本来なら、コロナ対策大臣であるべきなのですが、安
倍首相のときに西村氏がコロナ対策に指名されたため、厚労相は、少し
影が薄くなってしまいました。
 それでも、極力会見し、
 「医療崩壊を防がなければなりません」
 と、厚労相らしく、訴えています。

 ほかにも、政府の専門家会議の尾身氏も、しばしば会見し、危機を訴
えています。

 医師会は、東京都医師会が一番危機感を持っているようですが、ほか
にも、日本医師会の会長が会見します。

 さて、こうやって、ここ数日の会見をざっと並べただけでも、大臣や、医
師会、知事、専門家が、それぞれに、会見をしています。
 
 これは、いったい、どういうことでしょう。
 医師会の会見で「仕事が終わったらすぐ帰宅してください」と呼びかけ
たのには、驚きました。
 これは、大臣や知事の言うべきことでしょう。というのも、それは、行政
の仕事にほかなりません。サラリーマンが仕事の後すぐに帰宅すれば、
街の居酒屋さんや食堂は、困ってしまいます。お店の収入が減ったら、
当然、収入の補填という話になりますが、そんなこと、医師会には不可能
でしょう。それは、行政の仕事です。
 
 いや、そんなことは分かっている。それでも、医師会として、言わなけ
ればならないんだ、ということなのかもしれません。

 だとすれば、行政は、何をしているのか。
 西村コロナ担当大臣や小池都知事は、何をしているのか、ということに
なります。

 医師会とは別に、専門家会合の尾身氏が危機を訴えるのも、当然とし
えば当然です。しかし、同じ医師という立場で、それぞれ、別々に会見す
るというのも、違和感を覚えます。

  これは、いったい、どういう状態なのでしょう。
 ひとことで言えば、てんでばらばら、です。

 田村厚労相は、20日の日曜日の朝、民放の番組に出て、橋下徹氏と
対談をしていました。
でも、コロナ担当は、西村氏なのです。
 
 肝心の菅首相は、14日に、ソフトバンクの王会長や杉良太郎氏、みの
もんた氏らと8人で会食をし、批判を浴びました。

 コロナ特措法の改正も、感染が広がって、いまようやく、話が始まりそう
ですが、これは、自民党の政務調査会が担当するようです。

 これは、いくらなんでも、ちょっと、ばらばらすぎませんか。
 せめて、菅首相、西村コロナ担当相、田村厚労相がしっかり話し合い、
政府の体制を、もう一度、しっかりと立て直す必要があると思います。
 そのうえで、小池都知事、東京都医師会、専門家会合の尾身氏を加
えた拡大会議を開き、ちゃんとすりあわせをする。
そんなこと、感染が落ち着いていた9月、10月にやっていればと思うの
ですが、それは後講釈かもしれません。

 いずれにしても、こんなてんでばらばらな体制で、どうやって対応して
いくというのでしょう。
 政府は、しっかりせよ。
 とりわけ、菅首相、西村大臣、田村大臣はしっかりしないといけません。






記者会見への疑問(その1)・・・記者が会見で「よろしくお願いします」というのはおかしいでしょう。もっと誇りを。

2020年06月02日 20時44分10秒 | 日記

 コロナが問題になって以来、安倍首相や西村
担当相の記者会見が、よくテレビ中継されます。
テレビだけではなく、ユーチューブのような動画
サービスでも、菅官房長官の記者会見が盛んにアッ
プされます。
 記者会見の様子を見ていて、非常に気になるこ
とがあります。それも、ひとつではありません。き
ょうから、それをひとつずつ、取り上げていこうと
思います。

 初日のきょうは、「よろしくお願いします」です。
 最近の会見は、質問する記者の多くが、社名と
自分の名前を言ったあと、「よろしくお願いしま
す」というのです。
 
 会見は、冒頭、安倍首相なり西村担当相が20
分から30分程度の話をし、その後、質疑に移りま
す。質疑は、挙手をした記者を、司会者が指しま
す。
 すると、指名された記者が、
 「どこそこテレビ(あるいはどこそこ新聞)の、だ
れそれです」と名乗ります。そこまではおかしくな
いのですが、その後、
 「よろしくお願いします」
 といってから、質問をする記者が多いのです。
 もともとは、テレビの記者に多かったのですが、
最近は、新聞でも「よろしくお願いします」という
記者がいます。

 安倍首相が緊急事態宣言を解除した日の会見
を見ていると、質問した記者の半分ぐらいが、「よ
ろしくお願いします」とやってました。

 記者会見は、会見をした人物と、会見に出た記
者が、切り結ぶものです。
 会見の内容におかしなところがあれば、追及す
る。もちろん、ケンカをするのではありません。
相手があいまいな態度を取ったり、質問にちゃんと
答えなかったりしたら、納得するまで質問する。
 それには、記者側が、よく勉強しておく必要が
あります。勉強していないと、会見の内容のどこ
がおかしいのか、分からないでしょう。
 勉強していない記者の質問は「それについて
考えをお聞かせください」というようなものになっ
てしまいます。勉強していないから、どこが問題
点なのか、質問する記者には分からない。だから
「考えをお聞かせください」と、相手に下駄を預け
てしまうのです。

 「よろしくお願いします」というのは、「すみませ
ん。私は、あんまり勉強せずに出席しています。
変な質問をしたら、ごめんなさい」ということになり
ます。
 会見している相手に「よろしくお願いします」と
いってしまえば、記者の側が、相手に切り込む意
欲はありませんということを表明するようなもので
しょう。
 
 普段の生活で「よろしくお願いします」というの
は、どんなときでしょう。
 たとえば、明日から何日か、旅行で家を空け
る。そういう場合、お隣りさんに「ちょっと家を留守
にしますので、何かあったら、よろしくお願いしま
す」とあいさつしたりします。これは、お隣りに、文
字通り、留守宅をよろしくお願いしますね、と頼む
のです。
 あるいは、大学の先生に、講義で分からなかっ
たところを質問するメールを出した。そのときに
は、メールの末尾に、「お手数をおかけしますが、
よろしくお願いします」と書くでしょう。
 何人かで食事会をするときに、幹事を引き受け
たときもそうでしょう。幹事として、時間と場所を決
め、みんなにメールで連絡する。その際、メール
には、「7時集合で始めたいと思いますので、よろ
しくお願いします」などと書きます。
 
 そうなんです。
 「よろしくお願いします」というのは、相手に何
かを頼むとき、まさに、お願いするときに使う言葉
です。
 言葉を換えれば、自分がへりくだって言うとき
の言葉です。

 そんな、相手にお願いする言葉、へりくだった
言葉を、記者会見で使って、いったいどうするの
でしょう。
 安倍首相や西村担当相、あるいは、小池都知
事に「よろしくお願いします」と言って質問する記
者は、何をお願いしているのでしょうか。

 記者の心中を考えると、
 「すみません、私、勉強してなくて、よい質問が
出来ないのですが」
 あるいは、
 「準備不足で、私、よく分からないところがある
のですが」
 ということなのでしょう。
 だから、
 「変な質問をしてしまうかもしれませんが、そこ
は、よろしくお願いします」
 ということなのでしょう。
 もっといえば、
 「変な質問をしても、大目に見ていただくよう、
お願いします」
 ということなのでしょうか。

 私の知る限り、記者会見でこんな言葉を聞くよ
うになったのは、この10年ぐらいではないでしょ
うか。テレビの方には申し訳ないのですが、「よろ
しくお願いします」というのは、テレビの記者に多
かったと思います。
 というのも、テレビ局には、総務省という監督官
庁があります。テレビ局は、国から電波を割り当
てられているので、その窓口である総務省に頭の
上がらないところがあります。一度、テレビ局の会
合に総務省の課長が講演に来たのを聴く機会が
ありました。講演後、質疑に入ったのですが、質
問に立つテレビ局の方は、全員が、まず、「どこ
そこテレビのだれそれです。いつもお世話にな
っております。よろしくお願いします」と前置きす
るのです。
 ですから、政府の会見で、どうしても、そういう
所が出てしまうのではないかと思っていました。

 ところが、昨今は、新聞の記者も、「よろしくお
願いします」と言うのです。
 緊急事態宣言を解除した安倍首相の会見は録
画してありますが、テレビ局だけではなく、新聞
社の人たちも、3人に1人ぐらいは、「どこそこ新
聞のだれそれです。よろしくお願いします」と前置きしています。

 記者会見で記者が「よろしくお願いします」とい
うのは、へりくだった態度を通り越して、むしろ、
卑屈な態度です。
 記者が「よろしくお願いします」と前置きする
と、会見する側は、「あ、この人は、たいしたこと
ないな」と、心中、にっこりしているのではないでしょうか。

 記者、とくに新聞記者が、記者の誇りを捨て
て、卑屈になってしまっては、よくありません。
会見で「よろしくお願いします」」と言うのは、も
う、やめにしませんか。






緊急事態宣言の東京の街は静まりかえっていました・・・日本橋、京橋、銀座、有楽町、東京駅の「今」を記録しておきます。

2020年05月13日 20時03分22秒 | 日記

 緊急事態宣言のなか、東京の街は、どんな様子なのか。
 2020年5月11日の月曜日の午後、もちろんマスクをし、東京の街を実際
に歩いてみました。
 日本橋三越をスタートし、日本橋、高島屋の本店、京橋、銀座1丁目を経て、
銀座4丁目に出ます。銀座4丁目の交差点を右に折れ、有楽町方向へ。スクラン
ブル交差点を渡って、マリオンのからくり時計を見ながら、マリオンの通路を通っ
て、有楽町の駅に出ます。有楽町のビックカメラの前から、丸の内仲通りを通り、
東京駅の丸の内側に出ます。東京駅を右手に見ながら、丸の内北口に出てオアゾに
到着し、ここで終点というコースです。
 だいたい、5キロから6キロというところでしょうか。
 コロナの東京を記録しておかなければという思いで、出向きました。

