いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

今年は大変な1年でした・・・でも、2011年も大晦日になりました。みなさん。よい年をお迎えください。

2011年12月31日 21時38分35秒 | 日記

 2011年が暮れようとしています。
 いま2011年12月31日の午後9時を回ったところ
です。

 激動の1年でした。
 よくここまでたどりついたものと思います。

 3月11日の午後2時26分、あの大地震が来たとき、
みなさんは、どこで、なにをしていらっしゃったでしょう
か。

 大地震と津波だけであれば、いまごろは、復興の槌音が
響いているところだったかもしれません。
 しかし、その後の福島原発の事故は、本当に余分な事故
でした。

 原発事故によって、大震災の様相がすっかり変わってし
まいました。

 私たちジャーナリストの立場でいえば、原発事故は、ジ
ャーナリズムのあり方を問うものとなりました。

 原発事故は、事実がどうなっているのか、すぐには見え
ません。
 ほかの事件や事故であれば、現場に足を運び、現場を見
て取材すれば、かなりのことが分かってきます。
 ところが、原発事故は、現場に行けないのです。
 あの段階で、ジャーナリストが原発事故の現場に行こう
と思っても、行けるわけがありません。

 当面の情報は、東電と政府の会見に頼らざるをえなくな
ります。
 日本の新聞は朝刊と夕刊がありますから、とにかく紙面
を埋めるには、東電と政府の会見で記事を書くしかないと
いうことになります。
 もちろん、学者に取材し、地元の人々に取材し、いろん
な側面から記事を書きます。
 しかし、事故の本筋は、当座は、東電と政府の会見に頼
るしかないということになります。
そうしないと、紙面が埋まりません。

 これを、「新聞は政府の発表を伝えるだけだ」と批判さ
れると、ある程度は、それはもう、批判を甘受するしかな
いのかもしれません。

 もうひとつ。
 原発の事故のように、かなりの専門知識が要求される取
材を、いったいどうすればいいのかということです。
 東電や政府の会見、発表を、批判的に受け止めるだけの
専門知識がない場合、ジャーナリズムは、どう対応すれば
いいのか。
 
 この原発事故は、ジャーナリストにとって、ジャーナリ
ズムのありかたを考えざるをえない事故となりました。

 振り返ってみれば、3月11日は、まだ今年のことです。
 え? まだ今年のことだったのか。
 そう思うほど、あれから、いろんなことがありました。

 よくここまでたどり着いたと思います。

 このブログは、2011年の1月にスタートしました。
 スタートしてすぐ、あの大震災が発生しました。
 ブログを続けるうちに、読んでいただく方の数が、少し
ずつ増えてきました。
うれしいことです。

 ジャーナリズムというのは、読まれなければ意味があり
ません。
 どんなに素晴らしい原稿があったとしても、だれにも読
まれることがなければ、個人の日記と同じです。
 この小さなブログも、読んでいただく方がいらっしゃっ
て、初めて、ジャーナリズムとなります。
 
 みなさん。
 今年は、ブログを読んでいただき、本当にありがとうご
ざいました。
 感謝申し上げます。
 そしてまた、今年という年は、まことに大変な年でした
が、よくここまでたどりつきました。
 みなさん、本当に、お疲れさまでした。
 2012年がみなさんにとって素敵な年になりますよう
に。
 2012年も、またこのブログを、どうぞ、よろしくお
願いいたします。

 みなさん。
 よい年をお迎えください。




クリスマスと新年・・・よい年を。

2011年12月26日 01時16分05秒 | 日記

 忘れていました。
 きょうはクリスマスでした。
 クリスマスのごあいさつを。 

 We wish you a Merry Cristmas.
We wish you a Merry Cristmas.
We wish you a Merry Cristmas.
and
A Happy New Year!

 
    *******

このあとに、野田首相の目 という原稿を
アップしてあります。
 ご覧になっていただければ幸いです。




野田首相の目が泳ぎます・・・民主党政権は終わりが近いかもしれません。しかし日本は。

2011年12月26日 01時13分15秒 | 日記


 このところ、野田首相を見ていて、非常に気になること
があります。 
 野田首相の目が、おかしくなってきたのです。
 話すときに、目が泳ぎます。
 野田首相は記者団から質問を受けてもあまり返事をしな
いのですが、たまに答えるとき、目がきょろきょろと、宙
をさまようのです。
 いかにも自信なさげに見えます。

 この目は、今年、さんざん、見せられました。
 菅直人・前首相の目です。
 原発事故のあと、菅首相の目は、いったいどこを見ている
のかという感じで、宙を泳いでいました。

 最近の野田首相の目は、当時の菅直人氏の目と同じよう
に、泳ぐのです。

 野田首相は、もともと、決して自信ありげに話をする人
ではありません。
 しかし、首相になったころは、目は、しっかりと正面を
見ていました。
 
 来年度予算が、90兆円、しかも、復興予算はこの90
兆円とは別枠に組んでいる。
 国債依存度は50%近くになった。
 もう、かなり危ない状況です。

 そして、野田首相は、増税路線につき進んでいる。

 増税というのに、無駄遣いは削れない。
 まず、八ッ場ダムは、結局建設することになった。
 またお金が出ていく。

 未完成の新幹線も結局は、着工することになった。

 いったい、これのどこが民主党らしい政策なのでしょう。
 たぶん、野田首相は、自分自身で、そのことに気がつい
ているのではないでしょうか。
 これなら、自民党政権と、なにも変わらない。
 俺は、何をやっているんだろうと、もしかすると、そう
自問自答しているのではないでしょうか。

