2011年が暮れようとしています。
いま2011年12月31日の午後9時を回ったところ
です。
激動の1年でした。
よくここまでたどりついたものと思います。
3月11日の午後2時26分、あの大地震が来たとき、
みなさんは、どこで、なにをしていらっしゃったでしょう
か。
大地震と津波だけであれば、いまごろは、復興の槌音が
響いているところだったかもしれません。
しかし、その後の福島原発の事故は、本当に余分な事故
でした。
原発事故によって、大震災の様相がすっかり変わってし
まいました。
私たちジャーナリストの立場でいえば、原発事故は、ジ
ャーナリズムのあり方を問うものとなりました。
原発事故は、事実がどうなっているのか、すぐには見え
ません。
ほかの事件や事故であれば、現場に足を運び、現場を見
て取材すれば、かなりのことが分かってきます。
ところが、原発事故は、現場に行けないのです。
あの段階で、ジャーナリストが原発事故の現場に行こう
と思っても、行けるわけがありません。
当面の情報は、東電と政府の会見に頼らざるをえなくな
ります。
日本の新聞は朝刊と夕刊がありますから、とにかく紙面
を埋めるには、東電と政府の会見で記事を書くしかないと
いうことになります。
もちろん、学者に取材し、地元の人々に取材し、いろん
な側面から記事を書きます。
しかし、事故の本筋は、当座は、東電と政府の会見に頼
るしかないということになります。
そうしないと、紙面が埋まりません。
これを、「新聞は政府の発表を伝えるだけだ」と批判さ
れると、ある程度は、それはもう、批判を甘受するしかな
いのかもしれません。
もうひとつ。
原発の事故のように、かなりの専門知識が要求される取
材を、いったいどうすればいいのかということです。
東電や政府の会見、発表を、批判的に受け止めるだけの
専門知識がない場合、ジャーナリズムは、どう対応すれば
いいのか。
この原発事故は、ジャーナリストにとって、ジャーナリ
ズムのありかたを考えざるをえない事故となりました。
振り返ってみれば、3月11日は、まだ今年のことです。
え? まだ今年のことだったのか。
そう思うほど、あれから、いろんなことがありました。
よくここまでたどり着いたと思います。
このブログは、2011年の1月にスタートしました。
スタートしてすぐ、あの大震災が発生しました。
ブログを続けるうちに、読んでいただく方の数が、少し
ずつ増えてきました。
うれしいことです。
ジャーナリズムというのは、読まれなければ意味があり
ません。
どんなに素晴らしい原稿があったとしても、だれにも読
まれることがなければ、個人の日記と同じです。
この小さなブログも、読んでいただく方がいらっしゃっ
て、初めて、ジャーナリズムとなります。
みなさん。
今年は、ブログを読んでいただき、本当にありがとうご
ざいました。
感謝申し上げます。
そしてまた、今年という年は、まことに大変な年でした
が、よくここまでたどりつきました。
みなさん、本当に、お疲れさまでした。
2012年がみなさんにとって素敵な年になりますよう
に。
2012年も、またこのブログを、どうぞ、よろしくお
願いいたします。
みなさん。
よい年をお迎えください。