 まず、三越前です。

三越のシンボルであるライオンの足元に、臨時休業のお知らせがあります。
 大通りを渡って、反対側から三越を見ます。

 白昼、シャッターが閉まっているのが分かります。
 閑散としています。

 三越の前から日本橋の橋の方向を見たところですが、ご覧のように、人通り
がほとんどありません。
 向こう側が橋です。
 橋の方へ、歩いていきます。

 日本橋の橋(というのも変な言い方ですが)に出ました。
 この彫刻が、日本橋です。
 東野圭吾さんの小説「麒麟の翼」の舞台になりました。
 上に見えるのが首都高です。1964年の東京五輪の際、開発優先で、
由緒ある日本橋の上に、高速道路の橋脚を通してしまったのです。
 ここから少し行くと、高島屋が見えてきます。

 高島屋です。 
 本来なら、買い物客など、大勢の人でにぎわう場所ですが、がらんと
しています。

 高島屋は、地下の食料品フロア、デパ地下だけ、営業しています。
 でも、雰囲気は、ほとんど、全館休業みたいな感じです。
 高島屋をすぎると、京橋を経て、銀座に入ります。
 銀座3丁目あたりには、ブランド店が大きな店舗を構えていますが、
どこもお休みです。

 まず、ルイ・ヴィトンです。シャッターが下りてます。

 シャネルです。
 マネキンばかり、目立ちます。

 ブルガリは、ご予約のお客様のみのご対応としていますーーと表示があり
ました。

 カルティエもひっそりしています。

銀座3丁目まで行くと、松屋です。

 4月7日に、緊急事態宣言が出されました。
 その翌日の4月8日から当面の期間 臨時休業 と表示されています。
 松屋を通り過ぎると、銀座の中心、銀座4丁目の交差点です。

 銀座の中心というより、東京のひとつのシンボルみたいな場所ですが、自動車が
何台か通るだけで、人の姿は少ないままです。銀座の店が軒並み閉まっている
ので、ショッピングをしようにも何も出来ず、銀座に来てもしようがないということ
ですね。
 向かって左側の白いビルが、銀座4丁目の日産です。
 撮影している私の後ろが銀座三越です。

 銀座三越は今年2020年が90周年だそうですが、そのポスターの向こうに
休業のお知らせが出ています。
 銀座三越の反対側が、和光です。

 やはり、休みです。
 日本橋から銀座4丁目まで、ほとんどどの店もやっていないというのは、
驚異的です。
 こんなことは、これから先、もうないでしょう。
 銀座4丁目がこんなことになるのか、という感じです。
 4丁目の交差点を有楽町の駅の方に向かいます。

 やはり、閑散としています。
 こんな銀座は、初めて見ました。

 銀座の不二家です。臨時休業です。

 不二家から有楽町の方に渡り、スクランブル交差点を振り返りました。
 向こうが、銀座4丁目の方向です。
 撮影者の後ろに、銀座マリオンがあります。

 有名なからくり時計です。
 ここを中に入ると、両サイドに、映画館のチケット売り場があります。

 映画館もお休みです。
 マリオンのビルの中の通路を抜けると、有楽町の駅です。
 その通路も、こんな感じです。

 一人だけ、歩いていました。
 あとは、本当に誰もいません。
 抜けた向こう側に、ビックカメラ有楽町店があります。
 それが、驚いたことに・・・。

 営業してました。
 これは、驚きました。
 入口で体温を測り、なにごともなければ、店内に入れます。
 私? 私は36度ちょうどで、OK牧場でした。
 店内も、さすがに、お客さんは少ないものの、どのフロアもやっています。
 スタッフに聞くと、はい、2日間だけお休みさせていただいて、あとは、
営業しておりますーーとのことです。
 
 ビックカメラの前に、有楽町の交通会館があるのですが、その一階にある
紀伊国屋書店は、営業していました。
 新刊の書店は休業要請の対象外とは聞いていましたが、ビックカメラは意外でした。

 さて、ここから丸の内仲通りを歩いて、東京駅に向かいます。
 仲通りも、閑散としています。


 東京駅に出ました。
 丸の内側です。
 いつもは、サラリーマンや観光客でにぎわう場所ですが、ひと気がありません。

 これが、東京駅の真正面です。 
 撮影の私の後ろが皇居です。
 だれもいません。
 こんな東京駅は、初めて見ました。
 すごい。

 せっかくなので、記念に私の影を残しておきます。
 丸の内北口に丸善の入るオアゾがあります。

 ここでも、書店の丸善は、営業していました。
あとは、閑散としています。

 
 歩いたは距離は、冒頭にも書いたように、5キロから6キロぐらい、あるいは、もう少し
あったかもしれません。
 驚きの連続でした。
 なにしろ、5月の月曜(11日)、五月晴れの日本橋、銀座、有楽町、東京駅と、
本当に、なにもかも、閉まっているのです。
 こんなことって、本当にあるんだなあ、という思いでした。
 こういうことが、今回限りでありますようにと願うほか、ありません。


コロナウイルスのPCR検査はなぜ増えないか?・・・現場の医者に聞きました。彼は全員入院が問題だったというのです。

2020年05月08日 19時36分53秒 | 日記

 コロナウイルスに感染しているかどうかを調べる
PCR検査の数がなかなか増えないというので、不
満が高まり、政府が批判されています。
 メディアでもこの問題をよく取り上げますが、検査
が増えない原因について、すっきりした説明を聞い
たことがありません。
 大学時代からの友人が医学部を出て、いまは、
大手企業の産業医をしています。彼に、PCR検
査はなぜ増えないのかを、聞いてみました。
 