 そこまで読むのは、読み過ぎかもしれません。
 しかし、野田首相は、自分がやっている政策に、まった
く自信を持っていません。
 なにかの操り人形のように、ただ、ありあわせの言葉を
つなぎあわせてしゃべっているだけです。

 野田首相の目を見ていると、民主党政権は、もう終わり
なのではないかと思わざるをえません。

 しかし、日本は、いま、総選挙で政治空白を作れるよう
な状況ではありません。
 悲しいけれど本当に危ない状態になってきました。


民主党の政治センス・・・金正日氏の死亡への対応をはじめ、民主党のセンスの悪さにがっかりします。

2011年12月22日 11時20分15秒 | 日記

 風邪から、復帰してきました。
 今年の風邪は、長いですね。
 いっぺんなおったと思ったのに、またぶりかえしました。
ひどい症状ではないのですが、だらだらと続きます。
 私の周辺を見ると、同じような風邪が、ずいぶんはやって
いるようで、みんな、やはり長引いています。
 クリスマス、新年と、大きな行事を控え、みなさん、ど
うぞ、お気をつけください。

 さて、復帰の第一回目は、民主党の政治センスの
悪さです。

 今週は、金正日氏の死亡という大きなニュースが飛び込
んできました。
 19日の月曜日のことです。
 北朝鮮で大きな発表があるという話は、この日の午前中
から伝わっていました。
 実際、北朝鮮の国営テレビが金正日氏の死去を発表した
のは、正午です。
 ところが、野田首相は、正午から新橋駅前で久々の街頭
演説をする予定がありました。

 いまごろ、野田首相は「なんで俺は、あのとき・・・」
と悔やんでいるかもしれませんが、しかし、首相は、北朝鮮
の発表があるのが分かっているのに、官邸から新橋に向かっ
たのです。

 官邸から新橋までは近いもので、1キロちょっとという
ところでしょうか。車だと数分もあれば着きます。恐らく、
野田首相の頭には「近いから、なにかあればすぐに戻れる」
という意識もあったのでしょう。
 ところが、タイミングが悪いとはこのことで、官邸から
新橋まで、ほんの1キロちょっとを移動している間に、金
正日氏の死亡が発表されたのです。

 野党・自民党は、重大発表、しかも、日本の安全保障に
も関係するような重大発表があることが分かっていると
き、わざわざ首相がでかけてしまうとはと、猛烈に批判し
ています。

 一方、山岡国家公安委員長は、北朝鮮で重大発表がある
ことさえ、警察庁から伝えられていませんでした。
 その結果、発表を受けて官邸で開かれた閣僚会議に間に
合いませんでした。
 公安委員長は、警察をの最高責任者です。警察は、北朝
鮮による拉致問題の担当部門です。
 その公安委員長が、会議に間にあわなかった。その原因
が、警察庁から連絡がなかったからーーというのは、冗談
みたいな話です。
 当然、野党・自民党は、民主党批判を強めています。

 金正日氏のニュースだけではありません。

 先週末には、事故を起こした福島原発について野田首相が
会見し、「福島原発は冷温停止の状態になり、事故は収束し
た」と発表しました。

 政治センスの悪さというのは、このとき、なぜ、わざわ
ざ「事故収束」という言葉を使ったのか、ということです。

 なるほど、福島原発の原子炉の温度が下がり、安定的な
状況になった。それは事実なのでしょう。
 だから、それを、「冷温停止」というのは、その通りな
のでしょう。

 しかし、そこでなにも、「事故収束」という必要はな
かったでしょう、ということです。
 簡単に、「福島原発は、冷温停止の状態になりました」
と発表すれば、問題にもならなかったのではないでしょうか。

 野田首相や細野原発事故担当相、あるいは、首相をサ
ポートする官僚たちは、冷温停止によって、原子炉は安定
したのだから、「原発事故」としてはここで収束したーー
という認識だったのだろうと思います。
 それはそれで、間違っていないのでしょう。
 原発という装置、機械だけの話としてみれば、もう安定
したのだから、「収束」といってもおかしくはないかも
しれない。

 しかし、問題は、ここからです。

 私たち国民がいま福島原発の事故という場合、それは、
爆発した原発そのものではなく、むしろ、各地に拡散した
放射性物質と、それに伴う、食や健康への不安、子供たち
への影響ということを意味するのです。

 いま、私たちが「原発事故、どうなるんでしょうね」と
いう会話をかわすとき、私たちは、とりもなおさず、コメ
や肉、魚が、放射性物質であるセシウムやストロンチウム
に汚染されていないかどうか、子供たちへの影響はどうなる
のだろうかーーということを念頭に置いているのです。

 私たちが「原発事故」について話をするとき、「原子炉
の冷温停止」とか「原子炉の安定」ということを考えてい
るわけではないのです。

 「事故収束」というなら、セシウムやストロンチウムに
よる汚染、あるいは、放射線量の数値、あるいは運動場や
家の除染――そういうことが、もう、心配しなくていいで
すというとき、私たちは初めて「事故収束」と思うのです。
 
 野田首相の「事故収束」は、私たち国民のイメージする
「事故収束」とはまったくかけ離れた言葉だったのです。

 たぶん民主党が野党で、野田首相が普通の野党議員であっ
たら、「事故収束」のイメージは、普通の国民の持つ
「事故収束」のイメージに近いものだったのではないで
しょうか。

 それが、民主党がなまじ政権党となり、首相になった瞬
間に、その感覚が、普通の国民とは違うものになってしま
った。
 それを、政治センスの悪さといいたいのです。
 政権党になって、政治センスが悪くなったーーというべ
きでしょう。 

