ジャーナリストとして取材をするうちに、心に残った
話、思わず吹き出してしまった話というのがあります。
それを、適宜、書いていきたいと思います。
まず、温暖化防止の枠組みを決めた1997年の京都
会議、京都議定書から始めましょう。
地球の温暖化を防ごうというので、気候変動枠組条約
という国際条約ができ、その会議が、定期的に開かれて
います。
会議は、各国持ち回りで、もう何度も開かれています
が、これまででとくに重要だったのが1997年12月
に京都で開かれた京都会議です。
よくCOP3というのがこれです。
こっぷすりーと読みます。
3回目の会議だったわけですね。
京都会議では、温暖化の原因を二酸化炭素(CO2)
であると定め、その削減量を、具体的に決めたのです。
日本はCO2を6%削減し、アメリカは7%削減、欧
州は8%削減するというのが目標です。アメリカは、そ
の後、この目標を不満として「離脱」を宣言しました。
さて、この会議は、12月の初め、1週間という長丁
場で開かれました。場所は、京都市の北の郊外、北山杉
で有名な京都・北山の一角です。北山の山の上に、「京
都国際会議場」という大きな会議場があり、この会議場
が舞台になりました。会議場の真ん前にはプリンスホテ
ルがあり、参加した各国政府の代表は、このプリンスホ
テルに泊まっていました。
プリンスは高いし、空室もないし、記者たちは、山の
ふもとにある京都市内のビジネスホテルに泊まってい
ました
京都をご存じの方はぴんとくると思いますが、京都の
12月は寒いのです。京都は12月から2月にかけて、
底冷えします。
しかも、郊外の北山の山の上の会議場です。
そしてまた、舞台となった京都国際会議場は、なぜこ
んな建て方をしたのかと思うほど、コンクリート打ちっ
放しの、コンクリートがむき出しとなった建造物です。
これを設計した建築家には申し訳ないけれど、建物自
体が、寒々としているのです。
そうです。
この会議は、とにかく、寒かった。
寒い12月に、底冷えのする京都で、寒風の吹く山の
上で、コンクリート打ちっ放しの寒々とした国際会議場
で、この会議は開かれました。
何の会議かというと、「温暖化防止会議」ですよ。
国際会議場の正面には大きな広場があり、各国の環境
団体がビラを配ったりして、参加者に働きかけています。
ところが、なにしろ寒いので、「温暖化を防止しまし
ょう」というビラを配る手が寒さで震えています。
ビラを受け取ろうにも、会議場に出入りする参加者は
コートから手が出ません。
いやー、本当に寒かった。
それに、国際会議場の付近には、プリンスホテルがあ
るだけで、レストランもなにもないのです。
だから、会議場の外にいると、ただただ、むき出しの
山があるだけで、どうにもしようがありません。
それが寒さに拍車をかけます。
長丁場、一週間の会議をしているうちに、雪が降り始
めました。
12月の中旬、ようやく、京都会議は、各国のCO2
削減量を具体的に決めた合意を採択して、閉幕しました。
これが「京都議定書」と呼ぶもので、中身は、冒頭に
書いたように、CO2を、日本は6%、アメリカは7%、
欧州諸国は8%削減するというものです。
この数値をめぐって会議はもめにもめ、もしかすると
採択できずに終了するかという状況にもなりました。
はらはらしながら、ようやく採択したときは、深夜に
なっていました。
採択の瞬間、会場は大きな拍手に包まれました。
参加者も記者たちも、ほっとして、会議場の外に出ま
した。
すると、ひゆーっと寒風が吹きつけ、小雪が舞ってい
るのですね。
正面広場は、うっすらと雪化粧さえしています。
みんな、寒さに震えました。
各国から集まってきた記者たちも、「寒い、寒い」と
言いながら、取材しています。
みんなして、雪の中を移動し、寒さに震えながら、
「温暖化防止」
の原稿を書きました。
温暖化防止?
そんなこといわないで、早く暖かい所に入りたい。
手が、かじかでしまって。
これじゃ、風邪ひくよ。
地球って、こんなに寒い星なんだ。
寒冷化防止の間違いじゃないですか。
みんな、そんな感じでした。
京都会議は、本当に寒い会議でした。
あれは、なんというか、開催の時期、場所を選ぶの
に、ちょっと失敗したのではないでしょうかねえ。
会議には、過激な環境団体も来ていましたが、小雪
が舞うなか、彼らも、苦笑しながら「温暖化防止」の
ビラを配っていましたね。
まあ、そこまで考えて時期と場所を決めたとすれば、
それはそれで、恐るべき深慮遠謀というほかありません。
ただ、現場にいた実感としては、たぶん、これは、何
も考えずに時期と場所を決めたな、こいつら、という感
じでした。
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