 ――PCR検査、なぜ、こんなに増えないのだろう
か。政府は、早い時期から、検査を増やすと言い
続けているが、なかなか増えないね。君は現場に
いて、どう考えているのかね。
 「先に私なりの結論を言うと、初めに、感染者を
すべて入院させたのが原因だと思っている」
 ――ほほう。
  「感染しても、重症でない限り、入院させなくて
もよかったんだ。軽症者は、自宅とか、それこそ、
借り上げたホテルで療養していればよかったんだ
よ。まあ、公平にいうと、いまだからこそ、振り返って
言える話なんだけどね」
 ――順を追って、話してください。
 「初めのころ、中国の武漢が都市閉鎖され、現
地に駐在している日本人が取り残されただろう」
 ――うん。
 「その人たちを、政府がチャーター機を出して、
救出したよね」 
 ――1月末のことだ。はるか昔の話のように思うけ
れど、まだ3か月前のことだね。
 「で、そうやって帰国した日本人が何人かコロナ
ウイルスに感染していた。この人たちを、陰圧室を
備えた特別な病院に隔離し、対応した」
 ――そうだった。
 「その後、今度は、東京のタクシー関係の人たち
が東京湾の屋形船で宴会をし、そこでコロナの集
団感染が出た」
 ーーこのときも大騒ぎしたよ。
 「そう。このころは、まだ感染者は10人単位に留
まっていて、本当に数が少なかった。一方で、コロ
ナは大変な病気だと受け止められていた。大変な
病気だというので、感染者が少ないころから全員を
隔離病室に入院させたわけだ」
 ――あのころは、感染者が少ないから、全員、入
院させられたわけだね。
 「振り返ると、それが、PCR検査の増えない原因
ではないかと思うんだ」
 ――というと?
 「あれで、医者は、あるいは、厚労省も医師会も、
とにかく、医療関係者は、いずれコロナ感染者を
入院させる病室が足りなくなると、思ってしまった」
 ――お医者さんなら、直感的にそう感じるというこ
とだね。
 「病室が足りなくなるという心配をし始めると、PC
R検査をどんどんして、感染者がどんどん増えた
ら、いったい、どうするんだと、心配が募るわけだ」
 ――そうだね。
 「それで、PCR検査を積極的にやろうという空気
がなくなる。というと語弊があるが、PCR検査にな
んとなく消極的な感じになったと思う」
 ――だれが、ということではなく、空気として、とい
うことだね。
 「そこへ、今度は、2月3日だったか、ダイヤモンド
・プリンセス号が横浜港に入港して、船内に感染
者のいることが分かった」
 ――あれは、日本は対応が悪いというので、各国
から批判された。ニューヨークタイムズなんか、ここ
ぞと日本を批判していたが、あのころは、アメリカも
欧州も、コロナの感染は対岸の火事だったね。
 「ダイヤモンド・プリンセスの船内で、感染者がど
んどん増えただろう。さすがに、その全員を入院さ
せるわけにはいかなくなって、重症の人から下船し
てもらって、入院させたよね」
 ――そうだった。
 「まさにそのとき、感染者を全員入院させると、病
室が足りなくなって、医療崩壊が起きるということが
分かったはずなんだ」
 ――そうだろうなあ。
 「ダイヤモンド・プリンセス号で分かったことがいく
つかある。
まず第一に、このコロナウイルスによる新型肺炎
は、感染力が強く、大勢の人に感染が広がると
いうこと。
第二に、しかし、感染しても、全員が重症に
なるわけではなく、むしろ、軽症のまま治る人
が多いということだ。健康な人は感染しても自
覚症状のないまま治ってしまうこともある」
 ――そういえば、そのころ、俳優のトム・ハンクスが
オーストラリアでコロナに感染して入院したけれど、
1週間ほどで退院していたね。
 「そうなんだ。だから、PCR検査で陽性が判明し
ても、軽い症状の人は入院する必要がないという
ことは、武漢からの帰国者、東京湾の屋形船、ダ
イヤモンド・プリンセス号と、続けて経験し、分かっ
ていたはずなんだ」
 ーーなるほど。それで?
 「武漢、屋形船、ダイヤモンドプリンセスと、けっこ
う長い日数があったんだよ。武漢が1月末だ。屋形
船が2月13日だ。ダイヤモンドプリンセスが横浜港
に入港したのが2月3日で、5日に感染者がいるこ
とが分かった。そこから14日間の船内待機となっ
たわけだ。武漢から数えると、まあ、20日間ぐらい
の日数があった」
 ――対策を練る日数が十分あったわけだ。
 「ダイヤモンドプリンセスで右往左往している間
に、国というか、政府・厚労省が、横浜港に近いホ
テルを、どこでもいいから、まるまる一棟、借り上げ
ればよかったんだ。
 そして、感染が分かっても軽症の人は、どんど
ん、そのホテルに入ってもらえばよかったんだよ。
 私が知っている限りでは、ダイヤモンド・プリンセ
スの対策で走り回ったのは神奈川県や横浜市
で、厚労省は県や市に任せていた感じがある。も
っと厚労省がしっかりするべきだった」
 ――武漢から帰国した人を、勝浦のホテルで2
週間、待機してもらっただろ。あんな感じかな。
 「そうそう。せっかく、勝浦のホテルが、よい前例
になったんだからさ」
 ――そうすれば、船内での感染拡大も防げたと
いうわけだ。
 「陽性でも自覚症状のない感染者や、軽症の感
染者は、どんどん、借り上げたホテルに入ってもら
えばよかったんだ。どうして、そのことに、気が付か
なかったのかねえ」
 ――なるほど。
「ダイヤモンドプリンスで政府の対応が後手に回
ったという批判があったけれど、批判している人
は、どこがどう後手だったのか、分かってなかっ
たんじゃないのかな。
 私が思うのは、いま言ったこと、すなわち、早く
ホテルを借り上げて、軽症者は病院ではなホテ
ルに入ってもらえばよかったのに、ということだ」
 ――対策が後手に回ったというのは、一般的
には、乗客を船内に閉じ込めたことを指してい
て、欧米のメディアもそれを批判する。でも、君
のいうのは、軽症者は入院しなくていいというこ
とを、なぜ早く判断できなかったのだ、ということ
だね。
「ダイヤモンドプリンセスが入港して、2週間以
上、乗客を待機させたわけだから、判断する時
間が少なくとも2週間はあった。繰り返しになる
けれど、その間に、①この肺炎は軽症のまま治
ることも多い②それなら全員を入院させる必要
はない③だから軽症者は入院させなくてもいー
ーということが分かったはずだ。分かっていたと
思うよ。
それなら、その2週間の間に、横浜市内のホテ
ルを1棟、借り切ればよかったんだ。そこは厚労
省がリーダーシップを取るべきだったと思う。そ
れが出来なかったのが、本当にもったいない」
――なるほどと思うけれど、でも、検査の数が増
えないのは、それだけが原因ではないだろう。
「もちろん、それだけが原因というわけではない。
でもね、4月に、さいたまの保健所長が、検査数
が少ない理由を聞かれ、意識的に減らしている
というようなことを言って、批判されただろう。あれ
は、本音みたいなものだろうね。PCRで陽性に
なったら、全員を入院させるというようなことで
は、病院はすぐに、立ち行かなくなる。
ダイヤモンドプルンセスのころから、盛んに、医
療崩壊という言葉が使われた。厚労省や専門
家、医師たちは、なによりもまず、医療崩壊を心
配したんだよ。どうして医療崩壊するかというと、
陽性者を全員、入院させるからだ」
――うん。
「それがよく分かる話がある。4月に東京の小池
知事が、ホテルを借り上げて、軽症者は入院せ
ず、そのホテルで療養してほしいと発表しただ
ろ」
――外出自粛中で、ホテル側も宿泊客が激減
していたから、都がまるまる借り上げてくれるの
は、ちょうどよかったね。
「小池知事が、軽症者のためにホテルを借り上
げます、軽症者は入院せず、そこへ入ってくださ
いと発表したら、まもなく、今度は、医師会が、
医師会としてPCRの検査センターを用意します
ということを発表したんだ」
――そうそう、あれは、連係プレーかね。
「いや、それは、分からない。でもね、医師会とし
ては、軽症者は入院しなくてもいい、ホテルでい
いです、そのホテルは東京都で用意しますーー
ということが決まったのは、大きかったんだよ。
それまでなら、PCR検査で陽性になれば、入院
させなければならないから、病室の心配をしない
といけない。医師会としても、迂闊には動けな
い。ところが、ホテルでいいというのなら、PCR検
査を、どんどんすればいいんだ。医者の立場で
いえば、それは本当にありがたいことで、それな
ら、いくらでもPCR検査をしましょうという空気が
生まれるわけだ」
――なるほどなあ。
「誤解がないように言っておくけれど、もちろん、
それだけが原因じゃないよ。保健所の人が足り
ないとか、役所仕事とかも、原因がある。保健所
の人は本当に気の毒だった。
しかし、PCRで陽性になったら全員を入院させ
るというやり方を、長くとり続けたのが、大きな原
因だと思う」
――そこを決断したのが、小池都知事だったと
いうことか。医者でもないし、いわゆる専門家で
もない。小池都知事は、政治家だ。軽症者はホ
テルに入れる、そのホテルも都で借り上げるとを
決断するのは、都知事という政治家だったわけ
だ。大事なことは、政治決断しかないということ
だな。
「そう思うよ。だってさ、軽症者はホテルにとか、
ホテルを借り上げるとか、医者とか、専門家委
員会には、そんなこと、言えないよ。言う権限も
ないしね。政治決断しかないと思うよ」
――そうだよなあ。大事なところは、政治家が責
任を持って決断するしかないね。その意味でも、
小池都知事は、えらかったね。
「そうだろ。医者には、そんなこと言えないよ」
――政府は、なにかというと、専門家の意見をと
いうんだが、まあ、それが大事なことは間違いな
いんだが、しかし、最近、専門家の意見を聞い
て、と言いすぎるね。もっと政治が判断してほし
い。
「なあ」
――ダイヤモンドプリンセスの間に、政府がホテ
ルを借り上げ、軽症者はホテルへ、と決断して
いればよかったわけだな。政府が批判されるとす
れば、そのことだね。
「あの日数は、無駄に使ってしまって、もったい
なかった」
――うん。
「ただし、公平に言えば、政府がその判断という
か決断をできなかったのには、ひとつ、大きな原
因があると思う」
――というと?
「それは、WHO(世界保健機関)だ」
――おお、WHOか。やはり、問題あるかね?
「問題ありだよ。プリンセス号の感染者が発覚し
たとき、日本だけではなく、世界各国が、まだま
だその危険性を真剣にはとらえていなかった。ア
メリカも欧州も、遠いアジアの出来事という感じ
で受け止めていたしね。日本でも、船の中に閉
じ込めておけばいいだろうという意識だったよ」
――そうだなあ。感染者を船に置いておけば、
感染は広がらないという感じだったね。
「政府も、ちゃんと対応しようとしていたけれど、
実際には厚労省に丸投げだったろ」
――そういえばそうだったなあ。あのころは、加
藤厚労相ばかり出ていたね。安倍首相はまだ
表に立っていなかった。それに、野党は相変わ
らず、桜を見る会ばかり取り上げて首相を批判
していた。
「WHOがパンデミックを宣言していれば、あのと
き、日本の対応も、各国の対応も、全然違った
と思うよ。武漢の段階でWHOがパンデミックを
宣言していれば、日本政府も、ダイヤモンドプリ
ンセス号への対応は、もっと危機感があったと思
うんだよ。医者として、パンデミックが宣言されて
いたかどうかの違いは、大きかったと言わざるを
えない」
――WHOの責任は大きいか。
「大きいと思う。武漢という大きな都市が中国政
府によって都市封鎖されたのだから、これは、ど
う見ても、パンデミックだよ。
 武漢の段階でパンデミックを出さなかったの
が、そもそもの、大間違いだと思う」
                 (止)

韓国の反発にはいつもながらの法則があります。日本はしっかり対応を・・・政府は韓国をホワイト国からはずす決定をしました。

2019年08月03日 23時21分18秒 | 日記

 重要物資を輸出するにあたって、ほとんど無審査で許可を出す「ホ
ワイト国」から、韓国をはずしました。
 これに対し、韓国政府は、激しく反発しています。
 その反発の方法に、いつもながらの、一定の法則がはっきりと見
えています。
 日本政府は、しっかり対応する必要があるでしょう。

 さて、韓国の反発の方法、いつもながらの法則とは?