 現在の民主党は、そういう側面が非常に強い。
 政権党になって、民主党そのものの政治センスが、なに
か、劇的に悪くなった。
 そういえると思います。

 それはなぜか。
 ひとつには、初めて政権与党になり、どうふるまえばい
いのか分からなくなってしまったということがあると思
います。
 政権与党の座、政権与党のパワー、政権与党のありかた、
そうしたもの、すべてに戸惑っているのでしょう。

 平時であれば、時間とともに、自ら、是正し、適応して
いくのでしょう。
 しかし、いまの日本は、それだけの時間の余裕がありま
せん。

 このままでは、民主党は、いずれ、政権与党としての資
格なしとして、退陣する日が来るでしょう。
 そのときはまた自民党政権になります。 その後、民主
党が、今回の経験を踏まえ、また政権に復帰することがあ
るのでしょうか。

今後、どう展開するにせよ、怖いのは、国民が「自民党
も民主党も結局同じだなあ」という気持ちを持ち、政治を
あきらめてしまうことです。



英語と日本・・・英語が不得意なのは日本が植民地になったことがないからです。誇るべきことです。

2011年12月13日 23時11分59秒 | 日記

 英語に限らず、外国語は出来るにこしたことはありませ
ん。それは、英語ができるほうが便利です。

 しかし、日本人は英語ができないーーと嘆く必要はまっ
たくありません。

 日本人がなぜ、英語が不得意か?
 答えは簡単です。
 それは、日本がかつて一度も欧米諸国の植民地になった
ことがないからです。
 日本は、長い歴史を通じ、ずっと独立国だったのです。
 だから、日本では、日本語だけで用が足りたのです。

 今夜のテレビ番組で、日本人の英語の話が取り上げられ
ていました。この番組には各国の人がゲストで出ていまし
た。そこで、アフリカ出身のボビー・オレゴン氏が、「私
はフランス語が話せるよ」と言い、やはりゲストで出演し
ていたアフリカの人と、流ちょうなフランス語で会話をし
てみせました。日本人のゲストは、驚いた顔をしていまし
た。

 しかし、そんなこと、当たり前です。
 アフリカは、長い間、イギリスかフランスの植民地だっ
たのです。イギリスかフランスでなければ、ドイツかベル
ギーの植民地でした。
 フランスの植民地であれば、フランス語を話さざるをえ
ません。
イギリスの植民であれば、英語を話すしかないでしょう。

 日本人のゲストに、「日本人はなぜ英語がしゃべれない
のでしょう」と問われたインド人のゲストが、「私たちは、
耳から自然に英語が聞こえてくるから」と答えていました。
 なんのことはない。
 それは、インドがイギリスの植民地だったというだけの
ことです。
それは、自慢するようなことではありません。
 
 イギリス、アメリカ、オーストラリア以外で、英語がし
ゃべれる国は、だいたい、英米の植民地だった国です。
 インドがそうですね。
 シンガポールもそうです。
 香港もそうです。
 
 植民地だった国では、教育も、支配していた国の言語で
行われます。政府関係の公文書だって、すべて、支配した
国の言葉が使用されます。
 だから、イギリスの植民地では、みんな英語が話せるの
です。強制されてしゃべるようになるだけのことです。
 
 それに対し、独立を維持してきた国では、母国語ですべ
てが足りたのです。教育も母国語、公文書も母国語、日常
使う言葉も母国語です。
 英語を使わずに済んだというのは、その国が一貫して独
立を守ってきたということです。
 日本がその典型です。
 欧州、アメリカ以外で、そういう国は珍しいんですよ。
 
 日本において、日本語だけですべて用が足りるというの
は、だから、実は素晴らしいことなのです。

 英語が出来るにこしたことはありません。
 英語が出来ると便利です。
 しかし、英語が出来ないことを恥じる必要はまったくあ
りません。
 それどころか、英語ができないというのは、日本がただ
の一度も植民地になったことがないことを示しているので
す。
 日本人が英語が出来ないのは、これもあえて誤解を承知
でいえば、むしろ、誇るべきことなのです。

 もちろん、それはそれとして、現代の世界で、英語がで
きると便利なことはいうまでもありません。
 そこは、冷静に受け止めましょう。

 大事なのは、英語が出来ないといって、恥じる必要はまった
くないということです。
 繰り返しますが、英語が出来ないのは、日本という国に
おいて、日本語ですべてが出来るからです。そしてそれは、
日本が植民地になったことのない数少ない国だからです。
 それは、誇りに思うべきなのです。


オリンパスの社長・・・外国人の社長を起用するのは百害あって一利なしです。ソニーの凋落を見てください。

2011年12月12日 15時02分45秒 | 日記

 日本企業の社長に外国人を起用するのは、もうやめたら
どうでしょう。
 いや、やめるべきでしょう。

 オリンパスの前社長のウッドフォード氏が、社長への復
帰を狙っています。
 オリンパスの損失隠しを発見したのは、なるほど、ウッ
ドフォード氏の手柄です。
 損失隠しを続けてきたのは、日本人の経営陣です。しか
し、だからといって、外国人のウッドフォード氏に社長に
なってもらおうというのは、あまりに短絡的でしょう。
 ウッドフォード氏は、日本語が話せません。日本語を話
せない人に、日本の企業の社長をさせて、いったいどうす
るというのでしょうか。

 外国人社長を起用しようという話のどこかに、
 「日本人の外国人コンプレックス」
 が感じられるのです。

 日本企業の社長になろうというのなら、日本語を不自由
なく話せて当たり前です。

 外国人の社長を起用して、企業がボロボロになってしま
ったのは、ソニーです。
 ソニーは、出井・前社長が2005年、後継にイギリス
人のハワードストリンガー氏を指名しました。
 そこから、ソニーの衰退が顕著になりました。