 第一に、なによりもまず、相手より激しく、相手より大きな声で
怒ってみせることです。
 今回、日本政府が韓国をホワイト国からはずす閣議決定をした後、
韓国の文在寅大統領が緊急対策を開き、声明を出しました。大統領
は、自らの声で「日本は加害者のくせに、盗人猛々しい」と言いつ
のりました。およそ、現代の民主主義国のトップとは思えないよう
な激越な言い方です。まるで、北朝鮮の国営放送みたいです。
 さらに、その翌日には、韓国の首相が「日本は越えてはならない
一線を越えた」と、これは、ほとんど恫喝のような言葉で日本を批
判しました。
 いずれも、第二次大戦前なら、宣戦布告と受け取られても仕方の
ない言い方です。
 一国の大統領が、他国に対して、「盗っ人猛々しい」と言うなど、
想像できませんでした。

 こうやって、韓国は、相手、この場合は日本ですが、激しい言葉
と大きな声で、日本より怒っているというところを示します。
 怒っているのはこっちなんだ、というわけです。

 第二に、それと合わせ、論点をすり替えます。
 日本が韓国をホワイト国からはずした理由ははっきりしていて、
韓国に輸出した戦略物資が一部、行方不明になっている。それは第
三国に無断で輸出されているのではないか。ところが、韓国は過去
何年か、日本の問い合わせに、何も回答していないーーというのです。
 軍事に転用されかねない戦略物資が、どこかへ消えている。そん
な危ない国に、今後、戦略物資を輸出するときは、審査を厳しくし
ますよーーというわけです。
 これに対して、本来、韓国は、日本が輸出した戦略物資がどう使
われたのか、説明すればすむのです。
 韓国は、それについては、何も言わない。説明もしない。日本の
疑問には全く答えていないわけです。
 さあ、論点はずじは、ここからです。
 韓国は、それに対し、いきなり、外相が「日本の措置は、自由で
公正な貿易に反する」「日本の措置は、WTO(世界貿易機関)の
ルールに違反している」「WTOに提訴する」と、言うのです。

 論点をみごとにずらしています。
 見事な論点はずしです。
 日本は、韓国に輸出した戦略物資の使途を明らかにしてほしいと
要請している。万一、北朝鮮にでも流れていたら、大変です。使途
を明らかにすれば、それで済むことです。
 ところが、韓国は、日本の疑問に、まったく何も答えていないの
です。
ですから、問題は、何も解決されていません。

 第三に、論点をすり替える際、論点を一般論にしてしまうのです。
日本は、輸出した戦略物資の使途を明かにしてほしいと、極めて具
体的な話をしています。しかし、韓国は、いま第二の問題点で記し
たように、「自由で公正な貿易という原則に違反している」と一般
論で応じるのです。
 個別具体的な指摘に、一般論で返す。
 これは、問題をすり替える際の典型的な手法です。

 いわゆる慰安婦の問題でも、この手法が採られます。日本は、慰
安婦は政府が関与したものはない。政府が関与した証拠は何もない。
慰安婦はいたが、それは、民間の業者が商売としてやっていたもの
だーーと説明してきました。
 慰安婦に熱心だった朝日新聞が1面で訂正記事を出し、日本政府
は慰安婦に関与していないということが、分かってきました。
 すると、今度は、「慰安婦は、女性の人権問題だ」「戦時下の女
性の人権の問題だ」と言い始めるのです。
 慰安婦を「女性の人権問題」とするのは、典型的な一般化です。
 日本のインテリは弱いので、「慰安婦は女性の人権問題だ」と言
われると、「それもそうだなあ」と思ってしまいます。そう思って
しまっては、一般化にすり替えた手口にはまってしまいます。
 もし、戦時下の女性の人権問題だと一般化するのであれば、日本
だけではなく、韓国も、アメリカも、ドイツも、中国も、ロシアも、
かつて戦争をしたことのあるすべての国を、問題としなくてはなり
ません。それなのに、日本だけを問題とするのは、アンフェアでし
ょう。

 論点を一般化するという手法は、説得力があります。とくに、イ
ンテリほど、妙に、説得されてしまう。
 韓国が、ホワイト国からはずされたことを「自由で公正な貿易に
違反している」と批判するのは、ですから、世界のインテリに対し
て、説得力があるのです。経緯を知らないインテリほど、ころっと、
だまされてしまう。

 まとめましょう。
 第一に、相手より激しい言葉、大きな声で、相手より怒ってみせ
る。
 第二に、相手が主張する論点を、知らん顔で、自分の都合のいい
論点ですり替える。
 第三に、その際、論点を一般論にしてしまう。
 
 これが、韓国のいつもながらの手法です。
 今回も、まさしく、この通り、どんぴしゃりのやり方で、韓国は
反撃しています。
 
 世界の人は、何も知らないから、この手法を使う韓国に、ころり
とやられてしまいます。
 そう。説得されてしまうのです。
 
 日本は、外務省と経産省は、これに対し、腰を据えて、反撃しな
いといけません。
 甘く見ていると、やられてしまいますよ。
 外務省と経産省は、奮起せよ。








参院選の翌日、吉本の社長の会見を、全局一斉に延々と中継する。おかしいと思わないのでしょうか・・・日本のテレビには「報道」など、ありません

2019年07月23日 02時00分46秒 | 日記

 お笑い芸人の雨上がり決死隊の宮迫氏と、ロンドンブーツ1号2
号の田村氏が、反社会的勢力の会合に呼ばれ、お金を受け取ってい
た問題で、吉本興業の岡本社長が7月22日(月)の午後、5時間
に及ぶ会見をしました。
 22日の月曜日というのは、21日の参議院選挙の投票の翌日で
す。
 岡本社長が、選挙の翌日に会見するのは、別にかまいません。
 問題は、それを報じたテレビ局の姿勢です。

 22日の午後、岡本社長の会見が始まると、日本テレビ、テレビ
朝日、TBS、フジテレビのキー局は、すべて、この会見を、延々
と中継しました。
 午後のその時間は、各局とも、ワイドショーの放送が多いのです
が、この日は、ワイドショーの枠内ほとんどを、この会見に当てて
いました。
 岡本社長が、ひとり、淡々とゆっくりしゃべるものですから、と
にかく、長い。それを、各局とも、ひたすら、そのまま流し続ける。
 だらだらと中継するという感じです。
 実態としては、岡本社長による電波ジャックでした。

 夕方には、各局ともニュース番組が始まります。
 そのニュース番組でも、この会見の模様を大きく取り上げ、キャ
スターとコメンテーターが、あれこれとコメントする。
 
 なんですか、これは。
 日本のテレビ局は、本当に、アホになったというほか、ありません。

 21日に参議院選挙の投票があり、22日未明に、全議席が決まっ
たばかりです。
 投票率は低かったけれど、有権者は、実に絶妙な結果を出した。 
与党の自民党、公明党は、改選議席の過半数をはるかに超し、ま
ずは、勝利といっていい議席を取りました。
 しかし、といって、憲法改正を発議するに足る3分の2の議席に
は、自民党、公明党、それに改憲を支持する維新の会を足しても、
わずかに足りなかった。
 3分の2を超す議席を獲得していれば、安倍首相も破顔一笑する
ことが出来たでしょうが、そうはならなかった。安倍首相は、勝っ
たけれど、どこか不満を残すという感じになりました。
 野党は、どこもだらしないけれど、しかし、立憲民主党は議席を
伸ばし、野党第一党としての雰囲気が出来てきた。これからは、利
権民主党が、野党の軸になることがはっきりしてきました。

 有権者の審判は、そんなふうに下ったのです。
 さあ、これから、日本はどうするのか。
 韓国との関係は最悪です。
 アメリカはホルムズ海峡の警備に各国の参加を求めている。
 国内では、秋に消費税がいまの8%から10%に上がる。
 年金もどうなるのか。
 そんなこんなで、日本は、課題が山積みです。
 参議院選挙の結果を受けて、これから日本はどうするのか。
 テレビ各局が報じるべきは、まず、そのことでしょう。

 それなのに、選挙の投票の翌日の午後、吉本興業の社長の会見を、
すべてのテレビ局が、延々と、いや、だらだらと、中継する。
 夕方のニュース番組でも、キャスターがもっともらしい顔をして、
それを論評する。

 おかしいでしょう。
 何がおかしいって、テレビ各局の姿勢が、根っこからおかしいと
思います。
 選挙の結果と、吉本のごたごたと、どちらが、日本に大きな影響
があるのか。
 日本のテレビ局は、地に落ちたという感じがします。

 それでいて、何かあれば、テレビ局はすぐ、報道の自由、表現の
自由という言葉を言います。
 笑わせちゃあ、いけない。
 選挙の翌日、吉本の社長会見を延々と中継するテレビ局に、そも
そも、「報道」という言葉を使う資格はありません。
 
 吉本の社長会見を、だらだらと中継して、これをおかしいと言う
声は、テレビ局の内部になかったのでしょうか。
 とくに、安倍首相への批判を展開するTBSとテレビ朝日は、そ
うです。吉本の社長の会見を、無批判に長い時間だらだらと中継し
ておいて、その足で、安倍首相や政府を批判しても、説得力などま
ったくありません。
 
 日本のテレビには、TBSやテレビ朝日も含めて、「報道」は、
ありません。アホさ加減には、あきれました。
 テレビ局は、もう、「報道」という言葉を使わないほうがいい
でしょう。






朝日新聞の時代遅れ・・・半導体製造の素材で韓国への輸出管理を厳しくしました。朝日の社説は「即時撤回せよ」です。なんとエラそうな。

2019年07月09日 22時45分57秒 | 日記

半導体の製造に必要な3つの素材の輸出で、日本は、韓国を優遇
するのをやめ、輸出審査をしっかりすることを決めました。これま
では、ほとんどフリーパスで韓国に輸出していたのですが、これか
らは、一回ごとに審査が必要になり、審査の仕方によっては、輸出
が止まります。
 そのため、韓国を代表する電機メーカー・サムスンで、半導体の
生産ができなくなるのではないかという恐れが出て、韓国がパニッ
ク状態になっています。
 日本政府は、公式には、3つの素材が第三国に流れているのでは
ないかという疑いがあるため、輸出審査を厳しくしたとしています。
第三国というのは、もちろん、北朝鮮です。
 ただし、実際には、戦中の徴用工をめぐる賠償請求の問題で、韓
国政府が何もしないことに、日本が対抗措置を取ったということです。

 これが、日本と韓国をめぐる状況です。
 これまでの韓国に対する「優遇」をやめて、普通に戻したという
だけのことです。
 しかし、書くとこのぐらいの説明が必要になるので、新聞やテレ
ビでは、「対韓輸出規制」というような言い方をしています。
 正確には、輸出規制ではなく、輸出審査での優遇をやめたという
ことなので、対韓輸出規制という言い方は、間違っています。
 
 さて、以上のことを念頭においたうえでの話です。

 朝日新聞が、この件で、むちゃくちゃになっています。
 7月3日・朝刊で、とんでもない社説が出ました。

 見出しがむちゃくちゃです。

      ***

 「対韓輸出規制」 「報復」を即時撤回せよ
 
***
 というのです。

 3日の朝、この社説を見たときには、目を疑いました。
 「即時撤回せよ」
 です。
 「せよ」
 ですよ。

 どうして、こんなエラそうな見出しを立てるのでしょう。
 いまどき、警察でも「・・せよ」とはいいません。
 スピード違反の車を見つけた場合、パトカーは、サイレンを鳴ら
して近寄り、スピーカーで、たとえば、
 「白いプリウスの運転手さん、左に寄って止まってください」 
 といいます。
 決して、 
 「白いプリウスの運転手、左に寄って停止せよ」
 などとは言いません。
 
 もし、警察がこんな言い方をしたら、ほかならぬ朝日新聞が、猛
烈な勢いでかみつくでしょう。
 「警察は、戦前に戻ったのか」 
 というような感じで、記事を書くと思います。

 それを、朝日自身が、
 「即時撤回せよ」
 ときました。

 毎日2回、会見をしている菅官房長官が、
 「朝日新聞は、社説を訂正せよ」
 と話したとしたら、朝日は、鬼の首を取ったかのように、かみつ
くでしょう。

 その新聞社みずからが、「せよ」ときました。
いまや、警察でも使わないような「せよ」です。

 この社説を書いた論説委員の自宅で、日曜の朝、隣りの人が訪ね
てきて、
 「あなたの所のテレビの音が大きいから、小さくせよ」
 と言ってきたら、論説委員氏は、どうするでしょう。
 まず、かちんと頭にくるでしょう。
 それはそうです。
 人間だれでも、「せよ」などと言われると、怒ります。

 「せよ」という言い方が通用するのは、戦前の軍隊でしょう。戦
前の軍隊なら、上官が、部下に向かって、
 「突撃せよ」「攻撃せよ」
  というのが、当たり前だったでしょう。
 
 そうです。
 朝日のこの社説は、戦前に軍隊をほうふつとさせるのです。
 憲法9条を護る護憲派の中心、朝日新聞が、戦前の軍隊のような
社説を書くとは。
 
 いや、それよりなにより、この言葉遣い、とにかく、エラそうに、
です。
 なんでまた、こんなにエラそうに書くのでしょう。

 かつて、新聞がえらかったころがありました。
 正確には、新聞がえらいように見えたころがありました。
 昭和30年代から40年代のことだったでしょうか。
 もしかすると、そのころなら、こういう社説があったかもしれま
せん。
 だとすれば、朝日新聞、本当に時代遅れの新聞になりました。

 









半導体材料の韓国への輸出を、日本は事実上、とめました・・・韓国はやり過ぎました。日本は、もう、これまでのような緩い対応はしなくなると思います。

2019年07月02日 01時19分05秒 | 日記

 日本が韓国に対し、厳しい措置を取りました。
 経済産業省が7月1日、半導体の製造などに必要な化学製品の
輸出管理を、韓国に対し、厳格にすると発表しました。
 対象となるのは、
 1) スマートフォンのディスプレーなどに使われるフッ化ポリ
    イミド
 2) 半導体の基板に塗る感光剤のレジスト
 3) 半導体の洗浄に使用するフッ化水素
 ーーの3点です。

 いずれも半導体の製造に絶対必要なもので、1)フッ化ポリイミ
ドと2)レジストは、日本が世界のほぼ100%のシェアを持って
います。フッ化水素も70%のシェアを持っています。
日本からの輸出が止まると、韓国の企業は、半導体の生産に大き
な支障が出ます。

 もともと軍事用にも必要な重要素材であるため、厳しい輸出管理
の対象になっていました。しかし、アメリカや韓国など27国には、
同盟国あるいは親しい国であるという理由で、簡単な手続きで輸出
できるようにしていました。
 
 それを今回、韓国を、その27国から除くことにしたものです。 

その3品目を韓国が輸入したいと注文してきた場合、当然それは
日本にすれば輸出になるわけですが、これまではほとんどフリーパ
スで輸出していました。しかし、これからは、輸出手続きを厳密に
して、厳密に審査します。そうなると、実際に輸出するまでに何日、
何か月もかかるようになります。
 そうやって、輸出を事実上ストップすることが出来ます。
 
 簡単にいえば、半導体の製造に必要不可欠な3品目を、韓国向け
には事実上、輸出禁止とすることになります。

 韓国は、半導体大手のサムスンに代表されるように、半導体が経
済の基幹産業になっています。
 日本から3品目の輸出が禁止されると、半導体製造がストップし
かねません。
 韓国にとっては、死活問題です。

 経済産業省は、この措置の理由を、韓国に対する信頼が失われた
ため、としています。
 しかし、実際は、太平洋戦争中のいわゆる徴用工問題で、韓国の
裁判所が日本企業への損害賠償を求める判決を出し、韓国政府がそ
れを傍観して何の手も打たないことへの対抗措置です。
 徴用工の問題について、日本は、1965年の日韓基本条約で最終
的に解決したものとしています。韓国も、同じように、解決済みと
の立場を取ってきました。
 ところが、文在寅大統領は、就任後、最高裁の長官や判事を自分
の考えに近い判事に入れ替え、前の長官は逮捕されてしまいました。
大統領が司法を掌握したわけです。
 そういう状況であるにも関わらず、文大統領は、「韓国は民主国
家で三権分立している。司法の判断は尊重しなければならない」と
して、「司法の独立」を理由に、大統領として何の対策も講じなか
ったのです。
 「司法の独立」は、ないも同然です。
 ほかにも、文大統領は、反日的な政策を取り続けてきました。

 日本は、とうとう、堪忍袋の緒が切れたというところです。
 日本が韓国に対し、こういう強い態度を取るのは、ほとんど初め
てです。
 日本は、もう、これまでのようには甘くないぞ。
 そういう姿勢を、今回、鮮明に示したわけです。

 韓国の報道を見ると、韓国は、びっくりして、大騒ぎになってい
るようです。
 前日、6月30日のトランプ大統領と金正恩委員長の会談をしの
ぐほどの騒ぎになっているそうです。

 韓国は、やり過ぎましたね。
 限度を超してしまいました。
 日本は、これから先、いろんなことに対し、もう、これまでのよ
うな緩やかな対応はしなくなると思います。
 




明日7月1日の朝日新聞の朝刊一面・・・こんな見出しになる予想です。当たらずといえども、遠からずかと。

2019年06月30日 20時51分47秒 | 日記

 トランプ大統領が金正恩委員長と板門店で会ったのが、
2019年6月30日、日曜日の午後4時ごろでした。
 二人、並んで、境界線を越えました。

 明日の朝刊各紙は、もちろん、このニュースが一面トップになる
でしょう。
 各紙の評価は、かなり分かれると思います。
しかし、朝日新聞の一面は、ほぼ、推測がつきます。
 見出しは、こうです。

 トランプ大統領、金委員長と会う。
 米大統領初、板門店で
 どうする安倍首相
 問われる日本外交
 
 安倍首相への批判がかなりのスペースを占めるはずです。


イランを嫌うトランプ大統領が、笑顔を作って、北朝鮮の金正恩委員長と会いました・・・イランと北朝鮮は何が違うのでしょう。核兵器です。

2019年06月30日 20時27分55秒 | 日記

 G20で大阪来ていたアメリカのトランプ大統領が、急遽、韓国
に飛び、板門店で北朝鮮の金正恩委員長と会いました。
 会うだけかと思っていたら、お互いに境界線を歩いて越えただけ
ではなく、50分ほど会談しました。
 内容はまだ明かにされていません。
 論評は、これからたくさん出るでしょうが、ここでは、北朝鮮と
イランの違い、核兵器を持っているかどうか、について、書いてお
きたいと思います。

 北朝鮮は、アメリカから見れば小さな国です。
 「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領にしてみれば、
本来なら、それほど重視するような国ではないと思います。
 しかし、きょうの中継を見ると、金正恩氏に対し、終始、にこや
かな表情をし、「我々の友情」という言葉まで遣いました。