 ストリンガー氏になって、ソニーは、かつての輝きを失
ってしまいました。
 ソニーは、東京の下町で、盛田、井深の両氏が設立した
町工場から、ここまでの大きな企業になりました。その核
心にあったのは、「ものづくり」です。

 その意味では、ソニーは、日本のものづくりのシンボル
のような企業だったのです。
 
 ところが、ストリンガー氏は、ものづくりの企業の出身
ではありません。ストリンガー氏は、アメリカのテレビ会
社CBSで、プロデューサーなどとして働いていた人物で
す。
 たまたま、ソニーの社内の政治力学から社長に起用され
ました。
 当時のソニーには、「いっぺん、アメリカ人の社長を起
用してみよう」という気分もあったのでしょう。


 しかし、ストリンガー氏は、盛田氏、井深氏が大志を抱
いてテープレコーダーを作り始めたものづくりの「心意気」
というものは、まったくありません。
 あるのは、アメリカ流の経営学だけです。

 それはなにかというと、無駄なものは切り捨てるーーと
いうことです。
 ソニーの場合、テープレコーダー、トランジスタ・ラジ
オ、トリニトロン・テレビと続く「エレクトロニクス」の
系譜が、ソニーの核心です。

 ところが、ストリンガー氏は、この核心部分を、もうか
らないからという理由で、切り捨てるのです。

 その過程で、ソニーの優秀な技術者が、嫌気がさして、
ソニーを去っていきます。

 そもそも、ストリンガー氏は、日本にいません。いつも
ニューヨークとロンドンにいます。
 それに、ストリンガー氏は、日本語をしゃべりません。
 これで、ソニーのどこが「日本企業」でしょうか。

 もう、ソニーは、昔のソニーではありません。
 出井氏は、もし、ソニーの将来を考えるなら、長くソニ
ーのものづくりの現場でやってきた日本人を、社長に起用
するべきでした。
 出井氏の罪は大きい。

 オリンパスも同じです。
 オリンパスは、カメラメーカーとして伝統的な技術を持
っています。
 オリンパスは、損失隠しで動揺しています。
 しかし、そうやって動揺しているときこそ、オリンパス
の根っこにあるカメラの技術、光学機器のものづくりの意
志を持った日本人が社長になるべきです。

 「外国人だからガバナンスに明るい」とか、「外国人だ
から、コンプライアンスが」とか、「外国人だから、近代
的な経営手法で」とか、そういういっさいは、とんでもな
い誤解です。
 それは、ソニーのストリンガー氏を見ているとよくわか
るでしょう。
 彼は、ソニーの惨状をよそに、年間8億円の報酬を得て
いるのです。

 日本のメーカーの社長って、せいぜい、5000万から
8000万円ぐらいですよ。

 NECは、社長こそ日本人のままでしたが、しかし、関
本社長が退いた後、外国の経営コンサルを導入し、NEC
の基幹部門を、次々に切り捨てていきました。
 
 1980年代から90年代初めにかけて、日本企業の
「日本的経営」というものが世界を風靡(ふうび)しまし
た。
 アメリカ人も、日本的経営を学びに来たのです。
 それから、たかだか10年ちょっとです。
 
 10年ちょっとで、「日本的経営」は、いったい、どこ
へ行ってしまったのでしょうか。
 日本的経営って、そんな安っぽいものだったのでしょう
か?
 決してそんなことはないはずです。

 いま、日本のものづくりが危機にあるときにこそ、もう
一度、「日本的経営」の旗を振りませんか。
 少なくとも、危機だからといって、外国人社長を起用す
るというような安易な考えだけは、やめるべきでしょう。






国破れて企業あり・・・超円高で生産が海外シフトします。最後の砦・トヨタも危なくなってきました。

2011年12月11日 18時33分34秒 | 日記

 トヨタが歴史的な円高で四苦八苦しています。
 世界で最強の企業であるトヨタが苦しんでいるのですか
ら、ほかの日本企業は、もっと苦しい状況です。
 このまま円高を放置すれば、日本は沈没します。

 トヨタは、日本国内で年間300万台の自動車を生産し
ています。その多くが輸出用です。しかし、75円という
円高のため、作っても作っても、利益が、為替差損で消え
てしまうのです。

 このままでは、トヨタは、生産拠点を海外に移転せざる
をえないでしょう。

 いまこの日本からトヨタが海外に脱出してしまえば、も
の作りの拠点が消え、雇用の機会が失われ、日本経済は立
ち行かなくなります。

 トヨタは、早くから、日本国内での生産ということにこ
だわってきました。
 それが、日本経済の空洞化に対する強力な歯止めともな
っていました。

 このブログで、「日本の企業には愛国心はないのか」と
いうことを問いました。
 その意味では、トヨタは、最後までよくがんばったと思
います。
 いまここでトヨタが生産を海外にシフトしても、トヨタ
を責めることは出来ないでしょう。

 海外にシフトすれば、トヨタという企業は生き残る事が
出来ます。
 現地で生産して現地で販売すれば為替の影響からは逃れ
られます。
 この超円高でも、企業は、生産拠点を海外に移せばやっ
ていけるのです。
 
 トヨタが海外に移れば、海外に脱出する日本企業はどん
どん増えるでしょう。

 企業はそうやって生きていけます。

 しかし、では、日本は?

 そうです。
 何度も指摘してきたように、そうなれば、
 「国破れて企業あり」
ーーという状態になってしまいます。

 超円高で、企業は海外に脱出する。
 企業はそうやって生きていく。
 しかし、日本という国が、企業と同じようにまるごと海
外に出ていけるはずもありません。
 大半の日本人と、日本という国は、この日本という地域
に残るしかないのです。

 企業が海外に出て行くとどうなるでしょう。
 まず、日本国内から生産が減ります。
 当然、日本の国内総生産(GDP)が減少します。
 生産拠点というのは工場のことですから、工場が消えて、
日本国内から、雇用が消えます。
 当たり前の話ですが、失業が増大します。
 
 日本経済の空洞化です。
 国破れて企業ありという状態になります。
 日本の国民経済は、危機に瀕します。

日本経済の空洞化は、もうすでに始まっています。
 始まっていますというより、とっくに、かなりの程度ま
で進行しています。
 トヨタが海外シフトすれば、日本経済の空洞化は、決定
的になります。

 企業は、この円高をどうすることもできません。
 円高に働きかけることが出来るのは、企業ではなく、国
です。
 政府・日銀は、この円高に、猛反撃しなければなりませ
ん。

 そう考えると、一川防衛相や山岡国家公安委員長の問責
決議などを出して、遊んでいる暇はありません。

 そう。
 いまの国会は、ただ遊んでいるだけです。

 こんなことをやっている暇はないでしょう。
 
 過去、日本経済は、何度も存亡の危機に立たされました。
 しかし、日本企業が日本国内に残ったので、危機から脱
出することができました。
 今回は違います。
 日本経済の危機に際して、日本企業が海外に脱出しよう
としてます。
 日本企業が海外に出て行ってしまえば、日本経済はもう、
危機から回復することなどできません。

 政府も国会も、目をさまさなければなりません。
 WAKE UP !!!



国会は政治休戦を・・・日本は危機にあります。問責決議なんかで時間を空費する余裕はありません。

2011年12月09日 00時41分44秒 | 日記

 国会が会期切れを迎えます。
 一川防衛相の言動に対する批判や、山岡国家公安委員長
の経歴に対する批判・追及で、この国会は、かなりの日数
を取られてしまいました。
 会期切れは、その影響が大きいのです。

 ギリシャの財政赤字に端を発し、欧州は政治も経済も混
乱状態に陥っています。
 もちろん、日本経済も大きな影響を受けています。
 日本は、大震災と原発事故からの復興を目指さなければ
なりません。
 そのさなかに、日本は歴史的な円高に見舞われ、日本経
済は空洞化の危機に直面しています。

 防衛相や国家公安委員長への批判や問責決議に時間を浪
費している場合ではありません。

 はっきりいえば、一川氏のような凡庸な人を防衛相とい
う重要なポストに置いたのが悪い。
 あるいはまた、マルチ商法の企業を賞賛するような発言
をしてきた山岡氏のような人物を、こともあろうに、国家
公安委員長に起用した野田首相が間違っている。
 
 それはその通りなのですが、しかし、いま、私たちの日
本は、そんなことを攻撃したり、問責決議を出したりして
いられるような状況ではありません。

 そんなことで国会が空転している間に、日本経済を取り
巻く状況は、どんどん悪くなっている。
 ところが、国会が空転するものだから、政府は何も対応
できないし、対応しません。

 風邪を引き、放って置いて肺炎になってしまった患者が
いる。ところが、医者は医学部内の派閥抗争に巻き込まれ、
患者を診るより、対立する派閥を攻撃するのに忙しい。
 患者は、そのまま、何も治療も受けられず、放置されて
いる。
 日本は、いまちょうど、そんな状態です。

 一川氏と山岡氏は、なるほど、軽すぎるでしょう。
 しかし、ちょっとした発言や、過去の言動を取り上げ、
まるで鬼の首を取ったように攻撃するというのは、もうよ
しませんか。
 そうしたつまらない攻撃や批判で国会が機能せず、政府
も動けず、その結果、この地球規模の危機に、日本は何も
出来ないでいるのです。

 閣僚のちょっとした言動をあげつらって批判するのはや
めようという「政治休戦」をしませんか。
 
こんなことをしていると、本当に、この国は沈没してい
しまいます。

 野田首相と自民党の谷垣総裁が、ふたりで話し合い、「政
治休戦」をしましょう。
 そして、日本経済の危機を打開するため、本来の政治に
取り組みましょう。
 それは、国民の願いだと思います。



一川防衛相・・・辞任を求めるのは行き過ぎです。大事なのは「政策」であって、「政局」ではありません。

2011年12月07日 02時33分35秒 | 日記

 一川防衛相の辞任を求める声が強くなっています。
 しかし、誤解を恐れずに言えば、辞任を求めるのは、ほ
とんど言いがかりです。

 防衛省の沖縄駐在の局長が、政府方針をいつ沖縄に伝え
るのかと、記者懇談で聞かれ、「犯す前に、これから犯す
と言う男はいないでしょう」と発言しました。局長本人は、
「犯すなどという言葉は使ってません。私は、やる前にこ
れからやるという男はいないーーと言ったのです」と説明
しています。ただ、局長本人は「そう受け取られても仕方
がないかもしれない」と言っていますし、この局長の更迭
はしようがないでしょう。

 一川防衛相に辞任を求める声が出たのは、この局長の発
言と更迭が引き金です。
 
 しかし、ちょっと待てと言いましょう。
 この局長の発言で、沖縄の人が怒るのは当たり前です。
 これはどうしようもない。
 しかし、この局長は、防衛省の役人にすぎません。ただ
の官僚です。
 
 この局長を任命したのは、一川防衛相ではありません。
 局長が防衛省に入ったのは自民党政権の時代ですから、
任命責任を言うのであれば、その当時の自民党の防衛相(当
時はまだ防衛庁長官です)でしょう。任命責任というのな
ら、それは、民主党ではなく、自民党です。