 一方、イランは、中東の大国です。国の面積も大きいし、豊富な
原油資源を持っています。もし、戦うとなると、泥沼の長期戦にな
りそうです。
 ところが、トランプ大統領は、イランの指導者ハメネイ師や、ロ
ウハニ大統領のことを、あしざまに罵倒します。
 つい先日は、アメリカの無人偵察機がイランによって打ち落とさ
れてとして、イラン爆撃の寸前まで行きました。

 北朝鮮とイラン、なぜ、こんなにアメリカの対応が違うのでしょ
うか。
 答えはひとつ。
 それは、核兵器です。
 北朝鮮は、核兵器を作ってしまいました。
 イランは、過去、核兵器を作る寸前まで行きましたが、欧米諸国
が協力して、開発をストップさせました。

 もし、北朝鮮が核兵器を持っていなければ、アメリカは、トラン
プ大統領は、金正恩氏と、わざわざ個別に会談しようなどとは思わ
ないでしょう。
 そう。核兵器を持っていなければ、北朝鮮は、韓国の隣りにある
途上国だったわけです。

 そう考えれば、金正恩氏が、なにをどうしても、核兵器を廃棄す
るはずがありません。
 核兵器があるからこそ、アメリカの大統領がわざわざ会いに来て
くれるのです。
 核兵器を持っているからこそ、超大国・アメリカが相手にしてく
れるのです。

 核兵器を廃棄したら、その瞬間に、アメリカは、北朝鮮に対する
関心を失うでしょう。
 ですから、金正恩氏は、いったん手にした核兵器を、まず、どん
なことがあっても、手放すことはないと思います。

 その様子を見ているイランは、しまったとほぞをかむ思いでしょ
う。イランは、早い時期に核兵器を持つ機会がありました。それを
欧米諸国の圧力で中止したわけですが、トランプ大統領と金正恩氏
がにこやかに会話する様子をテレビで見ていると、ああ、しまった、
あのとき、無理してでも、核兵器を作ってしまえばよかったと思っ
ているのではないでしょうか。

 怖いのは、それです。
 どんな小さな国であれ、核兵器を持ってしまえば、超大国・アメ
リカが対等の存在のようにして扱ってくれる。
 その実例を、いま、目の前で見ているわけです。
 それなら、我が国も核兵器を持とう。
 そう考える指導者がいてもおかしくありません。
 そう考える指導者が多いのではないでしょうか。

 北朝鮮は1990年代、飢饉に襲われ、多くの国民が苦しみまし
た。飢饉だけではなく、エネルギー事情も悪かった。
 そこで、欧米や韓国が全面協力し、北朝鮮に原子力発電所を作り
ました。
 その後、韓国の金大中大統領の「太陽政策」で、北朝鮮に大規模
な資金援助もしました。
 そうした事情を背景に、北朝鮮は、核兵器を開発したのです。
 金大中氏は、北朝鮮との平和に道を開いたというので、ノーベル
平和賞を受けています。これを、韓国の国内では、金大中氏の資金
援助で北朝鮮が核兵器を作ったと批判して、「ノーベル賞はノーベ
ル賞でも、金大中氏のノーベル賞は、核開発の物理学賞だ」と揶揄
する言い方があります。
北朝鮮への支援は、完全に裏切られたわけです。

 イランは、すでに、ウラニウムの濃縮を進めるということを明か
にしていました。核兵器を作るぞ、というわけです。
今回の米朝会談を見て、イランは、本当に核を作るのではないで
しょうか。
 核さえ持てば、アメリカも、怖くて、攻撃してこない。
 そう思っても不思議ではありません。

 きょうのテレビ各局のニュースや解説を見ていて、イランのこと
に触れた局を見つけることができませんでした。
 それがまた不思議です。








日本に来るまで、天安門事件のこと、知らなかったんです・・・天安門事件から30年経ち、中国人留学生から話を聴き、驚きました。

2019年06月09日 21時49分32秒 | 日記

 中国で天安門事件が起きて、30年が経ちました。
 中国の民主化を求め、天安門広場に集まった大勢の学生たちを、
中国政府・党が、武力で弾圧した事件です。
 デパートの紙袋のようなものを片手に持ち、戦車の前にひとりで
立ちはだかった学生の映像は、鮮烈なイメージを残しています。
 
 日本に留学している中国人の学生と、先日、会いました。
 日本経済の現状について話を聞きたいと連絡があったもので、天安
門の話で来たわけではありません。
 
 しかし、日本経済の話をしているうちに、その留学生が、こう尋
ねたのです。
 「日本経済の現状について記事を書くとき、政府が口出しをした
り、指示をしたりすることは、ないのですか?」。
 えっ?と思いましたが、逆に、中国では、そういうことが普通に
あるのだなと思わせる質問でした。
 私は「いや、そういうことは、一切、ありませんよ」と答えたの
ですが、留学生君は、その後も、2回、3回と、同じような質問を
するのです。
 
 流れとして、話は、メディアに対する政府の関与、政府の介入に
移っていきました。
 そうこうするうち、留学生君は、突然、
 「私、中国にいるとき、天安門事件って、全然知らなかったんです」
 と言ったのです。
 また、えっ?と思って、
 「じゃあ、あの有名な、戦車の前に紙袋を持った学生が立ちはだ
かった写真も、知らなかったの?」
 と尋ねました。
 すると、
 「はい、日本に来て、初めて知ったんです」
 というではありませんか。
 留学生君は、中国でも大学に通っていて、紛れもなく、知的階層、
インテリです。ほかの誰よりも、そうした事実を記録した文書や録画
に接する機会があるはずです。
 そこで、
 「中国の大学で、そういう文書や録画は、見なかったの?」
 と聴くと、
 「はい。大学の図書館でも、そういう文書や録画は、まったく置
いてありませんでした」
 と答えるのです。
 天安門事件のことは、中国では隠されていると聞いてはいました
が、まさか、これほどまでとは思いませんでした。
 
 戦車の前に立ちはだかった学生の映像は、世界的に有名になりま
した。それすら、見たことがなかったというのです。
 「日本で、そういうのを見て、びっくりしたでしょう」
 「はい、もう、びっくりしました」

 天安門事件は、1989年6月4日の日曜日に起きました。
 それから30年です。
 
 当日、というのは、つい数日前、NHKの夜7時のニュースを見
ていると、中国の北京支局からの中継がありました。支局の壁にか
かったテレビを映していましたが、天安門事件のニュースになった
瞬間、そのテレビの画面が真っ黒になってしまいました。
 もちろん、中国政府が、国民に見せないようにしているのです。

 あの日、戦車の前で、紙袋だけを持って立ちはだかった学生の映像は、
そこで切れています。その後の消息は分かりませんが、あの日、大勢
の学生が、殺されたと言われています。
 
 こういう国には、世界のリーダーになる資格はないでしょう。


平成最後のブログですー令和もよろしくく

2019年04月30日 21時47分07秒 | 日記

平成最後のブログとなります。
平成は、
1989年に始まり、
もうまもなく、
2019年に終わります。
ちょうど30年でした。
1989年は、バブルの頂点の年でした。
バブルは1990年に、パチンと
はじけました。
そして、そこから、失われた20年が
始まりました。
明日は今日よりいいーー令和は、
そう言える時代にしたいと思います。
明日から令和です。
令和は、当ブログも、本格的に
書いていきたいと思います。
令和も、よろしくお願いします。

これは外交敗戦です・・・水産物をめぐるWTOの敗訴で、韓国はWTO委員に猛烈な説得工作をしていました。日本政府は何もしていなかったようです。

2019年04月22日 00時47分38秒 | 日記

 福島原発の放射能を理由に、東北産の水産物を韓国が輸入禁止と
していることに、日本はWTO(世界貿易機構)に提訴し、一審で
は、韓国の輸入禁止はWTO違反としました。ところが、二審で、
逆転し、WTOは、韓国の言い分を認めました。日本は事実上の敗
訴です。

 このことに関し、韓国がWTOの委員(3人)に対し、昨年末か
ら集中的に説得をしていたと、韓国のメディアが伝えました。内情
の暴露みたいな話です。
 それによると、韓国政府は、ほうっておくと、韓国が負けると判
断していました。そこで、弁護士を中心に対策チームを作りました。
チームは、WTOの本拠地の近くにホテルに陣取り、WTOの委員
を、入れ替わり立ち替わり、説得したのだそうです。
 対策チームの弁護士は、当初、韓国が勝てたらミラクルだと思っ
ていたそうです。国際法的には、日本の言い分が正しいということ
を分かったいたわけです。そこで、猛烈な説得工作、早い話が、い
わゆるロビー活動ですね、それを集中的に実施し、3人の委員から、、
韓国よりの判断が出るよう、仕向けたというわけです。
 韓国の聯合通信の記事です。日本語に翻訳されていますので、次
に、転載しておきます。

           ***

 (世宗=聯合ニュース) 「世界貿易機構(WTO)控訴審で1審敗訴
をひっくり返すために昨年末、ジュネーブホテルにウォールーム
(War Room)をかまえて3週間、20人余りがほとんど一日中、ね
ずみ車が回転するようシミュレーションしながら対応したかいがあ
った。」