 任命責任の追及ではなく、部下の責任を取れという言い
方もあるようです。しかし、部下の責任をトップが取れと
いうは、いくらなんでも乱暴な議論です。
 民間の企業で、社員が不祥事を起こしたとして、そのと
きは、トップである社長が辞任しなくてはなりませんか?
 そんな無茶な話はないでしょう。

 一川防衛相に辞任を求める声には、別の理由付けもあり
ます。
 それは、一川防衛相自身の軽すぎる発言です。
 ブータンの国王夫妻が来日し、宮中晩餐会が開かれまし
た。晩餐会には、当然、閣僚も出席することになっていま
す。ところが、この防衛相は、晩餐会を欠席して同僚議員
のパーティに出席し、あろうことか、スピーチで
 「晩餐会よりこっちの方が大事です」
 と言いました。

 国会での発言も追及されています。
 10数年前、沖縄の小学生が複数の米軍兵士に暴行され
るという痛ましい事件がありました。
 この事件で、米軍に対する抗議行動が激しくなるのです。
 国会で、この事件を知っているかと聞かれた一川防衛相
は、
 「事件があったことは存じておりますが、詳しい内容ま
で知っているわけではありません」
 と答弁しました。
 この答弁が、あの事件を知らないようでは防衛相の資格
がないと、批判されているわけです。

 国賓の晩餐会を欠席して、別のパーティに出るというの
は、ほめられたものではありません。
 しかし、それが防衛相の辞任を求めるほどのことかとい
うと、ちょっとそれは、と思います。

 沖縄の少女の暴行事件の答弁にしても、
 「存じておりますが、詳しい内容までは」
 というのは、確かに、なさけない。あの事件のことは、
防衛相であろうがなかろうが、知っておいてほしい。あの
とき、新聞やテレビで、連日、大きく報道されましたし、
なにより、沖縄の悲しみを象徴する悲惨な事件です。
 しかし、一川氏は、
 「存じておりますが」と断ったうえで、
 「詳しい内容までは承知しておりません」
 と正直に答えている。
 たぶん、事件のことは記憶にあるのでしょう。
 しかし、あいまいな答えをするといけないので、詳しい
ことは承知しておりませんと答えたのでしょう。
 確かに、なさけない答えではありますが、正直に答えて
いて、決して、防衛相の辞任につながるような答弁とは思
えません。

 それなのに、自民党は、これで防衛相は辞任せよと求め
ている。
 
 野党も与党も、もう、あら探しをするのは、やめにしま
せんか。

 衆議院が解散されて、総選挙となり、自民党が政権与党
に返り咲いたとします。
 当然、自民党の政治家が閣僚に就任します。
 民主党は、敵討ちとばかり、閣僚のあれこれを突きだし
て、国会で質問に立ちます。そして、ちょっとした発言を
とらえて、辞任を要求するでしょう。

 50年、60年と生きてきた人間が政治家になっている
わけですから、だれしも、二つや三つ、あるいはもっとた
くさん、触れられたくない過去があるでしょう。
 政治家はサービス精神が旺盛ですから、だれしも、軽い
発言をしてしまうことがあるでしょう。むしろ、そのぐら
いの軽さがないと、地元では票を取れなかったりする。

 いまの日本は、そんなことを探りだして、相手を攻撃し
ているような暇はありません。
 
 相手を批判するためだけに、なにか、失敗や弱点を探り
出し、国会で追及するーーというようなことは、もうやめ
ませんか。
 それは、政策や政策論争とは、まったく無縁です。
 相手を引きずり落とすための批判のための批判にしかす
ぎません。

 日本という国が危機的な状況を迎えているときに、そん
なことをしている余裕はありません。
 自民党は、そこまでなさけない政党になってしまったの
でしょうか。

 大事なのは、政策です。
 政局など、どうでもいいことです。
 政局より政策です。
 
 与野党で、批判のための批判、相手を引きずり下ろすた
めだけの批判は、お互いに自粛しようと、合意しませんか。
 なんで、そんなことができないのでしょう。
 怖いのは、国民が政治を馬鹿にしてしまうことです。




キャラメルと大阪のおばちゃん・・・東京の武士の文化では中国との外交はできません。

2011年12月05日 01時26分28秒 | 日記

 この週末、所用があり、大阪で泊まりました。
 あるコンビニでのことです。
 たまたま、お客さんが少ない時間帯でした。
 私が雑誌とキャラメルを買い、レジに行くと、いかにも
大阪のおばちゃん、というより、大阪のおばあさんという
感じの70代の女性がひとり、レジの女性と話しこんでい
ました。知り合いのようです。ふたりの話は、なかなか終
わりません。
 ちょっとしびれを切らし、私は、持っていた雑誌とキャ
ラメルを、レジの机の上に置きました。
 早くレジをやってくれませんか、という感じです。

 さすがにレジの女性はレジを打ってくれる感じになった
のですが、大阪のおばあさんは、まだ話をしたいようです。
 それでも、ふたこと、みこと、世間話をして、大阪のお
ばあさんは、レジを離れようとしました。
 そのとき、大阪のおばあさんは、私が置いたキャラメル
を見て、
 「あ、悪いなあ、これ、もらえるの?」
 といって、自分の手にキャラメルを取ったのです。
 
 私は、ずっこけて
 「え? いや、それは私がこれからレジをしてもらうん
ですけれど」
 と答えると、大阪のおばあさんは、
 「あ、そう。ごめん、ごめん。わたし、欲張りでいかん
なあ」
 とにこやかに笑って、キャラメルをレジに置いて、出て
行きました。

 私は、神戸生まれなので、もちろん、大阪のことはよく
分かります。
 このおばさんの感覚は、実によく分かります。
 普段は東京に住んでいて、つい大阪の感覚を忘れてしま
うのですが、大阪、神戸に帰ると、この感覚がよみがえっ
てきます。

 東京は武士の文化です。
 こういう大阪のおばさん、大阪のおばあさんの感覚は、
東京には、まず、ありません。
 どういう感覚かというと、恥ずかしげもなく、自分の利
益を主張する感覚です。
いわゆる「もうけた」という感覚ですね。

 東京はよくもあしくも武士の文化です。
 大阪はよくもあしくも商人の文化です。

 武士の文化は、武士同士が、律儀に向き合う文化です。
掛け値なしの「正札」の文化です。
 大阪の商人の文化は、いつも「得」を考える文化、すこ
しでももうけようという文化です。正札ではなく、「掛け
値」の文化です。

 
 武士の文化は、相手も武士であるとか、あるいは、相手
も武士の文化を尊重してくれるなら、しっかり成立します。
しかし、相手が商人なら、武士の文化は成立しないのです。

 日本が国際社会を相手にするのなら、武士の文化では一
方的に損をすることのほうが多いでしょう。
 中国をイメージしてください。
 中国を相手に武士の文化で外交交渉したら、損をするだ
けです。
 中国を相手にするには、大阪の商人の文化がいいのです。
 レジで、自分の横に置かれたキャラメルを「あ、私にく
れるの?」と、恥ずかしげもなく言ってしまう文化でなけ
れば、中国との外交交渉はできないと思います。


 外交は、大阪の人にまかせるのがいいのではないかと、
かなり本気でそう思います。

坂田三吉 端歩もついた
 明日は東京に出ていくからは
 なにがなんでも勝たねばならぬ
 空に灯が点く通天閣に
 おれの闘志がまた燃える




3年生から就職活動・・・こんなことをしていては、日本の大学は崩壊します。早く手を打たないと。

2011年12月02日 02時05分57秒 | 日記

大学生の就職活動が、12月1日に解禁されました。
 しかし、冗談をいってはいけないと思います。
 「大学生」って、何年生のことだと思いますか?
「大学3年生」の就職活動ですよ。
 来年2012年の卒業ではなく、再来年の2013年
3月に卒業する大学3年生です。えらい先の話です。

 去年までは、大学3年生の10月に就職活動が解禁され
ていたのを、学業に配慮して、2か月遅くして、12月に
したのだそうです。
 冗談をいってはいけない。

 大学の3年生の後半から、もう、就職活動ですか。
 大学は、1、2年は教養課程、3,4年が専門課程とい
う位置づけでした。最近は、1、2年生まで専門課程が降
りてきているようですが、しかし、3年生、4年生という
のは、大学の本来の勉強をする重要な学年です。
 その3年生の後半に、もう、就職活動をしなくてはなら
ないというのは、いったい、どういうことでしょう。

 かつては、就職活動の解禁は、大学4年生の9月でした。
 だから、大学3年生と4年生の前半は、大学の勉強に専
念できたのです。

 それを、こともあろうに、来年ではなく、再来年に卒業
する3年生に、早くも就職活動をさせるとは、いったい、
なんということでしょうか。

 かつて、大学4年生の9月が就職活動の解禁日だったの
は、経団連が「就職協定」を定め、解禁日をそう決めてい
たからです。

 ところが、企業がこの就職協定を無視して、早くに学生
を囲い込もうとするようになりました。
 そのため、経団連は、1995年に、就職協定を廃止し
てしまったのです。

 その結果、就職活動がどんどん早くなってしまったとい
うわけです。

 私は、今年、ある私立大学で、非常勤講師として、ジャ
ーナリズム論を教えました。
 ところが、日によって、講義に出る学生が、ごそっと減
るのです。
 不思議に思って尋ねてみると、原因は就職活動です。
 就職の会社説明会のようなものがあって、学生が、どっと、
その説明会に出るというようなことです。
 あるいは、企業の面接を受ける学生が、たまたまその日に
集中していたということもあったりします。
私の講座だけではなく、ほかの講座も、すべて、そんな
調子です。

 しかし、大学の講義より、企業訪問、就職活動を優先す
るというのは、どう考えても変でしょう。
 企業の方にお尋ねしたいのですが、大学の講義に出ない
で就職活動で面接に来た学生に、
 「大学では、何を勉強していますか?」
 と質問するというのは、おかしいとは思いませんか。

 もっといえば、3年生の12月に就職活動を始める学生
に、
 「あなたは、大学で何を学んでいますか?」
 と質問するのは、ほとんどブラック・ジョークですよ。

 いまの大学生は、就職のことばかり、気にしています。
 何を気にするかといえば、まず、企業を訪ねるときの服
装です。女子学生は、黒のスーツに白いシャツです。爪は
切っておきましょうとか、ひげはそりましょうとか、そん
なことばかり気にしている。

 講義で、日米企業の比較を話していて、
 「最近のソニーをどう思いますか」
 と質問したところ、
 ある学生が
 「まだソニーの企業研究をしていませんので、分かりま
せん」
 と答えました。
 就職を希望する企業のあれこれを調べることを「企業研
究」というのですね。
 だから、ソニーがいま国際経済の中でどうなっているか
ではなく、就職対象としてのソニーの現状の方が、大事な
話になってしまうのです。