 今回のWTO最終審で勝訴を引き出した最大功臣のチョン・ハヌ
ル(39)産業部通商紛争対応課長は12日、聯合ニュースとインタビ
ューで「同僚弁護士が今回の訴訟をひっくり返して勝てば『ミラク
ル』と言ったが本当にそうなったようだ」としてこのように話した。
 米国通商専門弁護士出身で昨年4月、特別採用されたチョン課
長は「世界で最も権威ある控訴機構の一つであるWTO控訴委員3
人を説得するために、それだけ私たちが激しく対応して良い結果が
出てうれしい」として「奇跡のような逆転勝ち」評価に対する感想
を明らかにした。

 彼は「これまで衛生および植物衛生(SPS)主要訴訟で私たちの様
に訴えられる国が勝ったことは一度もなく、1次事実審であまりに
も不利に負けたので最終審でひっくり返る期待は実際薄かった」と
伝えた。
 
 彼は裁判対応過程2週後に目の中に突然腫瘍ができて帰国し腫
瘍除去手術を受けなければならないほど精神的ストレスが激しかっ
たという。特に食品安全に対する私たち国民の多大な関心も負担だ
ったと打ち明けた。

 チョン課長は今回の控訴審進行過程に先立つ1審で日本食品自
体の有害性だけを根拠に判決を下した点が不当だ、という点を強調
するのに力を集中したと伝えた。それと共に福島原発事故後の環境
が日本食品に及ぼす潜在的危険性を検疫過程で除去することが韓国
政府の正当な権利であることを強調したのが功を奏したと分析し
た。

 日本は食品400~500個の標本検査だけ行って危険性がないな
ら、韓国産とヨーロッパ産に比べても危険でないと主張した一方、
韓国は輸入食品の潜在的危険要素を最大限低くしなければならない
のは国家の当然の責務で日本に対する恣意的差別ではないという主
張を展開した。彼は「2審は事実関係より法的論理を扱うとために、
本質的に私たちの措置が正当だという確信を持って控訴委員らを最
大限直観的に説得するのに注力した」と付け加えた。

 日本が控訴審判定後にさらに提訴する可能性については「部分的
手続きの透明性は私たちがもう少し高めるだろうが、これ自体は最
終判決が出た以上、これ以上日本はどうすることもできない」とし
た。

 チョン・ヘグァン協力官は「上訴機構が出した報告書の内容を詳
しく見れば我が方の主張とほぼ大同小異である。上訴機構が私たち
の主張と異議申し立ての部分を適切だ、と受け入れたと見られる」
と話した。

 現在、世宗(セジョン)市オフィステルで生活するチョン課長は
「他の部署と協力しながらわかったことは、民間が考えるより中央
行政機関の能力が優れているということ。これは私が公務員になっ
たからというリップサービスではない。みな遅くまで仕事をして激
しく悩む過程で次第に弁護士の実力も向上したようだ」と付け加え
た。

キム・ソンジン記者 [聯合ニュース]  

            ***

 ご覧のように、韓国は、2審を担当するWTOの委員会の委員3
人に、猛烈な説得工作をしたことが分かります。
 日本が事実上敗訴する決定が出たとき、日本の新聞各紙は、解説
で、
 ・ 決定の文章があいまいだ。
 ・ 玉虫色の決定で、内容がはっきりしない。
 ということを指摘しました。
 はっきり日本が負けたという決定になっているわけではなく、だ
から、日本の新聞は、日本が敗訴といっても、「事実上」敗訴と解
説したわけです。
 菅官房長官が「日本が負けたわけではない」と話したのも、同じ
理由でしょう。

 それこそが、韓国の説得が効果があったということです。
 東北産の水産物からは、基準を超す放射線は出ておらず、それ
を輸入禁止にするのは、どう見ても、WTO違反です。
 しかし、韓国があまりに猛烈な説得をするものだから、WTOの
委員も、情にほだされてなのか、面倒くさくなってなのか、適当に
付き合っておこうと思ったからなのか、ともかく、韓国の言い分を
入れた決定をだしてしまったのです。

 一方の日本政府は、勝つと決め込んで、韓国のような説得工作を
ほとんどしていなかったようです。
 WTOの委員というのは、いってみれば、判決を出す裁判官みた
いなものです。その裁判官に、訴訟の当事者が自分に有利なように
説得工作をするというのは、ありえない話です。
 しかし、韓国は、それをやった。
 それなのに、日本は、何もしなかった。

 これは、外交敗戦というほかないでしょう。
 
 こんなことを続けていれば、日本は、国際的な情報戦、PR戦、
広報宣伝戦で、負け続けます。
 これを、はっきり、外交敗戦と認識し、今後の対策を立てなけれ
ばならないと思います。
 このまま負け続けるわけにはいかないのです。





WAGYUのハンバーガー・・・和牛もイチゴもリンゴも、みな心配です。日本の農政は、かつて「NO政」と揶揄されていました。このままでは危ない。

2019年04月15日 00時21分26秒 | 日記

 いま、「サバイバー 運命の大統領」というアメリカのテレビド
ラマをケーブルテレビで放送しています。これが大変おもしろい。
 内容は、ワシントンの議会がテロで爆破され、大統領や閣僚、上院
議長ら、政治に関わるすべての人が死んでしまった。しかし、ただ
ひとり、住宅長官という最も末席に当たる閣僚が、たまたま、その
とき、議会に行っておらず、生き残った。そのため、彼が、唯一、
生存した政府閣僚として、法の規定によって、大統領に就任したとい
うのです。
 それを、裏で画策した秘密結社がいる。さて、その狙いは?とい
うドラマです。
 なにしろ、突然、大統領になり、苦労するのですが、なんとか、
やっている。そこへ、かつて大統領だった人物がホワイトハウスへ
アドバイスにやってきて、こんなことを言うのです。
 「大統領。新しくホワイトハウスに入るとWAGYUのハンバー
ガーが食事に出るのですが、もう、食べましたか?」
 大統領は、「えっ?WAGYUのハンバーガー?それはおいしそ
うですが、まだ食べてません」と応じます。
 元大統領は、「おっ、それはいけませんな。WAGYUのハンバ
ーガーを食べてこそ、大統領ですよ」と答えて、2人で、大笑いす
るのです。

 この場面で、当ブログは、驚きました。
 WAGYUのハンバーガー?
 WAGYUというのは、もちろん、和牛のことです。
 ホワイトハウスで、何か特別なときに、WAGYUが出るという
ドラマの設定になっているわけです。
 そのぐらい、和牛が、有名になっています。
 いや、それどころか、高級な牛肉として、ワシントンでも認知さ
れているということです。
 
 そんなことがあって、先日、というのは、つい2、3日前の日経
新聞ですが、衝撃的な記事が出ていました。アメリカや欧州で、す
でに、WAGYUの協会があり、品種改良などに当たっているとい
うのです。

 日本の和牛の受精卵が、中国に持ち出されそうになりました。あ
ろうことか、中国の空港で検疫にひっかかり、日本に送り返されま
した。日本から中国に持ち出そうとした和牛の受精卵が、中国の入
国検疫でひっかかるとは、ほとんど、笑い話です。
 ともかく、これで、和牛が国外に持ち出されそうになったとして、
大きなニュースになったわけです。

 しかし、なんのことはない。
 アメリカでは、テレビドラマでWAGYUのハンバーガーが出て
くるほど、すでに和牛が流通しているのです。
 しかも、和牛の協会まであるという。
これこそ、本当の笑い話です。

 日本が、和牛が国外に流出しそうだと、あたふたしていたら、も
うとっくに、和牛はアメリカや欧州に出てしまっていたというわけ
です。もちろん、中国にも、出てしまっていると見た方がいいでし
ょう。

 ところが、この騒動で、農水省は、畜産物を海外に持ち出すのを
禁止する法律がないので、とりあえず、防疫関係の法律で対処する。
そして、これからどう対処するかを考える農水省の委員会を、2月
に設置したというのです。

 あきれて、モノも言えません。
 アメリカのドラマでも出てくるほど、和牛は、すでに海外に出て
しまっている。欧米には和牛の協会まであって、品種改良も研究し
ている。
それなのに、取り締まる法律がなくて、この2月に農水省に委員
会を設置した。
 うそでしょう?というほか、ありません。

 和牛の流出は、もう、何年も前に始まったと見られます。
 そんなことは、農協も、畜産関係者も知っていて、農水省にも報
告が上がっていたはずです。
 農水省も、報告を待つまでもなく、とっくに知っていたはずです。
 危ないと思えば、すぐに、法案を作り、国会に出せばいい。
 国会では、反対があるはずもなく、全会一致で、可決されるでし
ょう。
 それなのに、何をやっていたのでしょう。
 何もやっていなかったのです。
 
 今回、中国で検疫にひっかかって日本に戻され、大きなニュース
になったから、農水省は、あわてて対応をしたのだと思います。
 ニュースにならなければ、放っておいたのではないでしょうか。

 何をやっているのかと思っていたら、今度は、やはり日経新聞に、
日本で品種改良したブドウ「シャインマスカット」が、中国に流出
し、中国で別の名前を付けられて、栽培、販売されているという記
事が出ました。