 おかしいでしょう。

 大学で教えていて、
 現在の大学は、就職のための予備校
 になっているというのが実感です。

 こんなことをやっていて、日本の大学の水準がどうのと
か、現代の大学生の教育レベルがどうのと言うのは、ほと
んど意味がありません。

 このままでは、日本の大学教育は、崩壊します。
 そして、それは、日本の将来にも、悪い影響を与えてし
まいます。
 
 こんなことをやっていてはいけません。
 就職活動は、かつてのように、4年生の9月解禁という
ことに、いますぐ改めるべきだと思います。
 
 日本の企業人は、いったい、何を考えているのでしょう。
 このままでは、日本の企業が、日本の大学を破壊してし
まいます。

 大学も大学です。
 こんな状況を放置しておいて、何をやっているのでしょ
う。
 そして、願わくば、大学生諸君、君たち自身が声をあげ
ないといけません。
 このままでは、日本は、本当に、だめになってしまいます。 




沖縄防衛局長の暴言・・・まず、オフレコ懇談のこと。次に、官僚と政治とのこと。

2011年12月01日 12時11分22秒 | 日記

 沖縄防衛局長が、記者懇談で、沖縄に対する暴言を吐
き、更迭されました。
 更迭は当然といえば当然なのですが、しかし、この話
は、ひとつ、大きな問題をはらんでいます。
 それは、この発言が記者会見ではなく、「記者懇談」
のものだったということです。
 
 まず前置きしておきますが、この局長の発言は、許さ
れるものではありません。
懇談の翌日の朝刊でこの発言を報じた琉球日報は、
「犯す前に、これから犯す、ということはない」と局長
が発言したと伝えました。
一方の局長は防衛庁で事情を聴かれ、「やる前に、こ
れからやるということはないーーというような言い方
をしたが、犯すという言葉は使っていない」と答えまし
た。局長は「犯すという言葉は使ってないが、その場の
空気では、そう受け止められてもしようないかもしれな
い」と説明したということですから、そういう意味で使
ったのでしょう。だとすれば、やはり、許されることで
はありません。

さて、そこで、「懇談」です。
懇談に際し、局長は、これは「完オフですからね」と
釘を刺しています。完オフというのは、完全オフレコの
ことです。
「懇談」は、「オフレコ」とセットになっています。

 オフレコというのは オフ・ザ・レコード の略で、
記録には残さないという意味です。
 記録に残すのであれば、「会見」になります。

 ですから、本来は、懇談=オフレコなのですが、最近、
この了解が崩れてきているのです。
 
 オフレコの懇談で話された内容を書くべきかどうか
というのは、まことに微妙な問題です。
 普通は、書くときは、発言者の名前を出さずに、「政
府筋」とか「防衛庁幹部」とか、そういう表現をします。
最近は、いきなり名前を出すようになってしまいました。
福島に視察に行って帰ってきた夜、議員宿舎で、取材
に来た記者に「(放射能)つけちゃうぞ」といって自分
の服を近づけた経済産業相がそうでした。

こういうオフレコ、オフレコ懇談で困るのは、発言の
内容がはっきりしないということです。
今回も、居酒屋で懇談をしたそうですが、たまたま局
長の近くに座った記者は発言を聞けたでしょうが、ちょ
っと離れた所に座った記者なら、何といっているのは、
よくは聞き取れなかったでしょう。にぎやかな居酒屋で、
ちょっと離れた人の声なんて、聞こえません。
今回も、もうひとつの地元紙、沖縄タイムズは、「記
者は懇談に出席したが、局長と離れた所にいたので、発
言内容がよく聞き取れなかった」としています。たぶん、
それはその通りだと思います。

また、非公式の懇談だからというので、出席しない記
者も当然います。今回は、朝日新聞が「当社は、記者が
懇談に出席していなかった」としています。

では、懇談とはいったいなんでしょうか。
昼間はなかなか言えないことを、「今度、ちょっと食
事でもしましょう。そのときにでも、また改めて」とい
うことが、よくあります。
それを、何人かでまとめてやれば懇談になります。

こういう懇談というのはよくあるものです。
この手の話になると、すぐに、日本の記者クラブがど
うのとか、そういう話になりますが、しかし、アメリカ
にも欧州にも、この手の懇談は、あります。
G7サミットなど国際会議では、しょっちゅうです。
G7の会議のあと、各国政府は、どの国の記者でも入
れる記者会見を開きます。同時通訳を入れて、大勢の記
者が参加します。
しかし、各国政府とも、自国の記者には、自国の立場
をよくわかっておいてほしいので、公式の会見のあと、
必ず、自国の記者向けに懇談を開きます。それは、日本
も、アメリカも、イギリスも、事情は変わりません。

しかしながら、今回、沖縄防衛局長が、どういう言葉
を使ったにせよ、沖縄のことを、政府の都合だけで考え
ているーーということは、はっきり分かってしまいまし
た。局長のいうのは、結局のところ、沖縄がどう考えて
いるかは知らないが、政府が何かを実行するときは、あ
らかじめ知らせたりはせず、政府の都合で実行しますー
ーということです。

この話は、もうひとつ、大きな問題があります。
沖縄防衛局長の暴言を、自民党や公明党は、鬼の首を
取ったようにして、攻撃しています。
しかし、この局長、防衛庁に入ったのは自民党政権の
ころで、その経歴の大半は、自民党政権の下で築いたも
のです。
だから、この人の考え方は、長い間の自民党政権の考
え方でもあったといえるのです。

たぶん、この人は、いまが自民党の内閣であったとし
ても、同じような発言をしていると思います。

この人は、官僚です。
官僚というのは、政治がどう変わっても、考え方を変
えません。この人の様子を見ていると、つくづく、そ
う思います。