 もう、ボロボロです。

 日本は、というか、農水省は、農産物、畜産物の輸入を極力、抑
えてきました。日本の農業、畜産を守れというのです。
 代表的なものがコメです。
 コメは、かつて、GATT(現在のWTO)のウルグアイ・ラウ
ンドで、市場開放を求められ、農水省と農協は、コメは日本の文化
だといって、市場開放を拒否してきました。
 牛肉も、アメリカやオーストラリア、とくにアメリカから、市場
開放を迫られてきました。1980年代ごろまで、日本では、牛肉
は高級品でした。値段が高く、しゃぶしゃぶに牛肉を使うなど、と
んでもない。家庭でしゃぶしゃぶをするときは、安い豚肉を使った
ものです。なぜ高かったかというと、海外から輸入する牛肉に高い
関税をかけていたからです。それが、アメリカからの強い要求で、
牛肉の関税が少しずつ引き下げられた。だから、いま、牛肉は安く
なり、家庭でも、普通に牛肉を食べられるようになったのです。
 その前には、オレンジやグレープフルーツの輸入にも反対してい
ました。日本のみかん農家を守れというのです。
 
 農水省は、ほとんどすべての農産物、畜産物を、海外との競争か
ら守ろうとしてきました。
 そのため、日本の農産物市場は、長い間、徹底的に閉鎖され、消
費者は、高い農産物、畜産物を買っていたのです。

 それで日本の農家、畜産農家が育ったのなら、日本人としては、
まあ、よかったと思うところです。
 しかし、日本の農業、畜産業は、人が減り、どんどん高齢化して
います。農家が育つどころか、農業人口は減る一方です。そのため、
海外から「研修生」という名前の労働力を受け入れ、なんとか現場
を維持しています。
 
 農水省は農業を守るフリをしていましたが、実際には、日本の農
業は衰退の一途をたどってきました。
かつて、農政は「NO政」と揶揄されたことがありましたが、そ
の通りだと思います。

 ところが、それだけかたくなに輸入を制限しながら、農水省は、
日本の農畜産物を海外に売ろうとしてきました。
 海外の見本市などで、日本の和牛やぶどう、甘いリンゴ、梨、イ
チゴなどを、売り込んできたのです。海外の見本市で、海外の人が
密の入った日本のリンゴを食べ「これはおいしい!」とびっくりし
ているシーンが、ときどき、テレビのニュースで放送されます。
 そして、日本からの農産物輸出は拡大しています、というような
ことを言います。

 海外からの輸入を制限しておきながら、日本の農産物は海外に売
り込もうとする。
 おかしいでしょう。
 そもそも、その姿勢がおかしい。

 海外に売り込むとき、和牛やりんご、イチゴを、どこまで守って
いるのか、正直、心配です。
 なにしろ、海外への持ち出しを禁止する法律がないというのに、
日本の農畜産物を海外に売り込もうというわけですから、ほとんど、
ノーチェックです。

 和牛の海外流失は、起きるべくして起きたと思います。
 和牛、りんご、いちご、梨、正直、もうすでに遅いのではないか
と心配です。


イチゴも新幹線も・・・「知的財産」に対し、日本は、各方面であまりに無防備でした。のどかな時代は過ぎ去ったと認識して、対応を。

2019年04月07日 21時15分51秒 | 日記

 日本の牛、和牛の受精卵が日本から中国に持ち出されながら、
なんと、中国の空港で検疫にひっかかって日本に戻されたという事
件が、先日、起きました。
 日本の大事な資源が中国に持ち出されかかったのに、それが、中
国側で阻止されるとは、皮肉というほかありません。
 
 農産物、畜産物の分野では、和牛の受精卵や、イチゴの新製品、
あるいは、改良した穀物や植物の種子が、日本から国外に持ち出さ
れて、大きな問題になっています。
 工業製品では、かつて、新しい工場や新製品の情報が、ほとんど
無防備で海外に漏れていたようです。

 ひとくくりにすると、「知的財産」といっていいと思いますが、
日本は周囲を海に囲まれていたため、よくもあしくも周辺諸国とは
海という自然の障壁があり、こうした知的財産は、なんとなく守ら
れていました。
 そのため、生産者、製造業者、企業も、日本政府(具体的には
霞が関の官庁)も、新聞やテレビのメディアも、そして、消費者も、
知的財産には、無頓着だったというのが、残念ながら、実態でしょ
う。
 
 メディア、とくにテレビの情報番組が知的財産に勉強不足で、見て
いて驚くことがあります。
 もう2年近く前のことになりますが、民放の情報番組で、日本の
農家からイチゴが韓国に持ち出された話を流していました。「情報
番組」と書いたのは、テレビの場合、純粋なニュースなのか、ニュ
ースショーなのか、あるいは、バラエティ番組なのか、よく分から
ないからです。

 純粋なニュースという場合、それは、ジャーナリズムの領域に入
ります。しかし、ニュースショーやバラエティ番組は、ジャーナリ
ズムとは言いにくい。なぜなら、ショーやバラエティには、演出が
入るからです。
 ジャーナリズムは、事実を、手を加えず、そのまま伝える仕事です。
 そこへ、演出が入ると、もう、ジャーナリズムではなくなります。
 いまのテレビは、ジャーナリズムとはいいにくいのです。
しかし、そこに出ている人たちが、自分たちはジャーナリズムに
携わっていると勘違いしているから、話は余計やっかいになります。

 その民放の情報番組では、日本のイチゴが韓国に流出したことを
特集していました。番組のスタッフが日本のイチゴ農家に出向き、
インタビューしていました。農家の方は、おおむね、次のように話
していました。
 ・・・韓国の農家の人がやってきて、私のところのイチゴの苗を
ひと株でいいから分けてほしいと言うのです。このイチゴは
私たちが長い間苦労して品種改良し、ようやく、たどりついたイチ
ゴです。甘くて、人気なんですよ。我々にしてみれば、大事なイチ
ゴだから、そんなものを、あげるわけにはいかない。だから、もち
ろん、断りましたよ。
 でも、その韓国の人は、拝むようにして、頼むのです。ひと株で
いいから、たったひと株でいいからと。それに、いただいたイチゴ
の苗は、私の農園で使ってみるだけだから、というのです。あまり
にお願いされるものだからね、私も、情にほだされて、じゃあ、ひ
と株だけ分けてあげましょう。そして、その苗は、あなたのところ
だけで使うんですよ。決して、よそに分けたり、広めてはいけませ
ん。いいですね、と念をおして、ひと株、分けてあげたのです。
 そうしたら、1年、2年たつうちに、そのイチゴが、韓国産のイ
チゴとして出始めたんです。韓国のイチゴが評判だというので、調
べてみると、私のところで分けてあげたイチゴとおんなじなんですよ。
 私もびっくりして、その方から連絡先をもらっていたので、連絡
してみようとしたのですが、全然連絡がつきません。
 たったひと株だけ、それも、あなたの農園でだけ使うんですよと、
あれだけ念を押してのにねえ・・・

 日本のイチゴ農家の方は、概ね、そんな話をしていました。
 平昌五輪で、女子カーリングの選手が、休憩時間のもぐもぐタイ
ムで食べたイチゴがおいしかったと話して、いろいろ話題になって
いましたが、もしかすると、そうやって日本から持ち出されたのか
もしれません。

 インタビューに応じた日本の農家の方は、見るからに、困惑した
表情で、イチゴが持ち出された事情を説明していました。
 ところが、そのインタビュー映像が終わったあと、横にいた若い
アナウンサーが、こう言ったのです。
 「いやあ、まあ、決して悪いことではないと思うんですが、でも、
せっかく日本で開発した品種ですからねえ」。
 これを聞いて、びっくりしました。
 日本産のイチゴが韓国に持ち出されたのに、「悪いことではない
と思うんですが」というのです。なぜそういったか、想像はつきます。
 彼は、日本の高い品質のものが、世界に広がり、世界で利用され
るとすれば、それは素晴らしいことだと、そういいたかったのでし
ょう。
 その番組のメインのキャスターも、この言い方をたしなめようと
はしませんでした。

 残念ながら、これが、知的財産に対する日本の感覚かもしれません。
 日本の高品質のものが世界に広がるのは、悪いことではない。む
しろ、いいことだ。
 そういうのです。

 これまで長い間、日本の各分野の知的財産は、こうやって、タダ
で、海外とくに韓国と中国に漏れていきました。
 インスタントラーメンでは、1960年代初め、日本のインスタ
ントラーメンの会社が、韓国の会社に、製造方法から技術、レシピ
まで、すべて無償で教えています。
 半導体も、韓国のサムスンが日本の経団連に技術提供を依頼して
きて、経団連の仲介で、日本の企業が、製造技術を教えました。

 もちろん、当時、韓国はまだまだ貧しい国であり、日本としては、
お隣りの国を助けるという気持ちがあったのでしょう。
 イチゴの苗の番組で、若いアナウンサーが「悪いことではないと
思うのですが」と解説したのは、そういう時代の名残りがあるのか
もしれません。
 しかし、もう、そんなのどかな時代は、遠くに過ぎ去りました。
とっくに、昔の話になってしまったのです。

 中国に対しても、同じことが言えるでしょう。
 2004年、JR東日本と川崎重工は、中国で、高速鉄道のプロ
ジェクトを受注し、中国鉄道省に、東北新幹線「はやて」の技術を
供与する契約を結びました。
 ところが、中国は2011年、日本から技術供与を受けて開発し
た中国の新幹線を「独自開発」とし、アメリカで特許を申請をした
のです。

 日本は高い技術を持っている。
 それを、世界に提供するのはいいことだ。
 ・・・そんな時代は、もう、昔話になっているのです。

 2019年の私たちは、遅まきながらも、そのことをはっきり自
覚し、対応する必要があるでしょう。

 (続きます)